学習通信070427
◎ものの見かたや活動が、ひからび、生気を失っている状態……

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大衆との結合にあらゆる知恵と工夫を

 まず、大衆との結合にあらゆる知恵と工夫をという問題です。

 いま大経営のなかで、とくに相手が狙っているのはなにか。占領中のように共産党員や共産党支持者を命令で職場から追放するというレッドパージは、いくら日本の独占資本が反動的だといってもなかなかできないから、彼らの狙っている一番の問題は、職場のなかにいる共産党を封じこめて、何干何万という広範な労働者大衆と切り離し、彼らにとって無害・無力にする、これが共産党攻撃の一番の方向です。

そのためには、彼らはありとあらゆることをやるわけで、このまえも、ある経営で、職場で昼休みに共産党員と将棋をした労働者は、すぐ指導員に呼びつけられてさんざんしめ上げられる、同し職場で働いていても昼めし時間に一緒に食事をすることにも圧力をかけてくる、という話を聞きました。こうして共産党員と大衆とのあいだをたちきる、これらが彼らの主要な攻撃方法です。「ガラスのオリ」のような物理的な形をとらなくても、隔離政策が非常に広範にやられている。これは彼らが共産党員や党支持者、党支部が労働者大衆と結びつくことを、いかに恐れているかの表われです。

 そういうなかで党が大衆といかに広範に結びつくか、いかに多面的に結びつくか、これが党建設と大衆活動の二本足の活動の一番の根本問題です。ここに決定的に目をむけて、そのためのあらゆる可能性をとらえて、それをさまたげるセクト主義のどんな現われも大胆に一掃して、大衆との結びつきを経営のなかで最大限に発展させなければなりません。

 それにはまず、大衆のいるところ、これはどんな組織にでも、大衆がいるところならば、積極的に参加して活動することが、非常に大切な点です。会社がつくるサークルを、会社側のサークルだからといって毛嫌いしてはいらないといった狭さは、どこでもだいたいなくなってきましたが、たとえ会社が組織し、会社側のリーダーが指導しているサークルであろうと、そこに大衆がいる限りは参加して活動する、これが当たり前です。

労務管理の新しい方式に関連して、会社が自主管理運動≠すすめる、ただ上から仕事やノルマを割り当てるのではなく、労働者の創意≠生かすようなかっこうをつけて、生産のサークルをつくって、そこで労働者は、どれだけの生産をするか、この職場でどんな技術の改善ができるかなどを職場で議論させる。そういう生産促進と、生産性向上のサークルづくりが広範におこなわれています。大衆活動に成功している経営では、党員がそこにも大いに積極的にはいっていって、働く労働者の身になってみれば、こうすれば仕事がやりやすくなる、といった提案もどんどんだす。こうして会社側が、生産性向上と共産党孤立化の道具につくったサークルを逆にこちらの大衆活動の場に、ある程度変えることに成功しているところもあります。

 戦前、コミンテルンで人民戦線戦術が問題になった時、たとえファッショ的な大衆組織であっても大衆がいる限りは、そのなかにはいって活動せよということが議論されたことがありますが、われわれは、独占資本が共産党の孤立化と封じ込めを戦略にしている現状のなかで、労務管理の必要上つくりだされた組織であっても、大衆がいる限り、入口をこじあけてでもはいって、それを大衆とわが党の結びつきの場に変える、こういう気持で、活動を広げる必要があります。

 また、大衆との結合、大衆活動という場合、都道府県委員長会議でも指摘したことですが、日常活動の対象は、きわめて多種多様です。日常闘争というと、会社側にぶつけて闘争になるような要求だけをとらえるというのでは、非常に狭い活動になる。もちろんそういう要求を取り上げてたたかうことはきわめて重要ですが、経営のなかでの大衆活動を問題にする場合、会社にたいする要求闘争になりそうなものだけにテーマをかぎる必要はないわけで、大衆が話題にし、問題にし関心をもつあらゆる問題をとらえなければなりません。

問題によっては、大衆との対話や交流のテーマになる場合もあれば、世話役活動の対象になる場合もある。職場全体で話し合ってまとめて、職場交流の主題にするべき問題もあれば、組合に反映して会社にぶつける問題もある。いろいろでしょうが、それこそ大衆が関心をもち、話題にするあらゆる問題をとらえて、それを党と大衆のつながりのきずなにすることが、非常に大事です。

第十二回党大会(一九七三年十一月)で、青年との結合の問題を述べたときに「共産主義内の『左翼主義』小児病」にあるレ―ニンの言葉を引いたことがあります。すなわち共産党が規律ある戦闘力ある党として発展した基礎的な条件の一つとして、半プロレタリア的な大衆ともなかばとけあえる能力をもっていたこと──前衛だからといって大衆から離れるのでなく、大衆ととけあえる能カをもったこと──をあげていたことを引いて、青年の全生活ととけあう必要があるという提起をしましたが、いまの経営活動にはそういう能力がとくに求められています。大衆が関心をもつ問題というなかには、頭のなかで考えたのでは出てこないような問題も実際の運動のなかで生まれてきます。

ここには、職場での生活、家庭での生活のなかで話題になり、大衆が関心をもつ問題を的確にとらえれば、そこから道がひらかれる、われわれが日常活動、大衆活動という場合、そういう幅が必要なんだということが、象徴的に示されていると思います。

 そういう面では、仕事や技術を通じても労働者の信頼を得るということも、非常に大事な問題です。以前は、革新派≠ニいうと職場の仕事には身を入れないといった傾向がよくあったものですが、やはり労働者が自分の労働に誇りをもつのは当然のことですから、技術や仕事にいいかげんな態度をとる労働者は、職場で広い支持を得られません。これは、法則的な真理であって、われわれは経営での大衆活動という場合、この問題も重視する必要があります。ある経営の支部では、このことに本格的に取り組み、党員が技術の面でもその職場で一番たよりがいのある労働者になるように、党自体で技術教育の課程をつくり、先輩の労働者が若い党員に技術を教えることまですでに実行しているところもあります。

 教育の分野でも同じことで、東京の教員支部の報告ですが、そこで党グループが非常に権威をもっている、どこに原因があるかというと、やはり教育の活動で大きな力を発揮している。ある同志がその学年の算数を担当しているのですが、その学年ではおくれてついていけないという子どもが一人もいない、そういった教育活動が、組合活動の面での党の影響力を支える力にもなっている。これは、教育の分野にもかぎらず、仕事、技術を通じても労働者の信頼をうるということの重要性を示していると思います。

 私たちは、経営での活動の場合、あらゆる経験を生かし、あらゆる知恵と工夫をこらして、どんな可能性ものがさず、大衆との結合に力をつくす、このことに徹する必要がある。いま、大経営のなかの党活動は非常に困難が多く、はげしい反共の嵐のなかで党の旗をかかげて活動することは、大変な英雄的な努力がいる。きたえられた労働者らしい不屈の精神なしにはやれない活動を全党の経営支部が経営のなかでたたかっているわけですが、そうした戦闘性と大衆性を結びつけて展開することが、真の前衛の役割を果たすうえで重要だと思います。

これもある経営支部の報告の一つですが、その支部で、労働者が共産党をどうみているかというアンケートをとったら、そのなかには、とにかくがんばっていてえらい、しかし、どうも共産党は自分たちだけでかたまっているようにみえる、という声があった。つまりがんばっていることは尊敬するが、近よりがたいという印象をもつ善意の労働者がある。その支部ではこのアンケートをみて真剣に考えたといっていました。このことは反共の抑圧のきびしい職場で不屈にがんばると同時に、この党が大衆との結びつきに非常に豊かに力をこらしてゆくことが必要だ、ということを教えています。そのためには、特別な努力と特別な工夫が必要です。

青年対策の会議での報告に、非常に反共体制が強い経営で、青年寮でも、そこで粘り強く活動するには特別の苦労がある。それよりは、寮にいないで、自分たちのたまり場にきて、話のあう青年同士が、大いに意気投合する方が気分がいいし、そういうことになりやすい。そこで党がこれではいけないということで、一週間のうち四日間は、寮からでてはいけないという禁足令をだして、どんなに苦労でも四日間は寮で大衆とともにがんばれという活動をやっているんだということでした。これも一つの工夫です。

 こういう点で、私たちは経営のなかで大いに英雄的精神をもやし日本共産党の旗、階級的な運動の旗を不屈にかかげながら、大衆とのあいだに無意識のうちにみぞをつくってしまう傾向、そういうセクト主義のどんなささいな現われにたいしても、たえず注意して、わが党の戦闘性が、前衛党にふさわしい大衆性と結びつくように、その点での努力を、職場の条件に応じて一貫した基調にする必要があります。

 大衆との結合の問題で、最後に取り上げたいのは、職場新聞の問題です。いま、職場新聞の活動は全国の経営で随分大きく発展しています。六中総(一九七五年七月)で決めた支部生活確立の基準のなかでも、居住支部は地域新聞、経営支部は職場新聞をもとうということを一つの大事な柱にあげましたが、多くの経営で大衆カンパをつのりながら大衆的な宣伝活動の手段として職場新聞を発行している。この点でも、非常に大衆的に成功しているところと、率直にいって、「赤旗」の小型版といった感じで、全国的な党の政策の解説はしているが、その職場の大衆の関心にこたえる新聞にはなっていないという新聞もあります。この問題でも進んだ経験を大いに普及する必要があります。

たとえば、ある経営の報告ですが、各職場でたくさんの新聞がでて大衆をとらえています。これをみてみると党の政策宣伝を中心に党のいいたいことだけ書いているという新聞ではない。それこそ職場の労働者の生活や仕事にかかわる、実に幅広い話題が紙面で支配的で、そうした問題をとらえては必要な党の主張も書く。しかもその内容は労働者が職制の前でひろげても安心して読めるように、いまの職場の力関係を考慮して、非常に注意して発行している。

だから共産党がだしている新聞だとわかっていても職制も「読むな」といえない。ときには、職場の人物評だとか、職制の論評などもだし、職場新聞に書かれてない職制は、「おれのことも書いてくれ」などと催促したりする。資格試験があれば、新聞に模範解答がでるとか、こうした職場密着型の職場新聞をだしているところは非常に成功している。こういう教訓を広めてゆきたいと考えます。
(不破哲三著「経営での活動と当建設」新日本出版社 p44-50)

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「硬直」病

 私たちは、またかかりやすい「病気」として、「硬直」病をあげることができる。レーニンは、形而上学の世界観をさして「死んだ、生気のない、ひからびたもの」(『哲学ノート』)とよんだが、それを「硬直」病と名づけよう。

 世界の弁証法的なすがたとは、すべてのものが、条件的で、したがって可動的な、相対的なものとして存在し、そのなかに無条件的な、絶対的なものが存在しているすがたにある。弁証法とは、あきらかに「相対主義……の契機をふくんでいる。しかし、相対主義に帰着するものではない」(レーニン『唯物論と経験批判論』)のである。弁証法は、条件づきの相対的なものから切り難された無条件の絶対的なものをみとめない。相対的なものと絶対的なものとのちがいそれ自体がまた比較的(相対的)であると見るのである(レーニン『哲学ノート』)。

 「硬直」病とは、絶対的なものを相対的なものから切り難し、絶対的なものそれ自体がポツンと「純粋」に存在するかのようにあつかい、カチカチにつっぱって柔軟性に欠け、ものの見かたや活動が、ひからび、生気を失っている状態をさすのである。

 ここでは、ある労働組合であった具体的事実をとりあげてみよう。そこには、弁証法的唯物論の世界観を学んだ活動家がいた。またいっぽうには、社会民主主義の潮流を支持する労働者もいたのだった。前者の活動家は、二つの思想潮流はけっして融けあえず、「一致」しあうものでないことをはっきりとつかんでいた。これはただしいとらえかたにほかならない。

さて、そこの労働組合では、具体的な闘争をすすめることになったが、弁証法的唯物論の世界観を学んだ活動家たちは、「『社会民主主義者』のやることは信じられない。かれらといっしょに行動するとおおくの仲間たちに是非の区別がつかなくなる」と考え、その「社会民主主義者」たちと一線を画し、大衆的にたたかいがすすめられる条件のもとでも、弁証法的唯物論のただしさを宣伝し、「社会民主主義」をやっつけることにきめたというのである。この、弁証法的唯物論者たちは、残念ながら「硬直」病にかかっているといわねばならないのではないだろうか。

 私たちは、日和見主義とたたかわねばならない。それとの境界線をつねに見いださなければならないのである。「あれもいい。これもいい」では、まさに相対主義である。だがそれは、どんな条件をも無視して「境界線」を抽象的につくりあげ提起しては「硬直」病におちいるのである。さきの例でみるならば、たたかいをすすめるときに「かれとの境界線をひく」ことに気をとられて、ともにたたかうことに目をむけないのが、そうである。「境界線」は、あくまでもはっきりとつかみ、これを見失ってはならない。しかし、その「境界線」は、具体的な条件のもとで変わりうる相対的で可動的なものと見なさねばならない。これは、手れん手くだの技術問題ではなく、なによりも労働者階級の現実のたたかいを前進させるという見地に立つという基本的な問題にもとづくのである。

 こうして私たちは、あることがらを無条件の、絶対的なものとして一面的にとりあつかっては、「度はずれ」におちいるわけだ。

 また、「硬直」病のなかには、どこにでもあてはまり、いつでもあてはまる一般的なことをくりかえすだけで、そこの、そのときの現実の問題に注意をはらわないといったむきにもあらわれる。まじめな、科学的な抽象によってとらえられた一般的なものは、まさにその時期、その範囲のものにある本質的な、共通のものを反映しているわけだから、それを否定してはただしくない。だからといって、それを「ふりかざし」ておりさえすれば、ことがうまくすすむとするのも「硬直」した活動スタイル、思考方法にほかならない。

 レーニンが述べているように私たちに欠けてならないのは「……地球上では毎秒十人以上の人間が死にそれ以上の人間が生まれている。運動≠ニ瞬間=c…瞬間をとらえよ。あたえられた各瞬間に……この瞬間をとらえよ」(『哲学ノート』)ということである。いまの瞬間には、そのまえの瞬間とはちがったなにかの、なんらかの変化がおきており、ここには他とことなるなにかの、なんらかの区別があり、その瞬間≠ノは他の瞬間≠ノないものがそなわっているのである。それをとらえずして、ただ一般的なことを「抽象的」にあつかっているならば、現実にたいして無力であることをまぬがれないのである。

 私たちは「革命家であるということ、社会主義の信奉者であるということだけでは、不十分である。それぞれの特定の時期に、鎖の特殊な一環を、すなわち全力をあげてそれをつかめば鎖全体をおさえることができ、しかしつぎの環への移行をしっかりと準備できるような、特殊な一環を見つけだすことができなければならない」(レーニン『ソビエト権力の当面の任務』)のである。こうして、問題を「一般的」にとりあつかうときには、きのうもきさっも、またあすも、なんの変化もとらえられず、「生気を失った」「硬直」病におちいるのをさけられないといえよう。

 活動上や思考上での「硬直」病を検討するとき私たちは、たたかいの形態についての一本調子の見かたにも注意をはらわねばならない。

 労働組合運動の発展にとって、たたかうという見地は原則的なものである。しかしまた、たたかいの形態について十分に柔軟で弁証法的であることが必要だ。みんなが一致してとれるようなたたかいの形態についての創造的な工夫がこらされなければ、いつも同じ形態の「くりかえし」になり、たたかいのマンネリ化、「硬直」化をひきおこす。ましてや、たたかいさえすればよく、たたかいの形態はどのようでもかまわないというふうに考えてはならないのだ。

すべての大衆運動にとっては、そのとる形態が運動の発展に一定の影響をもつことを軽視してはならず、ときには形態がどうであるかによって運動の発展を左右するばあいもありうると考えられるのだ。たとえば、日本の原水禁運動が「平和行進」という運動形態を創造したことが、平和運動の発展にひじょうにおおきな作用をはたしたようにである。

 ところで私たちが、柔軟で創意にみちたたたかいの形態を求めるとき、その形態について、少数の活動家か、あるいは書斎にすわった「体系屋」が、頭のなかから「あみだす」ものでうまくいくと考えたらただしくない。

 それはあくまでも、大衆の闘争や、運動のなかに生まれてくる創意、知恵に学び、それを一般化し、おしひろげるという方法をもたなければならない。いま、職場でのたたかいのなかには、じつにさまざまな、意表をつくような、知恵にみちあふれた、ユーモラスな経験が生まれてきている。これらを、たがいに交流し、学びあうことは、大衆的なたたかいをすすめる活動家にとって、ひじょうに必要なことである。

 たたかいの手段、形態の問題のうえで「硬直」病をさけようとするとき、私たちが、とくにきびしくいましめねばならないことは、たたかいの形態のうえでの、より「左」へ、さらに「左」へ、もっと「激烈」にと発想し「硬直」することである。必要なことは、たたかうという見地に立ち、おおくの仲間たちが積極的にとり組める形態を一貫して求めることである。
(森住和弘・高田求著「実践のための哲学」青木新書 p109-114)

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◎「日常活動の対象は、きわめて多種多様です……日常闘争というと、会社側にぶつけて闘争になるような要求だけをとらえるというのでは、非常に狭い活動になる……経営のなかでの大衆活動を問題にする場合、……大衆が話題にし、問題にし関心をもつあらゆる問題を」と。