学習通信070709
◎『日本核武装論』……

■━━━━━

自民の丸川(東京)・西田(京都)・鴻池(兵庫)氏ら
「核武装検討 始めよ」
「毎日」アンケート
民主の2氏も

 日本の核武装について検討を始めるべきだ――十二日公示の参院選に出馬を予定している自民党の丸川珠代(東京選挙区)、西田昌司(京都選挙区)、鴻池祥肇(兵庫選挙区)の各候補や自民、民主両党の比例候補らが、「毎日」の候補者アンケートに回答していることがわかりました。

 アンケートは「毎日」が「07年参議院選挙 全候補者アンケート」としておこなったもの。この中で「日本の核武装について、あなたの考えに最も近いものを一つ選んでください」との設問があり、選択肢は(1)将来にわたって検討すべきではない(2)今後の国際情勢によっては検討すべきだ(3)検討を始めるべきだ(4)核兵器を保有すべきだ―となっていました。

 このうち(3)の「検討を始めるべきだ」と回答したのは、自民党の丸川、西田、鴻池の三候補のほか、自民党比例候補の衛藤晟一、米田建三の二氏、民主党比例候補の玉置一弥、川合孝典の二氏の計七人です。

 日本の核武装については昨年秋、自民党の麻生太郎外相や中川昭一政調会長が、議論を促す発言を繰り返し、大きな批判を浴びました。丸川候補らの主張はこれと同趣旨のものです。

 この麻生・中川発言について日本共産党の志位和夫委員長は「言語道断で許しがたい。国是とされてきた『非核三原則』を変える議論を意味する」「日本は唯一の被爆国として、核兵器廃絶を地球規模で実現することにこそイニシアチブを発揮すべきだ」と厳しく批判しました。(〇六年十月十九日)

 「毎日」の「07年参議院選挙 全候補者アンケート」は現在、インターネットの毎日インタラクティブにある「毎日ボートマッチ」に掲載されています。
(「赤旗」20070709)

■━━━━━

 北朝鮮のミサイル発射や核実験は、日本をはじめ世界の平和と安全を脅かす、許すことのできない暴挙だが、これに「奇貨おくべし」とするかのように、閣僚や自民党幹部から、「敵基地攻撃能力保有」や「周辺事態法」発動、「集団的自衛権行使」などが声高にとりざたされるようになった。

自民党の中川政調会長は「憲法でも核保有は禁止されていない。核があることによって(他国に)攻められる可能性が低くなる。あるいは、やれば、やりかえす、という論理は当然あり得る。議論は当然あっていい」(十月十五日、テレビ朝日報道番組)などと、「核武装議論」までとなえた。その後、「非核三原則という重いルールがあるから、今すぐ(三原則を)取り払うことはしない。私は核兵器をもつべしという前提で議論しているのではない。もつことのメリット、デメリットもある」などと釈明したが、北朝鮮の核実験にたいして、いかに国際社会が協力してやめさせていくか、核放棄させるかが問われているときに、日本も核保有を選択肢にする議論を提起するなど、被爆国の政権党幹部としてあるまじき態度であり、言語道断である。被爆者をはじめ多くの国民から厳しい抗議の声があがり、アジアや世界にも批判が広がった。

 ブッシュ米大統領も「日本が核武装についての立場を検討しているという発言に対する(中国の)懸念を知っている」「中国は北朝鮮の核開発を深く懸念しているし、北朝鮮から身を守ろうとして近隣諸国が軍備拡大の決定をすることを心配している」(十月十六日、FOXテレビ)と、中国の懸念を紹介する形で日本を牽制した。

政府は「非核三原則、いっさいの核兵器を保有しないという原則は堅持する」(塩崎官房長官)、「もう、これは終わった話ですよ」(安倍首相)と火消しに躍起となったが、麻生外相は「隣の国が(核兵器を)持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくのは大事だ」(十月十八日、衆院外務委)などと、あらためて言明した。外相の資格にかかわる発言であり、撤回すべきだ。さもなくば、世界は疑念を強めるであろう。

──略──

三、「核武装」論の経緯と現在の危険性

 麻生外相の「核武装」議論にたいして、安倍首相は、「麻生大臣も非核三原則については政府の立場に立って発言している。閣内不統一ということはないし、この話はすでに終わった議論だ」と幕引きを図った。しかし、安倍氏をはじめ多くの閣僚・自民党議員が同様な発言をくりかえしてきただけに、「すでに終わった議論」とするわけにはいかない。

1、小泉政権の「非核三原則見直し」「核武装合憲」発言

 〇二年五月、小泉政権の福田官房長官や安倍官房副長官の「非核三原則見直し」、「核武装合憲」発言が、国内外で大問題となった。

 福田発言は、「非核三原則は憲法に近いものだ。しかし、今は憲法改正の話も出てくるような時代になったから、何かおこったら国際情勢や国民が『(核を)待つべきだ』ということになるかもしれない」(○二年五月三十一日の記者懇談)というものであった。この発言は、安倍官房副長官の「大陸間弾道弾(ICBM)は憲法上は問題ない」「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね。小型であれば」(同月十三日の早大での講演)という発言に関連しておこなわれた。

 ブッシュ米政権が「核態勢見直し」(NPR)によって、核使用に傾斜する新核戦略をすすめ、インド・パキスタンの核戦争の危険を世界が憂慮しているさなかだっただけに、福田発言は、被爆国政府の道義的責任を投げ捨てて逆流を持ち込むものとして、国内外で厳しく批判された。

 ところが、小泉首相は、福田発言について「どうってことはない」「騒ぎすぎだ」とのべ、自民党の山崎幹事長は「アドリブ的にいったかもしれないが、本筋ではない。ネグって(無視して)いい」などと居直った。非核三原則は、言語に絶する悲惨な体験に基づく日本国民の「全世界から原水爆をなくせ、日本は核兵器を持つな」という強い要求とたたかいが生み出したものである。日米核密約のもとで、「持ち込ませず」の虚構性が明確になっているが、歴代自民党政府はこの非核三原則を「国是」としてきた。小泉内閣が、それを踏みにじり、国内外への公約を投げ捨てようとしていると批判されたのは当然である。

 福田発言の核心は「国際情勢が変化したり世論が核を持つべきだとなれば、変わることだってあるかもしれない」という認識である。国会でこの点をただされて、福田長官は「それぞれの時代、状況、国際情勢をふまえ国民的な議論がありうる」とのべ、小泉首相は「将来の内閣、どういう内閣ができるかわからないが、そこまで、あれやれ、これやれとはいわない」などと答えた(○二年六月十日、衆院予算委)。これは歴代内閣の「日本の不変の原則」(三木首相)、「いかなる政府によってもまもらなければならない」(福田首相)、「今後においても変わりはない」(鈴木首相)という言明からの著しい後退である。小泉内閣が、情勢によっては、将来の核保有や非核三原則の見直しも選択肢になることを否定しないところに、問題の本質と危険性があったのである。

2、米国の「核の傘」と日本の「核保有」構想

 安倍官房副長官(当時)が○二年五月の早大講演で言及したように、岸首相は、「自衛のための核保有は許される」という見解を示した。「核兵器と名がつくから一切いけないのだというのは、行き過ぎではないか」(五七年五月七日、参院内閣委員会)、「現憲法下でも自衛のための核兵器保有は許される」(同年五月十四日、記者会見)などというものである。こうした考え方は、今日の政府見解に受け継がれている。

 注目すべきは、この岸発言の当時、自衛隊の幹部が米国に派遣され、核戦争の作戦研究をはじめていたことである。一九五六年、三岡一等陸佐が米軍のペントミック師団(核装備した五個戦闘団で編成された師団)に派遣され、一年以上、研究留学した。それを受けるかたちで、五八年から陸上自衛隊幹部学校で、「Z作戦」という名称で核戦争の作戦教育が開始された。五八年十一月、訪米した井本陸将は、「向こう数年中に日本の自衛隊は改革され、ペントミック師団を含めることになるかもしれない」「日本はおそらく原子兵器を使用する侵略者に対し、防衛するための原子兵器を保有しなければならない」と公言している(五八年十一月二五日、AP電)。

 岸首相の核保有発言は、けっして「法理論上の一般論」ではなく、自衛隊内部の動きも反映した、岸内閣のひそかな選択肢であったといえるであろう。米国務省も在日米大使館の報告にもとづいて、「日本は一九六七年までに自力で核兵器を生産できるようになるかもしれないと、米政府の関係当局はみている」という報告書(五七年八月二日付の情勢報告「日本の核兵器生産の見通し」)を作成している。

 岸首相だけではない。池田首相は六一年十一月、ラスク米国務長官に「少数派だが、日本も核武装が必要だとする論者かおり、それは自分の閣内にもいる」とのべたことがある。また、佐藤首相は、中国の核実験のニカ月後の六四年十二月、ライシャワー駐日大使に「ウィルソン英首相は他人が核兵器を待てば自分も持つのは常識だといったが、自分も同じ考えだ。国民はまだ準備できておらず、教育が必要だが、若い世代はその方向にすすむ希望的な兆候を示している。核は一般に考えられているより、ずっと安上がりだとわかった。日本の科学、産業は十分作れるレベルだ」と語っている。

 こうした発言は、後日、機密解除された米国務省公文書などで、明らかになったもので、当時、公表されていなかったが、米政府内では、日本の核武装への懸念が高まった。米政府の軍備管理軍縮局は、六五年六月の機密報告「日本の核兵器分野における見通し」で、日本には非核世論が根強く、数年以内に核武装に踏み切ることはないとしながらも、@七一年までに核実験、A七一年までに年間十〜二十個の核兵器を製造、B七五年までに核搭載の大陸間弾道ミサイル(ICBM)などを最大で百基開発することなどが可能としている。

 その後のアメリカの対日政策、とくに六八年に調印された核兵器拡散防止条約(NPT、発効は七〇年)の体制のもとでは、日本の自前の核保有を抑える路線に明確に転換された。日本でも六七年から七〇年にかけて、国防会議事務局や内閣調査室が核武装の可能性の委託研究をおこなったが、いずれも@技術的には可能だが、国民に支持を得るのは困難、A近隣諸国に無用な恐怖感を与え、日本の外交的孤立は必然、B米国の「核の傘」のもと核抑止力に頼るべきなどの結論をだしている。

 日本が核不拡散条約に調印したのは、佐藤内閣時代の七〇年二月であるが、批准したのは六年後の七六年六月、三木政権下である。この間、保守勢力のなかでも、アメリカの「核の傘」の信頼性をめぐる議論がくりかえされた。七四年五月、インドが核実験をした直後、キッシンジャー米国務長官はシリア大統領との会談で「日本も核を開発すると思う」「八〇年までに日本の軍事力は甚だしく増大するだろう。核に対する大衆の感情も克服する。日本の歴史は実に好戦的だ」とのべている。まだ、日本がNPTを批准していなかったことなどが背景にあったとみられている。

 アメリカは、NPT体制のもと、米核戦略への協力・加担をいっそう強く迫り、自民党政府は積極的に応じた。七八年十一月、日米両国は、アメリカの「核抑止力」を明記したガイドライン(防衛協力の指針)に合意した。米核攻撃戦力と自衛隊との日米共同作戦の具体化をすすめるためである。その直後の国連総会で日本は、核兵器持ち込み禁止決議に反対した。外務省関係者は、「核持ち込み禁止決議に反対したのは、当然『指針」をふまえたものだ」とのべた。さらに、八五年、中曽根首相は、「有事」における日米共同作戦で、米軍の核使用を容認した(八五年二月一九日、衆院予算委員会)。アメリカの「核の傘」のもとでの日米軍事同盟強化が、いかに非核三原則を形骸化、じゅうりんするかを物語っている。

3、強まる核「持ち込ませず」見直しの動き

 日本共産党の不破哲三委員長(当時)が二〇〇〇年四月、米政府解禁文書に記録されていた核密約(六〇年一月六日調印)の全文を初めて国会に提出して、核持ち込みをめぐる秘密のからくりのほぼ全貌が明らかにされた。この日米核密約を基盤にして核持ち込みがおこなわれ、実際には「非核三原則」は形骸化されてきたのである。

 九〇年代前半にアメリカの核戦略は変化し、陸軍の核兵器の全廃、戦術核兵器の米本国への引き揚げ、空母を含むすべての水上艦から核兵器を扱う「核兵器能力」の撤去などがおこなわれた。これによって、日本への核持ち込みは問題にならなくなったかのようにみなす議論があるが、アメリカが核兵器の海外展開を止めたわけではない。「有事・核再配備」などの体制がとられ、「核先制攻撃戦略」も放棄してはいない。「有事・再配備」用の核兵器には、空軍の戦術核爆弾B61と攻撃型原潜から発射する核弾頭付き地上攻撃用巡航ミサイル・トマホークが指定されているし、新型の地下貫通型核爆弾の開発も計画されている。一方で、核兵器の所在を「否定も肯定もしない」(NCND)政策を続けている。こうしたもとで日米核密約は、今日も核待ち込み体制の基盤として機能しているのである。

 「核持ち込ませず」の虚構性がくりかえし明らかにされるなかで、核持ち込み容認論と非核三原則の「持ち込ませず」原則の形骸化(「据え付け」以外の「待ち込み」を容認する二・五原則化)ないしは破棄論が、幾度となく叫ばれてきた。そして現在、北朝鮮のミサイル発射や核実験を口実にして、あらためて核「持ち込ませず」原則の見直しの動きが強まっている。警鐘乱打しなければならない。

 外交問題での安倍首相のブレーンの一人といわれている中西輝政・京大大学院教授は、NPT体制の「事実上の破綻」などを理由に、「長年のタブー感から来る予想される反発を覚悟しつつも、『日本核武装論』を俎上に載せる責任がある」などといい、「本格的な核武装に時間がかかる」とすれば、「早急に日本として核抑止のための応急対策をとる必要が生じる」「『持ち込ませず』の原則は、いますぐきっぱりと取り外す必要がある」などとのべている(日下公人・前東京財団会長らとの共著『「日本核武装」の論点』)。

 中川政調会長や麻生外相の「核武装議論」は、こうした背景から確信的≠ノおこなわれたものであろう。来日したライス米国務長官は十月十九日、安倍首相に「米国は日本を防衛する決意を持っている。日米同盟は、ミサイルや核の挑戦にこたえる能力が十分にある」と言明して、アメリカの「核の傘」を再確認した。これによって、核持ち込み容認、「待ち込ませず」の形骸化の動きがさらに強まるのを許してはならない。
(山根隆志「集団的自衛権、敵基地攻撃論、「核武装」論を問う」前衛〇6年12月号 p13-25)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「五八年十一月、訪米した井本陸将は、「向こう数年中に日本の自衛隊は改革され、ペントミック師団を含めることになるかもしれない」「日本はおそらく原子兵器を使用する侵略者に対し、防衛するための原子兵器を保有しなければならない」と公言」と。