学習通信070803
◎それが青春だ……

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夢は必ずかなう

 漫画家の三原ミツカズ先生と対談した。
 三原先生の代表作のひとつに、人間のお手伝いをするために開発されたアンドロイドたちの物語『DOLL』(祥伝社)がある。美少年、美少女の外見を持つドールたちのゴシック・ロリータ≠ニ呼ばれるファッションも、大きな話題を呼んだ(ビジュアル系バンド「マリス・ミゼル」みたいなファッション、といえばイメージできるかな?)。

 みんなの中にも「えーっ、私も三原先生のファンなのー、どんな人だった? 教えてー」と思ってる人、いるんじゃないかな?

 ではここで、特別に教えてあげよう。三原先生は、とってもカッコいいお姉さんでした(もちろん年齢は私よりずっと下)。ファッションは予想してたよりあっさりだったけれどよく見るとシャツにも小物にもこだわりがいっぱい。ルックスや雰囲気は作品から想像していた通り。でも、やさしくて笑顔は若々しい人なんだよなあ。

 ……と、ファン度全開の話ばかりしていては、漫画好きじゃない人には通じないかもしれない。

 ただ、漫画ファンじゃない人にも、聞いてもらいたいエピソードがある。
 それは、三原先生がどうやって漫画家になったか、という話。家の仕事の関係で何度も引っ越しをしていた先生は、ある地方都市で中学、高校生活を送った。ずっと漫画を読んだり描いたりするのは好きだったが、漫画や出版の世界に知りあいがいたわけではない。
 「じゃ、どうやってデビューできたんですか?」ときくと、先生はにっこりほほえみながら、教えてくれた。

 「とても好きな漫画家の先生のところに、アシスタントにしてください≠ニいきなり手紙を書いて出したんです。それから、その先生の家に住み込みでアシスタントをしながら、本格的に漫画を描き始めました……」。知的ゴージャス派の三原先生の口から、「いきなり手紙」とか「住み込みでアシスタント」なんてことばを聞くとは思わなかった! でも、それだけ漫画に対して愛と熱意があった、ということだよね。

 私は、そのエピソードを聞きながら思った。私たちって、地方に住んでるから、やりたいことができない∞その世界に知りあいもいないから夢をかなえられない≠ネんて、すぐ思いがちだよね。でも、どうしてもやりたいことがあれば、三原先生のようにその熱意をだれかに伝えることはできるはず。そして、自分ひとりでもその夢を実現することはできるはず。

 「私なんて」「どうせダメだし」と思う前に、まず「どうしてもこうなりたい!」と夢を持ってみる。そして、「どうしてもかなえたい!」と努力すれば、その夢って必ずかなうものなんだ。三原先生の美しい作品と笑顔が、それを証明している。

□これを実現するためならどんな努力でもOK、というものがありますか
□「努力」はダサいと思いますか
□「こうなりたい」という夢を三つ以上、すぐあげられますか

(香山リカ著「10代のうちに考えておくこと」岩波ジュニア新書 p12-14)


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 タケ子は、患者とともに学びつつ歩む医者としての本格的な活動を、開始した。

 療養懇談会──これは当時困難を極めた治療の活動を、何とか医師と患者の協カで打開していきたいと、タケ子が考えだした。

 どんなに安静時間を守らせようとしても、給食の貧しさから食べ物の買出しで外出する患者は後を絶たないし、それが喀血をした翌日でさえ、ベッドを抜け出す状況があり、

 「だめじやないの、外で、大喀血したらどうするつもりなの」
と叱りつけてみても、卵ひとつでも食膳に増えたらおそらく気持ちの上で、どんなに張りが出るかと思いやれば、声も鈍りがちになる。

 買出しの外出だけではない。
 長い間入院生活を統けていると心の鬱積もたまる。若い人たちにとっては、じっとベッドに横たわっていること自体が、牢屋に縛り付けられているような思いさえするに違いないと、タケ子には思われた。
 重症は別として、結核患者は性的欲求が昂進することがある。禁止されている女性病棟の患者と「私的交際」をする患者も珍しくない。

 長年の入院患者の中には、医師や看護婦の目を盗んでは、賭マージャンなどをおっぱじめるといったことさえも起きる。

 くわえて、下着やパジャマ(当時は寝巻)の洗濯は、物資不足で石鹸がない上に、世話をする人も訪れなくなり汚れたまま、一ケ月、ニケ月あるいは一年もそのまま過ごす患者さえいた。

 医師も看護婦も、患者の心の中に巣食う、心の乱れとたたかう必要があった。
 患者の心の自律を確保しないと治療は進まない、と考えたタケ子は、自分が担当する人院患者に「療養懇談会」を計画した。

 午後三時から五時までの「安静」後の時間帯で、安静度「五」から「三」の比較的軽症の人たちを対象に、病棟談話室に集まってもらい三十人程度で、「療養講座」のような形ではじめることにする。

 「小喀血したときに、じっと安静にしていないと小さな血管が切れ、小爆発が次々と誘発され、そして腐っていく。そしてついには大喀血を起こすことになるのです」
 こんな調子で、結核とはどういう病気でどんな風に病気が進行するかを解説し、注意を喚起した。

 ところが、話に説得力を欠くのか、「講義」されるということに反発があるのか、患者はいっこうに興味と関心を高めず、中には「懇談会」をそっとぬけだし、買出しに精出す者も出てくるしまつだ。
 医局の中ではこの取り組みに、

 「患者が、理屈で納得するのなら、世話ないよ」
と療養懇談会そのものに、否定的な医者もいて、タケ子は頭を抱えてしまう。

 医者として患者についての認識が「あまい」と言わんばかりの発言に、少しばかり傷ついて、窓の外を眺めるともなく見やっていると、西村医師がふらりと近づいてきた。
 そして、ささやくように言う。

 「マルクスがね……」
 「えっ?」
 「あの、マルクスが、『資本論』の書き出しの扉に、ダンテの言葉を引用しているのを知っているかい? それが青春というものだよ」
 ニッと笑うや、また、茫洋として消えた。
 えっ?
 励まされているらしい、ということは、すぐわかった。
 ダンテ? ああ、「神曲」を書いたあのダンテか。
 ── 汝の道を歩め、而(しこう)して人々の言うにまかせよ!(ダンテ)

  …… そうか、それが青春だ、か? ……
 「解ったぞ。お前の見定めた道を進め。言いたいやつは言わせておけ。それが青春だ」
 そういうことなのだ。さんざん考えたのちに、タケ子は西村の言を理解した。

 西村の励ましは、いつもこういうふうだった。
 さんざん考えなければならないことを言う西村が、タケ子は、とても気に入っていた。

 どうすれば患者の気持ちにより添う「療養懇談会」ができるのか、その方法をああでもない、こうでもないと、あけてもくれても思い巡らせる日が続いた。

 ある日「天啓のひらめき」というと少し大げさだが、アイデアが浮んだ。
(稲光宏子「タケ子」新日本出版社 p60-63)

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◎「解ったぞ。お前の見定めた道を進め。言いたいやつは言わせておけ。それが青春だ」 そういうことなのだ。