学習通信070618
◎自分の心のレンズの……

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自己批判・相互批判をきめこまかに

 きめのこまかい団結をつくりだすまでには、敵の攻撃に負けて脱落するものもでてきた。そんなときには、全員がその原因を追及し、全員が責任を負う立場で、全員が説得した。

 経営側とひそかに通じている裏切者もでたが、慎重に調査し、反省と自己批判によって立ち直らせ、最後までスクラムを組んでたたかえるように、節度をもって、いたわるように、励ますように、全員で説得した。

 長期のたたかいのなかで、考えこみ、ふさぎがちになる仲間には、苦しみや悩みをよく聞いて、解決できるものはすぐ解決したうえで、さらに労働者としての自覚を高めるように、全員で相互批判をし、助けあった。だから、このような問題がおきると、当事者以上にひとりひとりがためされ、逆にこのことが全員の階級性を高める契機になった。

 こんなこともあった。説得もなかなか効果的でなく、おちこんだ仲間の魂をとらえることができず、みんなが展望を見失いがちで苦しんでいたときである。寮の庭に池をつくろうや≠ニいう提案があった。日曜日ひさしぶりでみんなが土を掘り、石や砂を運び、汗を流し、声をかけあいながらよく働いた。セメントをぬりかため、みごとな池ができあがった。地域の人がさっそく鯉をもってきて放してくれた。みんなの心は、池を泳ぎまわる鯉のように、明るくのびのびとした。このとき、おちこんでいた若者は汗をぬぐいながら、「おれ、やっぱりたたかうよ」と言葉すくなく決意を表明した。集団作業のなかで、団結と連帯を再びつかみなおしたのである。

 池づくりには後日談がある。勝利、が確定的になった団交の席で、親会社の重役、が、「あの池を見て、これは本気で腰をすえたなと思い、真剣に解決のことを考えた」と語ったのである。

 東北の田舎からでてきた一六、七才の若者が多い喜多パン労組なので、敵は切りくずしのため、田舎の親もとにさまざまな攻撃をかけた。ある一七才の少年は、両親から懇願されてぐらついた。争議をやめて帰省しろという手紙が、矢のようにくる。これを全員で討議し、みんなが一通づつその少年の両親に手紙を書くことにした。説得などできるはずがない。自分自身がふみとどまり、たたかっている決意を書き送ったのである。

 一八人目の手紙が届くころ、両親から組合あてに、よろしく頼むと手紙がきた。その少年はいまも元気でたたかっているが、手紙を書き送った少年たちの決意もいっそうかたまったのである。

 若い仲間は、「私たちの組合は、だれもが非常にこまかいところまでよく気がつき、なんでも話しあえて兄弟みたいなものです。委員長でも、書記長でも、ザックバランに批判する。これがうちの財産だ」と語っている。

 喜多パン争議団の強固な団結をつらぬいている原則は、組合民主主義の徹底した実践であろう。それは戦闘的な集団生活をつくりあげ、それが真に日本の労働者階級の息子と娘にふさわしい、あたらしい人間像を生みだしたのである。
(東京争議団共闘会議編「東京争議団物語」労働旬報社 p196-198)

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心のレンズと芋洗いのはなし
──小ブルジヨア思想とその克服──

 活動とは、現実を変えることである。

 ただしい活動のためには、変えようとする現実にたいしてただしい認識をもつことが必要である。

 だが、私たちは白紙の状態でものごとに接するわけではない。

 だれしも、生まれおちてからこのかた、一定の生活環境のもとで生活するなかから、その環境におうじた一定の生活感情、心理がかたちづくられてくる。私たちがものごとに接し、ものごとを認識するのは、こうした生活感情、心理のレンズをとおしてである。

 だから、こうした心のレンズにゆがみやくもりがあれば、ものごとにたいしてただしい認識をもつことはむつかしく、ただしく活動することは困難である。

 生活のなかからかたちづくられてくるこの「心のレンズ」はきわめて独特のものである。「意識は存在の反映だ」というのは唯物論の基本的な命題であるが、人間のアタマが客観的な事物を反映するのは、しずかにたたえた池の水に天上の月が影をやどすのとはわけがちがっている。カガミにものが映るのとはわけがちがうのである。

 池の水やカガミにおける外界の反映でさえも、「反映」ということばからややともすれば連想されがちな単純なものではない。たんなる一方通行の「反映」ではないのである。池の水に波がたてば、月影はゆれてくだける。池の水がにごれば、月影もまた、にごる。ゆがんだカガミのまえにたてば、どんな二枚目の顔もとんでもない顔にうつってしまう。このように、反映ということは一般に、たんに客観的な事物の反映であるだけでなく、反映する主体のがわのありかたの反映でもあるのだ。

 しかし、私たちのアタマは他の水やカガミとはちがって、たんに物理的な存在ではない。たんに生理的な存在でもない。それは、社会的に形成されるものである。だから、人間の意識に客観的な存在が反映されるばあい、その反映のしかたは、反映する人間の社会的なありかたによっておおきく左右される。「人間の社会的存在が人間の意識を規定する」(マルクス『経済学批判』序言)といわれるのは、このことである。

 私たちのまわりには、そう数おおくはないだろうが、つぎのようなタイプの人が見うけられるだろう。すなわち、なにごとについても、それは自分にとってトクになるかソンになるか、イクラになるかという目でものを見る、という人だ。デモに行くにも、結婚の相手をえらぶにもそういう個人的な打算がさきにたち、それが基準となる。こういう人とは、つきあいにくい。気がゆるせない。こういう人のこうした心のレンズは、どのような生活過程のなかからかたちづくられてきたものだろうか。一言でいえば、それはブルジョア的な生活過程のなかからかたちづくられてきたブルジヨア的な性質のものだ。このようなブルジョア的な心のレンズが、主観主義的な盲目性という特徴をもったものの見かたをもたらすことはあきらかである。

 だが、私たちのまわりにもっと多いのは、つぎのようなタイプである。──アタマのなかに小さなザルみたいなものがあって、そのザルの目にひっかかるものだけはすくいとるが、そのほかはなにを見てもきいても、みなこぼれていく。アタマのなかのこのザルの目とは、つねにケチくさい「自分が、自分の、自分に、自分を」というやつだ。それは、あるときには自分にたいするたいへんな自信というかたちをとる。かと思えば、あるときにははげしい自己卑下としてあらわれる。そしてどちらのばあいにも、「だれもオレを(アタシを)理解してくれない」という不満で悶々としている。たえず他人が自分をどう見るかを気にし、このんでスタンド・プレーをやり、失敗してはいつも人をうらむ。

 こうした心のレンズは小ブルジヨア的な性質のものである。そしてそれは、私たちのなかにきわめてひろくいきわたっている。こうした心のレンズが、せまい、一面的な、主観主義的なものの見かたをもたらし、活動のただしい発展をはばむであろうことは、あきらかである。

 こうした心のレンズは、どうして私たちのなかにかたちづくられるのであろうか。

 私たちは労働者だ。プロレタリアートの一員だ。ところで、このプロレタアートの現実について、レーニンはつぎのように述べている。

 「プロレタリアートは、いつ、どこでも、小ブルジョアジーのなかから徴募されてくるし、いつ、どこでも、幾千の過渡的な段階、境界、色合いによって小ブルジヨアジーと結びつい ている」(『召還主義と創神主義の支持者の分派について』)。

 「いつ、どこでも」というのだから、こんにちの日本でも、ということになる。データをしらべてみよう。

 小ブルジョアジーのなかでもっとも多数をしめるのは、農民だ。統計によれば、一九五〇年には、わが国の農・漁民の数は全就業人口の四八・三パーセントだった。それが一九五九年には三五・九パーセントになり、一九六二年には二九・〇パーセント、一九六五年には二五・二パーセントになった。他方、労働者階級は、一九五〇年の二七・一パーセントから一九五九年の四六・三パーセント、一九六二年の五二・九パーセント、一九六二年の五六・ニパーセントへと急激に増加している。グラフにして示せば、上図のとおりだ。これは、あきらかに農漁民(これは一三パーセント前後の都市勤労者すなわち小工業者、小商人などとともに小ブルジヨアジーを構成する)のなかから、毎年、ぼう大な数の人口がプロレタリアートのなかに流入しつつあるということを物語っている。

 事実、私たちは労働者だけれども、私たちのなかに、親子二代つづいての労働者というのはどのくらいいるだろうか。たいへんすくないのではなかろうか。つい、ニ、三年まえまでは農民の家族だった、というような人が──いや、いまでもまぎれもない農民の家族だというような人がいっぱいいるのではなかろうか。鉄鋼労連の調査(一九六六年)によれば、鉄鋼青年労働者のなかで二代目労働者は三人中の一人にすぎないという。

 さて、このことは、一面からいえば、小ブルジョア的な意識が日々に、大量に、労働者のなかへもちこまれてくるということであり、労働者である私たちの意識のなかに小ブルジョア的なものがいっぱいからまりついているということだ。──もちろん、ニ代つづいた労働者であっても、小ブルジョア思想から無縁だということにはならない。日本の社会全体からくる影響、全体としての労働者階級のなかにもちこまれてくる小ブルジョア的なものの影響にもろにさらされているわけだから。このように、私たちの生活をあらためてふりかえってみるならば、まさにそれが「幾千の過渡的な段階、境界、色合いによって小ブルジョアジーと結びついている」ことがまざまざと見てとれるだろう。

 レーニンは、つづけてこういっている。

 「労働者党がとくに急速に成長するときには……小ブルジョア的精神が骨のズイまでしみ こんだ分子の大衆が党にはいりこんでくることはさけられない。そして、これはなにもわるいことではない。プロレタリアートの歴史的任務は、旧社会が小ブルジョアジー出身者というかたちで遺産としてのこした、旧社会のすべての分子を煮なおし、教育しなおし、訓練しなおすことである。しかし、このためには、プロレタリアートが小ブルジヨアジー出身者を訓練しなおすことが必要であり、後者が前者を感化するのではなく、前者が後者を感化することが必要である」(前掲書)。

 レーニンは、ここで「労働者党」について語っているが、私たちはこれを拡張解釈して、労働者階級のさまざまな組織と運動について述べられたものとして読むことができる。そういうつもりでよめば、「小ブルジョア的精神が骨のズイまでしみこんだ分子の大衆がこの運動の推進部分のなかにはいりこんでくることはさけられない」というのは、ほかでもない、私たち自身のことだ。

 だが、ひがむ必要はない。これは「さけられないこと」であるし、それ自身「なにもわるいことではない」のである。「煮なおし、教育しなおし、訓練しなおす」ことをやればよいのだ。

 そのためには、小ブルジョア性というものについてただしい認識をもつことが不可欠である。

 エンゲルスは、小ブルジョアジーについて、つぎのように述べている。

 「大資本家、大商工業者の階級、本来のブルジョアジーと、プロレタリア階級すなわち工業労働者階級との間にたつその中間的地位が、この階級の性格を規定している。……そのためには、この階級の見解はきわめて動揺的である」(『ドイツにおける革命と反革命』)。

 つまり、対立する二大階級の中間にあって、たえずブルジョアジーにのしあがりたいと念願しながら、その足もとはたえずくずれていく。そういうたえまない不安、動揺にさらされているのが、この階級の特徴だというのである。上にすがりつきながらも、足をたえず下にひっぱられている。たとえていえば、お高くとまったブルジョア娘にかなわぬ恋をして、愛してくれ、結婚してくれとおっかけまわしながらたえずケンツクをくわされつづけるいっぽう、きらいできらいでたまらぬプロレタリア娘から悪女の深情でおっかけまわされつづけている、というのが小ブルジョアだ、ということだ。

 小ブルジョア思想のあらゆる特徴は、小ブルジョアジーのこうした階級的な地位から必然的に生みだされてくるものである。レーニンのことばによれば、

 「この中間的地位が必然的に、小ブルジョアジーの特殊な性格、その二重性、二重人格性を条件づける」(『経済学的ロマンチシズムの特微づけによせて』)。

ということになる。こうした動揺性、二重人格性のあらわれについて、エンゲルスは、さきほど引用したところにつづけて、あるときは「卑屈なほど従順」、あるときは「たちまち猛烈な民主主義的発作にとりつかれ」、かと思えばたちまち「見苦しいほどの意気消沈におちこむ」というふうにいっている。私たちはいくらでも、これに尾ヒレをつけていくことができるだろう、自分たちのなかにあるものを描写すればいいのだから。──熱しやすく、さめやすい。極端から極端に走る。やるか、やらぬか、一か八か、というふうに問題をたてたがる。カーッとのぼせたかと思うと、クシュンとなる。ねばりがない。たえず幻想をおっかける。あるときは、オレはエライんだという、たいへんなうぬぼれのとりことなり、人がみんなバカに見える。

かと思うと、極端な自己卑下におちこみ、オレはダメなんだと「意気消沈」する。そして、みんな私がわるいんだといいながら、そのくせ、いつも心の片すみでは、みんな人がわるいんだ、と、クチャクチャ反すうしながら、いつも人をうらんでいる。人のいったことは必ずおぼえていて、いつか必ずしかえしをする。かげ口をきく。それからダラシナイ。規律でしばられることが死ぬほどイヤだ。しかしまた、ダラシナイくせに、極端なケッペキさを発揮しもする。とくに他人のアヤマチにたいしては、許さない。歯ぎしりして追求する。……

 さて、ではこのような小ブルジョア思想の克服をどのようにしておこなったらよいのか。

 ここで、レーニンのつぎの指摘は重要な意味をもっているといえよう。

 「だが、小ブルジョアのきわだった基本的な特徴は、ほかならぬブルジョア社会の諸手段によってブルジョア理論とたたかう、という点にある」(『ナロードニキ主義の経済学的内容とストルーヴエ氏の著書におけるその批判』)。

 レーニンのこの指摘を、当面の問題にひきよせていえば、自分のなかにあるブルジョア的、小ブルジョア的なものとたたかうのに、ブルジヨア的、小ブルジヨア的な方法をもってするのが、「小ブルジョアのきわだった基本的な特徴」だということである。

 ここで、レーニンが「ブルジョア的」といっているものを「ブルジョア的、小ブルジョア的」といいかえたが、小ブルジョア思想というのは、基本的にはブルジョア思想のなかにふくまれるのである。一言でいえば、その特徴はどちらも個人主義である。ただし、小ブルジョア思想としての個人主義は、ブルジヨア思想としての個人主義を、小ブルジョアの地位にふさわしく、もうすこし「悲劇的」にし、あるいはもうすこしケチくさくしたものというちがいがあるといえよう。

 それはともかくとして、私たち自身の思想のなかをあらためてのぞいてみれば、さまざまな小ブルジヨア的なよごれがいっぱいある。私たちはそれを耐えがたく思う。それにたいしてたたかいをいどもうと思う。ところが、そのたたかいを小ブルジョア的なやりかたでやろうとするのがまさしく小ブルジヨアの特徴だというのである。

 小ブルジヨア的なやりかたとは、個人主義のやりかたである。小ブルジョア的なやりかたで小ブルジョア性を克服しようというのだから、これは不可能だ。まさしく悲劇的・悲喜劇的だ。自分の心のなかをのぞきこんで、ここにもこんなよごれがある、あそこにもあんなよごれが、と、ヘソのゴマをほじるようなぐあいに坐禅でもくんでやってみても、腹を痛くするだけで、おちはしない。ツラの皮がひんむけるほどこすっても、心の顔のよごれはおちはしない。

シェークスピアに『マクベス』という戯曲がある。黒沢明が翻案して『蜘蛛の巣城』という映画にしたやつだ。その戯曲の終りのほうで、国王を殺したマクベス夫人が夢遊病になって出てきて、手をゴシゴシこすりあわせながら、「アア、この手にしみついたイヤアな血のにおい……洗っても洗っても消えやアしない」とつぶやくところがあるが、それとおなじだ。これは小ブルジョア的な思想修養の方法にほかならない。

 そこで私たちは、こうした小ブルジョア的なやりかたによってではなく、プロレタリア的なやりかたで、自分の心のレンズの小ブルジョア的なくもり、ゆがみを除去することにつとめなければならない。そうしなければ心のレンズをただすことはできず、ただしい認識をもつことはできず、ただしく活動することはできない。

 では、プロレタリア的なやりかたとはなにか。

 それは、いってみれば芋洗いのようなものだ。たくさんの仲間といっしょに洗いおけのなかにはいるのである。洗いおけとはたたかいの現実である。仲間をはなれ、たたかいをはなれて、自分だけで泥を落とそうとしないで、泥まみれのまま、洗いおけのなかにとびこむ。これが、プロレタリア的集団主義である。

 そのなかで、私たちの心のレンズは、集団的にみがかれていく。「労働者はたたかいのなかでつよくなる」というのは、そういうことをふくんでいよう。「理論と実践の統一」ということは、このようなことをもまた、ふくんでいよう。

 わが身の泥を自覚すること。これが第一。

 泥まみれであってもいい、キラクに洗いおけのなかにとびこむこと。これが第二。

 この二つの統一が労働者的ということだ。ただしい認識をかくとくするためには、こうした労働者的な態度が不可欠だ。
(森住和弘・高田求著「実践のための哲学」青木新書 p176-188)

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◎「だから、こうした心のレンズにゆがみやくもりがあれば、ものごとにたいしてただしい認識をもつことはむつかしく、ただしく活動することは困難である」と。