学習通信070329
◎この名前をしりぞけることなど……

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いま語ろう 共産党
理想・歴史が刻まれた党名

党名を変えたら?
理想・歴史が刻まれた党名

 Q いま期待できるのは共産党しかないが、党名を変えたほうがもっと伸びるのでは?

 A これまで無党派や他党支持だった方々に日本共産党の政策への共感が広がるなかで、善意から「党名を変えたほうがいい」という声が聞かれます。

 そうした方々にぜひ知ってほしいのは、「共産党」の名前には、未来社会の理想、そして党の歴史が込められていることです。

 「共産主義」という言葉は、「共同体」を意味する「コミューン」からきました。搾取や抑圧や戦争のない、本当に平等で自由な人間社会をめざす理想が込められています。

 この理想を掲げて、日本共産党は一九二二年に誕生しました。当時の日本は、天皇による専制政治のもと、国民は無権利状態におかれ、侵略戦争に突き進んでいきました。日本共産党の先輩たちは「侵略戦争反対」や「主権在民」をかかげ、弾圧や迫害に屈することなく命がけで活動しました。その活動は、平和と民主主義を基本にした日本国憲法に実りました。

 戦後も日本共産党は、大企業・アメリカ中心の自民党政治に正面から立ち向かい、アメリカや旧ソ連の覇権主義ともたたかってきました。

 こうした歴史に私たちは誇りをもっています。

 自民党や旧社会党などは、戦前に侵略戦争を推進したことから、戦後、党名を変えざるを得ませんでした。また一九九〇年代以降、他の政党は離合集散を繰り返し、ころころと党名を変え、無節操ぶりを示しました。

 本当の姿を知れば知るほど、「日本共産党」という名前に親しみを感じていただけるものと、確信しています。
(「赤旗」20070329)

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なぜ党名は変えないか

 次になぜ「党名を変えないのか」という井上さんの最初の質問にお答えします。

 この質問はよく出る問題で、私たちの第一のお答えは、「政党は、大きな間違いをおかし、もういままでの名前では人前に顔を出せないというときに、名前を変えるものだ」ということでした。私たちは、個々の間違いはあっても、政党としての大きな流れをふりかえるとき、いままでの名前で人前に顔を出せないような、大きな間違いをしたことはありません。戦前の活動でも、命がけで侵略戦争に反対し主権在民の民主主義の主張をつらぬいたこと、戦後の活動でも、いつも国民の利益を守る立場に立ち、世界のいかなる国の大国主義、覇権主義にも反対してきたことは、私たちの党の誇りある歴史です。

 最近では、党名を変えるよう忠告を寄せていただいた方々のなかから、「変えないでよかった。このまま頑張ってくれ」という激励をいただくことが多くなりました。党名だけ変えて、過去の責任逃れをする風潮の広がっているのを見てのご意見も多いのですが、私たちの気持ちがわかっていただけたと、うれしく思っています。

 党名の間題でもう一つ大事な点は、「日本共産党」という党名には、利潤本位の資本主義の現状にいつまでも安住せず、将来に向かって、よりよい社会を展望している私たちの運動の理想が表現されている、ということです。

 「共産党」とか「共産主義」とかいう言葉は、明治の先人たちがつくった訳語ですが、もともとの言葉は、英語で「コミュニズム」で、「コミューン」から来た言葉です。「コミューン」とは共同体ということ。みんなが、なんの差別もなく協力共同しあう共同社会を表現した言葉です。大先輩であるマルクスは、その精神を、人一人の自由な発展が、すべての人の自由な発展の条件であるような共同社会≠ニいう言葉で表現したことがあります。

 このごろ各地で「コミュニティ・センター」という名の集会所などがよくつくられています。この「コミュニティ」も、共産主義の「コミュニズム」も同じところから出た言葉です。ですから、私も演説会などで、党名の由来を説明するとき、「コミュニティ・センター」があるでしょう。そこでおなじみの「コミュニティ」から来た名前なんですよ≠ニいう説明をしたりしますが、先日、この間題で、興味深い話をうかがいました。

 フィリピンのカトリックのシスター(修道女)にシアツさんという方がいるのです。じつは、この方は、フィリピンのアキノ革命(一九八六年)のとき、私たちの要請にこたえて、「赤旗まつり」に参加するために初めて日本を訪問しました。お父さんが、戦争中、日本軍につかまり拷間で殺されたという過去をもっていて、日本訪間が決まったときには「仇の国に行くようで、ほんとうはいやだったのです」とあとで語っていました。ところが、「赤旗まつり」に出席して、私たちの党があの戦争に反対した政党だったことを初めて知り、「日本にもそういう政党があったのか」と、以来、私たちと親しい交友をかさねている方でした。

 そのシアツさんと数年前に会いましたら、こんな話をしてくれました。フィリピンでは共産党はいまでも武装闘争派で、議会や選挙には背を向けています。ですから、シアツさんが日本の共産党と親しく交流していることを聞いて、親戚の方々が心配するというのです。その親戚の方々に、日本共産党はこういう政党だということを話すと同時に、そもそも共産主義とは≠ニいうことも説明しているという。どんな説明をしているのかと聞くと、「共産党の共産≠ニは、コミュニティのこと、もともと、そういう社会をつくろうという運動なんですよ」と話しているとのこと。では、「日本とフィリピンで期せずして同じ説明をしているんですね」、と互いに笑いあったのですが、期せずしての一致があるというのは、やはりそこに道理があるからなのです。

 一九九一年にソ連が解体したとき、これで資本主義の前途は保障されたという式の「資本主義万歳」論が、一時期、世界でも日本でも盛んになりました。しかし、それはごく短期間のことで、そのあと、「資本主義も危ないぞ」という議論が「万歳」論にとって代わりました。そのころ、日本の学者で、「ソ連はつぶれたが、資本主義はマルクスの呪いから抜け出せないでいる」 という、当時の気分を反映した論文を書いた人もいます。

 バブル経済とその崩壊、長引く不景気、見通しの立たない環境問題などなど、「資本主義万歳」と言っているだけではすまない大問題が、世界中に噴き出てきたからです。

 いま、私たちが取り組んでいる日本資本主義の改革の仕事も、たいへんな大仕事ですし、それが実現されたら、それだけでも日本の歴史のなかで特筆大書されるような画期的な出来事になるでしょう。しかし、私たちは、日本の共産党として、この大仕事に全力を尽くしながらも、人類と日本の国民がすすんでいくさらに大きな理想──共同社会への道を胸にもちながら、頑張っていきたい、と思っています。その気持ちが、「日本共産党」という私たちの党名には、込められているのです。

 いままで、井上さんの間題提起にもあわせ、いろいろな角度から順不同でお話ししてきましたが、日本共産党の素顔としてまずお聞きいただければありかたい、と思います。
(不破哲三、井上ひさし「新 日本共産党宣言」光文社 p120-124)

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 だがしかし、それが出版されたときには、われわれは社会主義宣言と名づけることは許されなかったであろう。

社会主義者とは、一八四七年には二種類の人々のことであった。

一方では、種々の空想主義的体系の信奉者たち、とくにイギリスにおけるオウエン主義者たちおよびフランスにおけるフーリエ主義者たちで、両者は当時すでに、しだいに死滅しつつある、たんなる宗派にちぢんでいた。

他方では、資本および利潤を少しも傷つけることなしに、種々の万能薬や、どの種類のつぎはぎ仕事ででも、社会的弊害を除こうと願っている多様なやぶ医者たちであった。

どちらの場合にも、労働者運動の外部に立っていて、むしろ「教養のある」階級に支持をもとめた人々であった。

これに反して、労働者のうちで、たんなる政治的変革の不十分さを確信し、社会の根本的改造を要求した部分、この部分は当時、みずからを共産主義的と名づけた。

それは、ただ荒けずりにすぎない、ただ本能的な、しばしばいくらか粗野な共産主義であった。

しかし、それは、空想的共産主義の二つの体系、フランスではカベ一の「イカリア」共産主義、ドイツではワイトリングの共産主義を生みだすのに十分なほど強力であった。

社会主義は、一八四七年にはブルジョアの運動を意味し、共産主義は労働者運動を意味した。

社会主義は、少なくとも大陸では、サロンにふさわしいものであったが、共産主義は正反対のものであった。

そしてわれわれは、すでに当時、「労働者の解放は、労働者階級自身の事業でなければならない」という見解を断固としてとっていたので、二つの名称のどちらを選ぶべきか、一瞬も疑うことはありえなかった。

それ以後もまた、この名前をしりぞけることなど、決して思いつかなかったのである。
(マルクス/エンゲルス「共産党宣言」p32-33)

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◎「「共産党」の名前には、未来社会の理想、そして党の歴史が込められている」と。