学習通信070314
◎独りで古典と対話する精神……

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「古典離れ」の背景

 料理・育児からセックスにいたるまで世はすべてこれハウ・ツゥの時代に、古典の読み方とか学び方について弁ずるのは、何とも気が重い話です。ハウ・ツゥという問いがそもそも怪しからぬからではありません。私たちの生き方を問題にすることは、ある意味ではみなハウ・ツゥに帰着します。困るとすれば、それは現在におけるハウ・ツゥという学習の仕方──あえてややこしい表現を使えば、ハウ・ツゥのハウ・ツゥにあるのだと思います。

 ならうより慣れよ、という古語がありますが、「習熟」という学習の仕方があまりにも忘れ去られて、目や耳によって簡便迅速に情報を獲得する仕方が、あらゆる領域で氾濫しています。簡便迅速な情報の獲得の必要は、「時間」と関連し、また「競争」と関連する問題です。ですから、たとえば受験ともなれば、本を読むにも「読書百遍、意自から通ず」などと呑気なことをいってはおられないのは当り前です。

昔から受験参考書という類の本は、この意味でハウ・ツゥの典型でした。ところが、受験に限らず、絶えずこの種の「時間切れ」にいらだち、この種の情報獲得の必要──もしくは必要と信じているもの──に追いまくられていると、いつしかそういう学習の仕方が習い性となります。きわめて逆説的なことには、「習熟」と正反対の学習法に「慣れ」てしまうわけです。

 こうして、育児やセックスどころか、およそ情報の獲得と整理だけではどうにもならない、教養とか「知的生活」とかまでが、ハウ・ツウ的技術の対象として、ほとんど同じ姿勢で追求されるようになりました。こういう状況のなかで古典の学び方を論ずるのは、もし古典を読む必要を前提とするならば、それ自体がもう一つのハウ・ツウを加えるだけのことになりかねないし、また、もし古典を読む必要の切実性が感じられていないならば、ひとり角力に終ります。

 ここでは一応、古典を読む欲求を持つ人を相手に話しているのですが、「天下の大勢」としては、どうも古典離れの方に傾いているようです。ヤングが古典を読まなくなったという声をあちこちで聞くだけでなく、かつては古典の宝庫であった文庫本──大抵の識字国民においてはペーパーバックも加えて今なおそうですが──その文庫本に著しい古典離れが起っているのは、本屋の棚を一べつしただけでわかります。こういう否定できない傾向の社会学的背景となると、さまざまの角度から議論できるでしょう。問題はそれを「今時の若い者は」といういい方で済ませられるか、ということです。

 古典をクラシックの訳語とするならば、そこで核心的な観念は規準とか範型とかいうことであって、時代的な古さは少なくも第一義的な意味を持ちません。これは「古典経済学」とか、「古典音楽」とか、それぞれの領域で、古典が帰属する時代がちがうのを見てもお分りでしょう。その意味では、江戸時代によく使われた「経典」とか「典範」というコトバの方が、「古」典というより、クラシックの含意をヨリ正しく伝えています。ただ、一定の時間の風雪をくぐらなければ、規準や範型も確立しないので、その限りでは、時代的な古さということも通常クラシックに随伴する要素といえます。すくなくも生れたてのホヤホヤの新刊や新作が、その瞬間にクラシックになるということはありません。

 してみると、「古典離れ」の背景には二つの要素の複合が推察されます。第一は、客観的な規準とか確立された形式というものが手応えのある実在感を喪失した、という問題です。第二には、新刊・新品・新型をたえず追いかけないと気が済まず、そうしないと「時代遅れ」になるという不安感です。こういう精神態度が、二つながら戦後日本において増幅されたのは確かですが、果してそれほど最近の現象でしょうか。「今時の若い者」に限られた傾向でしょうか。私は必ずしもそうでなく、これには長い歴史的・文化的背景があるように思えるのです。

 そういう日本文化論をここで述べたててもキリがありません。ただ簡単に私の独断をいえば、第一の点については、そもそも文化に規準とか形式性を賦与したのは、古代では中国であり、近代では西欧だったという事情が挙げられます。学問にとっても芸術の上でも、範型という意味でのクラシックは、中国古典か、ヨーロッパの学芸でした。日本の「古典」は、むしろ昔の本──まさに『古事記』の題名が象徴するように「ふることぶみ」──という意味であり、それに一定の「典範」的性格を与えようという発想そのものが、中国古典によって触発されたものです。

 つまり客観的形式とか、典則とかいうものは、もともと外来たというところから、どうしても、そうした形式への反逆は、「外来」対「内発」という、論理的には別の次元の問題とワン・セットになりがちなのです。そうして、日本の内発性の探究は、無定形なエネルギーもしくは「構成」以前の情念の流れへ行きつき、そこにお仕着せでない「本源的」なものを見ようとします。

 形式への反逆は、いうまでもなく西欧ではロマン主義的思考の特徴ですが、日本では「三史五経のみちみちしきかた」(紫式部)への違和感の方が先行しているので、極端にいうと、ここでは歴史的順序は古典主義からロマン主義へではなくて、むしろ「はじめにロマン主義ありき」ということになります。そういう由来のうえに、今世紀の世界的な傾向である「客観的規準の解体」という契機が重なり合うわけです。

 もっとも、文化の範型が深く根を下しているところほど、「形式への反逆」もそれだけ全精神を賭けた冒険として行われるだけでなく、そうした反逆自体が古典に立ちかえって規準を再形成する努力と結びつくのですが、「典範」が身に着いていないところでは、反形式主義はいとも手軽な衣がえ、もしくはストリップ礼讃としてあらわれる、というちがいはあります。同じ日本の歴史のなかでも、さきほど申した「経典」というコトバが比較的に定着する基盤があった江戸時代において、国学運動という思想的にも学問的にももっとも実り豊かな「形式への反逆」が生れたのはゆえなしとしません。しかし、それがまさに「からごころを清く去る」という、外来精神の排除と不可分に結びついていたのは御承知のとおりです。

 以上は、古典離れのニ契機のうちの「典」離れの文化史的背景ですが、「古」離れ──つまり最新流行主義──もまた長い由来があります。それは右にのべた日本の歴史過程と、一見矛盾しているようで、実は表裏一体の関係にあるのです。つまり、古代以来、日本が「先進国」──いうまでもなく、明治以前は中国、それ以後は欧米諸国──に追いつき追いこすために、時代の先端を行く文化や制度を吸収してきた歴史的習性に根ざしていて、「今時の若い者」どころか、戦後に限った現象ではありません。さきほどの「典範」としての中国文化や欧米文化も、すくなくも摂取した当時の意識からいえば、伝統文化としてでなく、最新モデルとして輸入されたわけです。

私は数年前に、日本の歴史意識のパターンの一つとして、不断に移ろい行く「いま」がその都度、視野の拠点となる「現在中心」志向を挙げたことがありますが、思想からステレオ装置にいたるまでの新製品好みもまた、戦後の状況におけるそうしたパターンの変奏でこそあれ、けっして突然噴出した現象とは思われないのです。

 こういうと、いや古典離れはそんな長い由来に根ざしているものではない、現にわれわれの時代はもっと東西の古典になじんだものだ、という異論が、戦前・戦中派から出されることが予想されます。とくに旧制高校懐かしがり屋から出そうです。青年時代の読書というかぎりでは、なるほど、そういえるでしょう。十年以上前に、私はフランクフルト・アム・マインにあるゲーテ・ハウスに立寄ったことがあります。そこに訪問者の記帳簿がありますが、私がおどろいたのは、日本人の名前が非常に多いだけでなく、肩書のついた名刺が残されていることです。

それを見ると、文学者・研究者よりはむしろ、何々会社専務取締役とか、何々省何々局長といった実務家が目につきます。べつに統計をとったわけではありませんが、世界各国からの訪問者のなかで、こういう実務家や役人の比率を調べたら、日本はおそらく群を技いて高いのではないでしょうか。日本は大した国だ、と私はほほえましい思いをしました。こういう人々はさだめしこの記念館に立寄って、旧制高校・大学予科といった時代に、たとえ『ファウスト』でなくとも、『若きヴェルテルの悩み』とか、エッケルマンの『ゲーテとの対話』とかを読んで、熱っぽく友と語り合った思い出にしばし浸(ひた)ったことでしょう。

 しかし、問題はむしろここにあります。果してゲーテがどこまでその後こういう人々の身についた栄養分になっているでしょうか。青年時代の古典の読書が、たんなる「なつメロ」でなしに、その人にとって生きる知恵として蓄積されているでしょうか。むろんこれは実務家だけのことでなく、研究者や「評論家」にとっても当てはまる問いですが、古典への親しみなるものが、多くは「俺も昔は読んだものだ」という一過性現象であるところに、旧制高校的「教養主義」のひ弱さがあるように思えるのです。

 古典に限らず、一般に日本人は、おそろしく読書好きの国民として知られていますが、読書量の何パーセントが実際に活動の精神的エネルギーになっているかという、入力と出力の比率をとってみると、あまり自画自讃しても居られないような気がします。むろん一過性にしても何らか見えない痕跡はのこすでしょうから、全く無意味というわけではありません。ただ、過ぎし昔を懐かしむという態度は、それだけでは、さきほど述べた「いま」中心の思考と必ずしも矛盾しないで、同じ精神のなかに共存できるし、現に共存しているのではないでしょうか。

 それにしても、ヤング層の間にとくに「古典離れ」が著しいとすれば、そこにはやはり現在の環境が作用しているでしょう。冒頭に受験参考書のことに触れましたが、入試騒ぎなどもその一つです(受験地獄は戦前からありましたが、いまのような世を挙げての進学熱の昂進は、教育制度の「民主化」のメダルの裏であって、あきらかに戦後現象です)。受験「体制」が古典離れを促すのは、たんに受験勉強に追いまくられて古典など読むゆとりがない、といった表面的な意味にとどまりません。かえって、なまじ国語や外国語の教科書のなかに古典がコマ切れにされて入っているために、うとましい教科書からの解放が、同時に古典からのさようならになる、という皮肉が見られます。

 それに競争のヴォルテージは、必ずしも受験の領域だけでなく、出世競争・地位競争・「有名人」競争など、いろいろなジャンルで高まる一方です。こうした競争に伴う自己顕示の欲求は、どうしてもものに対面する心掛けよりは、ひととの対抗を不断に意識に上らせる作用をします。

 「隣りのクルマが小さく見えます」というコマーシャルに象徴されるライヴァル意識の日常化は、それだけ、古典に直接向きあって、独りで古典と対話する精神を縁遠いものにするのです。
(丸山真男著「「文明論之概略」を読む」岩波新書 p1-8)

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 今月号から、「古典への招待」という表題の講座を始めることにしました。

 (科学的社会主義の)古典というのは、科学的社会主義の創始者であるマルクス、エンゲルスの著作、さらにそのあとの時代に大きな仕事をしたレーニンの著作をさした言葉です。

 なぜ、いま古典を読むのか。マルクス、エンゲルスといえば、一九世紀に活動した私たちの大先輩です。彼らの最後の著作から数えても、それが書かれてからすでに百年を大きく上回る時間がたっています。しかし、その著作には、時間的な距離を超えて、読む者をひきつけてやまない魅力があります。

 十数年前、ソ連が崩壊したときには、「資本主義万歳」の勝ちどきが世界のあちこちで上がり、「マルクスは死んだ」といった話が世界のマス・メディアをにぎわしたものでした。しかし、そのマス・メディアでも、ヨーロッパやアメリカでは、「マルクスは生きている」と言いだし、雑誌でマルクス特集が組まれたり、代表的な思想家についてのアンケ−トでマルクスが上位をしめるなど、マルクス人気≠ヘなかなかのものになっています。

 この人気≠ヘ、過去の歴史への興味からのものではありません。私たちが生きている現代を理解するためには、やはりマルクスだ=Aこの声が広がっている、ということです。

歴史の実証を経た「科学の目」

 いま、私たちが生きている世界を見てください。私たちがそのなかで生活している自然についても、社会についても、マルクスとエンゲルスは、それまでに人間が開発してきた知識をさらに仕上げ発展させて、まとまった科学的な世界観をつくりあげました。それが、科学的社会主義の理論です。そこには、当時の人びとを驚かせた斬新なものの見方が、無数に盛り込まれていました。こんな考えは異端だ≠ニいって、厳しく排斥する声も大きくあがりました。しかし、当時異端≠ニされたそれらの考えの多くは、いまでは、学問の世界でも一般の社会でも、ほとんど当たり前の見方にさえなっています。

 一、二の例をあげましょう。

 マルクス、エングルスが、人間の意識は脳髄という物質の活動と結びついている≠ニいったとき、学問の世界では、そこまで言い切れる人はごく少なく、むしろこれに反対する立場が多数でした。しかし、現在では、人間の脳は約百四十億の神経細胞(ニューロン)のネットワークから成り立っていること、このネットワークの活動に人間のあらゆる精神作用の土台があることは、科学の常識となっています。この分野でも、マルクス、エンゲルスの「科学の目」は、自然科学の発展によって、すでに証明された真実となったのです。

 社会の問題では、マルクス、エンゲルスは、物質的生産を中心にした経済生活が、社会の動きと変動の土台をなすことを、明らかにしました。これは、人間社会の歴史を、政治や宗教、文化を中心に見てきたそれまでの社会観、歴史観を根本からひっくりかえすほどの、学問上の大革命でした。しかし、いまでは、マルクスのこの見地は、その度合いには違いがあるものの、学問の世界ではほとんどの人びとの共有の財産となっており、経済生活をぬきにした歴史論は、学問的にはほとんどなりたたなくなっています。

 マルクス、エンゲルスは、それだけの意義をもつ科学的な世界観をつくりあげたのでした。

マルクスらの思想の流れを現在進行形で学ぶ

 古典を読むことのなによりの魅力というのは、この世界観をつくりあげた当の人たちの著作を読む、というところにあります。

 科学的な世界観のあらましをつかむことなら、ほかの方法でも、学習することができるでしょう。しかし、古典の学習には、古典でなければ得られない大事な値打ちがあります。それは、マルクス、エンゲルスが、その時代の現実に立ち向かい、その社会観や自然観を発展させていった過程、また、つくりあげた世界観をもってその時代と切り結んでそこに働く内面の論理をつかみだし、現状を変革する道筋を明らかにしていった過程──それらの理論的な営みを、いわば現在進行形≠ナ読むことができる、ということです。

 百年以上もの時間的な距離を超えて古典を読む、ということには、現代のいろいろな出版物を読むのとは違う独特の難しさがあります。しかし、その難しさを恐れないでこの関門に挑戦してこそ、科学的社会主義の世界観を本当に身につけ、マルクス以来の「科学の目」で現代を見るカをも養うことができる──この意気込みで、「古典への招待」に応じていただければありがたい、と思います。

 日本共産党の綱領は、この「科学の目」で今日の日本と世界を分折し、そのことを理論的な土台にしてつくられたものですから、古典を読む努力は、この党綱領をより深くつかむことにも、必ずつながってゆくでしょう。

どういう順序で紹介してゆくか

 古典の一つ一つは、マルクスやエンゲルスの考えを体系的に説明した、いわゆる教科書ではありません。そういう体系性をもっている著作といえば、二人の数多い著作のなかでも、おそらく『資本論』だけでしょう。その他の古典は、その時どきの特定の主題をとりあげた論文であったり、論争の書であったりします。ですから、そこでの議論の組み立てや流れをつかむためには、どうしても、その論文や著作をめぐる背景の事情についての知識が必要になってきます。

また、マルクスにしても、エンゲルスにしても、その時どきの到達点に甘んじることなく、生涯、理論の発展に努力をつくした人たちですから、いま読んでいる著作が、どういう時期の著作であるかも、勉強するさいの大事な点の一つです。さらに、ある問題についてのマルクスやエンゲルスの見解が書かれていた場合でも、別の著作で、その問題を別の角度から検討した時には、まったく違った側面から論じていて、双方をあわせて読んではじめてことの全貌に近づけるという場合にぶつかることも、しばしばあるものです。

 今度の「古典への招待」では、これらの点を考えて、古典を読むさいに、知っておいてほしいことを、まとめて紹介してゆくつもりです。
(不破哲三「古典への招待第一回」月刊学習2006・5 NO.548 日本共産党中央委員会発行 p3-6)

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◎「古典の学習には、古典でなければ得られない大事な値打ちが……それは、マルクス、エンゲルスが、その時代の現実に立ち向かい、その社会観や自然観を発展させていった過程、また、つくりあげた世界観をもってその時代と切り結んでそこに働く内面の論理をつかみだし、現状を変革する道筋を明らかにしていった過程──それらの理論的な営みを、いわば現在進行形≠ナ読むことができる、ということ」と。