学習通信070514
◎“靖国派”の特殊な価値観で……

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学問 文化
小学校教科書 消えた旧石器・縄文時代
 勅使河原 彰

神話取り上げさせ
考古学締め出す

 校庭の若葉が芽吹くように、静まりかえった校舎に子どもたちの元気な声が戻ってきた。新六年生を迎えた子どもがいる親御さんなら、新学期から子どもたちが使う社会科教科書を開いてみて下さい。子どもたちが日本の歴史を初めて学ぶ教科書には、旧石器・縄文時代の記述が全くなくて、唐突に米づくりが始まった弥生時代から書き起こされていることに、驚かれるのではないでしょうか。

 歴史に興味がない人でも、青森県の三内丸山遺跡で直径約一bのクリ巨木の六本柱遺構をともなう大集落跡が発掘されて、「縄文時代史を書き換える」などとマスコミによって大々的に報道されたことは覚えていることと思う。また、相沢忠洋の名前や彼が発見した岩宿(いわじゅく)遺跡を知らなくても、終戦直後にアマチュア考古学者が「日本に旧石器時代はない」とされていた、それまでの常識を覆す大発見をしたということも、多くの人びとは耳にしたことがあると思う。

 日本列島にも旧石器・縄文時代があったというのは、厳然たる事実なのだが、それが小学校の社会科教科書から、なぜ、削除されてしまったのか。その原因が学習指導要領にあるということは、教育関係者以外にはほとんど知られていない。

 日本の学校教育では、教育課程や教科内容とその取り扱いはいうまでもなく、基本的な指導事項から教科書の編集にいたるまで、文部科学大臣が告示する学習指導要領によらなければならない。現行の小学校学習指導要領は、一九九八年十二月に改訂されたもので、実施は二〇〇二年度からになるが、完全学校週五日制の下で、「ゆとり」と「特色ある教育」をスタートさせた。

農耕の始まり
理解するには

 歴史を学習する第六学年では、「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする」ことなどを目標に掲げて、「自分たちの生活の歴史的背景、我が国の歴史や先人の働きについて理解と関心を深めるようにする」ことなどを内容としている。そのうえで、指導内容の厳選を図る観点から、「我が国の歴史を学習する際に調べる具体的な対象」として、「農耕の始まり、古墳について調べ、大和朝廷による国土の統一の様子が分かること。その際、神話・伝承を調べ、国の形成に関する考え方などに関心をもつこと」を定めている。しかも、実際の指導にあたっては、「示された歴史的事象の範囲にとどめ、それ以外のものは取り扱わないようにする」ことを明確に指示しているのである。要するに、農耕が始まる以前は教えるなということであるから、当然、小学校の社会科教科書から旧石器時代と縄文時代の記述が削除されてしまったということである。

 ユーラシア大陸の東端に位置する日本列島では、大陸からの影響を受けながらも、旧石器時代から縄文時代へと独自の文化を発達させてきたばかりか、南北に細長い列島のそれぞれの地域の環境に応じた、多様な地域文化をはぐくんできた。そのことを学ぶことなくして、日本列島における「農耕の始まり」の歴史的背景を正しく理解することはできない。

 まして、九州と本州で農耕が始まっても、北海道と南西諸島では、続縄文文化と後期貝塚文化という、縄文時代以来の自然物に依存した独自の文化を発達させていたのであるが、「農耕の始まり」だけを教えるということは、そうした地域の歴史を切り捨てることにほかならないのである。

 小学校学習指導要領では、指導計画の作成に当たって、「博物館や郷土資料館等の活用を図るとともに、身近な地域及び国土の遺跡や文化財などの観察や調査を行うようにすること」の配慮を求めている。博物館や資料館を見学すれば、旧石器時代から展示されるのが一般的であるし、特に縄文土器をはじめとする縄文時代の展示は欠かせないものとなっている。子どもたちにとって、教科書に何も書かれていないということは、歴史がないのと同じことである。しかし、身近な博物館や資料館を見学すれば、教科書に書かれていない歴史があるということでは、子どもたちの正常な歴史感覚を奪いかねない。

日考協大会が
復活求め声明

 こうした事態を踏まえて、考古学研究者の全国組織である日本考古学協会では、昨年の十二月三日の愛媛大会において、歴史教育に考古学の成果が適切に活用されるとともに、本年六月にも予定されている学習指導要領の「改訂」にむけて、小学校第六学年の社会科教科書に旧石器・縄文時代の記述を復活させることを強く求める声明を文部科学省と中央教育審議会に提出した。

 また、去る三月十八日には、群馬県太田市で「日本列島の旧石器時代を知る──岩宿遺跡の世界──」と題する第二回公開講座を開催した。小菅将夫氏が岩宿遺跡発見の意義、稲田孝司氏が世界最初の発見となる旧石器時代の落とし穴と大陸に類例のない環状ブロック群という具体的な資料をもとに、解き明かされてきた日本列島の旧石器時代を熱く語った。その後、地元の六人の小学生の素朴な疑問に小菅・稲田両氏が答える形で、学校教育で旧石器時代を学ぶ意義を解説した。このような取り組みを始めた日本考古学協会の姿勢を高く評価したい。

天皇を申心の
考え押しつけ

 ところで、小学校の社会科教科書から旧石器・縄文時代の記述が大幅に削減されるようになったのは、一九八九年版小学校学習指導要領のもとで編集された教科書からであった。

 その八九年版では、「神話・伝承については、古事記、日本書紀、風土記などの中から適切なものを取り上げること」「天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすること」「我が国の国旗と国歌の意義を理解させ、これを尊重する態度を育てる」ことに端的に示されているように、日本の歴史を天皇中心に描き、「日の丸」と「君が代」の強制によって、小学校の段階で国民の思想統合をはかろうと意図したものである。

 そして、記紀の神話と考古学による歴史とは、たとえば記紀で第一代とされる神武天皇が橿原宮で即位した紀元前六六〇年は、まだ石器時代であったというように、真っ向から対立するものであることから、神話を教科書で取り上げさせるためには、考古学による歴史叙述を教科書からできるだけ締め出す必要があるからである。

 このように、小学校の社会科教科書から旧石器・縄文時代を締め出す意図は、天皇を中心に日本の国土が統一されたとの考えを押しつけ、日本の歴史を天皇中心に描くという、戦前の皇国史観への傾斜以外の何ものでもない。日本考古学協会では、社会科教科書問題検討小委員会で小・中学校の社会科教科書の中身だけでなく、その背景をも検証していくとのことであるので、その検証作業に期待をしたい。
(「赤旗」20070417)

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小学校の歴史教科書から縄文・旧石器時代が消えた

 “靖国派”は以前から、日本の教育に“靖国派”の考え方をもちこむことに特別の努力をそそいできました。

 戦争観で、まず最初に問題になったのは、「靖国史観」を学校教育にもちこむ「つくる会」の教科書を、検定で合格としたことでした。

 最近はそれにとどまらないで、「従軍慰安婦」の問題で国の強制についての記述を削らせるとか、沖縄戦のなかで起こった集団自決について、それが軍の指示でおこなわれた事実を削らせるなど、戦争を美化する方向での乱暴な介入がくりかえし起こっています。

 それから、最近起きたことで驚かされたのは、歴史教育への政府の乱暴な介入です。

 昨年十一月に、考古学者の集まりである日本考古学協会が、声明を発表しました。いまの日本の教育の体系では、日本歴史は小学校六年生から教えることになっていますが、その六年生の教科書から、縄文時代や旧石器時代が消えてしまったというのです。

 声明は、「日本列島における人類史のはじまりを削除し、その歴史を途中から教えるという不自然な教育は、歴史を系統的・総合的に学ぶことを妨げ、子ども達の歴史認識を不十分なものにするおそれがある」として、教科書の本文に旧石器・縄文時代の記述を復活させることを強く求めています。私はまったくその通りだと思います。

 なぜ、こんな異常なことが起きたのか。原因は、文部省(現在の文部科学省)が決めた「学習指導要領」にありました。八九年と九八年に決めた「学習指導要領」で、日本の歴史は「大和朝廷による国土統一」から教えればよい、ということをくりかえし指示し、その指示にそった教科書をつくった結果、縄文時代と旧石器時代が消えてしまったのでした。これは、わが祖先たちが日本列島で展開してきた現実の歴史を、“靖国派”の特殊な価値観で切り刻んでしまうことです。

この暴挙の背景には“靖国派”の「国柄」論がある

 “靖国派”の「国柄」論は、日本民族の歴史は天皇とともに始まるとしています。旧石器時代はもちろん、縄文時代にも、大和朝廷などは存在しませんでした。そんな時代のことを子どもに教えたら、自分たちの国柄論が成り立たなくなる。おそらく、これが、この暴挙の、もっとも奥深くにある動機だったのでしょう。

 大和朝廷ができたのは、人間がこの列島に住みついて、少なくとも数万年の歴史を経てきた後の時代のことです。そして、戦後の歴史学と考古学は、多くの新しい発見でこの長い時代についての私たちの知識を豊かにし、先人たちの活動への夢とロマンをはぐくんできました。この豊かな歴史を切り捨てて、日本人の歴史を、大和朝廷の成立以後のわずか千数百年の「歴史」に切りちぢめてしまう。“靖国派”は、戦時用語である「悠久(ゆうきゅう)」の言葉が好きで、「悠久の歴史」についてよく語りますが、この列島の上でわが祖先たちが現実に展開された数万年にわたる歴史については、これを尊重する態度をまったく持たないのです。

 私たちは、アメリカでキリスト教原理主義が、教義に反するとして「進化論」を学校教育から排除している話をきいて、その非文明性にあきれたものでしたが、自分たちの国柄論を無理やり日本の歴史にあてはめ、それに合わない部分は切り捨ててしまう、という“靖国派”のやり方は、同じ性質の非文明性を示しています。
(「赤旗」20070510)

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◎「神話を教科書で取り上げさせるためには、考古学による歴史叙述を教科書からできるだけ締め出す必要があるからである」と。