学習通信070615
◎落書や日記のなかにまで監視……
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自衛隊の国民監視活動
米反核平和活動家が批判
軍国主義国家の特質
陸上自衛隊の情報保全隊が日常的に国民監視活動をしていた問題について、米国の反核平和活動家のジョセフ・ガーソンさんに聞きました。ガーソンさんの所属するアメリカ・フレンズ奉仕委員会も米国防総省による「テロ対策」を口実にした不当な監視の対象となっています。
(ワシントン=山崎伸治)
米国でも日本と同じようなことが起きています。それはベトナム戦争のころにもありましたし、第一期ブッシュ政権が「対テロ戦争」に乗り出してからもそうでした。こうした活動は「警察国家」の基盤だとして、一九六〇年代には議会で公聴会も開かれ、非合法とされました。それを米政府が犯しているのです。米国ではこういう活動は日常的に起こっているということです。
私は日本が向かおうとしている先について深刻に考えざるを得ません。いまの日本の支配層が思い描いているのは、日本を政治的暴力の環境のもとにおくこと、(日中の)十五年戦争時代の雰囲気に戻すこと、つまり日本を全体主義の国にすることです。
この動きは憲法の改悪や日米の集団安保体制の強化、日本の核武装化の議論と軌を一にしており、これらはいずれも恐ろしいことです。
これはある意味きわめて構造的です。安倍首相は戦犯である岸首相の孫ですが、岸氏はCIA(米中央情報局)の庇護(ひご)を受けて権力の座につき、日米安保条約の延長で大きな役割を果たしました。その時代から、綿々とさまざまな策動が続けられてきました。
私たち(アメリカ・フレンズ奉仕委員会)がペンタゴンの監視下にあるというのは、とてもばかげたことです。二〇〇四年の大統領選挙前、民主、共和両党の全国大会が開かれた時には、私たちの事務所の前には「私服」がいましたし、あるときには二機のヘリコプターが事務所の上空を監視していました。
国民に対して秘密の報告がつくられれば、それが誰の手に渡るか知る由はない。しかしこうした報告が在日米軍や警察の手に渡っていることは想像できます。
対処せねばならないのは根本問題──すなわち、そもそもこうした秘密報告がつくられているということでしょう。これは国民の人権と民主主義の権利の侵害です。軍が国民を調査するというのは、軍国主義国家の最も重要な特質です。
(「赤旗」20070615)
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国家総動員体制の構築
世界再分割をめざす帝国主義戦争であった第一次世界大戦(一九一四〜一九一八年)は、参加兵力数においても、軍需品の必要量においても、また戦費の額や戦争被害の点においても、史上空前の大規模な戦争となりました。そのため帝国主義列強は、軍隊の動員だけではなく、労働力動員、財政・金融動員、資源動員、思想動員という形で国家の全能力を戦争勝利に向かって組織し統制する必要にかられ、そのための国内体制づくりを強力に推しすすめました。このような新たな戦争体制は国家総動員体制とよばれます。
そして第一次世界大戦後、帝国主義戦争に勝ちのころうとする帝国主義国にとって、この国家総動員体制を何らかの形でつくり上げることが、欠くことのできない重要な課題となったのでした。
日本においても、第一次世界大戦中から、軍部を中心にしてその研究がすすめられ、国家総動員体制の構築がはかられてゆきます。その場合に特徴的なことは、それが、国内における労働者や農民のたたかい、あるいは進歩的な思想や運動を弾圧するための体制づくりという側面を色濃くもっていたことです。軍部の国家総動員計画は、つねに、国民の思想統制や治安対策と、だきあわせになった形で立案されていたのでした(拙稿「第一次世界大戦と軍部」)。したがって、国家総動員体制の構築という要請によって社会の軍国主義化という路線は、いっそう促進されることになります。
事実、先に述べた青年訓練所や学校教練も「国家総動員準備施設の第一着歩」(松本直亮「国家総動員準備に就て」)としての性格を与えられていました。
「満州事変」の開始は、こうした国家総動員準備に大きなはずみをつけました。政局の主導権をにぎった軍部は、政府や官僚の協力をえながら、国家総動員準備の中央機関である資源局(内閣の外局として一九二七年に設置)を中心にして、総動員準備を着々と推しすすめます。
そして、一九三四(昭和九)年に、陸軍省は、国家総動員準備を、より具体化するために『国防の本義とその強化の提唱』(通称「陸軍パンフレット」)を発表し、その構想を国民や政界・財界に示したのです。
「たたかいは創造の父、文化の母である」という有名な一節から始まるその内容は、「国家全機構を、国際競争の見地より再検討し、財政に政略に、将た国民教化に根本的の樹て直しを断行し、皇国の有する偉大なる精神的、物質的潜勢を国防目的のため組織統制して、これを一元的に運営」すること、すなわち、侵略戦争に向けての総合的な国家総動員体制の構築をうたっていました。
こうして、一九三七年七月の蘆溝橋事件をきっかけに、中国にたいする全面的な侵略戦争である日中戦争が開始されると、このような動きは、いっきに具体化されます。すなわち、政府は、企画院(総動員業務の中央統轄機関、一九三七年一〇月設置)の立案にもとづして国家総動員法を議会に提出し、議会は、これを無修正で可決、一九三八年四月に、国家総動員法が公布されました。
同法は、戦時もしくは、事変に際し、「国防目的達成のため国の全力を最も有効に発揮せしむるよう人的及物的資源を統制運用」することを目的としており、そのため、戦時に労務、生産、輸出入、資本、資金、施設、価格、出版等々のあらゆる分野にわたって、必要な命令や措置を行なうことができる権限を政府に与えていました。この法律によって政府は、国民を思うままに徴用(国民を強制的にある業務につかせること)し、労働条件や労働争議を制限し、あるいは出版物にたいする言論統制が行なえるなど、侵略戦争遂行のための広範な権限を手にしたのでした。
この国家総動員法の特徴は次の二点に求められます。
第一には、国民の財産や権利を大幅に制限する内容となっていることです。議会提出にともない、瀧企画院総裁が「日家総動員ということは、皇軍の将士が戦線に立ってつぶさに辛酸をなめている現在、銃後の国民としてはあらゆるものを投げ出して銃後の渡りを全うするという気持から出ているのである。従ってあまり所有権とか憲法論などを論議すべき時期ではないと思う」(『東京朝日新聞』一九三八年二月一五日付)と述べているのは、この点をよく示しています。
第二には、それが、議会の立法権を奪いさる内容をもっていたことです。すなわち、総動員に関係するとされた事項の実施は、法律によって定められることなく、議会の議決を必要としない勅令にゆだねられていたのです。
その後、敗戦までに、国家総動員法にもとづいて一〇〇ちかくの勅令が公布され、民衆を国家総動員体制のもとに強制的に組み入れてゆきました。
他方、国家総動員体制の構築は、国民の軍部にたいするあらゆる批判を封じ、国民が軍事問題を自由に議論することを禁圧してゆく過程でもありました。
すでに、刑法、陸軍刑法、海軍刑法、出版法、軍機保護法、要塞地帯法などによって、軍事機密保持を理由として、軍事問題についての「知る権利」が奪われていました。また、一九〇九(明治四二)年に制定された新聞紙法は、その第二七条で「陸軍大臣、海軍大臣及外務大臣は新聞紙に対し命令をもって軍事もしくは外交に関する事項の掲載を禁止しまたは制限すること」ができると定めていたのです。
こうした傾向は、国家総動員体制のもとでいっそう強まります。一九三七(昭和一二)年には軍機保護法の大改正が行なわれ、取締りが強化されました。この軍機保護法は、軍事機密の範囲があいまいであるため、国民の「知る権利」の剥奪や言論の抑圧に大きな力を発揮しました。
そのうえ、一九四一(昭和一六)年には、国防保安法が制定され、軍事上の問題にとどまらず、政治上の問題にまで秘密保護の枠が設けられ、開法に違反したとされた者は厳罰に処せられました(最高刑は死刑)。その結果、しだいに、国民は、政府にとって都合のいい内容の官製情報しか得られなくなってゆきます。
さらに、戦争の長期化と国家総動員体制の構築にともなって、軍部や戦争にたいする直接的な批判だけでなく、ほんのわずかな不平や不満まで、「反軍的」という理由で、取締りの対象となるようになります。『特高月報』から、いくつかの事例をひろってみましょう。
@応召歩兵上等兵赤津健蔵(二五歳)の場合。「今度の務は将来の満期の知れぬ情なさ神や仏が無いものか血の涙して怨むなり」という歌を作ったことが、「反軍的作歌」であるとされ、一〇日間の重営倉(『特高月報』一九三九年九月分)。
A高木ソミ(六〇歳)の場合。「本年五月、弟の正夫が出征して居るのに、この上、兄の四郎まで兵隊にとられる様なことがあっては私等は首でも縛って死んでしまわねばならぬ」と語ったことが、「反戦言辞」であるとされ、「厳論」処分に(同、一九三九年一一、一二月分)。
B帰還兵田尾正(二八歳)の場合。日記に、「軍隊は監獄の様に入ったらなかなか出してくれないものだと、しみじみ思った」と書いたため、「訓戒処分」に(同、一九四〇年七月分)。
C佐賀県の事例。農村で次のような歌が流行したため、官憲は、これを「厭軍(軍隊をいやがる意)的歌詞」であるとして、阻止(同、一九四四年六月分)。
一、お国のためとはいいながら、人もいやがる軍隊に出て行く我身の哀れさよ、かわいい彼女と泣き別れ
二、行く先きゃ福岡久留米市の、しかも歩兵の四八で、いやな二年兵にいぢめられ、泣き泣き暮す日の長さ
三、日は、はや落ちて月が出る、月の光に照らされて、いやな二年兵の泥靴を磨く我身の哀れさよ
四、海山遠く離れては面会人とて更に無く、着いた手紙のうれしさよ、かわいい彼女の筆の跡
D藤原稔(一六歳)の場合。トイレに「やまいに死ぬとも、弾に死ぬな、僕は軍人はきらい、どちらも負けな、戦争がひどくなれ、僕はいや、兵隊きらい」と落書したため、「反戦反軍落書」であるとされ、「説諭」処分(同、一九四四年七月分)。
こうした事例は、各地で数多くみられました。そして、民衆の不満までもおさえつけ、落書や日記のなかにまで監視の目をひからせるような体制、それが国家総動員体制の本質にほかならなかったのです。
(吉田裕著「徴兵制」学習の友社 p126-133)
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日本共産党中央委員会が十四日開いた「自衛隊による違憲・違法な国民監視活動についての報告・抗議集会」
志位委員長の閉会あいさつ
みなさん、今日はありがとうございました。(拍手)
各界のみなさん、全国のみなさんからの発言をお聞きして、二つほど感じました。
一つは、私たちが公表した内部文書はまぎれもない本物だったということが、全国の証言で裏付けられたということです。(笑い、拍手)
もう一つは、こうした事態にさいして、日本国民のなかに勇気をもって平和と民主主義を守りぬこうという理性と良識がほんとうに豊かに波打っている、このことが示された集会だったと、私はほんとうにうれしい思いで、発言を聞きました。(拍手)
私は、こういう問題が明らかになったときは、ひとつの歴史の分かれ道だと思います。かりに、違憲・違法な活動を、既成事実として許してしまったら、際限なく相手の行動はエスカレートしてしまうことになります。逆に、こうした違憲・違法な活動を中止に追い込めば、平和と民主主義を前進させる大きな転機にすることもできます。ですから、これはまさにひとつの歴史の分かれ道だと、私たちもしっかり覚悟して、自衛隊の無法な国民監視活動を中止に追い込むまで頑張りぬきたいという決意を申し上げたいと思います。(拍手)
どうやって中止させるか。横路孝弘衆院議員から、「これは監視対象になっている団体・個人の問題ではない、国民全体の問題だ」というメッセージが寄せられましたが、まさにその通りだと私も同感であります。この内部文書では、情報保全隊の活動の氷山の一角が明らかになっただけであり、国民全体がいわば敵視され、監視対象とされている。ですから、国民の大きな連帯の輪でこれを中止に追い込むことが大切だと思います。
そしてもう一つ、国会の役割が大切ではないでしょうか。昨日(十三日)の神奈川新聞で、「国会で徹底追及が必要だ」という社説が出ました。「文民統制」ということをよくいわれますが、国会というのは、文民である国民の代表者が集まっている機関ですから、その「文民統制」が破壊されようとしているときに、国会が黙っていたら、国会の役割を果たせないのではないでしょうか。(拍手)
この社説には、監視対象になった共産党や民主党や社民党だけではなくて、与党も国会の構成員なのだから、「与党も真剣に追及する責任がある」とのべていますが、私はその通りだと思います。ぜひ国会として、この問題をあいまいにせずに、徹底した真相の究明と中止のための努力をすべきであって、私はこの場でこの問題に直接かかわった、東北方面の情報保全隊の関係者をはじめとして、関係者の国会への招致を強く求めるものです。(拍手)
国会は、この問題の真相究明と責任追及を徹底的に果たす責任を負っています(拍手)。その点で、他の党のみなさんとも協力して、この問題をきちんと解決するために、力をつくすことをお約束して、閉会のあいさつといたします。ありがとうございました。(拍手)
(「赤旗」20070615)
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◎「軍が国民を調査するというのは、軍国主義国家の最も重要な特質」と。