学習通信070711
◎できない約束……

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子どもとの約束

 ひと昔前までは子どもにだけ約束を守らせ、おとなが約束をやぶってもあたりまえとされていました。そして今でも、こうした一方的な約束観がおとなの間に残っており、新しい生き方をする子どもたちとしばしば衝突します。

 ある園で、「クツのだしっぱなしは先生があずかる」という約束をしました。何人かの子どもたちが、先生にクツを片づけられて戸まどうという光景がみられました。そして、ある日のこと、一人の先生が用事があって早めに帰宅しようとしたら、自分のクツがなくなっているのに気づきました。その場は、他人のクツを借りて帰りましたが、翌日、数人の子どもたちが先生のところにきて、「キノウ、先生、クツガナカッタデショ、ダシッパナシダッタカラ片ヅケテアゲタヨ」と報告し、先生は子どもの前であやまる結果になったそうです。

 これはつい知らずに子どもたちとの約束をやぶってしまった例ですが、おとなが約束をやぶったばあい、ほかのことでいいわけをしたり、「子どもとおとなは違うんだ」などと理屈にならないごまかしをしがちですが、こうしたごまかしはいまの子どもたちに通用しません。

 「オカアサンヤオトウサンガナンカ買ッテヤルヨッテイウノガヤクソク」(三歳児)「アノネ、コドモタチトオトナモチャント守ルノ」(四、五歳児)「ゼッタイヤブッテハイケナイノ」

「おとなが約束やぶった時どうする?」「私オコル」
「約束したくない時は?」「スグヤダヨッテイエバイイ」(六歳)

 これら子どもたちの意見、とくに四、五歳児以下の約束観は、約束が人と人との社会生活を発展させる契約であるという考え方にはまだ間があります。しかし、論理的に弱さをもっていても、約束についての体験が相当深まっていること、約束について真剣に取りくんでいることがわかります。そして新しい約束観というか、子どもとの約束について、おとなはどんな考え方、姿勢をとったらよいかについても、以上の子どもたちの意見が参考になると思います。

 もう一度要約しますと、つぎのようなことをとくに考えてみることが必要です。

 ▽子どもとの約束だからといって安請合いしてやぶったばあい、子どもは反発します。

 ▽約束したことは守ることが基本ですが、やぶったときは真剣に批判しあう。やむをえないときは、よく説明する。

 ▽できない約束はしない。

 これは、おとな、子ども双方に要求されることです。
(近藤・好永・橋本・天野著「子どものしつけ百話」新日本新書 p144-145)

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《潮流》

六日の日本テレビ系「太田総理……秘書田中」で、おもしろい場面をみました。太田総理こと「爆笑問題」の太田光さんらが、連立政権をめぐり、各党の議員を交えて討論していました

▼自民党と公明党の政策はどれくらい同じなのかと聞かれ、自民の議員は「90%」と答えます。公明の議員は「50%でしょ」。しかも、「憲法」をめぐって自公の意見は違う、といいます

▼出演者の感想は、「分からない」。無理もありません。50%しか一致せず、肝心かなめの「憲法」で考えが異なるのなら、公明はなぜ自民と連立するのか。自民党にぴたりと寄りそう現実をみれば、違いを見分けるのはむずかしい

▼その公明党が、「未来に責任を持つ政治」を標語にかかげています。公明党は、大ぶろしきを広げるのが好きなようです。いまではすっかり看板がはげ落ちた、「年金に100年の安心」もありました

▼では聞きたい。戦争も武器も放棄した憲法九条は、人類の未来への懸け橋です。九条を変えたい自民を支え勢いづかせて、どこに未来への責任がある? かつて国民に公約した「政教分離」をかなぐり捨てて平気な人たちが、「未来に責任を持つ」といってもむなしい

▼日本共産党は党をつくって八十五年、反戦平和をつらぬく庶民の暮らしのまもり手だったと自負しています。いま「たしかな野党」としてがんばってこそ、政治を大もとから変えられる政権ヘの道も開けると確信しています。未来に責任をもつとは、こういうことなのでしょう。
(「赤旗」20070708)

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◎「かつて国民に公約した「政教分離」をかなぐり捨てて平気な人たちが、「未来に責任を持つ」といってもむなしい」と。