学習通信070625
◎オタクサ……

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《潮流》

夏もなほ心はつきぬあぢさゐのよひらの露に月もすみけりー(藤原俊成)。アジサイの季節です

▼雨露とたわむれるアジサイ。日差しに映え、花も葉も陰影深まるアジサイ。通勤路を、アジサイの色の違いを楽しみながら歩きます。薄紅、水色、藤色、青紫、藍……。一本として同じ色がありません

▼アジサイは、古くから親しまれてきた日本生まれの花木です。しかし、あまり顧みられない時代がありました。園芸や花の品種改良が盛んだった江戸時代も遠ざけられたようで、とりたてていうほどの改良はなかったそうです

▼日本人が興味をしめさない間に、アジサイは海を渡りました。長崎のオランダ商館の医師だったドイツ人学者、シーボルトらによってヨーロッパヘ。向こうでいちだんとはなやかな花に改良され、日本に逆輸入≠ウれました

▼ところで、園芸研究家の故柳宗民さんは、アジサイが原産地の日本でうとまれた理由の一つに、色変わり説をあげています。白から青、赤へと変わるなど、節操のない花、というのです。人をみる目を花におよぼすとは、いま考えるとアジサイにはかわいそうな話でした

▼もちろん、人間の社会では、筋を通す人がふえないと大切なものをまもれず、進歩も望めません。「『たしかな野党』として、くらしと平和をまもりぬきます」(2007年参議院選挙にのぞむ日本共産党宣言)。アジサイのようにたくさん花を咲かせる勝利へ、アジサイのようにたたかう一人ひとりの色合い、持ち味を生かして。
(「赤旗」20070617)

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あじさい

 梅雨のころに、てまり花の名にふさわしい大型の散房花序(さんぼうかじょ)をつける。茎が叢生(そうせい)する低木で、花期が長く、花色が白から淡緑、青、紫、淡紅色とまさしく七変化する。

牧野富太郎によれば、これは純粋に日本の植物であるから、漢名はなく、片仮名でアジサイと書く以外にないという。白楽天の詩に「紫陽花」というのがあるが、これはべつの植物で、アジサイを中国では洋繍毬といって外来のものであることを示し、また日本の呼び名から、瑪哩(まり)とか天麻裏(てまり)ともいう。

アジサイ属には、アジサイの母種で暖地の海岸に多いガクアジサイのほか、園芸品のベニガク、やはり栽培されるコアマチャ、野生のヤマアジサイ、ガクウツギ、コアジサイ、タマアジサイ、ノリウツギ、ツルデマリなどたくさんある。もっとも、野生の仲間では、花の色は園芸品種のアジサイのような変化はせず、淡緑色や淡紫色が濃くなる程度で、ノリウツギ、ツルデマリの花は白で、色は変わらない。

 北海道でサビタともいうノリウツギは、山地に広く分布するが、開けた草原性のところに多い。幹の内皮で製紙用の糊をつくるのでノリウツギとかノリノキという。同じような草原、とくに牛や馬を放牧する東北のシバ地に、よくヤマアジサイが見られる。

放牧をしている野草地には、畜産関係の人がよく雑灌木と総称する低木類が出て、牧畜上の障害と考えられているが、それらの低木には、北海道のハマナス、東北のヤマアジサイやタニウツギ、山地のシャクナゲ、レンゲツツジ、その他ヤマツツジ、ミヤマキリシマなどのツツジ類、南日本のノイバラ、ネジキなどいろいろあるが、いずれもトゲがあったり、有毒だったりして、牛馬の食わぬものばがりである。しかし牛が草をはむ広々とした東北のシバの草地のまわりにはブナ林があり、その間点々とヤマアジサイが色を添えているのは、なかなか風情のあるものである。(沼田 真)

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 ユキノシタ科の落葉低木で、「ガクアジサイの変種オタクサ」という意味の学名になっているように、ガクアジサイを母種として日本でつくられた園芸品と考えられている。オタクサとはシーボルトの愛人お滝さんからきたものであるが、シーボルトは今から150年ほど前に長崎の出島にあって高野長英、青木昆陽など多くの学者を養成したドイツの学者で、日本の植物研究にも大きな貢献をした。

漢字では紫陽花をあて、七変化とか、てまり花とも呼ぶ。花の四枚の花弁のようにみえるのが実は萼(がく)で、本当の花は中心部にある小さい花である。
(荒垣秀雄編「日本の四季」朝日新聞社 p97)

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◎「アジサイのようにたくさん花を咲かせる勝利へ、アジサイのようにたたかう一人ひとりの色合い、持ち味を生かして」と。