学習通信070518
◎いつのまにか……「ぜいたくは敵だ!」

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《潮流》

教育再生会議が「親学(おやがく)の緊急提言」を出すといいます。「親学」? 聞きなれない言葉ですが、「最近の親はなってない。もっと学んで努力しろ」といいたいようです

▼公開された議事要旨をみると「母乳で育てない母親が最近多い」「母乳を与えるとき目を見つめて抱くことが非常に重要」「ミュージカルを親子で見て感動を共有いただきたい」といった議論がされています

▼提言には「母乳での育児」や「親子での観劇」「早寝早起き朝ごはん」「子守唄を歌う」などを盛り込みたいようです。「どう思う」と親たちに聞くと──「母乳でといっても、働いている母親はどうしたらいいの」「演劇観賞なんて、経済的に余裕がないと無理」「余計なお世話ね」

▼同感です。個人的なアドバイスならともかく、国が口を出すことなのか。会議では「親学研修の義務付けを」という意見まで出ています。山谷えり子首相相佐官は「子守唄を六ヵ月検診などで歌う」とまでいいだしています。卒業式の「君が代」のように、検診で子守唄を強制されかねません

▼再生会議が「親学」についての意見を聞くために呼んだ人物の名前を見てびっくり。侵略戦争を美化する「新しい歴史教科書をつくる会」の元副会長、高橋史朗氏でした。そういえば、子育てなど国民の暮らしに国が口出しするのは、戦時中を思わせます

▼「『ぜいたくは敵だ』って街頭に張られたみたいに、そのうち『育児は母乳で』って張り出されるんじゃないの」。ある母親のつぶやきです。
(「赤旗」20070508)

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ぜいたくは敵だ

 所得税法というものがはじめて公布されたのは、明治二〇(一八八七)年というかなり古い時代で、それ以後は各人の所得を課税の対象とする「租税制度」のもとに日本人は生活しつづけてきた。その間、所得税法の改正が二度あったが、昭和になってはじめての大改正が、昭和一五年四月一日から施行されることになった。「源泉課税」というものもこのときからはじまり、サラリーマンなどの「勤労所得者」は、やはりこの四月から所得税を毎月のサラリーから〈天引き〉されることになった。

 金が自分の手に渡ったとき、もう先に税金が差引かれているという、いまでは当たり前のようになっていることが、実は昭和一五年という年に、正式にはじまったのである。

 この年の所得の申告は、三月と四月に、一度は旧い法律により三月に、二度目には新法により四月にと、再度にわたって義務づけられ、その煩瑣(はんさ)な手続きは、いまでも語り草になっている。やがて、米・味噌・醤油・塩・マッチ・木炭・砂糖など一〇品目に「切符制」が採用され、世の中が目立ってせちがらくなってきた。

 八月には当時の進歩的な新劇の劇団だった「新協劇団」「新築地劇団」が解散を〈勧告〉され、多くの関係者(村山知義・久保栄・滝沢修・小沢栄(栄太郎)・千田是也などの有名な演出家や俳優をふくむ)が検挙され、その数は一〇〇人以上にのぼった。

 その少し前の七月七日、「奢侈品等製造販売制限規則」が施行された。これが有名な「七・七禁令」である。このため金糸銀糸の入った伊勢崎銘仙などは売れなくなり、メーカーでは女子工員や女学生を動員して、一度出来上がった製品から金糸銀糸を抜きとる作業に忙殺される。

 また、この「七・七禁令」にもとづき国民精神総動員本部と東京府・東京市・警視庁によって、銀座通りをはじめ人通りの多い商店街や盛り場に、計一五〇〇本の〈立て看板〉が立てられた。それには、次のような文字が大書してあった。「日本人なら、ぜいたくは出来ない筈だ!」

 そればかりではない。いつのまにか、もっともらしい顔をした婦人が「ぜいたくは敵だ!」の文字の入ったタスキをかけ、町々、辻々に立っていて、道行く女性のタモトの長さに文句をつけたりする。某々婦人会という婦人団体の会員である。おとなしく聞いていればいいが、うっかり口答えなどすると、威たけだかになって「住所氏名」を言わせたりする有様であった。

 そんな中で内務省は、部落会や町内会などの整備を通達し、隣組の組織化がすすめられる。
(三國一朗著「戦中用語集」岩波新書」p122-123)

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◎「『ぜいたくは敵だ』って街頭に張られたみたいに、そのうち『育児は母乳で』って張り出されるんじゃないの」と。