学習通信070509
◎連続四〇日間ほど送り込むシステム……

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主張 核武装論議
北朝鮮批判の大義損なうな

 麻生外相が国会で、北朝鮮の核実験に対抗し、日本も核兵器保有の「議論をしておくのは大事だ」との発言を重ねています。自民党の中川昭一政調会長も先にテレビ番組で、日本も核保有の「議論をおおいにしないと」と発言しました。いずれもただちに日本の核武装を求めたものではありませんが、被爆国・日本の政府の外交責任者や与党の政策責任者が、日本の核保有の議論を肯定したのは重大です。

被爆国として論外の主張

 核兵器は、もっとも残虐な大量破壊兵器です。とりわけ広島、長崎で被爆の惨禍を体験した日本国民にとって、核兵器保有など絶対にあってはならない選択肢です。議論を求めただけとはいっても、日本が核武装を狙っているとの疑念を世界に与えること自体大問題です。

 とりわけ問題にしなければならないのは、一連の発言が、北朝鮮の核実験に国際社会が立ち向かっているさなかに行われたことです。国連安保理が全会一致で制裁決議を採択し、国際社会が一致協力して北朝鮮に核兵器計画を放棄させる努力を強めているとき、日本の核武装論議は、その解決に重大な障害をつくりだすことになります。

 国際社会が北朝鮮の核実験を批判し、一致結束して北朝鮮に核兵器の保有と開発計画を放棄させようとしているのは、世界のどの国も北朝鮮が新たな核兵器保有国になることを望まないからです。そのとき日本が核兵器保有の議論を始めれば、それこそ北朝鮮に核兵器の放棄を迫る大義を失い、日本の立場を根本から崩すことになります。

 北朝鮮の核実験に対し安保理決議は、平和的、外交的に事態を解決することを基本に、そのための制裁を国連憲章四一条の非軍事的措置に限り、六カ国協議の当事国は「外交努力を強め、緊張を激化させる可能性があるいかなる行動も慎(む)」ことをはっきりさせています。

 日本は六カ国協議の当事国です。日本が“核には核で”の議論を始めることは、北東アジアと世界の緊張を激化することになるのは明らかで、それは安保理決議の精神にも反することです。

 麻生外相は日本の外交責任者として、国連安保理決議の実行に責任を負う立場です。その外交の責任者が、安保理決議に反する発言を重ねているのは絶対に許されません。与党の政策責任者である中川氏の場合も責任重大です。

 日本の核武装を懸念する声は、中国、韓国などのアジア諸国をはじめ、世界に広がっています。中川氏らは、自らの発言がこうした批判を招いたことをどう受け止めるのか。麻生氏や中川氏はもちろん、二人を起用した安倍首相自身も、その責任をあいまいに済ますことができないのは明らかです。

核兵器廃絶に貢献を

 日本が核兵器の脅威をなくしていこうと真剣に考えるなら、本来とるべきは新しい核兵器保有国を許さないのはもちろん、核兵器の廃絶へ積極的に行動することです。

 唯一の被爆国として、核兵器を「持たず・つくらず・持ち込ませず」という「非核三原則」を堅持するとともに、すすんで世界から核兵器を廃絶するための役割を、積極的に果たさなければなりません。

 核兵器の拡散が問題になる根っこには、特定の国には核兵器の保有を認めている体制があります。それを変え、大本から全世界の核兵器を廃絶するためにこそ、日本はイニシアチブを発揮すべきです
(「赤旗」2006.10.20)

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主張 核論議発言
国際社会での孤立深めるのか

 北朝鮮が核実験をしたのだから日本も「核兵器保有」の議論をすべきだといってきた自民党の中川昭一政調会長が、改めて議論を求める考えを明らかにしました。国内はもちろん各国からも批判を受け、今月はじめいったんは当面「発言しない」と“自粛”を表明していたものです。その舌の根も乾かぬうちに議論を再開するとは、中川氏に反省はないのか。中川氏やそれに同調した麻生外相はもちろん、任命権者の安倍首相も、責任が改めて問われます。

核放棄を迫れない

 「非核三原則(核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませず)は認めるが、(『語らせず』を含めた)四原則は認めない」―中川氏の発言です。(二十三日、岐阜市の講演で)

 核武装はしないが、「核兵器保有」の議論は大いにやっていいという中川氏の主張は、とんでもない詭弁(きべん)です。だいたい核武装しないというなら、どんな「核保有」の議論をやろうというのか。NHKの調査でも日本が核兵器を「保有すべきだ」はわずかに8%、「保有すべきではない」が67%です。「核兵器保有」について議論の余地があるようにいうこと自体、核武装を拒否する国民世論を踏みにじるものです。

 中川氏だけでなく、麻生外相なども「(核兵器保有の)議論は大事だ」といいますが、北朝鮮の核実験に対して今やるべきは、日本が対抗して核兵器を保有するかどうかの議論ではなく、どうすれば北朝鮮に核開発をやめさせ、核兵器をなくしていくことができるかの議論です。

 日本は世界で唯一、核兵器の被害を受けた被爆国であり、世界に対して核兵器廃絶を先頭に立って訴えていく責任を負っています。核兵器をなくしていこうという立場に立って主張し行動してこそ、北朝鮮に核兵器開発の放棄を求めていくうえでもイニシアチブ(主導権)を発揮することができます。

 日本が「核兵器保有」の議論を始めることは、北朝鮮に核兵器の放棄を求める国際的大義を失わせ、この問題でイニシアチブを発揮するのを困難にするだけです。それだけでなく、日本に対する各国の疑念と批判を招き、国際社会が一致して北朝鮮に核兵器の放棄を迫るのを困難にすることになります。

 実際、中川氏や麻生氏の発言に対し、アメリカ、中国、韓国などが相次いで懸念と批判の声を上げ、この間の首脳会談や外相会談で問題になりました。中川氏がいうように「『語らせず』は認めない」といって「核兵器保有」の議論を再開していくことは、こうした国際的な批判を無視し、逆らうことになります。

 中川氏は、日本が「核兵器保有」の議論をすること自体が北朝鮮への圧力になるようにいいますが、国際社会の団結を妨げてどうして北朝鮮の核開発に対抗できるのか。北朝鮮に核兵器を放棄させるのに役立つどころか、日本を国際的な孤立に導くだけになるのは明らかです。

首相の責任が問われる

 中川氏らの「核兵器保有」議論に対し、自民党の二階俊博国対委員長は先に、「誤解を招きかねない発言を何度もすると、任命権者の責任が問われることになりかねない」と発言しました。実際には自民党も安倍首相も、中川氏や麻生氏をかばい、辞任要求を拒み続けました。

 中川氏が議論を再開するとなると、それではすまされません。安倍首相が責任を問わないなら、首相自身の任命権者としての責任が問われるのが免れなくなります。
(「赤旗」2006.11.25)

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夢送り込み装置

 ロシア愛猫家クラブ連盟会長のニーナさんはネコ語が自由自在な人で来日中は野良猫飼い猫誰誰国籍の別無くあらゆるネコどもと会話を楽しんでいたのだが、ある日、

 「日本のネコだけでなく、人ともネコ語で話してみたい」

 などと言い出したものだから、とっさに唐津(仮名)教授の顔が浮かんだ。前世はネコだったと常々公言している人で、専門は経済学だったような気がするが、札幌のお宅では常に二桁のネコどもと同居していて、その数は訪れる度に増えていたような。さっそく北海道大学経済学部に電話を入れると、教授の助手をしていた加藤君が電話口に出て、教授はすでに定年退職していると教えてくれた。そして、やにわに声をひそめて、

 「なんか、唐津さん、妙な研究に取り憑かれてるんですよねえ」と言う。「ネコに睡眠代行業させるんだとか言っちやって」
 「ネコは、年がら年中寝てるもの」
 「だから人間が不眠症とか、徹夜仕事とか、何らかの事情で睡眠時間を削らなくてはならなくなった時、ネコがその人の代わりに寝てあげて、その人を睡眠不足から解放する方法を発見するとか言って、張り切ってましたよ」
 「出来るわけないじやん」
 「そう思うでしょ。でも、最近唐津さんの家に行くと、あのネコだらけの書斎で机に向かって、難しそうな数式書き散らしながらウーンウーンと苦しそうに唸ってるんですよ」

 あれから一〇年。もし実際に完成させたらノーベル賞ものだと思われる唐津教授の研究が実を結んだという吉報は末だに届かない。なのに、なんで今回ひと昔前の話を持ち出したのかというと、落ち目小泉政権の人気を支える安倍晋三幹事長のことが気にかかるから。前任者との比較優位(わが友曰く「オシッコ飲まされるのなら、山崎よりマシかな」)もあるのか、自民党候補者からの応援依頼が一番多いらしい。

 弁舌さわやかで背は高いし、毛並みはいいし(二世、三世の政治家をことのほか好む日本のマスコミと一部選挙民の趣味を金正日もよだれを垂らして羨ましがっている。金日成から政権を世襲した自分を国民に受け入れさせるために、どれほど徹底的な洗脳と抑圧システムを強いていることか。なのに、日本人ときたら、せっかく自由な選択を許されながら、喜々として二世、三世に投票するのだから)、拉致問題に対する毅然とした姿勢も格好いい(別に警察も政府もマスコミも見向きもしなかった二十数年の長きにわたって拉致問題に関わり統けてきたわけではないし、解決の糸口となった日朝首脳会談の成立に貢献したわけでもない。すべてがお膳立てされてから、外務官僚の不手際をマスコミ受けする形でたしなめただけで、立役者のごとく錯覚させて人気を独り占めしてしまうのだから、こういうのを鳶(とんび)に油揚げ、いやサラブレッドの徳というべきなのだろう)。

 で何が気になるって、官房副長官時代の安倍さんの、
 「戦術核を使うということは……違憲ではない」
 という発言である。早稲田大学での講義にて発言したのを、当『サンデー毎日』が昨年六月二日号でスクープ。憲法の戦争放棄条項と非核三原則という国是に関わることゆえに国会で追及されるや、
 「という岸(信介元首相)解釈を紹介したに過ぎない」
 と矛先をかわし、当誌を、「オフレコの講義を盗聴した」
 と非難した。公の発言と非公開で話すことを使い分ける二枚舌であると自ら告白しちやってるところが可愛い。それに、核を持ちたくない人がわざわざ「違憲ではない」なんて言わないよなあ。

 同誌が掲載した講義の中身や今年九月号『諸君!』誌上での安倍さんの発言を読む限り専守防衛を見直して他国への攻撃力を持つべきという考えの持ち主のようで、その延長線上に日本の核武装を夢見ているみたい。核武装が本当にいいと思うのなら堂々と選挙でこそ主張すればいいのに、
 「(公約について)この程度の約束なんて守らなくてもいい」
 と公言する小泉流に倣って、真意を隠して票を集め当選してから十分な議論もせずになし崩し的に核武装という展開になりそう。というか、まともな議論に耐えられないのかもしれない。安倍さんには、小泉さんとか石破茂さんとか麻生太郎さんとか二世、三世の政治家たちに共通する、いかにもお坊ちやまな酷薄げな人相にふさわしく、その勇ましい発言を裏付けるべき現実態と想像力がものの見事に欠落しているからだ。

 たとえば、「核武装は違憲ではない」と主張する安倍さんの論調のどの部分を取ってみても、核保有国の威嚇力と破壊力に対するあこがれは滲み出ているものの、核被害の立場には言及していない。そちらの方向に想像力が働かないのだろう。だから北朝鮮の「核」は機敏に非難するのに、アメリカのスミソニアン博物館に広島に原爆を投下したエノラ・ゲイをピッカピカに磨き上げて自慢げに展示しているのに抗議の一つもしない。湾岸戦争時と今回の攻撃でアメリカが投下した劣化ウラン弾による放射能被害が現地住民だけでなく、アメリカ兵にまで出ている核汚染された大地に日本の自衛隊を送ると主張できるのも、冷酷というよりも想像力が欠如しているのだ。

 世界初の被爆国である日本には、他国の人々に比べられないほど豊富な核被害にまつわる具体的で悲惨な記憶の蓄積があるというのに。

 核爆発の凄まじい爆音と灼熱にさらされ一瞬にして蒸発した人々、身体を焼かれながら死んでいった人々、親兄弟、友人を奪われた人々、爆発直後の地獄を奇跡的に生き延びながら放射能による人体破壊にのたうちまわりながら亡くなった人々、後遺症に苦しめられ生活基盤を破壊される人々、絶えず死の影に怯える二世、三世の人々……その途轍(とてつ)もない恐怖と苦しみ、悲しみと無念さをせめて一瞬でも想像してほしくて、多くの画家や詩人や作家や映画監督たちが、悪戦苦闘してきた。でも、「核使用は違憲ではない」と前向きに言う安倍さんはそんな辛気くさいものに目をくれやしないだろう。

 それでネコに睡眠代行させる唐津教授の装置を思い出したのだ。この装置のネコの睡眠を乗っ取る技術を応用して、睡眠時の安倍さんの脳裏に、核爆発の渦中に置かれる地獄、放射能に健康を侵され苦しみながら死んでいく悲しみ、肉親を奪われる悲劇などを追体験できるリアルで迫真力のある映像をシリーズで連続四〇日間ほど送り込むシステムを開発した。

今のところ、目に見える形で成果は表れていないが、うまくいったら国連に大量お買いあげいただいて、私はたちまち億万長者。世界中の核武装論者や死の商人たちが、とくにブッシュ、ブレア、シャロン、金正日あたりが睡眠中にうなされた挙げ句、核廃絶論者に転向ってことになったらしめたものだ。日本国憲法の専守防衛思想にピッタリだし、MD(ミサイル防衛システム)なんかより桁違いに安くしますから、防衛庁もぜひ購入を検討してください。(2003・11・16)
(米原万里著「発明マニア」毎日新聞 p8-11)

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◎「二世、三世の政治家たちに共通する、いかにもお坊ちやまな酷薄げな人相にふさわしく、その勇ましい発言を裏付けるべき現実態と想像力がものの見事に欠落し」「自民党も安倍首相も、中川氏や麻生氏をかばい、辞任要求を拒み続け」と。