学習通信070827
◎おちついて、冷静に。冷静に。……

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日本の反共主義解明
レッドパージの公開研究会

 労働総研など

 「レッドパージと戦後の労働運動──反共主義とのたたかいの歴史的・今日課題と意義を考える」をテーマにした公開研究会がこのほど、東京都内で開かれました。

 労働運動総合研究所、全労連会館、産別会議記念労働運動図書資料室の共催。全労連、JMIU(全日本金属情報機器労組)、自治労連、電力連絡会、東京レッドパージ連絡センターなどから五十人が参加しました。

 吉岡吉典氏(日本共産党元参院議員)がレッドパージについて講演。アメリカと日本の支配層が共産党の壊滅と労働組合の反共的再編を目的したものであり、アメリカ型の反共主義と日本の治安維持法的発想が結びついたものであることを、資料を使って解明。憲法や労働基準法にも違反する違法弾圧であることが弱点だと強調しました。

 レッドパージ犠牲者の運動は、違法な弾圧にけりをつけ、現代の職場における思想差別の根源を断ち切るたたかいであり、労働運動としての視点を強調しました。

 金子圭之レッド・パージ反対全国連絡センター事務局長などが、国会請願や弁護土会への人権侵害救済申し立てなどたたかいを報告し、発展のために労働運動の役割を強調しました。

 参加した労組幹部の一人は「アメリカでは『赤狩り』を違憲とする最高裁判決が出され、犠牲者の名誉が回復されたことを知って、日本の遅れを痛感する。公開研究会はよい刺激になりました」と語っていました。
(「赤旗」20070824)

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第六章 レッドパージ

(1)

 時代の次の節目を示す暗雲は、地平を覆うように低く、じわじわっと湧き上がるように、ひろがっていた。

 「暗雲」とは、レッドパージと呼ばれるもので、当時アメリカ占領軍の指令や、その権力を背景に強行された、共産党員とその支持者および労働組合の幹部や活勤家に対する首切り弾圧である。

 ここで言うレッドパージは、一九四九年(昭和二十四年)の目本経済の安定九原則なるものの実行を迫る「ドッジプラン」(三月)に基づく官公庁の行政整理を利用した首切り宣告などによるもの、また五〇年七月十八日付マッカーサー書簡による共産党員と支持者の首切りがあり、この年末までには一万数千人が思想・信条を理由に職場を追放された。犠牲者は合計四万人にのぼったとされる、これら一連の動きを言う(なお、平田哲男『レッド・パージの史的究明』〈新日本出版社〉によれば、被追放
者の総数は推定二万七千三百人を上回るとされている)。

 タケ子たちが遭遇するのは、その一つ、一九四九年の「ドッジプラン」による公務員労働者にかけられた行政整理、「定員法」を名目にした「首切り」である。

 まず、同年七月に国鉄が三千七百人首切り通告を開始したのを皮切りに、八月には郵政省が二万六千五百人の首切り通告を始めていた。

 国立病院である千石荘病院に、この攻撃がいつかけられるか、騒然たる情勢を反映した新聞や、上部団体の情報をくまなく読み尽くし、労働組合ではそのことが話題にならない日はなかった。

 こうしたアメリカの占領政策の転換は、戦後の世界情勢の進展による。

 アメリカ国内では戦後初めての不況・恐慌の波が押し寄せていた。経済的な世界制覇のもくろみが国内の土台がゆらいだために、とくに中国革命の進展とアジアの民族独立のたたかいと広がりに脅威をなした。

 そこで、対日戦略を、当初の連合国の合意事項からアメリカに都合のよい形に捻じ曲げる方向をとり、日本を従属的同盟者として、アジアでの役割をになわせることに主眼を移した。

 日本の経済復興については、いったんつぶした戦前の独占資本を再建させ、一方、この野望を妨げそうな国民の民主運動と労働運動を厳しく弾圧、圧迫を加えて、民主的世論の高まりを抑えることにしたのである。

 実際、当時の情勢は、アメリカの野望とそのもくろみを受けて日本の吉田自由党政府の動き、片や、国民の暮らしを守る意識の高まりと運動の進展を反映し、騒然としていた。

 日本国内では片山、芦田と続く社会党と民主党の連立政権が「昭電疑獄」で倒れて、一九四八年十月第二次吉田茂内閣が成立するや、十一月には公務員のスト権を剥奪する国家公務員法改悪が強行された。

 年明けて一月総選挙では自由党が単独で過半数を取るものの、共産党は国民の支持を得て三十五人の衆議院議員を当選させた。するとまもなく、自由党政府は四月には「団体等規正令」を公布、共産党組織と党員を登録制にし、党と民主団体を取締りの対象にした。当時、思想警察の役割はGHQの指示でつくられていた法務省特審局(五二年に公安調査庁となる)が受けもっていて、右翼、旧軍人などの調査をおこなっていたが、この「団規令」の公布により反転して共産党や民主団体を標的にした。

 さらに、夏には、のちに戦後の「三大謀略事件」と呼ばれる事件が次々に起きる。

 「下山事件」(国鉄総裁が行方不明となり、翌日死体で発見)=七月五日、「三鷹事件」(中央線三鷹駅で無人電車が暴走)=七月十五日、「松川事件」(東北本線金谷川−松川間で列車転覆)=八月十七日が、連続したのだ。

 これらの犯行は国鉄労組、在日朝鮮人連盟、共産党員、東芝労働者などのしわざとでっち上げられ、謀略をもとにした空前の反共宣伝キャンペーンが新聞などで、世論を覆いつくすように、大規模に続いた。

 しかし、これらのすべてが作り話で、今日にいたってなお、真犯人は明確にならず、ことの真相はいずれも闇に葬られたままになっている。

 民間労働者・活動家への大量首切りも、東芝、住友、日立、関西配電と続いた。

 同じ頃、GHQ民間情報教育局顧問イールズが共産主義者教授の追放、学生スト否認の「イールズ声明」演説を新潟大学、大阪大学などでおこなっている。

 千石荘病院が加盟する全日本国立医療労働組合(全医労)では、国立医療機関には「定員法は適用しにくいのではないか」という議論もあった。

 それは当時、全国の国立病院や結核療養所では、六百人の医師と看護婦が足りないという深刻な人手不足で、首切りどころの騒ぎではなく、ひしめく患者に追われて、医療行為をともかくこなすためには、増員が現場の切実な要求だったからだ。

 しかし、占領軍と政府の狙いは医療を改善する現場の声など問題ではなく、レッドパージにある。

 この本質が見抜けず現場感覚の反映として、全医労中央闘争本部は、「指令七号」で「九月一日現在、情報を判断するに、九月五日から、十日までの間に第一次として、(全国で)約百名が質的整理(業務非協力者、長期病欠者など)として個人通告されるものと予想される」としていた。

 九月五日、朝から暑かった。
 まるで真夏のように、朝から油照りする太陽が照りつけ、風はなく、じっとしていても汗が流れる。患者には過ごしづらい一日になりそうだった。

 タケ子は流れる汗をぬぐいながら、いつものように午前中の北病棟回診をこなしていた。

 担当する入院患者九十人中、四十一人目の回診の患者は、「患者自治会」の役員をしている安田であった。安田がベッドに正座し、タケ子は聴診器で胸のノイズを探っていた。

 そのとき、若い看護婦が入ってきた。
 「あのう、クツヌギ先生、失礼します。院長室からのご連絡です。院長先生がお呼びです」
看護婦の声にはまったく屈託というものが感じられなかった。しかし、労組委員長のタケ子はそれが何であるか、瞬時に感じ取った。
 「わかりました、それだけ?」
 「はい」
 看護婦はそこにとどまらず、くるりときびすを返して、軽々とした足取りで廊下を去っていった。
 安田は目をつぶり、呼吸を整えて診察を受けていたが、一瞬カツと目を見開いて、小声で叫んだ。
 「先生、もしかして……」
 タケ子は聴診器を耳からはずして、静かに言った。
 「どうもそのようね。診察は、きょうはこれだけにしておきましょう」
 「ア、はい。解りました。ありがとうございました」
 安田は、いつもの回診のように振舞おうとしたが、パジャマのボタンをはめる手が震えた。
 「大変なことになった、千石荘病院にも噂の弾圧が来たぞ。患者自治会役員に緊急事態を知らせなければ、みんなに招集をかけなければ」と思うほどに、ボタンがうまくはまらない。

 タケ子は表情を変えず、聴診器を白衣のポケットに入れながら病室を出た。
 ──いよいよ、きたぞ。この呼び出しは、首切り宣告かもしれない──
 回診は中止せざるを得ない。
 大きな息をひとつ。呼吸を整え、背筋を伸ばし、北病棟から院長室の本館に向けて、長い廊下をゆっくり、ゆっくりと歩く。
 ──おちついて、冷静に。冷静に。いかなる事態が起きてもたじろがない──

 タケ子は「決意」をごくり、と飲み込んだ。
 まもなく、向こうから、白衣が一人、飛ぶように走ってくる。
 主任看護婦西野美起子だった。
 「先生、やっぱり、アレ、きました。私たちも呼び出しです。活動家ばかりの狙い撃ちです」
 西野は、引き締まった表情で、一つ一つの言葉を明瞭に伝える。
 「そう、やっぱりね。わかった。呼び出しが来ている人全員そろって、ね。院長室の前に集合。患者会役員にも知らせて。私は先に行って、待ってるから」
 「はい!」

 やがて、院長室の前。
 従業員や患者会の人たちが無言で、取り巻いている。人垣は刻々増えている。
 ドアの脇に立ったタケ子は言った。
 「皆さんいいですか? では、今回呼び出しを受けた者の確認です。医師一名、これは、私です」
 緊張がほぐれる笑みが音もなく広がった。
 「看護婦は?」
 「十一名です」
 西野が応えた。つづいて、タケ子の確認に応える声が響く。
 「事務は?」
 「二名」
 「技師は?」
 「一名」
 「現場は?」
 「三名」
 「全部で十八名ですね。そろっていますか?」
 「はい!」
 すべて打ち合わせどおりに進んでいる。
 「辞令がでたら、一括返上、そして、辞令の理由を問いただして反撃。職場は絶対に守りましょう、いいね」
 抑えたタケ子の声が響く。
 「異議なし!」
 十八人は、うなずきあった。

 「さあ、行こう」
 現業・電気担当の尾崎が、太い声で叫ぶ。
 大きな拍手が沸き起こった。
 ドアを開いて、タケ子を先頭に十八人は順次、院長室に入っていった。
 迎える院長と副院長、庶務課長はぎょっとした表情で、棒立ちになっている。
 やがて、絞り出すような声で副院長が口火を切った。
 「一人ずつ来てくれないと困るんだが……」
 「副院長はお控えになってください。お呼び出しは、院長先生のご指示でしょう」
 タケ子は、低い声だが歯切れよく言って、頭の禿げ上がった副院長をにらみつけた。
 副院長は、目を離さないタケ子の視線を避けるように、一歩後ろに退いた。

 主任看護婦西野が、凛とした声で間髪をいれず、これに続いた。
 「院長先生、どういうおつもりでございますか? この時間帯は診療中なんですよ。私は人工気胸の介助中でした。まだ、一人クランケ(患者)が待っています。院長は患者の差し迫った診療活動を、一体どうお考えなんですか!」
 西野の看護技術の高さは、病院で知らないものはいなかった。ベテランの気骨を示し一歩も引かない姿勢は、日ごろから整った顔立ちをいっそう際立たせている。
 ニヤッと副院長が口をゆがめて笑った。やおら、西野の前に来て言う。
 「それがねえ、西野君、あんたたちは、今日限りその、なんだ、診療活動はしてもらわなくていいんだよ」
 「なんや、副院長先生、無礼ですがな」
 尾崎は、大声を出した。
 「まあ、まあ、落ち着いて。私から話そう」

 院長は机の引き出しを引きながら、回転いすにドンと座り、封筒の束を出した。いかにも、さりげない口調で、
 「沓脱タケ子君、辞令が出ております。受け取ってください」
と、目線をあげないで、一番上の封筒を机の上に差し出した。ところが、差し出す指先がぶるぶる震えていた。

 「なんですか、それは? なんの辞令ですか?」
 「あなたに対する、つまりその、免職という辞令です」
 「免職辞令? 私を首にするというのですか?」
 「沓脱君、クビッていう…… いやまあ、そうです。受け取ってください」
 そういって、院長は今度はタケ子に向かって、封筒を突き出した。ホレ、受け取れ、というように二度ばかり突き出す。
 こうなるとタケ子はいっそう落ち着くのだ。じっと院長を見据えて、言う。
 「あんたねえ、アホなことを言わんといてください。院長、どこの世界にわけもなしに、クビだと言われて、はいそうですかとそれを受け取る人間がいますか?」
 「そうです、理由をおっしやってください」
 タケ子の後にこう叫んだのは、なんと、一番年の若い看護婦の藤原だった。これが引き金になって一斉に、鋭い声が院長に飛んだ。

 「理由もいわないでクビの辞令を渡すなんて、どういうおつもりですか」
 「よう言わんのですか、わけを!」
 院長は渡すことができなかった辞令を、机において、腕組みをして目を瞑(つぶ)っていた。
 「わけを言ってください」
 沈黙が続く。
 十八人は院長から目線を外さない。
 院長は渋面を極めて、ボソボソと言いだした。
 「理由は、いや、理由というかなんと言うか、本省のほうから言うてきておるのは、あの、つまり、国家公務員法の、その、第七八条によると、言うておるんで、……」
 「七八条というのは、何かの項に該当したら、本人の意に反してこれを降任しまたは免職するということができるという条文ですね」
 タケ子がこう言うと、今までメモを取っていた庶務課長が反射的に顔を上げてめがねをずらし、タケ子を見て言った。
 「ほうお、先生よくご存知ですね」
 「庶務課長、あなたは黙ってください。みっともない」
 首をすくめた庶務課長を見届けて、タケ子は続ける。
 「院長、七八条だけではわからないです。第何項を当てはめたのですか?」

 院長は開き直って、よどみなく答える。
 「第一項、第三項です」
 すると、医労協中央役員になっていた尾崎は自分の出番とばかりに、発言する。無口だった尾崎は見違えるように、口述は滑らかだ。
 「第一項、勤務成績がよくない場合と、第三項はその他その官職に必要な適性を欠く場合、こういうことでしたな」
 「そうだ」
 「その誠首理由は、沓脱先生だけですか」
 院長はなおも表情を変えないまま答える。
 「他の人たちも同様だ」
 タケ子の怒りは爆発した。
 院長の前に進み出て、仁王立ちになり、ドン、と院長の机に拳をたたきつけた。
 「院長! あんたね、なんということを言うんですか。院長先生、ここに並んでいる看護婦さんはみんな日本中のどこの看護婦にも負けない優秀な技術を持った人たちですよ。患者の信望だって、どんなに慕われているか、周知の事実です。知らないとは言わせませんよ。この人たちのどこをして、適性を欠くというんですか。どの勤務状態が悪いんですか、言って御覧なさい。言うてみなさいよ、ええツ」
 もうひとつドンと机をたたいた。

 「あ、あんた、わ、私を脅迫するつもりかね」
 院長は思わず立ちあがった。
 すかさず、主任看護婦の西野が前に出る。そして静かに言った。
 「脅迫なさっておいでなのは、院長先生のほうではございませんか」
 西野の話し方は、今日では丁寧語が過ぎるように感じられるが、当時は役職にある看護婦は医師に対して、常にこういう物言いをしなければならなかった。
 医師に徹底して従う態度を示すことで、同時に部下の看護婦を統括するのである。医師と対等な会話などありえない。その通常の関係を守りながら、西野は、場面展開を次に進めた。

 「沓脱先生は、看護婦のことをおっしやってくださいましたが、千石荘院内の先生の中で、沓脱先生ほど仕事熱心で勤務時間を度外視してまで診察にあたられる、そんな先生はおいでにならないのを、一番良くご存知なのは、院長先生ではございませんか。患者さんの信望の厚さも抜群でございます。これは私たち看護婦が一番良く知っております。ねえ、みなさん」
 十一人の看護婦はいっせいに言った。
 「そうですとも」

 部屋の外では、少し遠まきで不安げに見守っていた患者たちが、そのやり取りを聞こうとして徐々に、窓ガラスに顔がくっつくほどに近づいていた。澄んだ西野の声が静まり返った廊下まで響いてきた。
 涙をぬぐいながら聞き入るものもいた。
 いつも明るくて陽気な看護婦大西チエ子が、今にも泣き出しそうな声で叫んだ。
 「患者思いで、人一倍ご研究もなさっている沓脱先生が、勤務成績がよくないという理由でクビだなんて、誰も信じられないです。おかしいではございませんか。この先生が不適格者とおっしやるのなら、院長先生、副院長先生も不適格者だと思います」
 「何を言うか、君は」
 副院長が立ち上がって、大西のほうに向かおうとするのを、尾崎は制した。

 「待ってください、待ってください。院長、副院長、はっきり言うたらどうですか。この首切りは、勤務状態とか適格性とか言うのやない、あんたらが思想調査をして、十八人を本省へ内申した、そうでっしやろ。どうですねん」
 「もし、ちやう(違う)と言うなら、ほなら、なんでこの十八人が、えらばれたんやし(選ばれたのか)?」
 尾崎は、力が入れば泉州弁が押さえられない。しかし、労組役員としての自覚が本質を見抜いた発言となり、場を引き締める。

 「副院長、あくまでも勤務不良、不適性て言わはるんやったら、その具体的な実例挙げて説明しとくなはれ。それ聞いて得心でけたら、その辞令もらいます。得心でけんもんは、ビター枚受け取れまへん。拒否さしてもらいまっさ。皆さん、どうですか」
 「ビター枚、拒否します」
 看護婦たちも、高らかに尾崎に同調する。
 「ビタ一枚」のくだりで、副院長は眉をびくびくさせた。
 院長は手のひらであごを撫で回した。
 タケ子は、「鐚一文」転じて「ビター枚」という尾崎の真剣な表現に、愛着を感じた。

 副院長はその「ビター枚」に乗じて、ニヤニヤしながら言う。
 「皆さんも、ご存知かと思うが、この辞令に署名捺印してもらうと、依願退職ということで退職金もちやんと出るんですよ。そうでないと、金も出ん、ということになるんだがね」
 人格とは一体なんだろう、タケ子はそんなことをふと考えた。

 その後「受け取れ」「拒否する」「受け取れ」のやり取りは二時間あまり、延々と続いた。
 当局側が、疲れきった表情を見せた隙に、十八人は辞令を受け取らないまま、すばやく引き上げた。

 だが、病院側は夕方になって、院長室前の大掲示板に、はみ出すくらいの大きな用紙いっぱい「免職辞令」として、十八人の氏名を書いて貼り出した。
 さらに、医局をはじめ、看護婦詰め所、現業詰め所、検査室など職場の要所には、ザラ半紙に「関係者以外の入室を禁ず」と書いて貼り、トラブルを引き起こして、警察力を導入しようとする挑発さえ始めた。
 十八人は、患者自治会とすぐ後に会合を持って、事態を報告し、協力を訴えた。

 患者自治会は「自分らの健康を取り戻すたたかいにとっても、この優れた医師、看護婦らの賊首を許さず守り抜こう」と決議した。
 はっと気がつけば、あの油照りの太陽が西に傾いているではないか。
 夕方になって、処分を受けた十八人が誰も昼食どころか、暑い最中、中には体調がすぐれない人もいたのに、緊張の場面の連続で、水いっぱい口にしていないことに気がついた。
 「ワー、のどか渇いた。渇きすぎてカラカラや。本当に、誰も気づかなかったね。あー、いっぺんに腹減ったア」
 ひょうきん者の大西チエ子が言って、一息ついた組合事務所では、ああ、そうだ、そうだと大きなヤカンの番茶を、数少ない湯飲みでガブガブ回し飲みした。

 夕ケ子は茶を一気にのどに流し込んで、仕事を終えたばかりの事務職の職場に、あいさつに走った。
 これではいけない。走りながら考えた。
 労組委員長たるもの、人をまとめる立場にあるものが、こんなゆとりのないことではいけない。たたかいを正面から受け止めて、「要」にふさわしい役割を果たさなくてはならない、決意を形あるものにしなくては……。
──どうする?
 事務職の職場の懇談を済ませて、ある考えを、実行に移す。
 まず、総婦長に会いに行った。
 「あなたは、看護婦宿舎も監督の管轄ですね」
 「はい、沓脱先生、さようでございます」
 総婦長は、ここ一年余り、タケ子のことを看護婦の間で「アカ先生」と呼んで、タケ子が主催する「病理学習会」などに看護婦を近づけないように動いた。
 共青に入ってサークル活動や「看護についての学習会」を組織している看護婦を探し出しては、親を呼びつけ容赦なく、「アカになるとは親族の恥さらしのはず。親として教育をしなおせ」と、病院をやめさせて連れ戻すよう強制していた。
 タケ子を信頼してあこがれる看護婦をいじめるため、子飼いの看護婦集団を身近に組織して、誰がどういう動きをしているか、スパイ活動もさせていた。

 しかし、タケ子に面と向かっては、医師と看護婦という古い構造のしきたりをはずさず、面従腹背の最敬礼を続けていた。
 タケ子はそこを見抜いていた。
 そんなことは承知の上で、向かって行くのがタケ子の本領である。
 物事に正面から切り込む、恐れを知らない度胸は、病気治療の決断でも、医療現場の人間関係改善の指摘でも、その的確さについていまや誰知らぬものはない。
 必要なことはズバリ、言う。局面は違っても基本は同じだ。

 「では、あなたに申し上げます。私は事情で、今日から病院に泊り込むことにしました。とりあえず、急なことですから、看護婦宿舎の空き部屋を私が使います。あなたの管轄ですが、よろしいですね」
 「あ、はい、まさか、あの、むさくるしいところにどのようなご用意を、これまでそのような事例がございませんので……」
 総婦長は、窮した。
 彼女は、決して気が弱いわけではない。
 二百人以上いる看護婦を統括する権威も決断力もある。場合により相手によって凄みも利かせる。また、このたびの「免職辞令」のことをも十分知ってはいるのだが、面と向かって堂々とタケ子に桃まれると、どういうわけか、即座に、どうしてもノーと言えないのだ。

 さらには、あろうことか「アカ先生」とはいえ、医者が粗末な看護婦宿舎の一室へ寝泊りするなどという前代未聞の申し出に、予測を上回る戸惑いもあった。この申し出を断りたいと、院長に進言することも瞬時には思いつかなかった。
 「用意など何もいりません。よろしいですね」
 間髪をいれず、タケ子はダメ押しのようにけじめをとる。
 「あ、はい」
 総婦長は、寄り切られた。

 しかし、タケ子は、不安とあせりが渦巻いていた。
 だからこそ、闘争中は帰宅せず、そこを自分の拠点としよう。病院に留まって団結を強め、診療を続け、昼夜を問わず仲間や患者とともにいて、たたかい抜く決意を示そうと考えた。
 それだけでは十分ではない。
 自分が先頭に立って、ただ、たたかいに突っ込むだけでは、今日のように病気の人は日ごろの活動が十分でないという気兼ねで水さえも欲しいと言えず、みんなにそれぞれ形の違った我慢を強いることになる。
 これからは、人の意見に十分耳を傾け、それぞれの立場の意見を尊重し、あの仲間たちの仕事にかける情熱や「気働き」が、十にも百にも伸びるように、自分の動きを心がけよう、それが組織を束ねる自分の役目ではないか。

 タケ子は深夜に及ぶ打ち合わせや会議のために、蚊を追い払いつつ、長い渡り廊下をせわしなく歩きながら、考えた。
 その先のことなど、思い及ばなかった。
 もうそれで、精一杯だった。
 むし暑くて、長い一日だった。
(稲光宏子「タケ子」新日本出版社 p143-159)

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◎「レッドパージ……アメリカと日本の支配層が共産党の壊滅と労働組合の反共的再編を目的したものであり、アメリカ型の反共主義と日本の治安維持法的発想が結びついたものであること……憲法や労働基準法にも違反する違法弾圧であることが弱点だと強調」。