学習通信070907
◎「われ等の前衛、ワタマサよッ!」……

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壁にはられた写真

 一

 「あンた知らない、この写真だれか?」

 ──食堂をは入ると、スグ右。側の壁に、新聞の切り抜きらしい粗末な写真が、飯粒のデコボコを見せて貼らさっている。昨夜のうちに誰かが悪戯をして貼ったらしかった。
 写真の前には、空の弁当箱を小脇に抱えたり、妻楊子をシー、シー使いながら、五六人の車掌が肩に手をかけながら立っていた。
 「さあ……?」
 は入ってきた車掌さんも、寄ってきたが、それが誰か知らない。
 「ヘンなもの好きもいるものね………」
 「そうよ、こんな──説教強盗みたいな写真を貼るなンて。」
 「岡田時彦のでも貼るンなら、随分ステキだけど!」
 「あたし断然、山内光よ!」

 写真は厳つい人相のよくない顔をして、少し肩を聳やかしながら、皆をニラむように見下していた。顎には耳から下一面にヒゲがのびている。
 皆は入り代り、立ち代りその前に立って見ていた。
 次の日の朝、「一の出」の車掌たちが食堂へは入ってみると、

 これは誰ダ?

 と写真のワキに、赤く大きく書いてあった。
 フト何か考えた悪戯ものゝ車掌が、ポケットから短い鉛筆を取り出して、それを嘗(な)め嘗め側へもっていって、

 ワガ恋人!

 と、書きつけた。
 それを見ていた連中が、ドッ! と笑い出した。
 「英ちアん、なかゝグロね!」
 ところが、お昼になると、「ワガ恋人!」が、赤い二本の線で消されて、モッと大きな字で、

 之はオレ遠の前衛渡政だ!

 と書いてあった。「渡政」という字のワキには、大きな○○がくっつけられている。
 「ワタマサ?」
 「トセイ?」
 「誰のことだろう?」
 この前のときより、沢山の車掌さんや運転手がその前に立って、ガヤゝ云い合った。
 皆の後に立っていた運転手の後藤が、
 「トセイじゃない、ワ、タ、マ、サ、って読むんだよ。」
 と云った。
 「ワタマサ?」
 「ワタマサ! ──われ等の前衛ワタマサなんだね。」 それから、この「青バス車庫」では、「ワタマサ」「ワタマサ」という言葉が流行だした。そして写真は貼られたまゝになっていた。

 かつて、その同じ壁には「ダラ幹を追い出して、革命的反対派に結成せよ! 日本交運の旗の下に!」とか「現業員会、中正会、正義団のダラ幹にゴマ化されるな……」とか、そんな赤いビラが何ベンも貼られた。然し、それは直ぐ剥がれて、ポリやパイがやってきた。──今でも壁にはそのアトが残っている。

 だが、「ワタマサ」の写真は、「赤いビラ」でないためか、何ン日もそのまゝになっていた。──そして毎日、毎日食堂の壁から、バスの車掌さん達を見つめていた……。
 「青バス」の買収問題がようやく喧しくなり出した頃だった。

 二

 それから五六日して、現業員会××支部の部会が初まった。
 第一の部会は×部だった。
 報告が済んで、議事に入った。──議長は何時ものように反動の「部長」がやった。××車庫では、一人も「部長」を部長と呼ばない。「反動々々」と云えば、それは「部長」のことだった。つまり、この反動という言葉は、部長の名前だったわけである。
 議事に入りかけたとき、「反動」が、自分で一寸手をあげた──。
 「その前に一寸聞きたいことがあるのですが……四五日前から食堂に貼られてある写真は誰ですか?」
 皆は急に──一度に云い出した。
 「ありャ『ワタマサ』。て云うんだろう。」
 「横に書いてあるじゃないか………」
 「渡政とか云うんだってさ。」
 「議長、活動の役者じゃないんですよ。」
 誰かがそう云ったので、皆はドッと笑った。
 議長は皆を抑えて、
 「では、ワタマサという人は何をやってる人で、又ドンナ人ですか?」
 「議長はあの写真を見たんですか?」
 後の方から、キンキン声で誰か訊いた。
 「見ました。」
 「あそこに書いてあるじゃないか………」
 「そうヨ! 」
 「ねえ、オレ遠のゼン、エー、闘士だッて……!」
 「みなサン、少し静かにして下さい!」
 議長は当惑した。

 その時、副支部長が、
 「議長!」
 と、呼んだ。
 「ハー、阿佐カ谷クン。」
 「只今の部長の質問に対して、私から説明しようと思うんです……。」
 みンなは一寸だまった。副支部長は部長とは逆に、従業員から信頼されていた。
 「渡政はオレ達労働者のために最も勇敢に戦って、あのオレ達労働者にとって忘れることの出来ない最初の惨虐な白色テロ、三・一五の犠牲となって、キールンで殺された『渡辺政之輔』のことです。そう云えば、諸君のうちでもキットああそうか、と気付かれる人がいるでしょう……。」

 「渡辺政之輔!」
 「あ、あの人のことなの?」
 「……渡政!」

 大部分は今迄、ただ写真のワキに書かれているので、訳も分らずに、「ワタマサ」「ワタマサ」と云っていたのだ。──それで分った! ざわめきの波が部会全部に広がって行った。

 「それでは『渡政』という人は共産党ですね……。オレ達はそんな奴の写真なンか貼る必要はない筈ですね。」
 と、議長が云った。
 「共産党!」
 「議長! 然し、今オレ遠のやっている労働組合の仕事は、勿論共産党の仕事とはちがっているンだ。──ただ何時でもオレ遠の先頭に立って、真実にオレ達の利害を代表して闘っていてくれるのが、共産党なンだ……。」

 議長はコワい眼を副支部長に向けた。
 集まっている部員は又ガヤガヤし出した。

 「──共産党は悪いのかな……?」
 「赤いのが何処が悪いんだ?」
 「反動が一番いいのか? バカー」
 「ワーターマーサアーッ!」
 口々に云いながら、みんな赤い血をおどらせた。
 議長はそれに対して、
 「共産党は政府で禁じているから悪い。」
 と云った。
 「そのキマリは誰がこしらえたンだ!」
 後の方から、突然大きな声が叫んだ。
 「ブルジョワのためになることばかりじゃないか!」
 「そうヨッ!」
 「そうだ、そうだ!」
 「異議なアーし!」
 「オレ達労働者は立ち上がらなければならない!」すると、別な声が繰りかえした。
 「オレ達労働者は立ち上がらなければならないッ!」
 部会は混乱してしまった……。

 食堂の写真の前は、溢れるような人垣で囲まれてしまった。今、全く別な感動が皆をとらえていた。その眼は輝き、頬ぺたは赤くホてッていた。
 「われらの渡政!」
 「オレ達の前衛ョッ!」

 然し、その次の日「渡政」の写真は誰かの手によって、ハギ取られてしまっていた!

 三

 ところが、問題が起った。

 その数日後、役員会があった。その席上で、部会の時、反動の手下である書記が副支部長の云った言葉を速記にとっていて、それを役員会に持ち出し、何時でもコトゴトに部長と意見の合わない、副支部長をやめ
させようとタクらんだ。──それには更にモウーつの口実がつけ加えられていた。

 以前、此処の「青バス××車庫」に「第二無新」の流し込みがあったとき、副支部長の阿佐カ谷が行動隊の一人を呼びとめて、
 「おい、もう少しくれ。」
 と云って、二三部もらい受け、それを車掌に分けてやったというのである。
 現業員会のダラ幹たちは、それを大きな問題にした。そして、役員会は副支部長を不信任にしてしまった。
 ──副支部長は「全協」のフラクションだ、と云い出した。
 だが、おさまらないのは従業員である。職場では、皆なが騒ぎ出した。

 副支部長の何処が不信任なンだ? ダラ幹は副支部長が赤いからだと云うが、何故赤いのが悪いんだ? あの「新聞」が悪い。て云うのか、何処が悪いんだ? あの新聞は本当のことを云ってるぞ! あの新聞はオレ達の真の叫びだ、だから、あの新聞はオレ遠のものなのだ! オレ達のものをオレ達に呉れたって、何が悪いのだ! 副支部長のやったことは正しいぞ! 皆は叫んだ。

 前の部会で「ワタマサ問答」があってから、皆の心に「渡政」という名がハッキリ刻み込まれていた。それがキッかけになって「党」とか「全協」というものに対して、非常に親しみ易い関心を、皆が持つようになっていた。今迄、全協のビラが食堂に貼られたりすると、それをコワがって剥いだもののうちには、車掌や運転手さえいた。だが、もうそんな事をするものはなかった。──だから、皮肉にも、結局「全協」をおそれ、「党」をコワがったダラ幹の口から、みンなのものが全協や党に対して関心を持つようになったわけだった。

 皆は変っていた。
 で、副支部長の問題でも、直ぐ一緒に固まってしまった。
 ダラ幹の勝手にさせるな! オレ達の力で──下からの力で副支部長の不信任を取り消せ! 「現業員会」の正体をバク露して、ダラ幹をタタキ出せ!
 車掌も運転手も次から次と「車」を捨てへ車庫の溜りにガヤガヤ集まってきた。知らない車掌が交代で入ってくると、そのまま皆の中に吸いこまれてしまった。
 「役員会へ押しかけろ。!
 「反動をタタきのめせ!」
  一かたまりに固まった女たちは、ドヤドヤと二階に駈け上がって行った。
 それに、何しろ「買収問題」と共に、最近首切りがあるというので、皆の気が立っていた。
 「やッちまえ!」
 「胴あげヨッ!」
 口々に、叫んで、ドアーの前に押し寄せた。
 役員会は昼の休憩中だった。
 仰天してしまった支部長が、ドアーを開けると、いきなりグルグルに取り巻かれてしまった。
 「どうしたンです、皆さん?……皆さんは……?」
 「何ッてやがンだい!」
 「やッちまえ!」
 車掌たちは男のような声を出して叫び出した。
 支部長の体は車掌のひしめき合った肩と顔の間に揺れ──あやふやにグラついた。
 「やッちまえ!」
 男の声がヒト際高く叫んだ。
 「わアーッ!」
 「キー、キャーッー」

 支部長の顔が突然赤くなり、スーッと真蒼になった……と思った瞬間、無数の肩と顔の間に、支部長の身体が横倒しに見えなくなってしまった。

 「わアーッ!」
 「キアーッ、キアッ!」
 と叫声があがると、──今度は、支部長の身体が人
彼の上へ、美事に胴あげされていた。
ドシーン!
 支部長の身体が床の上へ、ジカに落とされた音がした。
 「わアーッ!」
 「キー、キアッー!」
 無数の肩と顔と肩と顔……が、大きく波打って、その上に雪崩れ寄った……。

 勝誇った女の一隊は──階段を駈け降りた。先頭に立った「きかん坊」の車掌、桜井カズ子が、何やら頭の上にヒラヒラと打ち振りながら、食堂ヘカケ込んだ。皆もその後から続いた。「きかん坊」の桜井カズ子は、頭の上で振っていた紙片を、いきなり、ペロペロとなめると、壁へ持って行って、背のびをして、ペタリと貼りつけた。
 「まァ!」
 めざとく、それを見てとった女が、思わず声をあげた。
 「ステキ!」
 かの女は手を振りあげて叫んだ──。
 「万歳──いッ!」
 「われ等の前衛、ワタマサよッ!」
 「まッ、あン畜生が持っていたの?」

 皆は取り戻してきた写真を見上げ、興奮し互に抱き合った。
 ヒゲののびた、いかつい顔をし、肩を聳やかした「渡政」が、桜井カズ子の唾で顔の半分を濡らしたまま、皆を上から見おろしていた。
 (一九三一・四・一七)
(「定本 小林多喜二全集」い6かん」新日本出版社p3-10)

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渡辺政之輔(わたなべ まさのすけ 1899〜1928)

 日本共産党の指導的幹部のひとり.千葉県出身.労働者出身.十月社会主義革命と米騒動の影響のもとに,1919年新人セルロイドエ組合を組織し,ストライキを指導した.

22年,日本共産党の創立とともに人党,南葛労働協会(のち南葛労働会,さらに24年東京東部合同労働組合,25年東京合同労働組合となる)を組織した.いらい,日本労働総同盟・(総同盟)戦闘化の先頭にたった.総同盟分裂後,日本労働組合評議会(評議会)の指導者となり,共同印刷・浜松楽器などの大ストライキを指導した.

解党主義・福本主義とたたかい,第3回党大会(26年12月)で中央委員に選出され,コミンテルン執行委員会のもとにつくられた日本間題特別委員会に出席,二七年テーゼの作成に参加した.帰国後の党会議で委員長にえらばれ,28年3月15日の大弾圧(→三・一五事件)とたたかいながら党の大衆化をおしすすめた.同年10月,国際連絡の帰途、台湾の基隆(キールン)で官憲におそわれて自殺した.『渡辺政之輔集』がある.
(「社会科学辞典」新日本出版社 p480)

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今迄、全協のビラが食堂に貼られたりすると、それをコワがって剥いだもののうちには、車掌や運転手さえいた。だが、もうそんな事をするものはなかった。──だから、皮肉にも、結局「全協」をおそれ、「党」をコワがったダラ幹の口から、みンなのものが全協や党に対して関心を持つようになったわけだった。
 皆は変っていた。