学習通信070807
◎人間的な生き方とは何か……

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宮本顕治さんの理想の女性像は

 ──はじめまして。私も最近労働者になった者なんですけども、いま「赤旗」日刊紙でも「社会に出る若い娘たちへ」というのがありますけれども、いまの学生とか、また三月から働く人もいると思いますけれども、宮本委員長が、若い女性と限りませんけれども、女性に望むというか、どんな女性になってほしいかという、なんか理想なんですけど……。

手塚……はいどうもありがとうございました。なかなかおもしろそうな質問が出てきましたね(笑い)。それではもう少しおききしたいと思うんですが、どなたかいらっしゃいませんか。

結婚に失望しそうなんですが

──こんばんは。わたしは証券に働いているんです。いま二十になったんですけども、わたしのまわりは、だんだん春になってきて、結婚する人がふえてきたんです(笑い)。その中にいて、お友だちが結婚すると、なんかお友だちと私の距離が遠くなっちゃうみたいな、そんなふん囲気になっちゃうんです。で、こんなふん囲気を味わうたんびにね、結婚にだんだん失望してきちゃったんです、わたし(笑い)。ほんとまだ二十歳だっていうのに、こんな状況なのに、二十歳でまだあせる歳でもないのに(笑い)、恋人のこととか結婚のことをすごく考えるようになってきちゃったんですね。それで最近結婚に全然失望しちゃっているんですね。結婚ていうのは女性にとってほんとうにしあわせになれることなのかなあって(笑い)。

 私のまわりにハイミスもいるんですね(笑い)。そうするとまわりの男の人が、あんまりよく言わないんですね(笑い)。そうすると本当にもうどっちにしていいか(笑い)、わたし自身わかんなくなってきちゃったんで、ちょっとその辺をきいてみたいなあなんて思っているんです(笑い)。

手塚……はい、どうもありがとうございました。いま壇上できいていらっしゃる人、たいへん喜んできいていらっしゃったんですけど、実行委員の方もせっかくいらっしゃるのでね、どなたかそのことについて意見ありませんか。あ、そちらにいらっしゃいましたね。はい、じゃあきいてみましょう。

性の退廃について、どう思いますか

──こんばんは。いまの結婚の問題とすごくかかわりのあることなんですけれども、わたし学生なんだけども、いわゆる性の退廃の問題についてちょっとおききしたいんです。わたしのまわりにも、双方ともに結婚の意思がないのに、いわゆる婚前交渉っていうのかしら、性的な肉体関係をもっちゃっている人がいるんですよね。その人自身はそのことについて、別に開きなおって「そんなのいいじゃないの」っていっているんじゃなくて「わたしわるい子になっちゃった」みたいな、そういう感想をもっているんです。

そうした婚前交渉みたいな関係にずるずるなってしまって、わたしのやっぱり一概に責めることはできないと思ってるんですね。なぜかというと、わたしのまわりにもわたしの友だちのまわりにも、そういう関係にずるずると入っちゃうような環境がすごくたくさんあるような気かするんです。友だちがあまりいなくて、やることもなくって(笑い)、昼間はバイトで忙しくしたりしてても、夜になると下宿に一人帰ってポツンとしてさびしくて、そこに男の人から電話がかかったりしたならば、そういうような関係にずるっと入っていっちゃう危険性は、ほんというとすごくあると思うんですよ。

そういうの、いきなり責められないなっていう感じがしたんですけれども、宮本委員長は婚前交渉という問題についてどういうふうに考えていらっしゃるかということと(笑い)、社会主義の社会になったらそういう婚前交渉みたいな行為はどういうふうになるのか(笑い)、まるっきりなくなっちゃうのか、それとも法律で罰せられるのか(笑い)、どうなるのか、ちょっとおききしたいんですけど。

佐田……それでは非常に重要な問題ですが(笑い)、宮本さんからお答えいただきたいと思います。

やさしさと知的な判断力、そして、実行力をそなえた女性に

宮本……どうも重要な問題というコメントがつきましたが(笑い)、まず最初に、若い女性に何を求めるか、女性に何を望むかというお話がありましたが、わたし、若い女性の方といろいろ懇談会なんかでお会いしてみると、われわれと会う方は比較的進歩的な方というか、そういう方が多いわけですから、わたしは懇談のなかで、非常にけなげに、生きがいある人生を求めよう、社会を求めようという形で努力しておられることを共通に感じて、そしてそういう人が民青同盟員であったり共産党員であったりする場合には、われわれの組織にこういう人がいっぱいいるのかと考えて、非常に誇らしく思う感じにしばしばつつまれるんです。

 で、女性に対しては、われわれはもちろん、女性らしいやさしさですね、これは共通の、まあ多くの男性がそういうものを期待すると思うんですが、やさしさと同時に、知的な判断力といいますかね。なにも高い専門的な知識というんじゃないけれども、世の中のことや自分の日常を処理していく場合に知的な判断をする。知的な判断というのはいろいろ考え方がありますが、それにしても、理性的な道理のあるような判断ですね、あまり因習にとらわれないで。それと同時に、やさしさと知的な判断力と、そういうものを知的な方向に見出したら、それをねばり強く追求するといいますか、そういう情熱あるいはしっかりした意識ですね。やさしさと知的な判断と、そしてそういうものを身につけて実行する実践力といいますか、そういうのが理想の女性ではないかとわたしは思うんですね。

 もちろん、人間のいろんなタイプとか好みとか、そういうものはいろいろあるわけですが、しかしそれは、昔から「アバタもエクボ」とかいいますから(笑い)、みんな人によって好きずきで(笑い)。だからそういうことは、若い人にとっては美しい女性になりたい、これは当然共通の夢だと思うんですが、しかしそれぞれの女性が、さっきいったような条件を備えておれば非常に美しいのだ、顔かたちは、目鼻のつき具台が多少どうであっても(笑い)そんなことは本質的な問題じゃないと思うんですね。そしてやはり、おのずから大変立派な女性であって、そして結婚の話があと関係してくるけれども、そういう女性に対して反発を感じたり、あるいはそういう女性を奥さんにして気に入らないなんていうのは、男のほうが間違っていると考えるわけです。(笑い、拍手)

二人の生き方が一致することが理想

 それから結婚の問題でもう失望した……まあ二十歳で失望するのは少し早いんじゃないかと思うんですねえ(笑い)。証券に勤めておられる方ですが、結婚シーズンでまわりでどんどん結婚するので少しさびしくなって、そのために友だちと距離ができるといわれたんですが、二十歳というのはまだ、まあ、わたしどもからいえば人生のまだ本当につぼみがちょっと咲きかけた時期でねえ。いわば、本当にいまからが未来だと思うんです。

結婚というものは果たして大事なのかどうかという根本間題からありましたけれども、わたしは恋愛と結婚というのはやはり人生の非常に大事な姿であって、したがって、いい相手ができたら当然恋愛もするし、また結婚にいく。まあ恋愛と結婚が結びつくのが一番理想的でしょうけど、必ずしもそれが単純にいかなくて、失恋とかそういうことも人生のうちでしばしば起こることであって、それも不思議はないので、いろんな波風もありますが、その中でやはり相手を見る目も高まっていく。

で、そういう際、結婚の条件といいますか、双方が好きだということ、これは当然、恋愛の非常に大事な第一条件ですが、同時に、そういうものを継続さす、長続きするためには、わたしどもの経験からいうと、やはり世の中のいき方ということに対する大体の、おんなじ方向といいますか、生き方というものを考えた場合に、いわば「世界は二人のためにある」という、そういう考え方で、世間や社会の動きということを全然無視して、そして二人だけで閉じこもるといいますか、そういう非常に閉鎖的な関係というのは、結局自分たちの結婚生活を維持する大きな判断力という点からみると非常に欠けてくるということと、いま一つは、かりにたとえますと、婦人の民青同盟員の方がだれと結婚する、まあ好きになったんだけれども、しかしその相手の男子のほうは、民青というのは絶対いやだ、あんなものに入っているんだったら、きみとの結婚を考え直すとかね。

そういうふうな世の中のいき方に対する考え方がまったく相反しているという、そういう場合には、これはやっぱり安定性がないんですね。

あせらず、堂々と暮らすこと

 だからよくわたしたち共産党の活動の中でも、非常にしっかりした、まだ若くて非常に有能な婦人活動家がいて、そういう人が結婚相手を間違えて、保守的でものわかりの悪い人と結婚した場合、そういう男性は婦人が活動することをいやがるんですね。なんでも朝から晩まで自分にサービスしておりさえすればきげんがいいけれども、しかし、なにか社会的な活動に参加したりりあるいは集会に参加したり、そのために時間をとられるということに対して非常に反感をもつ。そういうことでトラブルが絶えなくてうまくいかない。だから、婦人の有能な活動家が結婚する場合は、その相手がその婦人の将来にかなり影響を与えるということが、実際の例としてしばしばあるんです。

これは反対の場合もあると思うんですね。まあ皆さん方は、ここはご婦人が主人公ですから、ご婦人のほうは大体前進的だという前提で話すわけですけどね。ですからその辺は、結婚というものをあせらないで、みんながバタバタ結婚するから、私ももう二十歳で遅いわなんて早く思いつめないで(笑い)、二十歳というのはまだまだ、まあ早すぎるといっちゃ悪いですけど、決して遅くないです。だから結婚というのは、相手も、つまりさっきいったような意味でいい相手で、そして二人の生活が、自分たちの家庭をつくるということと世の中の全体の進歩にも結びつくような、そういう関係が一番望ましいわけですね、だがらそういう人が見つからないで、まあハイミスといいますか、そういうことになる人も当然あるわけです。

めぐりあいというのはなかなかむずかしいものですから、非常に立派な婦人だから必ずいい相手を早く見つけるというふうにいえないんですね。私の知っている方でも、名前をあげるのは失礼ですからあげませんが、非常に立派な活動家で、そして大事な仕事をしている婦人の同志で、実に能力もあるという人で、まだ結婚しない人がいろいろありますよ。そういう人はチャーミングでないとか、あるいは知的な能力が足りないとか、そうじゃなくて、非常にヂャーミングで、非常に優れた人だけれども、どうも結婚していない。そういう人は、ちょっとあれはえらすぎてなかなか相手がないんだとか、そういうことをいう人もありますけどね。まあそうかもわかりませんが(笑い)、これはまわりの男性のほうが少し立ちおくれているのかもしれません(笑い)。

しかし、結婚しているかどうかで人生が決まるんではないということですね。だからまわりの人がバタバタ結婚しても、自分の人生というものは、結婚や恋愛は大事なものであるけれども、しかし、それで人間の値打ちが変わるものじゃないから、あせらないで、堂々と暮らしてほしい。そうすると、あの人はなかなかしっかりした女性だということで、きっとプロポーズする人がうんと多くなるんじゃないですか(笑い)。

結婚の基本は一夫一婦制度

 それから最後の、なんかむずかしい問題が出ましたね(笑い)。社会主義になったからといって、結婚の前の男女関係といいますか、そういうものをせんさくして、結婚の前に事実上の結婚があったから、これは監獄に入れるとか、そんなばかげたことはしませんから(笑い)。そんなことをしたら社会主義政権はもたないと思うんですよ。

というのは、恋愛は基本的にはその人の実質的責任で進む問題であって、どういう男性、だれかれを選べなんてことは、どんな社会になってもやるべきじゃない。いま勝共連合はやってますね。統一協会というんですか、あれは集団的に男女を集めて、どっかへ連れていって、教祖の命令のままに祖み合わせで集団的に結婚させられる。本人たちは、ああいう邪教ののろいにかかったようなことでですね。そういうことは、もう非人道的で、ありえないことで、考えられないような状況ですね、ああいうのは実に非文明的なことです。

社会主義社会の結婚の基本は、やっばり一夫一婦制度ですね。一夫一婦制度というのは、人類がいろいろ遅れた時代から、群婚とかさまざまの婚姻関係の中で、最後に到達した形態であって、これは資本主義社会の場合には、いろいろ経済的な混乱などがあるために十分保障されないといいますか、苦しさのために転落して、経済的に苦しいとか、いろいろ退廃的な産業が山ほどあるわけですね、そういうところに暮らさなければ生きられない。その中ではさまざまな退廃の現実が待ちかまえている。

退廃産業みたいなものが日本にあるわけですね。だからテレビの問題なんかでも、わたしたちは家庭にまで退廃的な番組をもち込むことは正しくないということをいいましたら、共産党はものわかりが悪いなんて、わたしどももさんざんいわれましたけれど、しかし、外国の共産党の人たち、フランスやイタリアからたくさん来ますけれども、かれらはヨーロッパをよく知ってるんです。日本ほどテレビが退廃してるところはない、というんですね。英国の人でもそうですね。アメリカ人もそういいますし、ニュージーランドあたりの人も、こどもを日本に連れてきたら、非常にいい子だっだのに、短時間でテレビ見て悪くなったというんですね(笑い)。早く帰りたいといった日本文学研究者がありました。そういってびっくりしてましたけど。

友情と連帯の輪のなかですばらしい恋愛・結婚を

 ただ、モラルという点ですね。たしかにいまあなたのおっしゃったように、結婚の見通し、あるいは結婚との関連なしに、結局、それは特定の人に限られている場合はまだまだとしても、それがだんだん原則がなくなって、多面的な関係を(笑い)発展さすということになると、まあ統一戦線や国民的合意は多面的に無数に発展させなければなりませんけど(笑い)、恋愛・結婚というのは多面的に無数に発展するとやはり混乱が起こりますから(笑い)、そこはやっぱりコントロールが必要で、そしてこういうモラルの問題については、共産党もいろんな文書を出しましたし、民青も出しましたね。

だけど大体民青などの出しているところに基準があるんじゃないですか。ただ、そういうものは社会主義になったら刑罰的にどうこうというんじゃなくて、本質的にはやはりモラルの問題で、基準を示すという形ですね。そういう形で問題は発展していくべきだと思います。

 ですから、なにもすることがないからという、さっきの方の発言、しかしいまの日本にはやることはいっぱいあるんですね。まわりで、そういう生活環境の中へそういう人たちをひっぱってほしい。連帯と友情ですね。いま若い人たちの世論調査を見ましてもね、やはり友人を求めたいという連帯と友情、この希望は非常に強いですね。しあわせな家庭ということを目標にしている人に劣らないぐらいの人が、自分たちの友人と仲間を求める。

これはいまの世代が、幼稚園からずっと、かなり集団的な訓練をしてきていることの一つのあらわれだと思うんですが、男女同学だった時期もきっと皆さん方の間にはあると思うんですが、そういう点では、いろんな仲間と交流し、いい友だちを見つけて、またその中にはいい恋人を見つけるというチャンスがたくさんあるわけですから。しかし、いい恋人というのは、決して、勝共連合とかあるいは自民党の青年部とか、民社党の青年部とか、そういうところにはいないということを、私はあえて言いたいと思いますねえ(拍手)。

佐田……どうもありがとうございました。それでは、まだほかにもいっぱい質問したいという方がいらっしゃると思いますけれども、残念ながらもう時間がないんですね。それできょうはこれで対話を終わりにして、またいつか次の機会にしたいと思います。
 宮本顕治さん、どうもありがとうございました(拍手)。

──「幸せと未来をむすぶ女性のつどい」での対話──
一九七七年三月二十六日、東京・中央区中央会館──
(「宮本顕治青春論」新日本新書 p126-137)

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故宮本顕治元議長の葬儀での
志位葬儀委員長あいさつ

──略──

 私が、宮本さんの講演などに接するようになったのは、一九七〇年代の大学生のころですが、百戦錬磨の政治家・革命家としての洞察力にみちた政治論とともに、現代の若者がいかに生きるべきかをのべた人生論に、強く心を揺さぶられました。

 宮本さんは、戦前ともにたたかい、暗黒政治の弾圧に倒れた小林多喜二の生涯などにふれて、最も人間的な生き方とは何かと問いかけ、「生きることを大切にするとは、生きることに対して不当に妨害するものに対して、頭を下げない、自己の信念を裏切らない、これがもっとも気高い人間性の発揮」だと語りかけました。深い理性に裏付けられた宮本さんの不屈さ、剛毅(ごうき)さに、深く感動したことを思い起こします。

 一九九〇年代に、私は、党指導部の一員として宮本さんとともに活動することになりましたが、宮本さんから多くのものを学びました。宮本さんは、私たち後輩にたいして、きびしい中にも独特の優しさをもって対してくれました。はにかみをふくむような優しい笑顔が、いまでも目に鮮やかに思い起こされます。
──略──

(「赤旗」20070807)

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◎「だからまわりの人がバタバタ結婚しても、自分の人生というものは、結婚や恋愛は大事なものであるけれども、しかし、それで人間の値打ちが変わるものじゃないから、あせらないで、堂々と」と。