学習通信070823
◎かりそめの幸福というもののはかなさ

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 千石荘病院に医師として着任したときには、これで、母を少しは楽にしてやれると信じて疑わなかった。

 母は、永年勤め上げた小学校の小使い室を後にして、タケ子と二人暮らしの展望が拓けたことがどれほど嬉しかっただろう。

 血のにじむような努力の果てに手に入れたささやかな願いが、今は無惨にも打ち砕かれた。

 タケ子は丘の上の草むらにある大きな石に寝転がって、渦巻く無念と、身体の底から沸き上がって来るような言いようのない怒りを押し殺して空を眺めた。
 年老いた母親が無性に愛しく感じられた。

 実は、タケ子にはもう一つ、心の中に空洞ができて、切なさがそれを押し広げるような気持ちにさいなまれていた。

 きょう、三朗がタケ子の家に来ているはずであった。
 しかし、タケ子はどうしても家に帰る決断がつかなかった。帰らないタケ子のことを、母親が一生懸命持ちわびている姿を思い浮かべては、うち消していた。
 一ヶ月前に帰宅したとき、三朗から手紙が来ていたのを知った。
 タケ子がレッドパージにあったことを新聞で見て、心配していた。
 三朗は証券会社に就職していて、仕事が軌道に乗り始めていた。手紙には近況報告の後にこう書かれていた。
 「小生、ボチボチ身を固めたいと思ひ始めて居ります。タケちやんも今こそ自分の身の回りをかためるよい時期ではないでせうか。貴女の好きなセレナーデのレコード入手致しました。十一月はじめの日曜日、家をおたづね致します。そのときラヂオの雑音も、真空管を取り替へて工夫してみませう。病院ではもう、患者を診ておいでにならないから、急に帰れないといふことはないでせうね。ハハハ冗談です」

 タケ子は三朗と一緒にいると、彼の穏やかな性格が醸し出す雰囲気でとても安らいだ。音楽の話をしていると、二人でいることが楽しかった。
 今度、家に来て三朗が話すことも、おおよそ想像がついた。
 だが、手紙には、見過ごせないこだわりが残ったのだ。

 タケ子の賊首のいきさつについて「大変な目に合はれたこと、お慰めの言葉を知らず」と見舞う心を示しているが、権力による不当な扱いを、共に怒る文面は見あたらなかった。そのことに、わずかな切なさと失望を感じた。

 このわずかな切なさと失望は、これまでの三朗の言動に、思いをはせることを誘発した。

 三朗は医師として働くことは賞賛したが、なぜかタケ子が労働運動や社会変革の活動を話すと、微妙に距離を置いた。
 「僕ら戦争を体験した者としては、民主主義が大事というのはよくわかるが、自分の身を守るのに精一杯。男として一人前になることを考えるのが、責任ある生き方と思う」

といって、西村医師がベーベルの『婦人論』を読めと言う話や、林医局長の正義感に、何の関心も興味も示さないのだった。

 タケ子は自分が安らいだ三朗の穏やかさは、ひょっとして「自分の身を守ることで精一杯」という、処世術から作り出された穏やかさではないかと思えて来た。

 たたかいの先頭に立っているタケ子には、三朗がかけがえのないものとする「一人前の男」という発想は、今の自分にはそぐわないように思えてならない。そういう気持ちがふくらんで、違和感に行き着くのが悲しかった。

 本当は安らぎたいのに、そこでは安らげないと感じてしまう、どうしようもない切なさは、何をもってしても紛らせない。

 それでも、未練がましく、三朗と会ってふんわりと暖かさに包まれたいと思う心が明確にある自分に、腹を立てた。

 そんな姿を誰にも察知されたくなくて、独りになりたかった。

 収拾がつかないまま、秋の気配に身をゆだねていると、子どもの頃の情景が断片的に去来した。
 西鳥取小学校の正門を出て、角を右に曲がりまっすぐ二百メートルも走れば、一息で海に出る。
 広い海を隔てた向こうに、明石から六甲に連なる山がうっすらとかすむ絵のように広がって、瀬戸内につながる波打ち際は静かで、やさしく砂浜を洗う。
 浜をかけたときの海のにおいが、懐かしかった。
 今頃浜で魚は、何が揚がっているだろうか?
 考えるともなしに雲を眺めていると、少しまどろんだかもしれない。

 と、どこからかコーラスが聞こえてきた。
 「更けゆく秋の夜 旅の空の
 詫しき思いに 一人悩む……」
 起きあがって振り返ると、西野、加藤、大西、西井がいるではないか。
 「恋しやふるさと 懐かし父母
 夢路にたどるは 里の家路」
 タケ子も一緒に歌った。
 「窓打つ嵐に 夢も破れ……」
 大西チエ子が言った。
 「先生がいないので、どこへ行ったのかと思ったよ」
 タケ子は、明るく言った。
 「私だって、たまには一人で考えることがあるわよ」
 「西野さんが、多分、城山や、探しに行こうて言うから……」
 「もう、チエちやんは何でもすぐ言う」
 西野は、バツが悪そうにモジモジした。
 「アハハハ、それにしても気持ちがいいね。秋はいいなあ。みんなおいでヨ、ここに座ろ」

 タケ子は自分の行動を心配している四人に思いをはせながら、かねて言わねばと考えていたことを話した。
 「合宿をして相当立つけど、みんな雑魚寝の生活をよく頑張っている。しょっちゅう起こるもめ事も、この四人がいい役割を果たしてくれて、大きな矛盾にならずに済んでいるよね。でも、家の仕送りはどうしてる? 大変やろうな。私、そんなこと考えていたの」
 「そうか、先生はそんなこと心配してくれてたのか、ありがとう。でも、先生も年とったお母さんひとりぼっちにして心配やろ?」

 「チエちやん、私らの悩みと先生の悩みと、みんなそれぞれ違うで。私らは家が貧乏で弟や妹がいて、首になったことを親は一応心配はするけど、貯金を自分の判断で取り崩しておくってやったらまあ、しばらくは安心しているよね。先生のところは年寄りを一人にしておけないけれど、団結の要の先生は、家に帰れないという問題や」
 加藤は静かに言った。それを受け取るように西野が続ける。
 「ホントに。貯金を取り崩す生活も人によって蓄えの状況もばらつきがあるからひとつにはくくれないね。先生のお母さんも私ずっと気になって仕方がないの。一人一人で頑張るのも限度があるね、長期戦のことを考える時期になったと思うわ」

 無口な西井は、何も言わなくてもみんなと同じ気持ちである。
 口に出して確認したわけではないが、がんばりの中核にいる五人が集まった格好である。自ずと、もっとも心許せる会話が交わせるのだった。
 タケ子は、たたかいの中で得た仲間の温かさを痛感していた。それはなんという思いやりに満ちた優しさだろう。

 「このたたかいがなかったら、私たちはこんなにもお互いを思い合い、心を通い合わせることがなかったと思う。私にはみんながもう、かけがえのない友だち以上の存在に思えるの。ありがとう、巡り会えてよかった」
 タケ子はさらに言った。
 「母のことを心配してくれるのはとても嬉しい。けれど、母は無学なバアサンやが、私を理解して待っていてくれていると思う。この前、西野さんが帰れと言うてくれたので帰って話をしたらバアサンも何とかなると言うてくれた。そういう意味では、バアサンも仲間や、アハハハ」
 大西が言った。
 「先生のお母さんも仲間か、そんなら、お母さんも一緒に住めたらもっといいな」
 「そんなら、ますます女のてんこ盛り、大世帯や」
 タケ子と大西の会話に、大笑いした。

 「それにしても、こんなエエ女が五人も居るのに、誰も彼氏はおらんのか……」
 「居るとも、居らんとも、曰く言い難い。そこがエエ女のつらいとこや」
 タケ子と大西がいれば、こういう会話は際限がなく、みんなは笑い転げる。

 秋の日はあっという間に傾く。夕暮れが迫ってきた。
 「ああ、寒くなってきた。先生のお友だちからカンパで送られたジャンパー、ほら、みんなでもらったでしょう。あれ、すごくしやれているので、私秋一番のお気に入りなんよ。あれ持ってきたらよかった」
 日頃は勉強熱心であまりおしやれに関心がなさそうな加藤が、メガネを指で押しあげながら言ったので、娘たちはまた、ワッと笑い声をはじけさせる。
 「こんな山の中で、そないにしやれても、狸ぐらいしか見てくれへんで」
 タケ子は時々きついジョークを飛ばすが、今や誰も傷つかない。西野が言う。
 「いいの、いいの。狸でも狐でもみんな見て頂戴。目の保養させてあげましょ。ね、帰ったら、どう、頂いたズボンや上着全部引きずり出して、秋冬物のおしやれ研究会、ファッション・ショーをやろう!」
 「ホウ、ホウ」
 娘たちはすっかりその気でいる。

 五人は歌を歌いながら、暮れなずむ山道を急ぎ足で下った。
 「黒い瞳の わかものが 私の心を虜にした
 諸手をさしのべ わかものを 私はやさしく 胸に抱く……」
(稲光宏子著「タケ子」新日本出版社 p230-237)

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妻なればこそ

 かつてマルクス主義の学者として、京都大学で名講義をおこない、日本中の青年の心をひきつけた人に河上肇博士がいます。博士はついには単に大学で学問研究者としての位置にのみ甘んずることができなくなって、栄光に輝く教授の地位を投げ捨て、実践活動に入りました。もちろん当時のことですから、ただちに捕えられて投獄、小菅の刑務所で五年の囚われの身となったのです。今までは質素ではあっても栄誉に輝くくらしであったのが、何から何まで苦難のつみ重ねの日々となりました。衣食住すべてのくらしの激変、自由をまったく奪われた屈辱。

 その苦しみにつけこむように、当局から甘いことばがささやかれます。転向の記を書いてくれるなら早く出すというのです。一時ゆらいだ博士の心は、妻、河上末さんのことばによってもとの確固たる世界に立ち直ることができました。奥さんはこう言ったのです。

「五年の歳月をいささか縮めるために心にもないことを言って、あなたは後でどんなにそのことで悩まねばならなくなるか。そういうことはすべきではない」……立派なことばです。

もちろん奥さんは主義者ではなく、単に夫河上肇の良き妻としてのことばですが、愛しきるということはこうしたことばを妻が言うことが可能なのです。

別にマルクス・レーニンを勉強しなくても夫に節操を保たせたい、なぜならば、変節した後で、きっと夫が陥るに違いない煩悶の恐しさが予想されるから、という鋭い思考と直感の世界は、まさしく良き妻のことばです。

夫は囚われの身、娘も地下運動で潜伏。まったく孤独な妻としては一刻も早く夫の帰りが待たれるに違いないでしょうが、夫に節をまげさせてまで、彼女は自分の幸福を求めようとはしませんでした。まちがった手段によって得たかりそめの幸福というもののはかなさを、妻はよく知っていたといえます。
(寿岳章子著「働く婦人の人間関係」汐文社 p32-33)

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 結婚にしろ、離婚にしろ、それを判断する基準はやはり、個人主義的なものであってはならないわけです。

恋愛や結婚生活自体に至上的な価値をおくと、正しい行動の規準は生まれない。

もし恋愛や結婚自体が至上のものであり、人間生活の規準であるなら、監獄の中へ人間を入れておけば、結婚生活はできなくなるから、その中で何年も送るということは、基本的に価値の低いものとなってくる。

恋愛や結婚を社会生活の中心的目標とするならば、共産主義者でも監獄に入れさえすれば結婚生活のために出たがるわけでありますから、いくらでも転向させることが出来るでしょう。

恋愛や結婚は人間の生活感情として自然でもあり、かつ人間の社会生活としても必要な行動であることはたしかです。

しかしその内容は、恋愛生活、結婚生活を、その社会の発展──具体的には新しい社会をつくる運動と方向に役だつ内容にしなくてはならないわけです。

だからそのために、ある夫婦の一人が遠い方面で働いている。そして半年会えない一年会えないということがあっても、運動に対する全体のモラルからいえば、自分勝手に相手を作って妻を裏切ることに何らの合理づけもできません。

それは、社会的階級的に無規準であり、逸脱となり、直接的には妻を傷つけ不幸にし、運動自体からいっても当然マイナスになるのであります。事実いい意味での克己──大衆の信頼を失わないことが、自分の生活の規準だということをはっきりつかんで行動することによって、普通の混乱は防げるわけです。

 過去において、革命運動が苦しい弾圧をうけたとき、党を裏切った人間の中には、「私生活」でも混乱し、弱点をもっていた人間が多いのであります。そういう人は弾圧や懐柔にももろい傾向がある。

過去において党に潜入したスパイの特徴は、対人関係でも無規準な脱線をよくやることでした。スパイは一見共産主義者のような格好をしていても、「私生活」からもそれが現われてくるものです。革命運動に忠実のように見えても、ほんとうに献身的でないので、婦人党員で自分に気に入るような人がいると、自分は中央委員であるとか言って誘惑しようとする。そういうことから、あいつはおかしいということがばれてくる。

スパイでなくても、社会生活で、三角関係、四角関係ということでよく問題をおこすような人問は、監獄にはいっても転向しやすい。「私生活」の感情がエゴイズムであると、自分の感情の満足が第一であるから、妻や恋人からきりはなされると、自分の主義主張よりも、早く出して貰いたいという感情が先に立つ。

もちろん私は正しい意味の恋愛が花開く意義をすこしも消極的に見ようとするものでありません。

正しい恋愛であるならば、運動に対しても立派な態度をとるということが前提となって、自分と相手をもたかめるという生活態度も生まれてくる。正しい結婚生活であるならば、お互いが一つの革命の目標に結ばれ、貞潔で誠実であることが、二人の生活能力をもたかめ、人民と階級、党の発展と勝利に役立つことと合致しうるのであります。私たちはこういう恋愛と結婚の成長を心から祝福したいと思います。

全体としては、そうした立派な成長の例がふえつつあるのは否定できないことであります。ところがなかには結婚期までは理解ある同志であり恋人であった夫が、昨日まで勇敢な同志であった新しい妻に、お前まで運動をやっていては家はどうにもならない、家の飯たきをやってくれというような例がたまたまあります。

こういう家庭生活と社会生活とを調和し統一するという問題をほんとうにつかまないで、男中心のエゴイズムから解決しようとしている傾向も警戒する必要があります。

 さっき司会者が言いました「ハウス・キーパー」の問題にふれます。

昔地下の運動をやっている人は、普通の間借りをすることはむずかしい。間借りをすると、勤め人のような風をしますが、なにもろくに荷物をもっていない。次から次へと住所をかえるわけですから、家具らしい道具もない。トランクーつをもって間を借りようとしても、これじゃ何かあやしげな泥棒の類か何かで家のものをもっていかれるんじゃないかとも見られます。カバン類をもっていても、あやしいとにらまれて、あけられたら運動に関する文書がはいっていますから、大変なことになり、なかなか間借りがむずかしい場合があります。そういう場合に、普通の夫婦のような形をとって家を借りてくらすということが、個々人のあいだの話し合いの上でやむえずとられた場合があった。

党として正式にそういうやり方をみんなにすすめるとか、奨励するとかいうことはなかった。こんな場合を運動が弾圧されたあとで「ハウス・キーパー」といって、新聞なんかで、ただ猟奇的に扱い、奴らは革命のための手段を選ばないとデマを飛ばした。党の方で、誰と誰とは一緒に同棲生活をやれというような、むちゃくちゃな人権無視の制度はやらなかった。

小林多喜二の『党生活者』でも、いろいろ運動が困難になって主人公が地下の党活動にはいる。

そうしてそれまでに親しい関係にある婦人にたのんで一緒に住んで貰っているのですが、どうしても経済的にやってゆけない。党でも活動家に月々十分の手あてが出せない。『党生活者』の場合には、一緒に住んでいる婦人がカフェーに働くわけですが、それで生活を助ける。

主人公は運動の中でやはり新しい元気のある婦人同志にぶつかるわけです。しかし、その婦人同志と恋愛感情が生まれることまで至っていない。つまりそこに新鮮なものを感じるということになっているのであります。それに対してその人間的な取扱いが非常に不当である。これは手段のために人間を使ったのだ。人間蔑視であるということが「近代文学」の人びとから抗議が出たのであります。

 もちろん、今日から見て、小林の作品の中にもいろいろ欠陥があります。ハウス・キーパーということにしても、婦人の取扱いの場合、いろいろもっとつっこみ、もっと全面的にとりあげる必要はあった。しかし作者は、一緒にすんだ婦人をただ自己の生活の便宜のために非人間的にとり扱っているとはいえない。

たとえば、その女の人が過労で足がはれるのですが、その時も下宿の中でそのむくみをいたわってやる。こういうふうな場面も出てくるわけであります。

この作品は前編であり、そうしたことも十分な感情でつっこんで描かれていず、新しい婦人の立場というものの関係もまだはっきりしないまま終わっている。作者は後編を書かず捕われて死んでしまっていますから、未完の作となっている。あの作品にも今日からみて、いろいろな物足りない点はあるとしても、それをもって、全体としてこの主人公が非人間的であるとはいえない。

主人公は世俗的な希望と環境をすて、困難で犠牲多い仕事へはいっていって、社会変革のためにたたかうことが作品の基調になっています。これこそ根本的には人間的な感情だといえましょう。部分的な印象から作品全体を「非人間的なもの」ときめこんでしまうならば、これは本を見て森を見ないだけでなく、その木さえ全面的に見ていないとまでいえるのであります。
(「宮本顕治青春論」新日本新書 p167-171)

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◎「大衆の信頼を失わないことが、自分の生活の規準だということをはっきりつかんで行動することによって、普通の混乱は防げる」と。