学習通信070911
◎可能なかぎり全面的に……

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 おとなは二度と子供になることはできず、できるとすれば子供じみた姿になるだけのことである。とはいえ子供の天真爛漫は、おとなを喜ばせはしないだろうか? そしておとなが、自分たち自身でこんどはより高次の段階において子供のもつ素直さを再生産することに努力してはならないだろうか? 子供の性質には、いつの時代にもその時代独自の性格がその自然にあるがままの素直さでよみがえるのではないだろうか?
(マルクス著「『経済学批判』への序言・序説」新日本出版社 p83)

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その子のすぐれた能力を見いだそう

 子どもたちは、一人ひとりが違った環境や素質、能力をもっています。だから具体的な子どもをみもしないで、「勉強を好きにさせるには」といっても、それはできない相談です。その点をハッキリさせたうえで、ここでは二、三の具体例をあげてみたいと思います。

 子どものなかには、物を集めるのがとても好きな子がいます。小学校三、四年ごろからそういう傾向がだいたいどの子どもにもみられるのですが、好きな子どもではとくに強まります。集めるものが、美しいボタン、こわれたタイル、マッチのラベル、最近はいろいろ問題のある切手と種々さまざまで、おとなの眼からすると無価値でガラクタにみえるようなものでも、その子にとっては大事な「宝物」です。ふつうこのあたりで子どもの関心ははなれていくものですが、マッチのラベルから東海道五十三次を調べ、地図にあらわし、江戸時代の交通を調べるなど。量から質への発展をした例があります。また地図の天気図を切ってはることから、気象のことにくわしい子に育っていった例もあります。

 またハチの巣が好きで、毎日さがして歩く子がいました。母親に『昆虫図鑑』を買ってもらい、巣のつくり方、巣の種類、昆虫の標本づくりへと発展し、昆虫のことなら先生もかなわないほどになってゆきました。画用紙に一枚一枚つかまえた昆虫のスケッチをかきとめ、目、羽根、足、口を観察・記録していって自分なりの昆虫図鑑を作った虫ずきの子。花びらの形、オシベ、メシベの状態をカードに記録して、自分の植物図鑑を作った女の子。小づかいをためて実験器具を買い集め、教師に実験記録を見せながら、グループをつくって実験をつづけた理科ずきの子。どの子も特別の能力があったわけではありません。

 小学校にはいる前、母親に身のまわりのことを根ほり葉ほり質問した子どもが理科ぎらいになっていくのは、いまの学校教育に問題があるからです。

 子どもは、それぞれすぐれた能力を特っています。それを発見してやり、ただ集めたり興味を持っているだけから、もう少し目的をもった作業ができるよう、たとえば記録をつけさせる、自分で観察したり実験するなどみちびいてやる必要があるでしょう。

 子どもの能力を可能なかぎり全面的に発達させてやりたいと願うのは、親として、教師として当然のことですが、あるひとつの点ですぐれた成果をあげたり評価されたりすると、子どもは自信をもって他のことにもふみこんでいけるようになります。やっと泳げるようになった子が、遠泳をやりとげてから運動にも勉強にもいきいきしはじめた例があります。
(近藤・好永・橋本・天野「子どものしつけ百話」新日本新書 p160-161)

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ルソーからペスタロッチー フレーベル オーエンとうけ継がれたもの

 子殺し(間引かれ、口べらしにあって)という事態に追いやられずとも、捨てられ、孤児院にあずけられ、「ちいさな大人」として労働にかりだされた子どもたちを想ってのことだったのだろうか(もちろん、わが子への思慕あってのこと)、ルソーは『エミール』のなかでこう記しています。

 人は子どもというものを知らない。子どもについてまちがった観念をもっているので、議論を進めれば進めるほど迷路にはいりこむ。このうえなく賢明な人々でさえ、大人が知らなければならないことに熱中して、子どもにはなにが学べるかを考えない。かれらは子どものうちに大人をもとめ、、大人になるまえに子どもがどういうものであるかを考えない。この点の研究にわたしはもっとも心をもちいて、わたしの方法がすべて空想的でまちがいだらけだとしても、人はかならずわたしが観察したことから利益をひきだせるようにした。なにをしなければならないかについては、わたしは全然みそこなっているかもしれない。しかし、はたらきかけるべき主体については、わたしは十分に観察したつもりだ。とにかく、まずなによりもあなたがたの生徒をもっとよく研究することだ。あなたがたが生徒を知らないということは、まったく確実なのだから。そこで、こうした見地に立ってこの書物を読まれるなら、あなたがたにとって、これは無用な書物だとはわたしは思わない。(『エミール』上 一八頁)

 そして、彼は、われを責めながら『エミール』をこう書き始めたのでした。それは、自分を責めながら当時の大人たちに対する警告でもあったのです(今日とて意味をもっています)。

 万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる。人間はある土地にほかの土地の産物をつくらせたり、ある木にほかの木の実をならせたりする。風土、環境、季節をごちゃまぜにする。犬、馬、奴隷をかたわにする。すべてのものをひっくりかえし、すべてのものの形を変える。人間はみにくいもの、怪物を好む。なにひとつ自然がつくったままにしておかない。人間そのものさえそうだ。人間も乗馬のように調教しなければならない。庭木みたいに、好きなようにねじまげなければならない。(『エミール』上 二三頁)

 後述するように、ルソーの教育思想の実践家ペスタロッチーは、主著『隠者の夕暮』でこう記したものでした。

 玉座の上にあっても木の葉の屋根の蔭に住まっても同じ人間、その本質から見た人間、そも彼は何であるか。何故に賢者は人類の何ものなるかを吾等に語らぬのか、何故に気高い人たちは人類の何ものなるかを知らぬのか。農夫でさへ彼の牡牛を使役するからにはそれを知ってゐるではないか。牧者も彼の羊の性質を探究するではないか。(長田新訳『隠者の夕暮・シュタンツだより』五頁 岩波文庫)

 そして、ペスタロッチーの弟子フレーベルは、主著『人間の教育』でこう訴えたものでした。

 父親たちよ。両親たちよ。われわれに欠けているものを、さあ、それを、子どもだちから得ようではないか。かれらから、それを手に入れようではないか。われわれがもはや持っていないものを、すなわち子どもの生命が持っているところのあのあらゆるものに生命を吹きこみ、あらゆるものに形象を与えてゆく力を、それを、われわれは、子どもたちから、もういちど、われわれの生命のなかに移そうではないか。子どもたちから、学ぼうではないか。かれらの生命のかすかな警告にも、かれらの心情のひそかな要請にも、耳を傾けようではないか。子どもに生きようではないか。そうすれば、子どもたちの生命は、われわれに平和と悦びをもたらすであろう。そうすれば、われわれは賢明になり姶めるであろう。いや賢明であり始めるであろう。(荒井武訳『人間の教育』上 二九頁 岩波文庫)
(秋葉英則著「子どもの発見 教育の誕生」清風堂書店 p49-53)

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◎「子どもたちから、学ぼうではないか」と。