学習通信070420
◎人によっては健康第一という意味をとりちがえ……

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《潮流》

二年前の三月、ある男性が妻と三人の子どもを残して亡くなりました。夜、激しい気管支ぜんそく発作に襲われて救急車で市民病院にかつぎこまれ、明け方に力つきました

▼半年ほど前にタクシー会社をやめ、仕事を転々としていました。収入が少なく、国民健康保険に入っていません。発作が起きると近くの病院へ。しかし、医療費を払っていないからと受診を断られていました

▼市営住宅の家賃や、子どもの学校費用も滞納しています。一家の異変に気づいたはずの公的機関が、適切に対応した形跡はありません。死亡時、三十二歳。妻もパートで働いていましたが、収入はわずかでした

▼男性の最期にいたる窮状は、全日本民主医療機関連合会の「国民健康保険死亡事例」調査に記録されています。調査によれば、国保に入っても高い保険料を払えず、必要な治療をうけられないまま「手遅れ死」する人も多い

▼保険料を滞納している世帯は、全国で四百八十万。約五分の一です。払えない人から保険証をとりあげる制裁が、病で苦しむ人に追いうちをかけ命を奪っています。健康とは? 「健康とは、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態であり、たんに疾病のない状態や病弱でないことではない」(一九七八年、世界の保健担当大臣が認めたアルマアタ宣言)といいます

▼しかし、経済大国の日本で、大病を患っても命綱の保険証さえ手にできない現実。暮らし優先へ、社会・政治の健康度を高めるしか、あらためる薬はありません。
(「赤旗」20070414)

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 健康は何度も言うが、最後の目的ではない、最初の条件だ。だから健康なれば肉体の痛みは感じない。健康をそこねる心配のない時、肉体は苦痛を感じない。しかしそれでいいというわけにはゆかないのは言うまでもない。

 例えば、子供が健康だが、意地がわるいとか、弱いものいじめだとか、利己的だとか、怠け者だとか言えば、それは自慢にはならない。それは親にとって不名誉であろう。殊に乱暴だったり、うそつきだったり、盗癖があったりしたなら親は心配するであろう。

 いくら身体は健康でも、性質が悪くっては面白くない。賞めるわけにはゆかない。そして多くの人に軽蔑されたり、嫌われたりするのはやむを得まい。勿論程度によるが。

 自他の健康を害する行為はよくない。しかし肉体の苦痛は全部悪いもので、それはさけなければならないと、言うのは言い過ぎである。少しの肉体の苦痛も恐れてさけるようになったら、その人は勇気を失う。すぐ健康をとり戻せる程度の疲労や、骨折は恐れるべきではなく、むしろ耐えて働く方が美しい。しかしそれも程度で、とり返しがつかなくなると困るから、肉体の苦痛は耐える方が忍耐が強くってえらいと一概には言えないことは、くり返し言う必要はないと思う。

 健康の次に我等が気にすべきことは、自己を正しく生かすことである。

 健康ではあるが、自分の生かし方はまちがっているでは困る。健康だったら怠けていいとはゆかない。又健康でいれば、怠けていれば退屈するのがあたりまえで、何か活動する必要がある。人間はこの世に食うために生まれたのではなく、生きるために食うのである。そのように肉体を健全にするために我等は生きているのではなく、健全な肉体は正しく働くためにあるのだ。

人によっては健康第一という意味をとりちがえて、自身の健康を目的にして働く人がある。病身の人にとっては健康になることは第一の目的である。それは腹がへった人にとって第一の目的は食うことであるようなものだ。食って腹がはったものには食うことは目的ではあり得ない。健康ではあるが働かないというのは、飢は買ったが、みがく為だというようなものだ。鍬で土を掘るのは勿体ないというような百姓が居たら滑稽であろう。そのように健康を害すると困るから働かないというものも滑稽である。

 もっとも働くにもいろいろある。自分の健康をそこねて、しかも他の一人の個人の利己心を満足させるというような労働もある。それは食うためには今の世では仕方がないが、正しい世界から見ると、実に勿体ない、不合理な話である。

 一人の人間の生命を、利己的な欲望の為に犠牲にしていいという理由はないのだ。

 一人の人間の本来の生命は尊敬すべきものである。

 我等が働くのは、人間の生命を尊重することを意味する。隣人の生命に何かの役に立つことを働くのが、我等の務めである。他人のガリガリや、他人のまちがった欲望の為に働くことは我等の生命を侮辱するものである。

 一つの例をとって言うと、富者の下男下女となって働く時でも、その働くことが、自分の為になり、自分の愛するものの為になる時、それは一概に悪いとは言えない。しかし富者を怠け者にする為に、自分を奴隷にして、自分を卑劣にきり生かさなかったとしたら、それは勿体ない話である。自分を正しく生かせば、他人を正しく生かす為に随分役に立てるのに、それをせず、他人も自分もいびつに生かして後悔しないというのは反理性的である。

 自分より秀れた人の指導の下に立って働いて、そしてその秀れた人の仕事を助けることで、自分一人では出来ない程、他の人の生命の為に役にたつことが出来ればそれは美しいことである。

しかし下らない人間の、利己的欲望の為に、貴き生命を無駄にするのは、惜しみてもあまりあることだ。そして今の世にはそういう仕事をしないと食えない人が、相当多いらしいのは残念なことである。
(武者小路実篤「人生論・愛について」新潮社文庫 p37-40)

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◎「健康とは、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態であり、たんに疾病のない状態や病弱でないことではない」と。