学習通信070830
◎一〇年以内に消滅……

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《潮流》

ある山村の夜。宿の庭にでてみると、天の川がたなびくように夜空を横切っていました

▼谷間にたつ宿の下の暗闇から、急流の水音が響いてきます。対して、きらめく星々のあいだをどこまでも悠々と南北に流れる天の川。ときおりペルセウス流星群の星が流れては、山の端へと消えていきました

▼かつて、村の老人たちがいい伝えていたそうです。天の川がちょうど南北にかかるようになれば、畑のキビを食べていいころだ、と。しかしいま、過疎の村の畑は荒れ、キビをほとんどみかけません。たまに植わっていてもわずかで、それもたいてい、シカやサルの害をふせぐ網の中です

▼国土交通省のまとめによると、全国の六万二千二百七十三集落のうち、いずれ消滅するおそれのあるところは二千二百二十を数えます。四百二十三の集落は十年以内に消滅のおそれ、といいます。山野草の生い茂る畑に、滅びゆく里のありさまをみました

▼ことし夏、八ケ岳山ろくでも天の川を眺めました。山中に開けた草原から望む天の川は途切れとぎれの帯でしたが、星空の光量はきらびやかなほど豊かです。しかし、翌朝、近くのお花畑を訪れると、山小屋の主人がぼやいていました。夜に何十頭ものシカの群れが高山植物を食べにきて、手の施しようがない。山小屋の名物≠ェ花から星に変わってしまいそうだ……

▼人間の社会も、自然の生態系も、乱れ崩れてきています。一見すると規則正しい姿で季節をめぐる星空が、なおさらそう思わせるようです。
(「赤旗」20070822)

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随想

限界集落を考える
 長崎 明

 小学館『国語大辞典』によれば、「限界」とは「物事の範囲、能力、程度などの、これ以外、これ以上は無いという、ぎりぎりのところ」とある。また「集落」とは「人がむらがり集まっているところ。地理学では、人間が共同生活を行なうための住居の集まりをいう」とある。もともと「限界集落」という言葉は、長野大学の大野晃教授が、一六年前に発表した論文の中で、六五歳以上の高齢者が集落人口の半数を超え、冠婚葬祭をはじめ生活道の補修管理等の社会的共同生活の維持が困難な状況にある集落を限界集落と呼び、その対策の緊急性を指摘し、集落消滅への警鐘を鳴らしてきたのをもって嚆矢(こうし)とされる。

 昨年四月、国土交通省が過疎地域の人口減少や高齢化について実施したアンケートによると、全国六万二二七一集落のうち、〇・七%が「一〇年以内に消滅」、三・六%が「一〇年以上、いずれ消滅」、一二・六%が「限界集落」との結果を得たという。今年二月二〇日付の「新潟日報」には過疎集落の地方別資料が掲載され、北陸地方は調査集落一六七三のうち「一〇年以内に消滅」一・三%、「いずれ消滅」三・一%と報ぜられた。

 そこで、新潟県に対しその基礎資料としての市町村別資料を問い合わせたが、「公開しない」という返事であった。恐らく関連ある集落への影響をおもんばかってのことであろう。

 今年三月、新潟県上越市はこうした流れに先んじて、自主的に実施した「人口の高齢化が進んでいる集落における集落機能の実態等に関する現地調査結果報告書」を発表した。報告書は、I.調査の概要、U.調査結果の概要(全体的な傾向)、V.課題整理と今後の検討方向、W.参考資料の詳細にわたるものである。

 その報告書の資料の一部を紹介すると、最盛期の世帯数に対する減少率五〇〜七五%の集落が四三・四%、人口の減少率七五%以上の集落が八四・九%、農林業などで生計が立てられなくなった人が転出して人口が減った集落が七九・二%、後継者がいるが同居してない世帯が六二・三%、今後も同居せず、現在地に住み続けたい世帯が五三・八%、自主防災組織がない集落が六六・〇%、地すべり、土砂崩れが発生しやすい箇所がある集落が四三・四%、盆踊りができなくなった集落が五六・六%、市役所または総合事務所までの距離が五〜一〇`bの集落が四九%、最寄りの医院等までの距離が五〜一〇`bの集落が四七・二%、等々で、劣悪な生活環境が浮き彫りにされた。

 それにもかかわらず、私たちの現地調査にこころよく応じてくださった吉川区上川谷集落(世帯数八、総人ロー四、六五歳以上率六八%)の皆さんの明るい笑顔や何とも屈託のない語り口が忘れられない。若い頃から集落の変遷を身をもって経験してきたからこそ、集落の終焉が刻々と迫ってきていることをも実感しているはずなのに、あの明るさはどこから来るのだろうか。ある種の達観の境地でもあろうか。一時間ほどお話をしている間に、ふと私の頭の中に石川啄木の歌が浮かんできた。

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
 啄木二三歳

はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る
 二五歳

何となく明日はよき事あるごとく
思ふ心を
叱りて眠る
 二六歳

友も、妻も、かなしと思ふらし
病みても猶、
革命のこと口に絶たねば
 二六歳

「労働者」「革命」などといふ言葉を
聞きおぼえたる五歳の子かな。
 二六歳

 こうして並べてみると、激動する時代環境の渦中にあって啄木自身も歳を重ねながら、物の考え方に移り変わりがあった事が認められる。啄木は夭折したので達観を得るに至らなかったのであろうが、前記の上川谷集落の皆さんは、充分に年を経て達観の域を得られたのではなかろうか。これまでに無かった物の考え方が、限界集落の中で生まれつつあるのは確かである。しかし、それを受け継ぐ人がいないのが問題である。いな、受け継ぐ人がいないのも、そうした考え方に到達しうる環境の一つなのかもしれない。(農業土木学・新潟大名誉教授、にいがた自治体研究所理事長)
(「経済」07年8月号 新日本出版社 p6-7)

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◎「山小屋の名物≠ェ花から星に変わってしまいそうだ」と。