学習通信070222
◎「大企業中心主義の克服を」……
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気流
イラつく財界総理
批判紙への広告止める
「言論への挑戦」との声も
財界総理≠フイライラが募っているようです。「企業エゴ」批判に続き「二枚舌」批判。日増しに強まる日本経団連の御手洗冨土夫会長(キャノン会長)への非難に対し、キャノンは、批判した新聞社への広告を一部差し止めるという異例の措置に出ました。片や自民党には巨額の献金を行い、片や言論機関には兵糧攻め。財界関係者も困惑額です。
A……経団連の会長といえば、財界総理≠ニも呼ばれてきた。その地位にある御手洗氏に対して、世間の風当たりが強くなっているね。
B……だいたい、自分の会社であるキャノンが偽装請負で問題になっているのに、法律が悪いから変えてくれ、というわ、日本は法人税が高いから減税してくれ、というわ、「企業エゴ」丸だし姿勢に批判が高まっているからね。
二枚舌と言われ
C……『週刊朝日』(二月九日号)が「御手洗経団連は『おねだり』やめなさい」として経済同友会終身幹事の品川正治氏の「苦言」を紹介している。
A……正月に発表した「御手洗ビジョン」はまさに企業減税などのおねだり<rジョンだからね。
B……企業減税への批判に御手洗会長は、「矯小(わいしょう)化された議論」とか「小さな議論」と講演して回っている。
C……世間の目を気にはしているわけだね。
A……それがだ。朝日新聞が道路特定財源をめぐる御手洗会長の姿勢を「二枚舌」と批判したら、キヤノンは同社への広告出稿を昨年末ごろから停止するという手段に出たという。この件でキヤノンに問い合わせているが、いまのところきちんとした回答が寄せられていない。
B……「二枚舌」とは、道路特定財源の一般財源化にたいして経済財政諮問会議では「賛成」としつつ経団連では自動車業界などに気がねし「反対」との姿勢を示したことを指した言葉だったね。
C……記事が気に入らないから広告を止めたってわけか。
自民と懇談会も
A……経団連の歴史をよく知る古株の財界ジャーナリストも「会長企業が批判されたからといって、広告を出さないなんて聞いたことがない」というほど前代未聞のことだ。
B……ある財界事務局幹部も「あれはひどい」とあきれていた。この軽はずみな行動は、財界として求められる「品格」に欠ける、ということだ。
A……「朝日」では、全国通しの一面広告は三千万円が相場だと聞く。この問題を月刊誌(『リベラルタイム』三月号)で取り上げた経済ジャーナリストの阿部和義氏は、「言論に対する挑戦だ」と指摘する。
B……御手洗会長は財界活動歴が浅く、その「未熟さ」の表れとの声もある。
C……でもね、今、偽装請負、ホワイトカラー・エグゼンプション、銀行の企業献金問題への世論の批判が高まり、政・財界は一定の後ずさりを余儀なくされているから、その巻き返しともいえる。
B……その御手洗会長のキヤノンは、昨年暮れ、外資系企業も献金を可能とした政治資金規正法の改定を受け企業献金を行っている。額は公表されていないものの、自民党に三千万円から五千万円程度出しているのではないか、とみられている。
C……政界や言論界をカネの力で動かそうというやり方は金権体質そのものだ。
A……経団連は、参院選挙を控えて自民党との懇談会を立て続けに開いている。十三日の朝は、都内のホテルで自民党の中川秀直幹事長や丹羽雄哉総務会長などの首脳と懇談会を開いた。翌十四日には、参院の自民党議員との立食パーティーを開催している。今後も動きに注目だ。
(「赤旗」20070220)
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通信簿
「通信簿」と聞いて、みなさんはどんな思いを持つだろう。自慢したい人、話題にしたくない人……さまざまだろう。
ここに自慢されると国民が困る「通信簿」がある。財界の「政党通信簿」だ。AからEまでの五段階評価。生徒は自民党と民主党だ。いい成績をとったら、お金をあげようという。奨学金と違い、返済は必要ない。模範回答は、試験の前から、財界が公開している。そのとおりに回答が書けるかどうかの試験だ。項目は一〇項目。大企業に減税を求め、庶民には増税を求める。労働法制のいっそうの規制緩和や「憲法改正」など露骨だ。
この方式は日本経団連が奥田碩会長(トヨタ自動車会長)時代にはじめ、いまの御手洗冨士夫会長(キャノン会長)時代に引き継がれている。「金も出すが口も出す」(奥田氏)という。政治を金で買うという単純な発想だ。
かつて当時の経団連は一〇〇億円を超える政治献金を企業から集めていた。しかし、政治と財界・大企業の癒着に批判が集中し、経団連は一九九三年、献金あっせんの中止に追い込まれた。その反省もなく、形を変えたあっせん再開となった。
政治献金は政治参加の重要な手段だ。だが、企業に参政権はない。「社会的貢献だ」というが、見返りを期待しない企業献金などあり得ない。企業の利益にならない巨額支出は背任となり、見返りを求めれば贈収賄となる。企業献金は禁止以外にない。(健)
(月刊「経済 07年3月号」 p5)
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「臨調行革」は財界・大企業の名誉回復<Lャンペーンだったのでは?
一九八〇年は、大平政権が三年目を迎えた年でした。五月、国会に野党が提出した不信任案が、自民党内部の政争と結びついて、衆議院は、前回の総選挙(七九年一〇月)から半年ほどしか経たない時点で、突然の解散・総選挙の突風に見舞われ、選挙戦中に大平首相が急死するという不慮の事件を経て、八〇年七月、鈴木善幸政権が誕生しました。鈴木政権は、八二年一一月、中曽根内閣に交替しますが、鈴木内閣の時期に始まり、中曽根内閣に引き継がれて、日本のその後の政治・経済に大きな足跡を残した仕事に、「臨調行革」があります。
「臨調行革」については、それが何であったかについて、いろいろな評価があります。もちろん、「行政改革」ですから、日本の行財政がどのように「改革」されたかを、正面から吟味することは、当然の一つの角度でしょう。また、それと不可分の問題ですが、日本の財政の浪費体質にどれだけメスを入れたかを、数字的な吟味をふくめて、きちんと総決算することも、大事なことでしょう。これまでにも、いろいろな角度から、「臨調行革」をとらえ、その功罪を論じる議論が展開されてきました。
私は、これらの議論のそれぞれなりの意味を否定するものではありませんが、これまでの「臨調行革」論には、大事な視点が抜けているのではないか、という感じをずっと持ってきました。
それは、「臨調行革」とは、日本の財界あるいは大企業陣営の名誉回復≠フ大キャンペーンではなかったのか、という視点です。そして、その視点で見ると、行政機構の改革面、あるいは財政改革の面での「臨調行革」の成績がどうあろうと、「臨調行革」は、日本社会の流れを変える役割を十二分に果たしたのではないか、と思うのです。
なぜ名誉回復≠ェ必要だったのか?
現在は、小泉純一郎首相が、「民間でできるものは民間で」と、一種の「民営化」絶対論をとなえ、どんな経済部門でも、可能なものは、民間の私企業の利潤第一主義にまかせることが無条件の政活的美徳≠ナあるかのような議論を、平気でまきちらしている時代ですから、財界・大企業の名誉回復≠ネどというと、多くの方が、なぜ、そんなことが必要だったのか、という疑問を抱かれると思います。
しかし、八〇年代を迎えた日本社会は、決して「民営化」万歳論が無条件で通用する社会ではなかったのです。むしろ、財界・大企業の横暴にたいする警戒の気持ちが、社会の各分野に大きく広がっていた時代でした。
それには、それを裏付ける国民的な経験がありました。
まず第一は、六〇年代、「高度経済成長」の看板のもと、政府の手厚い援助を受けて実現した大企業の経済活動の大膨脹が、国民生活の上に、多くのたえがたい災難をもたらしたことです。
その災難の最大のものが公害でした。当時、四大公害病といわれたものに新潟水俣病、富山イタイイタイ病、四日市ぜんそく、熊本水俣病がありましたが、どの場合でも、加害企業は自分の責任を認めようとしませんでした。そして、長期の公害裁判で、被害者側が勝利してはじめて、自分の責任と補償義務をしぶしぶ認めたのです。
いまあげた四大公害病は、すべて被害地域がかなり限定された公害でしたが、各地での大規模な臨海コンビナートづくりの進展や、都市における自動車交通の急増などとともに、広大な地域が公害地帯になるという状況も、全国に広がりました。この場合にも、大企業の陣営は、自分たちの経済活動が公害をひきおこした責任をすすんで認めようとは、絶対にしませんでした。
こうして、多くの国民が、大企業・財界の乱暴な経済活動に、国民の生活をおびやかす重要な根源があることを、自分たち自身の切実な経験から理解したのでした。
第二に、一九七三〜七四年、日本が「石油ショック」に見舞われ、国全体が「モノ不足」と「狂乱物価」に苦しんだときにも、国民は手痛い経験をしました。国民がにわかの苦難にあえいでいるときに、多くの大商社・大企業が、買占め・売惜しみを方針として、その苦難を倍加させるような行動をとったのです。
さきに紹介した「価格調査官」問題での私の質問も、この状況のもとでおこなわれたものですが、国会では、続いて、国民の生活を直撃する大企業や大商社の不当な行動を調査するために、企業代表を参考人として呼ぶことも含め、取り組みを強化しました。
このなかで、日本共産党議員団の追及で、企業側のさまざまな反社会的な行動が明るみに出ました。なかでも、国民の怒りを買ったのは、大石油商社(ゼネラル石油)が、石油危機を「千載一遇のチャンス」と呼び、できるだけもうけの獲得に邁進せよという通達を、全国に発していた事実でした。この悪徳商法が国会で明らかになったのは、七四年二月、衆院予算委員会での共産党議員の追及のなかででした。
この会社は、七三年一一月、全国の支店長あてに内部通知を出し、そのなかで、中東戦争による石油情勢の急変を「千載一遇のチャンス」だとし、価格つり上げをねらって出荷高を意識的に減らす出荷操作をしたり、製品価格を値上げするが、通産省にはその事実を隠すことを取引先に約束させるなど、悪徳商法の方針と手口をことこまかに指示していたのです。
これは、大企業の利潤第一主義が、国民生活の危機の瞬間にどういう形で現われるかを、きわめてあからさまに示したものでした。
国会での追及と同じ七四年二月、「石油やみカルテル事件」が発覚しました。石油ショックがひき起こした狂乱物価の真っ最中に、石油連盟が生産調整をおこない、元売り各社が価格協定を結んで、いっせい値上げを実施したことが、明るみにでたのです。公正取引委員会は、石油連盟と石油二二社を独占禁止法違反で告発しました。こういう大企業・大商社の意図的な行動にたいする国民の怒りは、さまざまな形で表現されました。当時、テレビの時代劇にも、悪徳商人がモノ不足につけこんで大もうけを企む筋立てがよく登場しましたが、これも社会にみなぎった怒りの一つの現われでした。
第三に、いったんこういう経験をした目で、政治と経済の関係を見ると、政治献金に裏打ちされた政権党と財界・大企業との特別な関係にも、国民の批判の目がおのずと向けられるようになります。その矢先に起こった田中角栄氏のロッキード汚職は、財界からの政治献金に、日本の政治をゆがめる悪の根源があることを、多くの人びとに気づかせました。この事件では、被告席には、政治家だけでなく、丸紅、全日空など有力大企業の幹部たちも顔を並べていたのです。
こういうなかで、財界・大企業は、広範な国民のあいだで信頼を失い、自民党政府も、大企業奉仕の政策をこれまでどおりのやり方で続けることが難しい情勢になってきました。私は、この時期に自民党が発表した政策文書を読んでいるなかで、「大企業中心主義の克服を」という言葉(表現は少し違っていたかもしれませんが)が出てきたのを見つけて、自民党の危機感もここまで来たのか≠ニ考えたことを、記憶しています。
財界にとっても、自民党にとっても、この状態を打開して、財界・大企業の名誉回復≠はかることが、切実で緊急の任務となっていました。
「土光臨調」を象徴したメザシの土光さん$體`
「第二臨調」が誕生したのは、一九八一年三月。「第二臨調」とは、鈴木内閣のもとでつくられた「第二次臨時行政調査会」の略称です。その会長には、石川島重工(のちに播磨造船と合併し、現在は石川島播磨重工業)や東京芝浦電機(現在の東芝)を再建した実績をもち、経団連会長をつとめたこともある財界の大御所・土光敏夫氏が就任しました(就任の時は経団連名誉会長)。当時、鈴木内閣の行政管理庁長官として、「臨調行革」を担当したのが中曽根さんで、土光・中曽根の「臨調」コンビは、次の中曽根内閣にも引き継がれました。この内閣のもとで、八三年七月、「臨時行政改革推進審議会」(行革審)がつくられ、再び土光氏が会長に選ばれたからです。
土光敏夫氏が、第二臨調の会長になると、すぐ人間土光≠フ魅力を強調する宣伝が、大規模に始まりました。なかでも有名になったのは、メザシの土光さん≠ナす。
就任後一年余たった八二年七月、テレビの画面から、土光さん夫妻がメザシをおかずにして食事をしている光景が大々的に放映されて、財界の大御所でも庶民なみの質素な生活をしている≠アとの印象づけに、活用されました(NHK特集「85歳の執念 行革の顔 土光敏夫」)。たしかに、目でみせる≠アの宣伝作戦は、利潤第一主義と悪徳商法の大企業≠ニいう印象を取り除く上で、大きな効果をあげたと思います。いまでも、土光さんというとメザシを思い浮かべる人が、かなりおられるはずですから。放映したNHK自身も、過去の番組を紹介するホームページで、「妻と二人暮しの夕げは、メザシに麦飯。国民に『メザシの土光さん』のイメージを定着させたのは、この番組からであった」という自賛の一ロメモを書きこんでいます。
このメザシ宣伝については、もう時効だと思ったのか、一〇年ほど前、土光宅でしばしば「山海の珍味」をいっしょに味わったというジャーナリストが、「『メザシの土光さん』といわれたが、あれはほとんどウソである。……テレビなどの演出にあえて乗ったのは、『質素なリーダー』のイメージを利用して、行革を成功させるためだったと思う」と率直な話を公開したことがありました。最近の新聞記事でも、土光さんに近しい人の言葉で、あのメザシは、実は刺し身よりも高価なものだった≠ニいう話や、私が訪問した時には、メザシではなく、もっとぜいたくな食事をしていた≠ニいう話を、相次いで読みました。当時のメザシ宣伝の意味を、強くうかがわせるものでした。
これらの情緒的な財界見直し宣伝とあわせて、非効率で人件費を浪費している「官」対効率的な経営のために献身的、犠牲的な努力を払っている「民間」(つまり大企業のこと)という宣伝も、さまざまな手段でばらまかれました。
私が出席するテレビ討論会でも、「土光臨調」が始まってから、口を開けば、「官」は親方日の丸≠ナ勝手放題なことをしている、いまこそ「民間」を見習え、という野党¥窓L長がいて、しきりに大企業応援の論を張りました。彼に言わせると、「民間」の涙ぐましい努力の現れとして、労働者の首を切ってまで効率経営につくしている≠ニいう解雇礼讃論まで出てくるのですから、あきれました。この議論は、福祉でも郵政でも「民間」の利潤第一主義にまかせるのが最善だという、最近の「民営化」絶対論の走りと見るべきものです。
この野党代表は、特別の例外ではありませんでした。だいたいこういう調子の議論が、「土光臨調」の全時代を通じて、マスコミでも中心の流れになり、「民間に見習え」というムードが支配的な流れとして、つくりあげられてゆきました。
公害や狂乱物価などの問題で、企業責任を鋭く追及していた七〇年代のマスコミとは、見違えるような変化でした。「臨調行革」のおかげで、財界・大企業は、いつの間にか、「官」も学ぶべき「お手本」だということになり、公害や石油ショックで失った名誉≠回復する方向に、大きく足を踏み出したのでした。
「土光臨調」が、「第二次臨時行政調査会」の形態で発足したのが八一年三月、「臨時行政改革推進審議会」として最終答申をだしたのが八六年六月、活動期間はあわせて五年三ヵ月に及びましたが、「行政改革」そのものの進行状況は別として、財界・大企業陣営の名誉回復≠ノ関する限り、日本社会の流れを変えるというその使命に成功しつつ任務を終えたことは、間違いない事実だと思います。
(不破哲三著「私の戦後六〇年」新潮社 p195-201)
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◎「政治献金は政治参加の重要な手段……「社会的貢献だ」というが、見返りを期待しない企業献金などあり得ない」と。