学習通信070403
◎「人間分子の関係、網目の法則」……

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 叔父さん。
 こんど叔父さんに会ったとき、話そうと思っていたことなんですが、手紙に書いた方がいいと考えたので、この手紙を書きます。

 僕は一つの発見をしました。それは、たしかに、叔父さんから聞いたニュートンの話のおかげです。でも、僕が自分で、ある発見をしたなんていうと、みんなはひやかすにきまってます。だから、僕は、これを叔父さんにだけお話しすることにします。お母さんにも、当分のうち言わないで下さい。

 僕は、こんどの発見に、「人間分子の関係、網目の法則」という名をつけました。はじめ、「粉ミルクの秘密」という名を考えたんですが、なんだか少年雑誌の探偵小説みたいなので、やめにしました。叔父さんが、もっといい名を考えて下さったら、うれしく思います。

 その発見をどう説明したらいいか、僕には、まだうまくいえないんですけれど、考えていった順序をお話しすれば、叔父さんは、わかってくれるだろうと思います。

 最初、頭に浮かんだのは粉ミルクでした。だから僕は、この話をしたら、きっとみんながひやかすだろうと思うんです。僕だって、もっと立派なものを考えたかったんですが、自然に粉ミルクが出て来てしまったんだから、仕方がありません。

 月曜日の晩に、僕は夜中に眼がさめました。なにか夢を見て眼がさめたのですけれど、なんの夢だったか忘れました。眼がさめたら、どうしたんだか、僕は粉ミルクのかんのことを考えていました。うちで、おせんべいやビスケットをいれておく、あのラクトーゲンの大きなかんです。そうしたら、お母さんのいったことを思い出しました。僕が赤ん坊のとき、お母さんの乳がたりなかったので、僕は、毎日ラクトーゲンを飲んで育ったのだと、いつかお母さんはいいました。今のラクトーゲンのかんは、その時の記念だそうです。僕は、その話を聞いたとき、じゃあ、オーストラリアの牛も僕のお母さんかな、といいました。だって、ラクトーゲンはオーストラリアで出来て、かんにも、オーストーラリアの地図がかいてあるからです。僕はそのことを床の中で思い出しました。そして、オーストラリアのことを、いろいろ想像しました。牧場や、牛や、土人や、粉ミルクの大工場や、港や、汽船や、そのほか、あとからあとから、いろんなものを考えました。

 その時、僕はニュートンの話を思い出しました。三メートルか四メートルの高さから落ちた林檎を、もっともっと高いところにあったと考えて見て、どこまでも考えつめてゆくうちに、ニュートンはすばらしい考えを思いついたのだ、と叔父さんが言ったでしょう。それで、僕も、粉ミルクに関係のあることを、どこまでも考えていったら、どうなるかな、と思いました。

 僕は、寝床の中で、オーストラリアの牛から、僕のロに粉ミルクがはいるまでのことを、順々に思って見ました。そうしたら、まるできりがないんで、あきれてしまいました。とても、たくさんの人間が出て来るんです。ためしに書いて見ます。

 @粉ミルクが日本に来るまで。
 牛、牛の世話をする人、乳をしぼる人、それを工場に運ぶ人、工場で粉ミルクにする人、かんにつめる人、かんを荷造りする人、それをトラックかなんかで鉄道にはこぶ人、汽車に積みこむ人、汽車を動かす人、汽車から港へ運ぶ人、汽船に積みこむ人、汽船を動かす人。

 A粉ミルクが日本に来てから。
 汽船から荷をおろす人、それを倉庫にはこぶ人、倉庫の番人、売りさばきの商人、広告をする人、小売りの薬屋、薬屋までかんをはこぶ人、薬屋の主人、小僧、この小僧がうちの台所までもって来ます。(このあとは、あしたの晩、また書きます。)

(つづき)
 僕は、粉ミルクが、オーストラリアから、赤ん坊の僕のところまで、とてもとても長いリレーをやって来たのだと思いました。工場や汽車や汽船を作った人までいれると、何千人だか、何万人だか知れない、たくさんの人が、僕につながっているんだと思いました。でも、そのうち僕の知ってるのは、前のうちのそばにあった薬屋の主人だけで、あとはみんな僕の知らない人です。むこうだって、僕のことなんか、知らないにきまってます。僕は、実にへんだと思いました。

 それから僕は、床の中で、暗くしてある電灯や、時計や、机や、畳や、そのほか、部屋の中にあるものを、次から次と考えて見ました。そうしたら、どれもみんな、ラクトーゲンと同じでした。とても数えきれないほど大勢の人間が、うしろにぞろぞろとつながっているのです。でも、みんな、見ず知らずの人ばかりで、どんな顔をしてるんだか、見当はつきません。

 その晩、まだほかに、なんだかいろいろ考えたのですが、そのうち眠くなって寝てしまったので、忘れてしまいました。しかし、今いったことだけは、翌日になっても覚えていました。僕は、これは一つの発見だと思います。だって、今まで、ちっとも考えなかったのに、そう思って見ると、何から何まで、みんなそうだとわかったからです。僕は、学校にゆく途中や、学校にいってからも、なんでも手当り次第、眼にいるものを取って考えて見ましたけれど、どれもこれも同じでした。そして、数え切れないほど大勢の人とつながっているのは、僕だけじゃあないということを知りました。僕は、教室で先生の洋服や靴のことを、ていねいに細かく考えて見ましたが、やっぱり同じだということを発見しました。先生の洋服は、オーストラリアの羊からはじまっていました。

 だから、僕の考えでは、人間分子は、みんな、見たことも会ったこともない大勢の人と、知らないうちに、網のようにつながっているのだと思います。それで、僕は、これを「人間分子の関係、網目の法則」ということにしました。

 僕は、いま、この発見をいろいろなものに応用して、まちがっていないことを、実地にためしています。今日は、アスファルトの道がやっぱりそうだということに気がつきました。また、数学の時間に、先生の頭やひげも床屋につながっていると考えていたもんで、久しぶりで、先生から注意されました。しかし、発見のためには、先生から叱られることも我慢しなければいけないと、僕は思っています。

 まだ書きたいのですが、お母さんが、もうお寝なさいと言います。だから、報告はこれでやめにします。叔父さんは、僕がこの発見を打明けた最初の人です。
(吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」岩波文庫 p83-88)

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資本主義社会ではなぜすべての生産物が商品とならざるをえないか

 ところが資本主義社会は、社会的分業(靴、洋服、機械など社会が必要とする各種の財貨がそれぞれ別の生産者によって生産されること)と私有財産制度(生産手段の私有をみとめる制度)とがおこなわれる社会である。そのためここでは、靴、洋服、機械などすべての物質的財貨は、別々な・たがいに独立な・無数の私的生産者(生産手段を私有してじぶんの利益のために生産するもの、つまり産業資本家)によって生産されている。

しかもこれらのたがいに独立な私的生産者たちは、じぶんじしんにとっては必要でなく、他の人にとってのみ必要な物質的財貨を生産している。

たとえば靴を生産するもの(ワシントンのような靴会社)は、何十万足という靴を生産しているが、これをじぶんではくわけではない。靴を必要としているのは他のひとびとである。また、靴の生産者が事業上および生活上必要とする製靴機械や、皮革や、小麦や、机や、電球などは、すべて他の私的生産者たちが生産している。

そしてこれらの私的生産者たちもまた、これらの物質的財貨をじぶんでは必要としないのに、他人のために生産している。

だから、この社会が存続するためには、すべての生産物はそれぞれたがいに交換されて、それぞれの生産物を必要とするひとびとの手に渡らなければならない。

そうしてはじめて、私的生産者たちの生産物は、その社会的性格(社会のための生産物であるという性格)を事実上発揮することができ、かれらの私的労働(じぶんの利益のためにする労働)は、同時に社会的労働(社会のためにする労働)でもあることが実証されるのである。

資本主義はこういう構造をもっているために、この社会ではすべての生産物は、人間のなんらかの欲望をみたすという性格のほかに、他の生産物と交換されるという性格を、生産されたときからもたざるをえないのである。

人間のなんらかの欲望をみたすという生産物の性格は、使用価値とよばれ、他の生産物と交換されるというその性格は、価値とよばれる。

使用価値は、人間のなんらかの欲望をみたすという性格だから、たとえば洋服の着れば体温をたもつという性格、書物の読めば知識をあたえるという性格、あるいは書物の積んでおけば賢こそうにみえる性格だから、資本主義社会だけでなく他のどんな社会でも、生産物はすべてこれをもっている。

ところが価値の方は、社会的分業と生産手段の私有とがおこなわれ、たがいに独立な私的生産者たちがべつべつの生産物を生産し、それらをたがいに交換しあうことによってのみ、生産者たちの生活が維持できるという社会だけで、生産物がもつ性格である。

すなわち価値は、たがいに独立な・直接にはじぶんの利益のために生産している・私的生産者たちが、おたがいのために労働しあっているという生産関係(労働関係)を、生産物の性格として表わしたものにほかならない。

そして生産物が使用価値と価値という二つの性格をもつようになると、生産物は商品となるのである。
(宮川実著「新経済学入門」社会科学書房 p38-39)

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◎「社会が存続するためには、すべての生産物はそれぞれたがいに交換されて、それぞれの生産物を必要とするひとびとの手に渡らなければならない」と。