学習通信070209
◎個人の活動は著しく衰退している……

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現代のことば
 ちいさきものはみなうつくし
  石川 九楊

 水面下で、消費税率の引き上げが準備されていると聞く。10%説もあるようだが、そんな数字は私には信じがたい。10%になれば、税率の多寡の問題では済まないからだ。

 たとえば、物書きの印税率は10%。定価千円の『A』という本を一万部刷れば、一千万円の市場が形成され、著者は百万円の印税を受け取る。その時消費税10%なら、国と自治体は『A』のおかげで、ちやっかりと百万円をふところに入れることになる。ひとりの物書きが精魂をつくして働いて得たのと同額を、国や地方は何の苦労もなく手に入れる。これぞ「濡れ手で粟」。現代の魔術、錬金術でなくて何だろう。

 個人の収入と同額を国や地方は手にするのだから、五公五民。五公五民といえばひどい搾取──と言いたいわけではない。個人と同等あるいはそれ以上に巨大化することによって陥る国の自縄(じょう)自縛(じばく)状態と個人の活力低下を指摘したいのだ。

 消費税だけではなく、所得税、地方税、他の間接税、保険料も納めるわけだから、現行の消費税5%で、すでに個人とほぼ同等程度にまで国や地方は巨大化してしまっているのではないか。相対的に、個人はどんどん小さくなり、その活動領域は狭まっている。薄利の零細中小業者は次々と店を閉めざるをえず、地方都市の商店街はシャッター街と化し、下町の工場街が消えるのも自然の成り行きだ。もはや大量販売のチェーン店か量販店、流行に合わせて忙(せわ)しなく業態を変える商い、もしくは高利・暴利の商売しかやっていけない。

 個人は無力感に陥り、防衛庁の省への昇格等、反対者は多いのに、ほとんどデモは見かけない。

 そして、今、次々と明るみに出る国や地方自治体の浪費、濫費、不正使用──。これらは、いつの世もある一部官僚の倫理欠如(モラルハザード)とは質を違え、あり余る潤沢な資金を手にするに至った国や地方が陥った構造的な病である。

 とはいえ、国や地方の「巨大化」の実態は、泡沫(バブル)状に膨れ上がった「虚大化」。たとえば、年収五百万円に足りない家庭が、積もり積もった五千五百万円の借金を抱え、さらに年三百万円の借金を重ねながら八百万円以上を使って豪勢に暮らしていれば、いずれ破産は必至だろう。それが国債残高五百四十二兆円、一般会計税収四十六兆円、国債発行額三十兆円、一般会計歳出八十二兆円の日本国の実情である。普通なら、まずはなにを置いても、借入を止め、眼の色を変えて、莫大な借金返済の方策を講ずるだろうに。

 必要なのは、目先をとりつくろうだけの「改革」や国から企業への名義替えの「民営化」、ましてや「増税」ではない。虚大化した財政を、とりあえずは税収内できりもりできる規模(たとえば半減)へ思いきって「縮小」することである。宮崎の「そのまんま現象」も、国や地方の縮小を望む民衆の切ない願いの投影だ。

 国を小さくすれば、個人の動きは活発化する。今は、十万円を超える送金すら、本人確認を強要されるほど、ささいな生活の一齣(こま)まで国家に干渉され、個人の活動は著しく衰退している。若者に共通の閉塞感、絶望感もそこに起因している。消費税は1〜3%で十分。個人が自由に活き活き伸び伸びと働き、生活し、国は小さく慎み深くあるのがよい。「枕草子」で清少納言も書いているではないか、「なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし」と。
 (いしか わくよう 書家、京都精華大教授)
(「京都新聞 夕刊」20070207)

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大転換の時代へ

 人類史を、巨視的に展望して、文明時代(階級社会)がしめる時間は「過去に人間が生存してきた期間の一断片にすぎず」とのべたモーガンの言葉に、「それもごく、わずかな」と評注したのはマルクスであった。

そう遠くない将来に、人類は資本主義社会を最後の階級社会としてその前史を終え、人間平等の共同社会へと向かうという壮大な歴史観は、いまわれわれの眼前で実証されつつあるのではないか。

ソ連・東欧の体制崩壊を、科学的社会主義の崩壊と誤認した俗見を後ろに、社会主義をめざす国ぐには、経済的・政治的力量を飛躍的に高めつつある。南米大陸における左翼政権の拡大は目を見張らせる。

アメリカ覇権主義は、大義なきイラク戦争の泥沼にもがき、中間選挙におけるブッシュ大敗北となった。人類史の本史へと向かう流れは、歴史の本流としての姿をしめし始めている。

 わが国では、憲法破壊を最大公約とする安倍内閣の誕生、閣僚・党幹部による核武装論、国民福祉への引き続く攻撃、子どもの命をうばう教育環境の荒廃、教基法の改悪、大企業横暴の野ばなしなど、逆流が異常にめだっている。

しかし、批判と抵抗のマグマは、深く蓄積されつつある。九条の会をはじめ、理性の目で歴史の現局面を見つめ、逆流を阻止しようとする国民の諸運動の力はひろがりつつある。

日本が世界の本流に加わることによって、世界の大転換の時代への流れは加速される。今年こそ、転換の年にと決意を新たにしたい。(隆)
(「月刊 経済 07年1月号」新日本出版社 p5)

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◎「理性の目で歴史の現局面を見つめ、逆流を阻止しようとする国民の諸運動の力はひろがりつつある」と。