学習通信070706
◎もう戦争はいやだ……

■━━━━━

《潮流》

梅雨の晴れ間にも、東京で透明な青空をあおげる日があります。しかし、東京大気汚染公害裁判の原告たちは「東京に青空を取り戻そう」と叫びました

▼超過密都市の東京の空は、みかけとは違います。自動車会社が売り込む「走れば走るほど(燃費が)お得のディーゼル車」の排ガスが、都民の体をむしばみ命を奪いました

▼ぜんそくに苦しむ患者の体験は、聞き通すのがつらいほどです。自動車会社・国・都に謝罪や賠償を求めた裁判は、十一年たって和解の日を迎えます。訴えをおこした六百三十三人のうち百二十人が、すでに亡くなっています

▼東京高裁は、原告の訴えを「個人的な利益のためのみ」ではないと認めました。大気汚染について国民に提起し解決を迫る「社会的な意味」をもつ、と。原告は命がけで、こんな苦悩を誰も味わってほしくないと願ったのです

▼「安倍首相は強制はなかったなどといいますが、私が生き証人。二百歳まで生きてでも日本政府に謝罪させたい」。元「従軍慰安婦」の李容洙さんが先日、東京の集会で語りました。韓国人の李さんは七十九歳。十五歳のとき就寝中に、日本の軍服を着た人の指図で無理やり連れ出されました

▼話をきいた男性が感想をよせています。「犠牲者を新しく生み出さないために一緒に力を合わせよう、という強いメッセージが流れている」(日朝協会『日本と朝鮮』七月号)。公害裁判の原告も李さんも、自分の体験を繰り返させないとの願いが、一歩一歩、世界を変えます。
(「赤旗」20070701)

■━━━━━

『原爆体験記』を読む

 昭和二十五年夏、広島市は、一冊の本を出版しようとしていた。二十三年に被爆者から体験記を募集し、約一六四篇あつまったものから、三十四篇を一三〇ページにまとめた『原爆体験記』という小冊子がそれで印刷され製本されたものの、ついに発刊されることはなかった。

 被爆の様子が生なましすぎ、反米的だとみなした米占領軍が、これを配布禁止に処したからである。昭和二十五年、その初夏に朝鮮戦争がはじまっていた。あの戦争において、米軍は核兵器を使用しなかった。しかし、作戦家たちの頭にまったくその可能性がひらめかなかったかといえばそれには疑問の余地があるであろう。この年の夏に、アメリカ人のジャーナリストが広島をたずねて、被爆後、盲目となったひとりの老人に、こういったということだ。朝鮮でも、原爆さえ使用すれば、戦争はたちまち終結すると思うが、きみはどう思うか? 老人は答えた。私にはそれに反対するどんな力もない。しかし、もしそういうことがあればアメリカが戦争に勝つにしても、世界中に、もうだれひとりアメリカを信用する人間はいなくなるでしょう。

 僕はいま、この体験記出版のために手記をよせた、六百人の被爆者たちが米占領軍の配布禁止命令によって心にうけた傷のことを、暗然とふりかえられずにはいられない。なぜ六百人もの被爆者たちが、当時まだ三年前のことにすぎなかった、もっともいまわしい体験を、あえて思い出して手記を書いたのであったか。それは、かれらの昨日の最悪の体験、つぐないがたい悲惨の体験が、すなわち今日および明日の平和な日常生活をそのまま確立するものだと認めることで、それにプラスの価値をあたえようとする意思につらぬかれてのことであっただろう。過去の苛酷な体験を現在と未来において価値あるものの傾域にくみいれることができたとき、われわれは初めて、自分のあじわった不幸をみずからつぐなうことができたと感じ、立ちなおり、自己回復する方途を見出すのである。

 とくに、およそつぐないがたい自己破壊のあとの広島の被爆者にとって、それは激しい希求にたかめられていたはずである。爆心より二千メートルの地点で被爆した、手塚良道氏の手記が、そうした心の構造を、いかにも端的に表現している。

 《もう戦争はいやだ。もう戦争はいやだ。これは広島原爆体験者の悲痛な、心の底からの叫びである。筆舌には及び難い平和欲求の真の絶叫である。たとえ如何なる場合でも、あんな残酷な体験は、もう決して世界の何れの人にもさせないようにして欲しい。これを世界に向かって訴えたいNo more Hiroshimasという標語は、今日国際状勢の上で、最も高く揚げらるべきものである。太田河畔平和塔の辺りに低く淋しくただよって居るべきではない。》

 ところが新しい戦争がはじまり、そして被爆者の声は、叫び声は、たとえ印刷されてもその配布を禁じられるとすれば、すなわち被爆者のノー・モア・ヒロシマという訴えの声が、まさに太田河畔平和塔の辺りに低くさびしくただよっているのみだとすれば、あらためて被爆者たちの感情がいかに暗く重くなったか、それは今日われわれが知らぬふりをしてすごすことのできる間題ではないであろう。
(大江健三郎「『原爆体験記』を読む」大江健三郎同時代論集A 岩波書店 p187-188)

■━━━━━

《潮流》

「原爆を作る人よ!/今こそ ためらう事なく/手の中にある一切を放棄するのだ/そこに始めて 真の平和が生まれ/人間は人間として蘇る事が出来るのだ」

▼原爆の投下から六年たち、長崎のある被爆女性がよんだ詩です。長崎原爆青年乙女の会が編んだ、『原爆体験記もういやだ』に載りました。編者は、「日本の全部の原水爆被害者を代表した断腸の叫び」と紹介しています

▼核兵器をなくさずに本当の平和は訪れず、人間は救われない。人間であるなら、どんな場合でも核兵器を許してはならない。そんな訴えに、被爆地・長崎の戦後の原点をみる思いがします

▼しかし、長崎県出身の久間防衛相は、原爆を落とされて悲惨なめにあったが「しょうがないなと思っている」と語りました。久間大臣は、つぎのように主張しています

▼アメリカは原爆を使わなくても日本に勝つと分かっていた。にもかかわらず原爆を投下したのは、ソ連が参戦して日本に進出するのを止めるためで、「国際情勢」などからすると「そういうことも選択としてはありうるのかなと……考えなければならない」

▼長崎の田上富久市長が憤ります。「なんらかの理由があれば核兵器を使えるという考えにつながる」と。いくらアメリカヘのへつらいでも、これでは、たとえば北朝鮮に核兵器の開発をやめるよう求める足場さえ失いかねません。「防衛相」はもちろん、閣僚として失格です。なにより、広島・長崎の二十数万の死者と、被爆者への冒とくです。
(「赤旗」20070702)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「自分の体験を繰り返させないとの願いが、一歩一歩、世界を変」ると。