学習通信070726
◎芥川龍之介が……
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民 衆
シェークスピアも、ゲーテも、李太白(りたいはく)も、近松門左衛門も滅びるであろう。しかし芸術は民衆の中に必ず種子を残している。わたしは大正十二年に「たとい玉は砕けても、瓦は砕けない」と云うことを書いた。この確信は今日でも未だに少しも揺るがずにいる。
又
打ち下ろすハンマアのリズムを聞け。あのリズムの存する限り、芸術は永遠に滅びないであろう。(昭和改元の第一日)
又
わたしは勿論失敗だった。が、わたしを造り出したものは必ず又誰かを作り出すであろう。一本の木の枯れることは極めて区々たる問題に過ぎない。無数の種子を宿している、大きい地面が存在する限りは。(同上)
(芥川龍之介「侏儒の言葉・西方に人」新潮文庫 p104-105)
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没後80年 40ヶ所で翻訳
世界の「芥川龍之介」
関口 安義
おもしろさ
先見性に光り
二十四日は、芥川龍之介が自死して八十年の命日である。自死という特殊な生涯の締めくくりもあって、芥川とその文学は長い間、否定、もしくは超克の対象とされてきた。が、没後八十年、芥川龍之介は確実に復活し、全世界で翻訳が相次いでいる。芥川の翻訳は、世界四十カ国に及ぶのである。特に冷戦後、新訳が次々に現れている。
ロシア、中国
韓国で続々
芥川の翻訳の先進国ロシアでは、一九九八年に、主要作品を網羅した『芥川龍之介作品集』全四巻が出たが、新世紀になって日本の国際交流基金の援助によって、『芥川龍之介選集』(ヒペリオン出版社、二〇〇二)が刊行されている。中国では二〇〇五年三月に、はじめての漢訳『芥川龍之介全集』全五巻(高鷲勤・魏大海編、山東文芸出版社)が刊行され、余熱をかってその後も芥川の翻訳が次々に刊行されている。小説集『羅生門』(浙江文芸出版社、二〇〇六・八)は、諸家の訳で十九の芥川小説を収録するが、中に「神神の微笑」のような作品まで収録されている。
韓国は、日本語学習熟世界一の国だが、芥川の翻訳もまた多い。新世紀に入ってからでも軽く十冊を超える。東アジアでは稀(まれ)なキリスト教国であることもあって、芥川の切支丹ものへの関心が高い。研究は芥川とキリスト教をめぐるものが圧倒的に多いが、翻訳にもそうした事情は反映し、「西方の人」「続西方の人」など複数の翻訳が存在する。芥川の童話を集めた童話集の翻訳もある。題名には他の国同様『羅生門』や『蜘蛛の糸』が採用される。今年出た翻訳集などには、日本語訳すると『孤独より大きな力がどこにあろうか』というような長い題名の訳書もある。なお、韓国では『芥川龍之介全集』のハングル版を出す気運が生じている。
英語圈から
「逆輸入」も
ところで、芥川没後八十年の時点での各国の翻訳で、注目すべきものを二つあげよう。一つは、英語圏の大手出版社ペンギン社がペンギン・クラシックス・シリーズの一冊として刊行した『「羅生門」ほか17編』(Rashomon and Seventeen Other Stories)の登場である。訳者は村上春樹の翻訳者として知られるジェイ・ルービン。昨年三月にイギリス版が、秋にアメリカ版が出た。装頓・版型はそれぞれ異なる。巻頭には村上春樹の力作の長い序文が付いている。四部にわけた編集は工夫が凝らされ、小説の舞台となっている年代順に作品が収録される。また、「尾形了斎覚え書」「おぎん」「忠義」「馬の脚」「点鬼簿」など九作品のはじめての英訳が含まれていることが目をひく。イギリス版・アメリカ版とも売れ行きは好調とのことで、ごく最近、英語圏で編集されたこの芥川アンソロジーが「逆輸人」され、ジェイ・ルービン編/村上春樹序『芥川龍之介短篇集』(新潮社、二〇〇七・六)として日本で刊行された。芥川没後八十年、その作品が世界的によみがえったことを端なくも示す出来事としてよいであろう。
半植民地の
一生の姿記述
いま一つは、中国での芥川受容の大きな変化である。全集刊行後の中国では昨年と今年、芥川の『支那游記』が『中国記』として二つの出版社から出ていることである。刊行順にあげると陳生保・張青平沢 『中国游記』(北京十月出版社、二〇〇六・一)と秦剛沢『中国游記』(中華書局、二〇〇七・一)である。前者の訳者の一人陳生保は、訳書巻頭の解説で「客観的に見て85年前の半植民地におかれた中国の生の姿を記述している」と書き、「我々は芥川が一つ一つの場面を記録してくれたことを感謝すべきだと思う」とまでいう。かつては巴金などから厳しく批判された『支那游記』が、二十一世紀の中国では高い評価が与えられているのだ。芥川の先見性が目覚めた中国人の心を打つのである。
芥川の文学は、いまや日本という地理的空間・日本語という言語的空間を完全に超えて全世界で読まれている。芥川の小説のねもしろさ、彼の先見性に世界の人々は価値を見出しはじめたのである。
(せきぐち・やすよし 文芸評論家、都留文科大学名誉教授)
(「赤旗」20070724)
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◎「日本という地理的空間・日本語という言語的空間を完全に超えて」と