学習通信070620
◎「反日映画」……
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改憲タカ派集団とのかかわり深く
安倍政権
“靖国史観”語る面々
「戦後体制からの脱却」を掲げて登場した安倍晋三政権。閣僚や自民党三役、そして首相官邸の要所に“改憲タカ派”を配置してスタートしました。首相は「特定の歴史観、戦争観の是非について政治家が語ることについては謙虚であるべきだ」(三日、衆院本会議)といいますが、その顔ぶれは“靖国史観”という「特定の歴史観」を語ってきた面々です。
靖国ビデオ制作した日本会議と深い関係
靖国神社の軍事博物館・遊就館で上映されているビデオ映画(「私たちは忘れない」)があります。宣伝文句は「教科書では教えられない真実の歴史が、今よみがえる」。日本の戦争が「自存自衛」「アジア解放」の「正しい戦争」だったという靖国史観を遊就館の展示以上に露骨に繰り広げています。
このビデオ映画を企画・制作した団体が「日本会議」(「英霊にこたえる会」との共同制作)。靖国史観を正面きって宣伝する右翼改憲団体です。憲法改悪を叫び、教育基本法改悪では政府法案さえ「政治的打算による内容も少なくない」と攻撃しています。
「日本会議」の運動と呼応する議員連盟が自民、民主、国民新党などの議員でつくる「日本会議国会議員懇談会」です。「日本会議の国民運動とあい提携して、日本の正しい進路を切り開く」として、「わが国の美しい伝統を守(る)」「新しい時代にふさわしい日本の憲法を創造する」「わが国の防衛体制を整え(る)」などを活動方針としています。
安倍政権の中枢を占める麻生太郎外相が特別顧問(前会長)、中川昭一自民党政調会長が会長代行、安倍首相自身も副幹事長を務めていました(いずれも昨年六月時点)。昨年の総選挙では、閣僚で九人(首相、外相含む)、官房副長官一人、首相補佐官では二人が加盟議員として日本会議の応援を受けました。
昨年十一月一日には、「首相の靖国神社参拝を支持し、国立追悼施設の新設に反対する」ことを総会で決議。皇室典範改定問題では同二月三日に、「法案改正への慎重な対応」を安倍官房長官(当時)に申し入れています。
安倍首相の「美しい国、日本」というスローガンも「日本会議」そっくりです。同会議ホームページの「日本会議のご紹介」では「美しい日本を守り伝えるため、『誇りある国づくり』を合言葉に、提言し行動します」と宣言しています。
日本会議 「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」が統合し、1997年5月に結成された右翼改憲団体。会長は三好達元最高裁長官、政治家では石原慎太郎東京都知事が代表委員を務めています。今年度の「国民運動方針」では(1)実現しよう!正しい教育基本法の改正(2)高めよう!憲法改正の気運(3)守り抜こう!2000年の皇室伝統(4)許すな!外国からの主権侵害(靖国神社を守り、日本人の手で首相を選ぶために)―などを掲げています。民間憲法臨調と連携して独自の改憲大綱を来年5月までに作成しようとしています。
歴史教科書攻撃の議連メンバーが多数
安倍政権には、かつて自民党の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」のメンバーだった議員が多数入っています。いわば“同志”の集まりです。
同会が発足したのは一九九七年二月。「中学歴史教科書に従軍慰安婦の記述が載ることに疑問をもつ」(同会編『歴史教科書への疑問』)議員約百人が名を連ねました。自民党政調会長の中川氏が代表を務め、安倍首相は事務局長、下村博文官房副長官が事務局次長でした。
前月に結成した「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)と連携して歴史教科書攻撃の先頭に立ちました。
同会は識者や文部省(当時)、教科書会社幹部らを勉強会に呼び、「事実について極めてあやふやであるにもかかわらず、それがあったかのように教科書に載せるということをどう考えておられるのか」(安倍氏、前著)などとただしました。
また、「従軍慰安婦」問題で国の関与を認め、おわびと反省をのべた九三年の河野洋平官房長官談話を「あったかどうかもわからない状況の中で…ごめんなさいということを官房長官、つまり内閣が国を代表して言うということの問題点なんですね」(中川氏、前著)と敵視し、河野談話の撤回を求めました。
九九年十二月には教科書採択で「つくる会」教科書の採択を応援。「きわめて偏った人たちが一票を入れることで、偏った教科書が集中して採択される」(安倍氏、「産経」二〇〇〇年一月六日付)と教育現場の意見が反映されることを問題視し、文相(当時)に申し入れています。
「つくる会」教科書の検定不合格を求める声が中国や韓国からあがったとき、「若手議員の会」は〇一年三月、森喜朗首相(当時)に「内外からの干渉・介入を排除」することを要請したり、「内政干渉ではない」とする外務省幹部を詰問しました。
〇一年六月には自民に加え民主、自由、保守、無所属の会が参加する議員連盟「歴史教科書問題を考える会」を結成。「若手議員の会」の中川氏が会長に就任しました。
与党案さえ批判する教基法「改正」促進委
安倍政権の中枢に入り込んでいるタカ派議員集団の一つに「教育基本法改正促進委員会」があります。
二〇〇四年二月に、「日本会議国会議員懇談会」の総会で設立された集団で、「教育基本法早期改正」を目標にしています。委員長代理に下村官房副長官、副委員長に高市早苗沖縄・北方担当相、顧問に麻生外相が名を連ねています。
同委員会は「日本会議」と連携して、政府・与党の教育基本法改悪法案を攻撃し、「修正」を要求。今年四月には、「新教育基本法案」(議員連盟案)を発表しました。同案は「現行法の『日本国憲法の精神に則り』は削除」(下村氏)し、「我が国の豊かな伝統と文化に立脚する新しい教育」を提唱。「愛国心の涵養(かんよう)」「宗教的情操の涵養」を盛り込みました。
下村氏は、「妥協することなく三原則(愛国心、宗教的情操の盛り込み、不当な支配の削除)を求めていきたい。できなければ我々としても国会に議連の案を上程する覚悟でこれから国会活動をしていきたい」(『日本の息吹』六月号)と与党執行部をけん制していました。
八月下旬の講演では、「自虐史観に基づいた歴史教科書も官邸のチェックで改めさせる」と発言。伊吹文明文科相から「教科書検定は法律にのっとって行われているわけで、自己の価値観だとか何かを持ち込むものではない」(九月二十六日)とたしなめられたほどです。
安倍政権の目玉である「教育再生会議」の新設も、同委員会の理事だった山谷えり子首相補佐官が主導しています。
「教育再生」といえば、「新しい歴史教科書をつくる会」の内紛で同会を脱会した八木秀次元会長が立ち上げた新組織も「日本教育再生機構」です。山谷氏は「官邸の教育改革推進会議と国民運動が連携することが望ましい」と発言(「産経」九月四日付)。八木氏も「安倍氏の政策と日本教育再生機構の基本方針は一致しているので、全力で協力したい」と応じています(同)。
麻生外相 (遊就館の展示は)戦争を美化するという感じではなく、その当時をありのままに伝えているだけの話だ(05年11月21日)
下村官房副長官 自虐史観に基づいた歴史教科書も官邸のチェックで改めさせる(06年8月29日のシンポジウム)
山谷首相補佐官 憲法の前文は…よく考えてみるとこれほど非現実的な前文もない(05年10月5日、参院予算委)
“靖国史観”語る面々語録
“改憲タカ派”ぞろいの安倍政権や自民党三役の発言をみると…。
歴史認識
麻生太郎外相 「朝鮮半島が植民地だった時代に日本が行った朝鮮人創氏改名は、最初は当時の朝鮮人が望んだことだ」(2003年5月31日、政調会長当時)
中川昭一政調会長 「(「従軍慰安婦」問題について)大半の専門家が納得できるような歴史的事実として、教科書に載せることについて、われわれは疑問を感じている。つまり、(強制性は)ないともあるともはっきりしたことはいえない」(1998年7月31日、農水相当時)
山谷えり子首相補佐官 「アメリカでも、いわゆる従軍慰安婦の強制連行説が…日本は性奴隷制度をしいていたというような認識が広がっている。そのようなことはなかった」(05年10月13日、参院外交防衛委員会)
高市早苗沖縄・北方担当相 「(かつて日本が起こした戦争は)先の大戦の折の開戦の詔書を読む限り、自衛戦争としての国家意思が明白です」(同氏のホームページの04年12月10日付記述)
下村博文官房副長官 「東京裁判史観からの脱却であり、反日的自虐史観からの超克が日本人として、21世紀の将来に責任を持つ意識を持とうとすればするほど求められている」(『歴史教科書への疑問』日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編)
菅義偉総務相 「わが国の近代について青少年にゆがんだ認識を与え、誤った国家観をいだくことを助長することは、もっと問題であります」(『歴史教科書への疑問』)
憲法・教育基本法改悪
伊吹文明文科相 「日本人の人間力を失わしめた原因は戦後の憲法によってつぶされてきた公益に対する貢献、社会規範だ。憲法の問題、教育基本法の問題、地域社会と家族の復権の問題に取り組んでもらいたい」(06年2月6日、衆院予算委員会)
下村官房副長官 「ジェンダーフリー教育は即刻やめさせる。自虐史観に基づいた歴史教科書も官邸のチェックで改めさせる」「私は文科政務官をしていたが、文科省にも共産党支持とみられる役人がいる」(06年8月29日、シンポジウムでの発言、「産経」9月4日付)
山谷首相補佐官 「現憲法の前文は、平和を願う諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意したという文章がある。いかにもよさそうだが、これほどよく考えてみると非現実的な前文もない」(05年10月5日、参院予算委員会)
集団的自衛権行使
麻生外相 「集団的自衛権があるのに使えなかったために、国が滅ぶなどというのは主客転倒になろうかと思う」(06年9月11日の総裁選公開討論会)
小池百合子首相補佐官 「集団的自衛権の解釈変更は国会の審議の場において、時の総理が『解釈を変えました』と叫べばよい」(『VOICE』03年4月号)
久間章生防衛庁長官 「日米関係を一歩でも米英関係や米豪関係に近づけ、地域と世界の安定に貢献したい」(06年5月4日、ワシントンでの日米安全保障戦略会議、総務会長=当時)
(「赤旗」2006106)
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学問 文化
映画時評 山田和夫
自国の犯罪的過去を許さない
「パッチギ! LOVE&PEACE」などのたたかい
やはり井筒和幸監督の「パッチギ! LOVE&PEACE」に「反日映画」という攻撃があらわれた。『週刊新潮』六月七日号は「どう見ても『反日映画』なのに文化庁支援『パッチギ!』」を取り上げ、産経新聞社発行の月刊誌『正論』七月号には高崎経済大学の八木秀次教授(「日本教育再生機構」などの右派論客)の「文化庁支援の反日・差別映画」が登場。同じく「パッチギ!〜」を攻撃している。
世界が支持した
英国告発の映画
「反日映画」という言葉を見たとき、私は昨年公開されたケン・口ーチ監督の英国映画「麦の穂をゆらす風」を想起した。一九二〇年前後のアイルランド独立闘争を描き、英国の植民地支配を鋭く告発したので、英本国では「反英映画」という非難が聞かれた。もちろん口ーチ監督は自国の過去をきびしく反省する正当さを主張、世界映国界もその作品を支持した。日本の場合も、これまで中国や韓国で日本政府の過去を認めない態度に抗議する運動が起き、日本国内で過去のあやまちを二度とくり返すまいとする正当な歴史認識が主張されると、右派勢力からきまって「反日」的とレッテルを張られた。
「パッチギ!〜」は在日コリアンの苦難を戦中、戦後にわたって追い、彼らにたいするいわれなき迫害と屈辱を痛烈に批判している。主人公のアンソンと妹のキョンジャは、難病をかかえる幼いアンソンの息子のため、必死に努力する。キョンジャは在日の出身をかくして芸能界に入り、戦争映画「太平洋のサムライ」のヒロイン役を獲得する。特攻隊員の彼氏を「お国のためにりっぱに戦って下さい」と送り出す役、キョンジャは作品の完成披露会で壇上からついに自分の真情を吐露する。
歪んだ価値観で
「公的支援」攻撃
アンソンとキョンジャの父は、一九四四年故郷の済州島で兵隊にとられようとしたとき、仲間とともに舟で脱出、南洋のヤップ島に逃れ、最後まで生き残る。キョンジャは「戦争から逃げて生きた父がいたから、いまの私がいます」といい切る。済州島のシーンでは、日本の警官が朝鮮人の女学生を強制連行するし、ヤップ島では日本軍が現地住民に神社詣でをさせ、子どもたちに天皇への忠誠を教える。
映画の攻撃者たちはいう。
『週刊新潮』では「すでに実証的に否定されているにもかかわらず(だれが否定した?−山田)、慰安婦狩りを連想させるシーンを映し出す」と非難、『正論』の八木教授も同じシーンを問題にするとともに、「当時は朝鮮半島では志願制だったはず」と、アンソンの父たちの徴兵を否定(実は戦争末期、徴兵制に)、さらに「太平洋のサムライ」のくだりでは、その設定が石原慎太郎総指揮の映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」のパロディーで、石原氏を「コケにするのがこの映画の目的」と怒りをあらわにする。私などは逆に、「パッチギ!〜」が大胆にも公開されたばかりの石原特攻映画を「コケ」にした不敵さに快哉(かいさい)を叫びたいぐらい。
つまり「パッチギ!〜」は、日本の過去(そして現在)の犯罪的なあやまりを情け容赦なくえぐり出し、俎上(そじょう)にのせ、これでもかこれでもか、と告発し続ける。日本映画にめったになかった勇敢さであり、その刺激と衝撃は、『週刊新潮』や八木教授をして「反日映画」と呼ばせるに十分であった。
一言つけ加えれば、二つの「パッチギ!〜」攻撃が異口同音に、「文化庁支援」に毒づいていること。文化庁の「日本映画振興プラン」にもとづく製作助成は、長編一作品二千万円前後、実質製作費の十分の一にも満たないけれど、真摯(しんし)な作品を目ざすプロダクションには貴重な公的支援で、その際第三者のシナリオ審査機関が公平中立に選定する建前である。そこに「反日映画」なる特定のゆがんだ価値観を持ち込み、思想的規制を加え、「公的支援」の「公平中立」を危うくするものである。この「攻撃」の見逃せぬ一面だ。
「反日映画L攻撃
一歩もひかずに
二〇〇七年の日本は安倍政権の改憲への暴走を基軸に、つい先日暴露されたばかりの陸上自衛隊情報保全隊の国民監視活動まで飛び出している。「従軍慰安婦」や沖縄の「集団自決」に国家や軍の関与はなかったと、教科書から削除し、今年七十周年を迎える南京大虐殺はなかったと、「南京の真実」と題する記録映画の製作準備が進んでいる。石原映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」は、あの戦争を「アジア解放の正義の戦争」と位置づけ、若者たちの死を尊い犠牲とほめたたえた。いずれも日本が犯したあやまれる過去をすべて正しかったと言いくるめ、歴史への認識を大きくゆがめ、逆転させようとする動き、間違いなく改憲に直結する。
しかし日本映画は、「パッチギ!〜」だけではない。長編記録映画「ひめゆり」(監督柴田昌平)は、沖繩のひめゆり学徒たちが悲惨な戦場で十代の少女の身で、手榴弾(しゅりゅうだん)自決に追い込まれた現実を生存者の証言で再現する。これが軍の強制による「集団自決」でなくてなんであろうか?「パッチギ!〜」や「ひめゆり」など、一連の日本映画はその良心の力で、「反日映画」攻撃に奔走する右派ジアーナリズムと、一歩もひかず対決しているのである。(やまだ かずお)
(「赤旗」20070620)
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◎「そこに「反日映画」なる特定のゆがんだ価値観を持ち込み、思想的規制を加え、「公的支援」の「公平中立」を危うくするもの」と。