学習通信070627
◎恋愛や仕事で挫折したとき、人生の岐路に立たされたとき……
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占いはインチキだ
私は占いについて敵対的立場をとっている。あんなインチキな金儲けはないと固く固く信じている。いつだかテレビで、占い関係者が数名と私とが対決したが、私が奥の手を出したら、あっという聞に彼らは絶句して二の句が継げず、醜態をさらしてるところでフェイド・アウトして溜飲を下げた。
その奥の手は、奥の手であるから、この文章の最後のところで開陳に及ぶが、私は全く占いとか前兆とかジンクスなどには不感症である。縁起が悪いなんていう人があると、実験的になおさらやってみるほうであるが、一度もひどい目にあわない。いや私が、勲章も貰えず芸術院会員にもなれず、いたずらに齢を加えて七十歳になろうというのは、すなわち占いをないがしろにした結果だというのかも知れない。が、私としては別に自分を惨めと思っていないのだから、占いなんてものとは死ぬまで、おつき合いしないつもりでいる。
このごろでは占いは産業になっているのではないだろうか。私たちの青春時代はホロスコープーなんてものはなかった。せいぜい神社のおみくじか、おせんべいに巻き込まれている辻占くらいが、身近な占いであった。ところが戦後も二十年も経ってから、欧米から星占いと称するホロスコープが輸入されたらしい。女の子から「先生の星座は?」なんていわれて、女性の間に双子座とか獅子座とかいう十二宮の知識がひろがってるのを発見した。
私も文学のうえの知識としてゾディアックのことは知っていたが、それが生活の中にはいってきて、専門雑誌やパンフレット類が飛ぶように売れていたり、十二宮の象徴を図案化したメダルやアクセサリーが売れているのは近ごろになって知った。私が七月二十三日生れなので、一日違いで獅子宮に支配される運命なのだということも、女の子から教わったのである。
私の知識だと宇宙はとても十二宮なんかで区分するには広すぎて、学説によっては時々刻々膨脹してるというではないか。そんな古臭い区分が私の運命を支配するなんてとうてい考えられない。アラビア人たちが肉眼で天体を観測していた時代の宇宙の区分なんて、私には阿呆らしくて信ずるわけにはいかない。
それでもホロスコープには象徴詩的なものが感じられる。蟹座とかさそり座なんてのは気持ちが悪いが、乙女座とか私の獅子座なんてのは図案としては悪くない。なるほどアクセサリーに自分のイニシアルをつけたりする趣味からいえば許せる。日本で昔、中国から輸入した十二支なんてものも、新年の賀状の図案にするには面白い。それについては別に私は異は立てない。
しかし無責任な、人をおどかすような明らかに人の生活を規制するような占いは害がある。今でもインドに行くと大きな廃市の遺跡がある。それは今日では一つの観光資源になっているが、それは暗愚な帝が一人の占い師の言を信じて、その地に新しく市を建設し、家来から市民まで引き連れて、その新市に移ったのであった。苛酷な命令によって市民は主に従って行ったが、着いてみた市には水がなかった。そこで何か月ののちに、また旧の市に引き戻った。その旅中の苦しさに多くの市民が死んだというのだ。その見捨てられた市が廃墟の空しさを見せているが、これは占いの害の端的な証拠である。
今でも方角がどうのこうの、日が悪いといって、多くの人の迷惑も顧みずに自分の都合を押し通す、おえら方がいたりするのは馬鹿馬鹿しい限りである。いつだか日が悪い日に式をしようとしたら、その日は従業員の休日にしております」と答えられてギャフンとなったことがある。なるほど年中無休の業務は悪い日に休みをとる仕掛けになってるので、一概に害ばかりではないなと納得した。といって占いを信じたわけではない。従業員に同情しただけの話であるから誤解のないように。
先日も私は「9階の42号室」という、ホテルの一室を舞台にした四幕の喜劇を書き、大入り満員を続けて記録を作ったが、「苦界の死人」だから、縁起を担ぐ人だったら観に来ないだろうし、そんな題名は避けるだろう。
世の中に姓名判断という、おかしなものがある。少しでも日本人の姓名の歴史を知ってるものには、多くの人が姓を待ったのは百年ほど前だったことは常識である。「苗字帯刀」を許すというのは、武士階級の特権だったので、多くの日本人には姓なく名だけであったのが、明治維新後、急に人々は武士並みに姓を待つようになったので、今の多くの人の姓なんてものは、実にいいかげんなでっち上げが大部分なのだ・奈良時代の戸籍が残ってるのを見ると、この名でも太麻呂とか小麻呂とか黒麻呂なんてのが大部分である。
つまりデカとかチビとかクロとか、今なら愛称みたいなもので呼び分けていたので、中国の道徳的な書物の名句からとった、孝順とか忠則とかいうような名が一般的になったのは至って近年のことだ。つまり多くの日本人は名なしの権兵衛であった時代が長かったのだ。それでも運命はあった。大昔は名なんてものはなかった。肉体的特徴で識別していたのだから、同名の人が大部分であった。それでも運命はあり、しかもその運命が違っていたことは充分想像できる。だから姓名判断というものはインチ牛なものである。一番手っ取り早い反論の材料は同姓同名の人の運命である。
伊藤武雄という姓名の方々にお集まり願ったことがある。が、その中の一人は戦傷で片手を失っていらした。こういう大きな運命的なことが、他の人には起こっていないのでは、姓名判断なんてものは、とうてい信じられないことはおわかりであろう。
占い師と称する人々は、必ず当たらぬ時の逃げ道を作っている。そんな例外がある真理なんてものはあり得ない。原理とか法則とかいうものは、いかなる場合も、法則どおりの結果が出るから原理なので、例外が出るようではインチ牛なのである。
私はバーなどに行き、そこに働いている女性の手相を見てあげると称して、その手に触れることがある。そうすると「まあ先生、どうしてそんなに当たっちゃうの」と驚かれることがある。しかし、それは全く私が何の法則もなく、印象から当てずっぽうをいってるにほかならないのだ。性格などは顔や動作を見ていればだいたいわかってしまう。そんなところで働いている人は、あまり幸福な人はいないから「実は自分は不幸だと思ってるのじゃない?」とか漠然としたことをいって始めるのである。そうすると相手が乗ってきて説明を始めるから、それを記憶しておいてあとでずばりと決定的なことをいうと、相手は仰天して「どうしてそんなことまでわかるのかしら」と不思議がる。
なんのことはない、本人がいったことを確信あり気にいうだけのことだ。まあそんなもので、占いなんてほとんどは告白の相手をしてるようなものだ。まあよい忠告をしてあげるなら、身の上相談として害も少ないだろうが「この日に旅行してはいけない」とか「この日に決定してはいけない」とか、人生の重大な機会を失うような致命的な決定を占いに任せるなんて下の下である。
さて、どんな占い師も負かす法をお教えしよう。今は大量虐殺の時代にはいっている。原爆で広島市民は二十五万人以上、死んだのである。これは一つの重大な運命である。この同じ運命に遇った人が二十五万人以上いたのである。もし占いが本当に当たるものなら、この二十五万人に共通する占いとしての因子がなくてはならない。
星占いだって二十五万人共通のものがあったはずはない。獅子座も乙女座もいたにちがいないし、姓名だって山田も伊藤もいたにちがいない。
東京に大地震が近いといわれるが、その時は一千万人の人口がそれに同時に遭遇するのだ。一千万人に共通する何か予兆を考え出さぬ以上、占い師は飯沢理論に簡単に敗退するのである。
皆さんまだ占いを信じますか?
(飯沢匡著「女の女におゝ女よ!」文化出版局 p32-37)
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占い
インターネット全盛の現代だが、いろいろな種類のホームページを作っている人から興味深い話を聞いた。「私が作っている中でいちばん人気は、なんといっても占いのホームページなんですよ」。また、姓名判断のホームページでの回答がきっかけで実際に改名した、という若者に会ったこともある。インターネットというハイテクな装置で占いをする。なんとも不釣合いな気がするが、若者たちにとってはごく自然なことに思えるようだ。
占いブームはもう何十年も前から続いていると言われているが、最近になっても一向に衰える様子はない。さらには自分の運勢を占ってもらうだけではなくて、「おまじない」をして運を変えようとしたり、中には「呪い」をかけて恋のライバルやイヤな上司の不幸を願ったりする若者も増えている。占い雑誌を開くと、前近代的な願かけやオカルト的な前世占いなどの記事がいっぱいで驚いてしまう。
では、どうして二一世紀になっても、若者たちは占いにすがろうとしているのだろう?
これには、時代に左右されない普遍的な理由と、現代ならではの理由があると思う。まず普遍的な方だが、人はだれでも、「どこかに自分のすべてを知るもの≠ェいるのではないか」という幻想を一度は抱く。自分がこの世界に生まれてきたという事実はあまりに神秘的で、理由を考え始めると頭が混乱したり不安に陥ったりする。そんなときに「あなたが生まれてくることはずっと前から知っていましたよ。そしてこれからどうなるかもわかっています」と言ってくれるだれかの存在を、つい求めてしまう。子どもにとってはそれは母親であり、ある人たちにとっては神や教祖であろう。
しかし、いつまでも母親にすがることもできず、かと言って宗教に人信する決意もつかないほとんどの若者たちは、「まあ、考えないようにしよう」と自分の存在の不思議さに目をつぶって、社会生活を始めることになる。とはいえ、恋愛や仕事で挫折したとき、人生の岐路に立たされたときなど、自分の力だけでそれを乗り切っていくのはあまりに厳しい。そこで占いをしてみて、どこかにいるかもしれたい自分のすべてを知るもの≠フ声をちょっとだけ聞きたくなるのだ。これはおそらく、昔も今もそう変わりはないことであろう。
次に、現代ならではの理由について見てみよう。高度成長期もバブル期も終わり、日本は先の見えない不況のトンネルをなかなか抜け出せない。世界の状況を見ても、「がんばればがんばっただけ幸せになれる」という時代はどうやら終わりを告げた感がある。努力してよい大学に入っても、一流企業に就職してもどうなるかわからない、何をやったって同じさ、という無力感が社会に広まり、「こんなにがんばっているのにどうして報われないのか」という理不尽な思いを抱く人も増えている。
そういう中で自分の怒りや憤りを少しでも減らすには、占いで「あなたがうまく行かないのは、運勢が悪いから」と説明してもらうしかない。そうすれば、「そうか、私がこういう状況なのは実力不足のためではなくて、運が悪いからなのだ」と、自分をいくらかは納得させることができるはずだ。そのためには、理屈っぼい精神分析や哲学より、はるかに突拍子もなく、かつストレートな前世占いなどの方が、ずっと説得力を持つ。今の性格の欠点を現実の父親との関係であれこれ説明されると抵抗を感じるが、「前世で隣国の王に受けた傷が今でも影響を与えているせいだ」と言われれば、なるほど、と素直に受け入れられる。
若者たちに広がる占いブームには、こういう普遍的な理由と現代的な理由が隠れている。しかしどちらにしても、その陰には若者が抱く不安、不満、理不尽な思い、といったややマイナスの感情が隠れていることは否めない。「占いをさらなる飛躍のきっかけに使う」とか、さらに「占いなんて古くさいものがなくたって、自分の力だけでやっていける」と若者たちが思える時代は、再びやって来るのだろうか。
(香山リカ著「若者の法則」岩波新書 p56-59)
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哲学を学ぶことの大切さ
「哲学を学ぶことがなぜ大切なのですか」「哲学と自分の生活とのかかわりがわかりません」という疑問がよく出されます。
私たちの日常生活において、哲学を学んでいなければ生活できないということはありません。一般市民の多くはとくに哲学を学んだこともないでしょうし、学んだことがあったとしても、毎日の暮らしのなかで哲学を用いているわけではないと思われます。そうであるならば、哲学は私たちの生活とのかかわりがないということになるでしょうか。
この「哲学のすすめ」はまずそのことからはじめたいと思います。
いざというとき
まず第一に、私たちがものごとに迷ったとき、なんらかの危機に直面したとき、つまりいざというときに哲学は必要なのだといえましょう。たとえば重い病気にかかったとき、受験や就職がうまくいかなかったとき、人間関係がうまくいかないとき、恋愛や結婚で迷ったとき、身近な人の死に直面したときなど、私たちはこれまでの常識で解決できず、ものごとを根本的に考え直さなければならなくなります。こんなとき哲学を学んでいれば、どう考えればいいかの方向が見つけやすいといえます。
このように常識で対処できないような場合に、どうしたらいいか、その場合のものの見方・考え方の基本となるものが哲学だといえましょう。
ものごとを深く知ろうとするとき
第二には、いざというときに哲学は必要だといいましたが、さらにいえば、常識で解決できないような、いわば転機において哲学は必要であるばかりでなく、このような特別の危機的事態に直面したのではなくても、私たちがものごとを深く知りたいと思ったとき哲学は必要となります。
たとえば自然現象を考えるとき、目に見えるし、手で触れることのできる世界を観察しているときには、五官などの日常的感覚をたよりにしていれば十分で、とくに哲学的に考える必要はありません。ところが、電磁気現象やミクロの量子論的な世界については、私たちの五官は無力であり、この世界は目で見ることもできなければ、手で直接さわることもできない世界です。こんな世界を自然科学者はどんどん研究していっていますが、そんなことがどうしてできるのか深く考えようとするとき、哲学的な考え方が必要となります。哲学は、そのような科学の方法論に深くかかわっています。
あるいは社会現象についても、社会現象や歴史現象についての科学がはたして可能なのかよく考えてみる必要があります。社会は多数の人びとの集まりですから、一人ひとりはそれぞれ考え方も立場も利害関係も異なります。てんでばらばらに見えます。そのような人びとの集まりである社会に一定の法則性があるとは考えられないから、社会や歴史についての科学は成り立たないという考え方があります。昔はそのように考えられることが多かったのです。
ところが一八世紀のなかごろから、ヨーロッパで、社会現象にも一定の法則性があり、社会現象の科学的研究は可能でもあり、必要でもあるという考え方が生まれ、この考え方にもとづいて社会科学が生み出されてきました。
その間の事情についてはここではふれませんが、社会科学の成立根拠として哲学が重要な役割をはたしました。これは歴史的事実です。このように私たちが常識の次元をこえて深くものごとを知ろうとするときに、哲学の手助けが役に立つし、必要になります。
(鰺坂真著「哲学のすすめ」学習の友社 p9-11)
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◎「特別の危機的事態に直面したのではなくても、私たちがものごとを深く知りたいと思ったとき」と。