学習通信070226
◎「季節感喪失」の時代……

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潮流

「春は名のみの風の寒さや……」。「早春譜」の歌のように、東京にも冷たい風が吹きました

▼早春。ふつう、「早夏」とか「早秋」といった言葉はみかけません。人々にとって、四季の中で春は特別です。早春の「早」に、巡ってきた春へのよろこびや、本番の春を待ちわびる心が込められているようです

▼「春浅い」といういい方も、夏や秋にはありません。国語学者の故・金田一春彦さんによれば、「浅い」は春の専用語らしい。金田一さんは、「春浅い」に、早春の意味にとどまらず春の色の浅さも表現されている、といいます

▼もっとも色のない冬に始まり、野も山もしだいに色彩ゆたかな世界へと変わってゆく。その移り変わりに着目して春だけに「浅い」という言葉をつかった日本人の季節感覚を、金田一さんは「すばらしい」とたたえています

▼しかし、気がかりなのは、地球温暖化、異常気象です。よく、日本が亜熱帯になりつつあるといわれます。もし温暖化を止められなければ、四季の移ろいに敏感な日本人の季節感覚も、だんだん鈍らされていくかもしれません

▼あす十九日、暦の上では「雨水(うすい)」です。「雪散じて水となる」。雪や水が解け始め、雨水ぬるみ、草木の発芽をうながす、という時期です。昔から、農耕の準備も雨水を目安に始めるとされてきました。ことしの暖冬は、農耕にどんな影響をおよぼすのでしょう。雪の少ないまま春を迎えると、米づくりが心配。雪国の米どころから、そんな声も伝わってきます。
(「赤旗」20070218)

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春浅し 2月25日

 「春は名のみの風の寒さや」ではじまる『早春賦』(吉丸一昌作詞)は、きょうこのごろの微妙な季節感をうまくとらえている。この季節を表わすことばに「春浅し」というのがある。季節が浅いとか深いとかいう言いかたには別に「秋深し」があるくらいで「冬浅し」だの「夏深し」だのとは言わない。秋にも「深し」「深まる」はあっても「浅し」はない。「浅し」は春の専用語だ。

 「深し」「浅し」は元来表面から底までの距離の長短をいうことばであるが、色彩の濃淡にもいう。「浅緑色」「深紅色」の類だ。「春浅し」も春の色が浅いという感じである。「春の色」ということばは「古今集」に出てくるが、中国の「春色」の訳であろう。「景色」のショク(おもむき)を色彩の意味にとりなして、これに「浅し」「深し」などの形容をつけたのは日本人の発明らしい。冬は一番色彩のない季節で、春・夏と進むにつれて色彩がゆたかになることを思うと、春に限って「浅し」といった日本人の季節感覚はすばらしい。
(金田一春彦著「ことばの歳時記」新潮文庫 p78)

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 日本の四季は複雑微妙である。春夏秋冬の季節の移り変わりがどんなにきめこまかいものであるかは、日本人がその生活実感でよく知っている。俳句のような、自然観照と季節感を生命とする詩が生まれたのも、このような風土なればこそである。一年が雨季と乾季だけしかない、のっぺらぼうな「季ぼけ」の国でなくて、季節感ゆたかな日本に生まれたことを幸せとする人が多いのではあるまいか。

 アジア大陸の東縁に位置する日本列島は南北に長く、沖縄から北海道まで北緯二六度から四五度に及んでいる。小さな島国なのに緯度の広がりは中国や米国の大陸国家とほとんど同じである。春は桜の花前線が鹿児島から北海道まで一カ月余りもかかって北上し、蜜蜂のキャラバンは浅春の種子島から夏秋の十勝平野まで、菜の花、れんげそう、蜜柑、林檎、クローバーなどの花を追って長い旅を続ける。「菜の花や月は東に日は西に」と蕪村が詠んだ風情ある菜の花も農家はあまり作らなくなり、げんげ田も花が咲いて地下根瘤ができる前にトラクターで根こそぎにされる。蜂飼い泣かせである。

日の出、日の入りも根室と佐世保ではどのくらい違うか、夜明け、日の暮れにずいぶんの差がある。それだけ花も木も山河の風景も気温も虫も鳥も魚も所変われば品変わるで千差万別である。寒い北国と暖かい南国との差だけでなく、二、三千b級の山岳がいたる所にそびえるこの国では、寒冷の高地は植物相も生物相も平地とは全く違う。さして高くもない吉野山一つをみても下の千本と奥の千本とでは桜の開花がひと月余りも早い遅いがある。川端康成が「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」と小説『雪国』に書いたように、北陸、山陰などの 日本海側と太平洋側との気象があまりにも性格を異にすることは、すでに言いつくされている。それほど日本の季節は地域的に複雑に入り組んでいる。

 アジア・モンスーン地帯に位置することも日本列島の宿命的風土である。野分や台風や集中豪雨や洪水など天災多発の国だが、他の半面では豊富な水に恵まれ、年間降水量は六千数百億d(単位面積当たり一八〇〇_)といわれる。雨だけでなく、「雪は水の貯金箱」で北海道や東北、北陸など豪雪地帯の膨大な積雪量も含めての降水量である。屋久島は「月に三五日」も雨が降るといわれるほどの多雨島で、吉野・熊野に横たわる大台ケ原もこれに近く、東京でも年に一五〇〇_余の降水量がある。ロンドン、パリ、ベルリンは六〇〇_足らず、サンフランシスコ四七五、ニューヨークー〇〇強などにくらべてはるかに多い。台風は太平洋の海水を蒸留し真水にして運んでくれる。米だけは自給で食べられるのもモンスーンのおかげである。それだけ豊富な水資源に恵まれながら、飲用水も工業用水も濯漑用水も水不足なのは、狭い国土に人口が多いのと、森林の乱伐や水源涵養の怠慢、地下水の過剰汲み上げなど水管理が悪いからである。

 日本の森林については新緑と紅葉の項でも触れたが、植物の種類が非常に多いだけでなく、モンスーンのため林の中は湿っぽく、低木や熊笹や雑草がものすごく繁茂している。これは日本の林の特徴である。ヨーロッパの林には熊笹はないそうで、下草も生えず、落葉も乾燥しているので、林間を散歩して弁当をひらいたり、寝ころぶこともできる。日本の森林は昼なお暗く、密生する笹や羊歯や雑草で人間の立ち入りを拒否する。林間散歩はほとんどできない。万葉の歌の「たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野(くさふかね)」といえば「草深野」は美しくも思えるが、欧州のカラッとした草原と違い、露もしとどに人間の立ち入り難い草深野なのである。

 雨が多いので杉も檜もよく育つ。これら針葉樹林はほとんど人工の経済林だが、整然とした林相は、重厚な美林を形成している。樟その他の照葉常緑樹林は、春の新芽どきは花かと見まごうばかり、夏も秋冬もキラキラと陽光に照り映え、大隅半島高隈山系の照葉樹林の立派さには海外の植物学者も世界に類のないものと賞賛した。「魏志倭人伝」に耶馬台国に繁茂していると記された とは楠の古い字で、クスノキとタブノキの照葉樹林のことだという。松は日本風景美の典型であり、京都東山などの女性的な赤松も、海風に吹かれる白砂青松の男性的な黒松も、日本らしい景観美の主役として国民は松を誇りにしている。だが里山の赤松林はほとんどみな原生林ではなく、焼き畑農業で土地の養分を収奪しつくしたあとのやせ地に生えたものだといわれる。孫文が四国の段々畑を見て「耕して天に到る。ああ貧なるかな」と嘆声を発したのは山の林を焼いた焼き畑なのであった。
 古代の製鉄は石油も石炭もなく燃料のすべてを山林の樹木にたより、一dの鉄を造るために一山も二山も丸裸にしたという。昔の朝鮮はそのため山林を切り尽くし、楽浪の滅亡とともに製鉄もストップし、鉄の農耕具も造れず太古のままの木の農具では農地の拡大と食糧増産も出来ず、百済も新羅も次第に衰微したのだが、日本はアジア・モンスーン地帯なので、製鉄のため乱伐された山林も、樹種は変わっても何年か後にはまた樹木が繁茂した。モンスーンによるこの旺盛な森林復原力が農具と武器の鉄器生産を持続させた。ヨーロッパでも鉄の生産のため原生林を片っばしから乱伐し、その自然破壊による災害に悩まされて自然保護に目覚め、人工的な森林の復元につとめた。ヨーロッパの今の自然に原始林の姿はなく、すべて復元された自然、手なずけられた自然だという(四手井綱英、大政正隆氏らの著書)。

──略──

 はる、なつ、あき、ふゆと季節の移り変わりは、暦に半歩か一足ずつおくれてほぼ約束通りに年々歳々去来しているが、現在の日本は「季節感喪失」の時代でもある。菊の花は「いつ咲くの?」と若い嬢さんに聞くと「アラ、年じゅう咲いているわ」という。まことにその通りで、菊もバラもカーネーションも一年中いつでも咲いている。それは現代社会の巨大な需要にこたえて商魂は季節にかまわず常に生産し、時知らずの花を市場へ供給するわけだ。

春の花には日長の日差しの光を与え、人工の春暖でだまし、人工の春のなかで咲かせる。短日性の秋の花には日短かと秋冷でたぶらかして錯覚を起こさせ、冬でも春でも秋の花を咲かせる。それで花屋の窓には季節を忘れた「無季の花」が無節操に年じゅう咲き誇っている。花屋の花を見て季節を感じることはできず、狂った季節が平然と美しい顔をしている。現代人はそれを何の不思議とも奇怪とも乱脈とも感じなくなっている。

果物にも野菜にもほぼ同じことがいえる。ちかごろは熊までが季節をたがえ、昔は冬ごもりの前、山に食べ物が乏しくなる晩秋にしか人里へ出てこながったが、今は登山者や観光客の残飯に慣れて人間食の味を覚え、季節知らずに夏でも人里に下りてくる。

 人間は自然と対立するものではなく、人間も自然の一部である。山や川や光や空気や水や土とともに、鳥獣虫魚など生きとし生けるものとともに、草木の植物とともに、人間もまた自然を構成する一要素である。だが人間は自然と平和共存しなければ生きていけない。美しい日本の山河と、穏やかでもあり厳しくもある季節のなかで、自然の恩恵と試練を受けながら、人間は生きていく。

自然は人間がいなくても存続するが、人間は自然なしには生きられないのである。人間の科学技術がいかに進歩しても、どんな巨大な物、どんな精密な物を作ることができても、道の辺の雑草の葉っぱ一枚も、ボウフラやゴキブリの虫ケラー匹も、そもそも生命を創ることはできない。自然に対しては謙虚に、山河や草木や鳥獣も虫魚ももっともっと大切に尊重していかなければならぬと思う。

 この本「日本の四季』は、日本という国土の春夏秋冬の季節と風土、そのなかに息づく動物と植物たちの生の営みそれらを知る手引きともなる現代の歳時記である。小事典であると同時に日本の自然感と季節感についての読みものでもありたいと願った。項目を自然に限り、人事や年中行事をはぶいた。花鳥風月的な観賞対象だけでなく、古くから農耕や暮らしの指標となってきたものを取り入れた。百科的知識の網羅は避け、季節感のあふれる存在、季節の目安として昔も今も受けとられてきた事象への生物学的、民俗学的、季節学的アプローチを試み、各分野の最近の研究からニュースとデータを盛り込むことを心がけた。
 一九七六年十月   荒垣秀雄
(荒垣秀雄編「日本の四季」朝日新聞社 p3-7)

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◎「冬は一番色彩のない季節で、春・夏と進むにつれて色彩がゆたかになることを思うと、春に限って「浅し」といった日本人の季節感覚はすばらしい」と。