学習通信060721
◎性の奴隷とされていたのだ……
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自民・民主議員の米紙意見広告
「慰安婦」強制を否定
海外から批判
日本の自民党・民主党の議員四十四人が十四日付米紙ワシントン・ポストに、「従軍慰安婦」の強制性を否定した意見広告を出したことに対して、元「慰安婦」の女性は激しい憤りの声を上げています。
オーストラリアのAAP通信十五日付は、インドネシアで日本軍の「慰安婦」とされた豪在住のジャン・ルフ・オハーンさん(八四)の声を紹介しています。
オハーンさんは、意見広告がとくに日本軍の強制を示す証拠は見つかっていないと主張していることについて、こう語っています。
「私はトラックに詰められ、家族から離れた遠いところに連れて行かれ、買春宿に入れられて、一日中強姦(ごうかん)され続けた」「私たちが強制されていなかったという、どんな証拠を彼らが出せると言うのか」
オハーンさんはそのうえで、「日本は歴史的責任を認めていない。私たちは日本が戦時中に犯した罪を認めて謝罪してほしいのです」と訴えています。
オハーンさんは今年二月に訪米し、米下院外交委小委員会で自らの体験を証言しています。
また韓国の東亜日報十六日付は、意見広告に対して「米国内には強い逆風が吹いている」と紹介。やはり同日の韓国紙・朝鮮日報はこの意見広告に関して次のように論評しています。
「日本は首相や外相をはじめとする不道徳な日本関係者に、不道徳な国会議員、さらには知識人までが加わり、犯罪の歴史を闇に葬り去ろうとあがいている。だが、彼らがそうした行動をとればとるほど、日本国民の誇りが地に落ちるばかりだということに、もはや気づくべきだろう」
(「赤旗」20070621)
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教わってよかった日本軍「慰安婦」
戦争学習では、アジア・太平洋戦争の実態をしっかりつかませたいと思う。できるだけ具体的で、生徒が自分の身に引き寄せて考えられる教材を使い、女性の立場から見えるものをとりあげることが、戦争の真実に迫れると考えた。
日本軍「慰安婦」いわゆる「従軍慰安婦」間題は、日本軍の加害の間題を浮きぼりにするだけでなく、女性と民族への蔑視がすべての人間への人権無視につながることをつかむことができる内容をもっている。それは過去に起こった戦争の問題であるのにととまらず、現在世界各地で起こっている民族紛争、戦争、貧困のなかでの女性に対する性暴力間題につながる。国内でも、女性への暴行、セクハラ問題が後を絶たないことから、現在の人権意識にもかかわっていく。戦争学習が過去のものでなく、今日の人権間題を考えるためのよりどころとなる学習に発展していくことを予想して、次のような授業をおこなった。
「従軍慰安婦」の碑
「従軍慰安婦」という言葉について聞いたことがあるかを確かめる。マスコミで連日のようにとりあげられていたため、二割ほどが知っていた。「韓国外相、日本政府に個人賠償を求める(従軍慰安婦)」(「毎日新聞」一九九八年三月一九日)の新聞記事から、五〇年あまり前に終わった戦争中のできごとについて、まだ解決していない間題があることを知る。それが「従軍慰安婦」問題であり、そのことを学習すると伝えた。
「噫(ああ)従軍慰安婦」の碑の写真を見る。碑は、「かにた婦人の村」にあって、そこに暮らしていた城田すず子さん(仮名)の訴えによって、建てられたものである。「かにた婦人の村」は千葉県館山市の東京湾の人口に位置する旧海軍砲台跡地に、深津文雄牧師が政府に働きかけてつくった施設である。一九六五年日本で初めてつくられた長期型の婦人保護施設で、「社会福祉法人ベテスダ(あわれみの家の意)奉仕女母の家」が経営し、社会復帰のできない元売春婦だった人びとが生活している所だ。ここで生活し心の安らぎを得た城田さんが、生前に訴えていたことを知る。ビデオは、韓国KBS放送で制作したもので、「太平洋戦争の魂・従軍慰安婦」(一九九一年八月二三日・NHK衛星放送)。
ビデオのなかの城田さんは、色白の童女のような感じで、ゆったりとイスにかけ、穏やかな笑顔でインタビューに答えていた。城田さんは、家庭の事情で遊廓に売られた。増えた借金をなくすために、植民地だった台湾に行った。そこでは、まったく自由のない生活で、外出も自由にできなかった。お客の兵隊が列をつくっていて、一日に何十人もの相手をしなければならなかった。戦争が始まり、城田さんは、サイパンからトラック島、パラオヘと、「従軍慰安婦」として移動する。そこで、朝鮮や沖縄の少女たちと一緒に、兵隊たちの性の相手をさせられる。「ヤシの葉っぱでふいたような小屋で、カーテンで仕切っただけの所で、毎日毎晩、三十人から四十人の兵隊から、激しくセックスを迫られるんだから。体がもたなくなっちゃって。だれか助けてくれないかなあって……」。
そんな生活に堪えられず自殺した朝鮮の少女が、ジャングルに放り出されたまま、野犬に食い荒らされるのを見た、という悲惨な体験もした。「ぜーったい、何ていったって、戦争なんかしないほうがいいね。戦争で苦労するのは、女、子ども。最後に生き残ったって、あたしみたいにボロボロになっちゃうでしょう。もうそんな人間、つくらないでほしいと思うよ」と語る。アナウンサーの「もう一度生まれ変われるなら?」の問いに答えて、「もし、女に生まれたらよ。普通の娘さんで、普通の家庭に育って、普通に生活して、普通に結婚して、おばあさんになって、お孫さんに囲まれて、それで楽しく暮らしたい。それだけよ。だってそれがもともとの願いだったもの」と言う。
「かにたの村」をつくった深津牧師は、城田さんの願い(戦場でみじめな死に方をした女性たちを弔ってほしい)に応えて、「噫従軍慰安婦」の碑を建てた。深津師はビデオのなかで、語った。「口偏に意、と書いて、口につかえて心が外にでない様子を表している」。「このなかには、たくさんの韓国の人がいる。それをだれも言い出さない。私が代表して、許してください、の謝罪の意味を表しているんです」。「この放送で(元「従軍慰安婦」だった方を)探してもらいたい。お詫びをしなくちやいけない」。
朝鮮の少女
次に、朝鮮人で「慰安婦」だった沈美子(シンミジャ)さんの体験を読む。沈美子さんは一七歳のとき朝顔の飾りのついた日本地図を刺繍して学校の先生にほめられた。が、数日後にやってきた警官に「日本の花は桜だと知っているのに、朝顔の花をつけたお前はまちがっている」とどなられ、警察に連れていかれた。取調室で暴行されそうになったので、警官の耳にかみついたら、手の爪に竹串を突き刺され、ヤキゴテを肩や足にあてられ、抵抗できずに強姦されてしまい、気を失った。気がついた時は福岡に連れてこられていて、以後慰安婦として、毎日何十人もの兵隊に、レイプされつづける。いまも沈さんの左手の親指は爪が変形し赤黒く盛り上がっていて、肩にもやけどの跡が残っている(『毎日新聞」一九九二年三月五日)。
その後、「慰安婦」たちのおかれた状況を簡単に説明する。日本が中国で始めた戦争は、他国への侵略戦争であり、また先の見通しのない無謀な戦争であった。とくに中国では、「点と線」といわれたように、ゲリラの攻撃におびえながらの戦争であった。食料補給がなく、占領地で略奪することが求められていたため、「三光」という「奪い尽くし、殺し尽くし、焼き尽くす作戦」がとられ、そのなかには女性たちへの強姦があった。
非人間的な軍隊生活のなかで、日本軍兵士に対して用意されたのが、「慰安所」であった。「慰安所」を設けた理由として、戦場での「強姦」を防ぐ事、兵士の性病の予防、兵士のストレスを発散させるため、などがあげられている。この「慰安所」の「慰安婦」とされた女性たちの半分以上は、日本の植民地になっていた朝鮮人の少女たちだった。彼女たちは「女子挺身隊」と呼ばれ、だまされたり誘拐されたりして戦場に連れていかれた。
現在、「従軍慰安婦」にされていたと名乗りをあげ、日本政府に補償と謝罪を求めて裁判に訴えている女性は、朝鮮、韓国、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシア、オランダなど、日本の植民地と戦場となった全域に存在する。このなかには、「私は慰安したのではない。性の奴隷とされていたのだ」と述べて、「慰安」の言葉を使うことを拒否している人が多い。
以上の事が、中学校歴史の教科書に、「従軍慰安婦として強制的に戦場に送り出された若い女性も多数いた」と書かれていることの内容である。この教科書の記述について、千葉県議会では、「中学生に教えるのは適当でないので、教科書から削除せよ」ということを決めた。反対意見もあったけれど、多数決で決まった。さて皆は中学生、君たちの意見、考えはどうなのだろうか。「授業で学んだ事の感想」または「中学生に教えるべきではないという意見についての感想」どちらでも自由に書いてみよう、と授業を終えた。
中学生の受けとめ方
「教わってよかった」、「中学生に教えるべき」の意見が、ほとんどであった。少数ではあるが、「知りたくなかった」「教わりたくなかった」の声もあったが、そこに書かれていたのは「(「慰安婦」だった人が)かわいそうだから」「ショックだったから」ということだった。また「事実なんだから教科書に書くのはいいが、自分は……」と述べている。
戦争の表に現れない一面を知った驚きを率直に示し、「戦争中のできごとはたくさんの死傷者が出たというのだけだった、と思っていました。それがまた一つひどい事があるとは、本当にびっくりしました」「信じられない。戦争は、(人間の)心までなくしてしまっている」と述べている。
加害の事実に対して謝罪をするべきだ、と指摘する意見も多かった。「私たちと同じくらいの年の人たちが、兵士のおもちゃのように扱われるなんて、ほんとにひどいことだと思う。従軍慰安婦だった人々に、日本の人は深くお詫びしなければならないと思う」。「二度とこんなことをしないために、ぜったい、お金を払い、謝罪してほしい」。
植民地の人びとや女性に対する差別に心を寄せ、「教えなければ知らないままになって、闇のなかにほうむられてしまう」「知っていれば今後こういう行為がなくなると思う」と、事実を知ることの大切さを指摘している。「日本にとって都合の悪い歴史だけを隠すのは、外国にも失礼な事だ」という意見は、国際社会のなかでの日本政府のあり方への批判にもつながり、率直な外交をすることの大切さを指摘している。そして「よい事も悪い事も、隠さず事実を教えてほしい」「よい事だけが歴史ではないはず。悪い事から学ぶことが大切」と、言いきっている。
中学生は、事実をしっかり受けとめ、確かな目で社会と大人を見ている。加害の事実を教える事が自虐史観になるとか、性の問題を扱うのはむずかしいとかの大人の間題意識を、生徒たちは見事に乗り越えている。このように受けとめることができる力を中学生はもっており、その力を信頼して授業をおこなうことが必要だと思う。(庵原清子)
(歴史教育者協議会編「学びあう 女と男の日本史」青木書店 p175-179)
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◎「「従軍慰安婦」間題は、日本軍の加害の間題を浮きぼりにするだけでなく、女性と民族への蔑視がすべての人間への人権無視につながる」と。