学習通信070530
◎私についてくれば大丈夫だ……
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拡大活動のなかで注意すべきこと
第一は、組合に入ってもらうことを話す相手を自分勝手にきめないことです。途中で会社にわかって、組合づくりが失敗した例の多くは、このようなやり方をしている場合です。
第二は、話し合いの場所は、会社のなかでやらないことです。おちついて、ゆっくり話がでざる場所をえらぶことです。自宅をたずねるか、自宅にきてもらうのが一番良い方法です。そして、話が途中でおわらないように、ある程度時間をかけて話しあえる場所と時問をえらびます。なぜなら、組合に入って活動しようとするには、決意が必要ですし、その決意を固めるだけの時間と話しあいが必要だからです。
第三は、組合づくりを自分たちだけでひきうけないことです。たとえば、「私についてくれば大丈夫だ」とかいうようにです。組合づくりの中心になってもらいたい人に、このような態度で話をしてはいけないのはもちろんのことですが、そうでない人たちに組合加入をすすめる場合も、このような態度で話をしてはいけません。
なぜなら、労働組合は、一人ひとりの組合員が主人公であり、一人ひとりの組合員が、どれだけ積極的に組合活動に参加するかによって、その組合の強弱がきまります。
ですから、「あなたのこの要求を解決するために、みんなと手をつないでがんばりましょう」という態度で話をしましょう。
話のなかで、組合をつくろうとしたり、組合をつくったりすると、会社からいろいろな攻撃があることを心配する話もでてきます。その際も、「執行委員や準備会の委員にまかせてくれれば大丈夫です」などと、その場のがれの答えをしないことです。
一人ひとりの労働者の考え方や悩み、要求を尊重し、話しあいや教育をつうじてその労働者自身が高まり、決意できるように援助していくことが組合員をひろげる活動であることをしっかり腹におさめて、攻撃がきたら、それにどう対処するかを、ともに考える態度で話しあいをふかめなければなりません。
(中森謹重・後藤耕三著「労働組合づくりの基礎知識」学習の友社 p51-53)
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組織化と団結の中心を見つけだすこと
さきごろ、ある金融機関に働く婦人の仲問が、こんな悩みを話してくれました。
「さいきん、会社側がものすごいオカネをかけて、お花や、手芸、お茶のサークルからボーリングや卓球など、いままで組合の青婦部や文化部でやっていたことをはじめたので、組合のサ一クルは開店休業になってしまいました。いつのまにか、会社のサークルにはいっていないのは、わたしたち活動家だけになってしまい、だんだん仲間とはなれていきます。」
また、ある金属工場の活動家は「職場で将棋をやろうとしても、相手になってくれる人もいない。みんなオレをさけてしまう」と語っています。
そのために、活動家の一部には職場での活動の困難さに負けて、職場の外にでてしまい、多くの仲間が残業でフーフーいっているのもかまわず、定時になるとさっさと一人で職場をとびだし、地域で好きなもの同士のコーラスやサークル運動に走っていき、あげくのはてには、職場がつまらないからといってやめてしまう、といった傾向さえみられます。
たしかに、さいきんの職場は暗く大変です。生産性運動のもとで、ZD運動、QCサークルなどの労働者の生活と労働にたいする「自発性」を強要するしくみがしかれ、積極的に協力しないものは「なまけ者」の背番号がつけられ、「なまけ者」は労働者同士でつまはじきされるという、アメリカ式労務管理が導入されています。
こうしたなかで労働者は、ギッチリと秒きざみの工程のなかにくみいれられてしまって、ものもいえず、職場での組合活動の自由はおろか、トイレにゆく時間さえ規制されるほどになっています。
たとえば、ある電機工場に働く十八歳の少女が、同郷のボーイフレンドとドライブを楽しみ、帰寮時間がわずかにおくれたことがありました。ところが、このことが理由で、親まで呼びだされたうえに、いきなり退職を強要されています。つまり、ドライブで勝手に楽しんだ、ただこれだけのことでも、資本家にとっては自分の支配のワクをはみでたこととして、たいへんなことなのです。
では、いったい、資本家はなぜこうまでして、職場を支配しようとするのでしょうか。いうまでもなく、職場こそ資本家階級の利潤を生みだし、資本主義社会をささえる源泉であるからです。だから、職場の労働者を、資本家階級のクサリでガンジガラメにしばりあげ、労働者の民主主義的権利のひとかけらをももぎとって、搾取をいっそうつよめ、労働組合運
動の息の根をとめようとしているのです。
一方、労働者にとっては、職場こそ生活の源泉であり、職場を離れては労働組合の生命力は枯れてしまいます。つまり職場は、資本家と労働者の階級闘争の最前線だということになります。このことをしっかりと腹にすえて、職場を見なおすことが大切です。
すべての組合幹部は、このような職場を真に生きいきとしたものにする義務がありますが、そのためにはどうしたらよいのか。それは、職場から労働者の団結をつくり発展させる以外にありません。
資本家階級がもっている大きな力に対抗できる労働者の唯一の力は、多数だということです。しかし、この多数の力は、ときとして、仲間同士の競争・対立や、資本の攻撃によって、なかなかうまくその力を発揮できません。
労働者は、資本によって搾取され、支配されているところに団結の必然性があるとはいえ、その団結はなかなかうまくいかないのが現状です。こういう情勢のもとで、労働者の団結をどうしてつくりだすか、その方法を見つけだすのが組合幹部の仕事です。
労働組合は、要求を基礎に団結するものであることは、だれでも知っています。知っているはずなのに、現実にはうまくいかないとしたら、ただ、それだけではダメだということでしょう。
労働組合は人間の集合体であり、生きものです。空とぶ雁には、必ず中心の雁がいるように、また、軍隊という組織には指揮官がいるように、労働者の団結をつくり、つよめるには中心になる労働者が必要です。この中心になる労働者を職場ごとに見つけることができる幹部は組織能力があるといえるでしょう。
大衆組織を、その組織の外からいくらひきまわしても、団結をつよめさせることはできません。労働者の団結は、その組職のなかにいるものによってのみつよめることができます。組合幹部の組織能力という場合、職場のなかに団結の中心になる人を見つけだし、その人をどう援助するか、そのやり方をさすわけです。
では、団結の中心になる人はどういう人でなければならないか。第一に、真面目な人であること。第二に、職場の労働者から信頼のあつい人であること。そして第三に、資本と癒着していない人であることが大切です。
真面目な人であれば、その人の現在の思想が労働者階級の立場からみておくれていても、また、反共思想をもっていても、それは別に問題ありません。真面目な人であるかぎり、その人はおそかれ早かれ必ず労働者の利益の立場にたちうる人です。
また、職場から信頼のあつい人は、必ず生活と労働のうえにおいて、労働者から信頼されているということです。こういう人が団結の中心になれば、職場では、労働者は思想をこえて支持し、その人の周囲に集まるものです。もちろん、資木と癒着している人は、労働者から信頼されるはずがありません。
組合幹部がこういう人を見つけだし、この人に適切な援助をすることができれば、組織化と組織の団結はすすむものです。
(細井宗一著「労働組合幹部論」学習の友社 p30-34)
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◎「労働組合は人間の集合体であり、生きもの……空とぶ雁には、必ず中心の雁がいる……軍隊という組織には指揮官がいる……労働者の団結をつくり、つよめるには中心になる労働者が……この中心になる労働者を職場ごとに見つけることができる幹部は組織能力があるといえる」と。