学習通信070829
◎理屈でなしにモデルで習慣……

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幼稚園からのおべんとう

 こんな娘さんもいるんだなと思いました。私はある民間放送の審議委員をしておりますが、最近その民放のある番組が賞をもらったので、それを見せてもらった時の感想の一つです。

 おかしな内容のもので、放送局のスタッフが町をブラブラ歩いてふと出会った人と話しあったり何かしたりというきわめてハプニング性に富んだ趣向です。審議委員が見せてもらったものは、いくつかのヤマ場がありましたが、大阪の港近くでおつとめがえりの二人の若い女性にまず出会って、とりとめのない話をしたりしながら、三角ベースなどして別れるという他愛ないところでまず番組ははじまりました。その娘さんに、スタッフはおべんとう箱を見せてくれと迫ります。「いやァかなんわ」と相当すったもんだしたあげくに、とうとう一人の女性はかわいらしいハンカチの中の小さなおべんとう箱を見せます。

 「これ、幼稚園(ヨッチエンという大阪式発音でした)の時がらヤネン、キャハ……」とその人はいともほがらかに笑っていましたが、チラと見えたそのまるいかわいいおべんとう箱にはブタ三匹の模様が見えました。ああ、ブタブタコブタ時代のかと私も面白く思いましたが、同時にとてもすがすがしい感じがありました。

 高等学校を出ておつとめするまで持っていたコブタのおべんとう箱。おべんとう持ちというその暮らしのスタイルも健全だし、この使い捨て時代に物持ちよく使いつづけるというその人の、あるいはその家庭の古風さも私の気に入りました。

 大そうな美人とは言えないにしろ、はじらいながらとうとうスタッフとともに三角ベースまでやってのけたその人の悪びれなさも、よい意味の新しい時代を思わせ好感を持てました。ほとほといやになるような若い娘の多いこのごろですが、一方こんな人もきっとたくさんいて、世の中の土台を作っているのでしょう。
(寿岳章子著「はんなり ほっこり」新日本出版社 p14-15)

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習慣づけ──保育園と家庭のちがい

 園が休みのときは、親が自分で子どもをみる機会が多いので、家庭の方からいろいろと園でのしつけについての疑問がだされます。

問い──はじめのうちは、保育園での習慣が残っていたんですよ。親にも「あっ、いただきますしないで食べちゃいけないんだもん」といったりして……。ところがこのごろはすっかりくずれてしまい、テレビを見だしたらテコでも動かず、注意しても手も洗いにいきません。父親は、まだ小さいんだからあまりうるさくいうな、というんですがどうなんでしょう?

答え──それは困るなあ。やはりきちんと習慣づけてほしいです。

問い──でもけっきょく親が負けてしまって、どうしようもないんです。保育園では一人の先生が大勢のこどもをみている。家庭では年寄りをいれると三人のおとなが、一人の子どもをみている。それなのに家庭の方がうまくいかないんですね。

答え──今あなたは「それなのに」といわれたが、「それだから」ですよ。少し皮肉みたいですけれど。子どもは小さいほど、理屈でなしにモデルで習慣づけた方がよいのです。モデルって手本、手本的な環境ですね。保育園では先生をはじめみんながやる。友だちの体験も、そのまま自分の経験として習慣づけられていきます。家庭ではそういう環境がほとんどない。
「いただきます」ぐらいは親もいうが、食事の前に手を洗っているのはめったにみません。父親と母親と、それに年寄りまでいて意見がちがえば当然モデルは混乱しますよ。

問い──理由が納得いかないからかと思って、泥あそびのままの手で食べると、バイキンがはいっておなかが痛くなることをよくいって聞かせてやるんですけど。

答え──それこそ小さい子には無理なんですよ。いくらやさしく話したとしても、やはりおしつけなんですね。子どもの教育は、生活と経験に密着させながら習得させていくことです。

問い──「おしつけ教育」というのは、テスト、テストと追われる青少年だけかと思ったら、幼児の親もやっていたというわけですか。

答え──おとなは「期待される人間像」をつくって、自分はいっこう守らない。それでは子どもたらが混乱するのが当然です。かれらに表現力があれば、「おとなは期待される環境像をつくってそれを実現してくれ」というでしょう。家庭のしつけも似たようなものですよ。
(近藤・好永・橋本・天野「子どものしつけ百話」新日本出版社 p150-151)

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◎「暮らしのスタイルも健全だし、この使い捨て時代に物持ちよく使いつづけるというその人の、あるいはその家庭の古風さも」と。