学習通信070327
◎知のための知をモットーとするような……

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おわりに
人はなぜ科学を学ぶのか?

 筆者は、理科教育、環境教育および科学の啓発(市民の科学リテラシーの育成)を専門にしています。

 工業高等学校で工業化学を学び、大学・大学院で物理化学教室に属し、化学を学んできました。そして大学院を修了後、中・高等学校教諭として理科や高校化学を教えながら、科学を子どもたちや市民にどう伝えていくかという研究を行ってきました。職を大学に転じてからも同様です。

 ところで、そもそも人はなぜ科学を学ぶのでしょうか? 筆者は、大きく次のように考えています。

 第一に、おもしろいからです。
 秘密におおわれた自然界のベールをはいでいく、未知の世界だったものが、とらえることのできる世界に変わっていく、同時にその先に「わからない世界」が浮かび上がってくる──それは大変おもしろいことです。

 子どもたちは(そして本来は大人も)本性として、未知への探究行動を持っているのです。だから元来、子どもたちは自然が好き、そして自然科学が好きです。そこには不思議が満ちているし、人類がそれらの不思議を明らかにしてきた知的体系が存在しているからです。

 第二に、行動判断の土台になるからです。
 本当に生死をかけたレベルの行動判断は、科学の基礎知識なしで行うことはできません。日常生活では、そんなことはほとんどおこらないかもしれません。しかし、直接すぐには生死とかかわらないようでも、公害・環境破壊などのじわじわ進む環境問題や戦争といった、大量殺人に結びつくウソに満ちているのが今日の社会でしょう。そういったウソにだまされないようにしなければならないと思います。

 一見してウソとわかるような与太話であれば、いちいち気にしなくてもいいのかもしれません。しかし世の中には、「科学的よそおい」をこらした情報があふれかえっています。

 そして、そこではニセ科学にだまされない能力やセンスが求められます。

 だまされればお金や時間を失うことになります。場合によっては、それだけではなく自分や家族の生命までも失う結果になることさえあります。また、自分がニセ科学を広めてしまうことで、他人に対しての加害者になることもあります。

 しかし、どうも学校で学んでいることは、与えられたものを多角的な検討なしに受け取って、それをそのままアウトプットするだけの連続になってはいないでしょうか。そこで得られるのは、表面的な知識だけです。試験が終わればもう不要となる、そんな知識は、すぐにどんどんはげ落ちてしまいます。

 そこで筆者が進めてきたのが、おもしろくて、そして行動判断の基礎になるような、本物の知を学ぶ理科教育の研究です。
(左巻建男著「水はなんにも知らないよ」携ぃすかばー携書 p174-176)

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──ところが、ニュートンの話ばかりは、もう一歩突っこんで、なぜ? と考えると、さあたいへんだ、まるで見当がつかない。

 姉さんの──いや、君のお母さんの説明を聞いていた僕は、ニュートンの話がすんだあとで、この「なぜ?」を質間したものだ。すると、お母さんもこまっちまってね。小学一年生ぐらいの僕をつかまえて、まず、地球と月、地球と太陽、いろいろな遊星などの関係から、説明してかかろうとしたんだ。今でも覚えているけれど、お母さんは、ゴムマリやピンポンの玉をもち出して、「これが私たちの住んでいる地球よ。それから、これがお月様よ。そうすると、こうなるのよ。」って、なんだか、しきりに説明してくれたっけ。

しかし、なにしろ相手が小学一年生なんだから、折角熱心な説明も、どうもそのかいがなかったらしい。僕も、なんだかわかったような、わからないような、へんな気持で聞いていたのを覚えている。で、結局そのときには、お母さんがこまったなあという顔をして、「こういうことは、まだ、あなたにはむずかしいの。もっと大きくなると、よくわかるのよ。」と言って、それでおしまいになったのさ。

 さっき、林檎をたべていたとき、──じゃあない、林檎をむいていたとき、僕はそのことを思い出したんだよ。」

 「で、叔父さんは、いつになってそれがわかったの。」
と、コペル君はたずねました。おなかの中では、いったい叔父さんは、自分ぐらいな年には、もうそれがわかっていたのか、どうか、そのことが気になっていました。

 叔父さんは、また話しつづけました。
 「それが妙なんだよ。小学校の上級になって、僕もまあ、地球と月との関係とか、太陽系のこととか、昔、君のお母さんが僕にわからせようとして手こずった事柄を、大体呑みこんだし、中学にはいってからも、それについて、いろいろなことを教わって、一通りの常識は出来た。しかし、そうなっても、林檎の落ちたことが、どうしてニュートンの頭の中で、万有引力の思想にまで展開していったのか、そいつは、やっぱりわからないんだ。万有引力とはどんなものか、天体の運動がどうなっているのか、そういうことが大体呑みこめても、今いった疑間は、相変わらず疑間のままたった。」

 「で、いつわかったのさ。」
 コペル君は、しきりにそれを聞きたがりました。叔父さんは答えました。

 「叔父さんは、それを疑間には思っていたけれど、なんとかして知りたいというほど熱心じゃなかったんだね。とうとう大学生になるまで、その疑間をもちこしてしまったんだよ。」
 「え、大学生?」
と、コペル君は眼を丸くしました。北見君も笑い出しました。

 「そうだよ。大学生になるまでわからないままだった。漠然とこう考えてすましていたんだね。多分物理学の問題を深く考えこんでいたとき、突然、林檎があたりの静けさを破って落ちた。それに驚いて、ハッと我にかえったとき、すばらしい思いつきが、稲妻のようにひらめいたんだろうと。」

 「そうじゃないの?」
と、今度は北見君がたずねました。
 「うん。実は、専門家の話だと、いったい林檎から万有引力を思いついたというこの話が、どこまで確かか疑わしいともいえるんだそうだから、はたして実際にどうだったのか、よくはわからないんだ。しかし、僕が大学生になってから、あるとき、理学部にいっている友だちに聞いたら、その友だちは、多分ニュートンの頭の中では、こういう風に考えが動いていったのだろうと、説明をしてくれた。それを聞いて、僕は、はじめてなるほどと思ったね。」

 「どんな説明だったの。」
 「僕たちにもわかるの。」
 コペル君と水谷君が、つづいてこうたずれました。叔父さんは、ゆっくりとタバコをふかしてから、また話しつづけました。

 「ああ、わかるとも。──もちろん、林檎が突然に落ちたとき、まず、ある考えがひらめいたには相違なかろうというんだ。しかし、肝心なのはそれからなんだ。

 林檎は、まあ三メートルか四メートルの高さから落ちたのだろうが、ニュートンは、それが十メートルだったらどうだろう、と考えて見た。もちろん、四メートルが十メートルになったって変りはない。林檎は落ちるにきまっているね。では十五メートルだったら? やっぱり落ちて来るね。二十メートルだったら? 同じだね。百メートル、二百メートルと、高さをだんだん高くしていって、何百メートルという高さを考えて見たって、やはり、林檎は重力の法則に従って落ちて来る。

 だが、その高さを、もっともっと増していって、何千メートル、何万メートルという高さを越し、とうとう月の高さまでいったと考える。それでも林檎は落ちて来るだろうか。──重力が働いている限り、無論、落ちて来るはずだね。林檎には限らない、なんだって落ちて来なければならないはずだ。しかし、月はどうだろう。月は落ちて来ないじゃあないか。」

 今度はコペル君も、水谷君も、北見君も、ひとことも言い出さずに、叔父さんの話のつづきを待ちました。四人は、このとき、もう欅(けやき)の並木を出て、原ッぱのわきの道を歩いていました。原ッぱの向こうの二階家の上には、月が相変わらずシーンと、黙って四人を眺めていました。

 「月は落ちて来ない。──これは、地球が月を引っぱっている力と、月がグルグルまわる勢いでどこかに飛んでいってしまおうとする力と、二つの力がちょうど釣合っているからだね。ところで、こういう風に、天体と天体との間に引力が働いているという考えは、何もニュートンがはじめて考え出したわけじゃあない。星と太陽との間に引力があって、そのために星がちゃんと一定の軌道を守ってまわっているのだという考えは、ニュートンよりもずっと前に、もうケプラーの時代からあった思想なんだ。また、支えがなくなれば物が落ちるということなら、ガリレイの落体の法則で、これもニュートン以前にわかり切っていたことなんだ。

 じゃあ、ニュートンの発見というのは何かというと、地球上の物体に働く重力と、天体の間に働く引力と、この二つを結びつけて、それが同じ性質のものだということを実証したところにあるんだ。だから、この二つの力が、ニュートンの頭の中で、どうして結びついたか、それが間題だというわけだね。」

 叔父さんは、こういってタバコを吸い、灰を落としてから、またつづけました。

 「ところが、今いったように、ニュートンは林檎の落ちるのを見て、その落ちる高さを、どこまでも、どこまでも延ばして行き、とうとう月のところまで考えていった。元来、重力の法則というのは、地球上の物体についての法則だろう。ところが、落ちる物体をぐんぐん地面から離していって、月のあたりまでもっていったとすると、その物体と地球との関係は、もう地上のものじゃあない。もうそれは天界のことになってしまう。つまり、天体と天体との関係に等しくなるわけさ。

 さあ、こう考えて来ると、──コペル君、──天体と天体との間に働く引力と、落体に働く重力とが、頭の中で結びついて来るのは、ごく自然のことじゃあないか。ニュートンは、この二つのものが同じ性質のものではないかと考えついた。そして、それを証明することが出来るだろうと考えて、その研究にとりかかったんだ。

 それから、月と地球との距離を計算したり、月に働く重力や地球の引力を計算したり、長い間、たいへん苦心して、とうとうそれを証明してしまった。その結果、とてつもない広い宇宙をぐるぐるまわっている星の運動も、草の葉ッぱからポロリと落ちる露の運動も、同じ物理学の原則から、きれいに説明されることになった。つまり、一つの物理学が、天界のことも、地上のことも、同じように説明出来ることになったんだね。これは、もちろん、学問の歴史からいえば、非常に偉い事業だった……」

 叔父さんは、こういって、吸っていた巻タバコをほうり投げました。赤い火が、スーツと放物線を描いて消えてゆきました。

 「どうだい、コペル君、わかったかい?」
 コペル君は、それに答えるかわりに、黙ってうなずきました。北見君も、水谷君も、やはり黙っていました。三人とも、いまの自分の気持をなんといって口に出したらいいか、わからなかったのです。すると、叔父さんは、ふたたび話しはじめました。

 「ニュートンが偉かったのは、ただ、重力と引力とが同じものじゃないかと、考えついたというだけじゃあない。その思いつきからはじまって、非常な苦心と努力とによって、実際にそれを確かめたというところにあるんだ。これが、普通の人にはとても出来ないようなむずかしい間題だったのだね。

 しかし、また、最初の思いつきがなかったら、それだけの研究もはじまらなかったんだから、この思いつきというものも、どうして、なかなかたいへんな思いつきだ。

 ところで、友だちから今いったような説明を聞いたとき、僕はつくづくそう思ったんだが、そういう偉大な思いつきというものも、案外簡単なところからはじまっているんだね。そうだろう。ニュートンの場合、三、四メートルの高さから落ちた林檎を、頭の中で、どこまでも、どこまでも高くもちあげていったら、あるところに来て、ドカンと大きな考えにぶつかったんじゃないか。

 だからねえ、コペル君、あたりまえのことというのが曲者なんだよ。わかり切ったことのように考え、それで通っていることを、どこまでも追っかけて考えてゆくと、もうわかり切ったことだなんて、言っていられないようなことにぶつかるんだね。こいつは、物理学に限ったことじゃあないけど……」

 月は、もうだいぶ高くなっていました。遠くの風呂屋の煙突の、斜上のところから、相変わらず黙って、四人の方を見ています。頭の上には、広大無辺の夜の空がひろがって、星がしきりにまたたいています。こんな晩に、遠く天体の世界のことを考えるのは、なんだか自分が大気の中に消えてゆくような気のすることです。

 コペル君たちは、青い光を浴びながら歩いてゆきました。四人が歩いてゆく往来には、敷きつめた砂利が月光に濡れて、美しく光っていました……

 それから、しばらくして、叔父さんとコペル君の二人は、同じ道をうちの方へ、急ぎ足で歩いていました。水谷君と北見君とを、停車場に送っての帰りです。もう、夜気が身にしみて来ました。二人はほとんどロをききませんでした。空には月が、相変わらず怒りもせず、笑いもせず、嘆きもせず、静かな顔つきで、屋根を越え、電信柱を越え、欅の枝をくぐりながら、二人といっしょに歩いていました。

 コペル君の家の前まで来ると、叔父さんは足をとめて、
 「じゃあ−」
といいました。二人は挨拶をかわしました。
 「叔父さん、おやすみなさい。」
 「ああ。君もおやすみ。」
(吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」岩波文庫 p74-83)

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実践と科学的認識

 まず、実践と科学的認識について述べます。人間は自分らをとりまく外的自然のなかで、生活し、労働します。衣食住のための労働、生産、これは、いっさいの生活の基礎をなしています。労働は実践の基本形態ということができます。

 労働について、マルクスは『資本論』のなかで、人間はそれによって自然とのあいだに質料変換をおこなうという思想を述べています。質料変換とはつまり、自然のものを人間の生活圈のなかにとりこむということです。たとえば野生の羊の毛から、さまざまな労働をへて、服をつくる、あるいは、土のなかに埋蔵されている石油から、ガソリン、灯油のほか、さまざまな加工品をつくる、といったたぐいです。これは、いいかえれば人間が労働を介して自然界にあるものを、物質的な財として、わがものとして獲得することです。

 ところで、マルクスも指摘しているように、人間の労働が蜜蜂などの巣をつくる営みなどと区別されるのは、人間の場合には、労働をおこなう前に、労働の結果についての観念をいだいているということです。労働によって、人間は前もってかれの心象のなかにいだかれていた目的を自然のなかに実現するのです。最悪の建築師でさえ最良の蜜蜂にまさっているのは、まさにこの点にある、とマルクスは言っています。

 ここに木材があるとします。それから椅子を作るさいに、まずどういう椅子にするかを考えます。その椅子の心象ができたうえで製作にとりかかります。これは、心象が対象化されてゆく過程です。とともに、それによって、椅子ができあがります。つまり人間によってわがものとして獲得されるのです。ここには、主体(人間)と客体(木材)との間に上図(主体⇒〈対象化〉⇒客体、客体⇒〈獲得〉⇒主体)のような関係が成立しています。

 対象化と獲得とは、逆方向の二つの過程ですが、しかし、じつは一つの労働の過程であり、それが二つの過程を契機として含み、統一しているのです。対象化と獲得とは客体化と主体化とよんでもよいと思います。

 彫刻家が、大理石にアポロンなりアプロディテなりの像を刻む活動も、同様に考えることができます。

 マルクスはまた、若い頃書いた「フォイエルバッハにかんするテーゼ」のなかで、人間の実践を「感性的人間的活動」ととらえています。ここでいわれている「感性的」と「人間的」ということを理解するために、マルクスの『経済学・哲学手稿』中の箇所に言及しましょう。そのなかでかれは、人間をまず自然存在としてとらえます。

たとえば、お腹がすけば、物を食べる。これは、外的な物質的な存在を摂取するという物質的な過程です。この点では、人間は他の動物と異なっていません。マルクスはフォイエルバッハの用語をつかってこのことを「感性的」とよんでいます。これはたんに感覚的という意味ではありません。

しかし、同時に、人間は、たんに自然存在であるばかりでなく、自分自身にたいしてある存在です。「自分自身にたいして」は、「自分自身に即して」ということと区別して、それとの関連で理解することができます。赤ん坊や幼児はまだその人間性がいわば自然のなかに埋もれています。青年になって自覚に達し、人間性を確立します。「自分にたいして」とは、自分が自分にたいすること、したがって自分を自分という鏡にうつしてみることでもあります。「自分自身にたいしてある存在」とは、自己意識的(自覚的)、したがってまた目的意識的、さらに、社会的ということをも意味していると思います。

このような「人間的」な存在として、人間の感性的な側面も、他の動物の次元にとどまるのでなく、歴史的な形成物となるのです。人間も猫も、耳をもっています。しかし、人間の耳のみが、ベートーヴェンの音楽を聴き、その内容を理解することができるのです。以上によって「感性的人間的活動」としての実践の意味が理解されると思います。

 さて認識は、そのような労働、実践の部分過程としてまずとらえることができると思います。労働にさいして、作られるべきものの心象を前もってえがくためには、一定の認識を前提します。古代ギリシアで大理石でパルテノンを作るには、大理石の性質や、自然の一定の力学的な関係などが、理解されていなければなりませんでした。さらに、労働用具が一定の認識にもとづいて作られていなければなりません。労働、実践は、このように一定の認識を含むことによって、はじめて成立しています。

 原始共同体の頃には、まだ、認識は実践のなかに合一されていましたが、生産力がやや発展し分業が形成されてゆき、余剰物資を生じ、閑暇(スコレー)がうまれます。精神労働は、肉体労働から分離してゆき、支配的な階級によって担われてゆくことになります。精神労働の、当面の問題では認識的活動の、自立性、その相対的な自立性は、近代市民社会の成立のなかで、従来とは比較にならないほどすすみます。こうして近代科学は長足の進歩をとげたのでした。

 人間の科学的認識は、人間の実践からうまれました。もともと実践の部分過程であったものが、相対的自立的におこなわれるようになりました。そこから、科学的認識は実践とは無関係であるかのような、知のための知をモットーとするような、労働や技術を蔑視するような考えも生まれました。しかし、科学的認識は、ほんらい実践から出発し、実践にかえる、実践に奉仕する、人間の生活に奉仕するものとしておさえなければならないでしょう。古代ギリシアのヒッポクラテス派の医者たちののこした言葉に、「人間への愛の存するところ、技術への愛もまた存する」というのがあります。自分らの誇りとする技術、その技術への愛は、人間への愛を基礎にしているというのです。
(岩崎允胤著「学問・科学と青春」白石書店 p116-120)

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◎「とてつもない広い宇宙をぐるぐるまわっている星の運動も、草の葉ッぱからポロリと落ちる露の運動も、同じ物理学の原則から、きれいに説明されることになった」と。