学習通信070612
◎貧困層から効率的に収奪するビジネスモデル……

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テレビ・ラジオ
マスメディアも注目
 首都圏青年ユニオン
 川添書記長に聞く

青年の生の声を伝えてほしい

 過酷な労働条件で働く多くの若者をサポートする労働組合「首都圏青年ユニオン」。その活動がマスメディアで注目されています。河添誠書記長に反響や活動への思いを聞きました。(聞き手・小川浩)

〈この間、「ネットカフエ難民」の実態を伝える番組からコメントを求められ、実態調査の活動も取り上げられました〉

 注目される理由は必然の部分と意識的に努力している部分があります。必然は、貧困と格差の拡大するなかで首都圏青年ユニオンが青年の現場に近いところにあり、駆け込み寺になっていることです。

 意識的なところでは、昨年十一月、外食チェーン店、すき家に労働組合をつくった時、記者会見を厚生労働省の記者クラブでやらせてもらいました。さらに、残業代が払われることになった時も、厚労省記者クラブでやりました。記者会見を重ねるなかで、取材陣とつながりができました。その後、「青年大集会」実行委員会が四月におこなった「ネットカフエ」の実態調査でも、メディアが注目してくれました。

〈マスコミを通じて知られることで、首都圏青年ユニオンヘの相談は、メールや電話で、毎日寄せられています〉

 今の時代ですから、新聞に出た時は、インターネット版にも掲載されます。ネットで検索する人が多いので、文字情報で載ると広がりますね。あちこちのブログに転載され、すき家のニュースは全国的になりました。いまでも、問い合わせがあるんです。

 相談者と接する時は、自分の経験を絶対化して説教しない。労働問題はその人にとって、生活を立て直すためにどうするかを話し、それ以上は言いません。例えば、非正規の人に、今の仕事でどうしたら生活が成り立つか具体的に考えるんです。ぼくらが思っている以上に、当事者は傷ついています。心の病気になっている人も多く、深刻です。

〈今後もマスメディアとのお付き合い≠ェ続きます〉

 テレビは編集されるので、言いたいことを伝えるのは難しい面があります。ただ、メディアの中で良心的にたたかっている記者やディレクターはたくさんいます。メディアは青年の生の声を伝えてほしい。私たちも、いい番組や記事は、首都圏青年ユニオンのホームページなどを通じて紹介し、励まし合うことが大切だと思っています。
(「赤旗」20070606)

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常識的! 17
内田樹(神戸女学院大教授)
ネットカフェ難民
貧困層から収奪するビジネス

 ネットカフェは若者たちのための「時間つぶし」施設である。マンガ喫茶にインターネットが導入されるという仕方で形態変化を遂げた。以前は東京、大阪など大都市圏にしか見ることができなかったが、現在では地方都市にまで広がり、その数現在三千五百軒ともいい、さらに増え続けている。

 ネットカフェにメディアが注目し始めたのは、そこが「ネットカフェ難民」という新しいタイプの貧困層の「簡易宿泊施設」として機能していることが知られたせいである。ネットカフェの料金設定は通常は基本料金三十分二百円、三十分ごとに二百円加算といったところであるが、深夜になると六時間パックで千五百円という割引率になる。

 個室は一畳程度で、なんとか身体を横にするスペースがあり、シャワー(別科金)や毛布、フリードリンク、フリーフード(おにぎりなど)を用意してあるところもあるから、お金のない若い人はしばしばここで夜明かしをする。

 マンガ喫茶以来、貧乏旅行の宿泊先に好んで選択されてきたし、終電を乗り過ごして仮眠を取るものもいるが、社会問題となっているのは、ここを「定宿」として一年以上長期滞在しているかの「難民」たちが大量に出現してきたためである。

 難民は定職、定住地を持たず、派遣会社からの日雇い仕事の募集を携帯で受け、カフェから出動し、カフェに戻ってくる。ありようは多少リファインされてはいるか、本質的にはかつての山谷や釜ケ崎の簡易宿泊施設に暮らす労働者と変わらない。

 ただ、みなさんに注意してほしいのは、このビジネスがきわめて収益率の高いものだという事実である。

 一泊千五百円というのはビジネスホテルに比べれば半額以下であるが、防音も施錠もされない一畳のスペースにパソコンのディスプレーがあるだけの空間の建設と管理のコストはビジネスホテルのおそらく数十分の一であろう。

 実質的には宿泊施設として機能しているにもかかわらず、旅館業許可を申請していないので、建築条件の緩さはホテルに比すべくもない。

 一泊千五百円というのも月に換算すれば四万五千円になり、郊外ならこの金額で風呂付きのマンションを借りることができる。

 つまり、ネットカフエ難民たちは経営サイドからすると、恐ろしく安い商品に高額の対価を払ってくれる「上得意」なのである。それゆえすでに大手企業がネットカフェに参入し、全国チェーン展開まで始まっている。

 人間はさまざまな理由で家を離れ、職を離れる。カフェ難民生活が主体的に選択されたものであるなら、その生き方に余人が容喙(ようかい=口ばしを入れること。)することはないと私は思う。けれども、その日暮らしのこの貧困層から効率的に収奪するビジネスモデルを作り出し、大々的に実施しているビジネスマンたちにはあまりよい感情を持つことができない。

 確かにビジネスはビジネスであり、利用者たちがカフェの存在から便益を得ているということは果実であろう。けれども、できるだけ多くの若者たちが、その境涯から脱出できない程度に貧困であリ続けることから利益を得るというビジネスモデルを作り出したことに彼らは疚(やま)しさを感じることはないのだろうか。
(「京都新聞」20070612)

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●ホームレスとは何か
 ホームレスとは何をさすのであろうか。このことばと重なる日本語には,古典的な乞食や浮浪者という言い方から,路上生活者,野宿労働者,野宿生活者,「住居喪失(者)」,非定型的住宅居住者,住所不定者などまでさまざまある。ホームレスを文字どおりの「住居喪失」状態にある人々であるとすると,路上生活のような「目に見える」場合だけでなく,「安ホテルや施設,病院,刑務所のような中に『隠されている』ホームレスや家出人など」をも視野に入れて捉える必要がある。

つまり,「慣習的な居住に欠ける状態]にある人々のことである。この「慣習的な居住」の欠如は,安定した仕事や収入の欠如とつながって生命の再生産の危機に直結しているだけでなく,「『相互関連的な社会構造のネットワークに人々をリンクさせるような留め具』を喪失するという意味で,人間の関係性の再生産の危機]をも示している。このようにホームレスはまさに「極貧」の1つの形態であるが,「資本主義の発展期における急激な階級・階層分解と社会保障未成熟期における浮浪者,野宿者,非定型的住宅居住者などとは,明らかに異なっ」た存在である。今日のホームレスは貧困の克服に成功したかにみえた「福祉国家体制下における貧困」の新しいかたちなのである。

 アメリカやヨーロッパでは1980年代以降,ホームレス問題が大きく社会問題化していた。90年代の半ば頃までは,日本においてはまだホームレス問題は対岸の火事であり,多くの人は「経済大国化する日本と,衰退する英米の貧困の差にちがいないと何の疑いもなく思い」込み,したがって「たいした根拠もなく,日本ではこんなことはない」と思っていたのである。

 しかし,90年代後半になると,日本でも一気にホームレスが増加し,大都市のなかで可視的な存在になり,社会問題化し始めた。各地で地域住民や商店街などとの乳棒が生じてきた結果,1999年頃から国レベルでもやっとホームレス対策が行われるようになってきた。
(浜岡政好「飯田・中川・浜岡『新・人間性の危機と再生』第一章 「豊かな社会」の揺らぎと貧困の新しいかたち」法律文化社 p17-18)

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──ただ建築主のふところに流れこむ利潤だけを念頭においてつくられている──一言でいえば、マンチェスターの労働者住居では、清潔さも快適さも、したがってまた家庭らしさもまったく不可能であり、これらの住居では、人間性を失い、堕落し、知的にも道徳的にも獣になりさがった肉体的にも病的な人種だけが気持よく、くつろぐことができるのである。
(エンゲルス「イギリスにおける労働者階級の状態 上」新日本出版社 p106)

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◎多くの人は「経済大国化する日本と,衰退する英米の貧困の差にちがいないと何の疑いもなく思い」込み,したがって「たいした根拠もなく,日本ではこんなことはない」と思っていた」と。