学習通信070913
◎共産党員首切りの因果関係をでっち上げ……

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レッドパージ
弁護士会救済申し立て
8都県で60人超す

 レッドパージ犠牲者と支援者でつくっているレッドパージ反対全国連絡センターがよびかけている各地の弁護土会への人権侵害救済申し立てが、六十人を超えさらに増えています。

 申し立てをしているのは現在、八都県の六十四人。事件から六十年近くをへており、当時いた職場や、レッドパージに遭った証明文書の入手が困難を極めているなかでの運動です。

 レッドパージは一九四九年から五〇年にかけて、連合国軍総司令部の指令で政府と財界が「破壊分子だ」などとして、全国で日本共産党員と支持者推定約四万人を職場から追放した不当弾圧事件です。犠牲者は非常な困難に追いやられながらも、たたかいを続けてきました。

 人権侵害申し立てのために、東京都の電機関係の職場にいた人は、職場が閉鎖され、当時の書類が「新潟にあるらしい」との情報を得て二日がかりで新潟に行き、人手しています。神奈川県の元教師は証明するものがなかなか見つかりませんでしたが、当時の地方紙に名前入りでレッドパージに遭ったことが報道されているのをみつけて、弁護土会に提出しています。

 同センターでは、各地の弁護土会が申し立てを認めるよう要請を強めています。

 同センターは犠牲者の名誉回復と国家賠償を求める国会請願とともにこの運動を重視してすすめています。

 同センターの金子圭之事務局長は「人権侵害救済の申し立ては弁護土会が自主的に行っているものではありますが、弁護士会が救済を認めることになれば世論を喚起する大きな力になります。同時に大事なのは運動を大きくすることで、申し立ての運動を他の道府県ヘも広げ、全国的なものにしていきたい」と語っています。
(「赤旗」20070912)

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 たたかうなかで、意見が分かれ、議論が残ったのが、国家公務員の労働条件に関わる「不服審査請求」制度に申請するか否かであった。

 この制度は、公務員のスト権剥奪と同時に取り入れられ、給与に関わる勧告などをおこなう人事院が取り扱った。しかし、「定員法」を口実にしたレッドパージについては、はじめからこのような申請を認めないとする分野もあり、思想攻撃である以上、医療労働者だけに特別な裁定があるはずもないことは、夕ケ子たちにはわかりきってはいた。

 が、中には、わらにもすがる思いであろう、「千石荘病院当局のひどさは常識はずれで、政府はひょっとして、千石荘病院当局のえげつなさを叱ってくれるのではないか」といった、審査にある程度の常識が存在することを願い、幻想を待つ意見も、ないではなかった。

 争議団としては、審査請求を出してみたいという要求がわずかでもある以上、これを断ち切ることはしないで取り上げ、審理の過程で、当局の証言が矛盾に満ちたものを露呈することになるだろうし、それらを公表していくのも一つの告発の仕方だろうということになった。

 そこで、審査請求者については、医師のタケ子などをはずし「それなりの人数(十人)」に整えて、人事院事務総長宛文書を、四九年九月二十五日付で提出していた。そして、「公平委員会」審理の展開で当局に引けをとってはならないと、なけなしの闘争資金をはたいて、労働運動で得たつながりをたどり、代理人に弁護士を依頼したのである。

 十月も終わりに近くなったある日、当局側証人尋問による審理が、病院会議室でおこなわれた。

 その審理のやり方は、双方が専門家・弁護士などによる代理人を立て事実と争点を、証人尋問によって明らかにしていくことになるが、当事者も専門家に質問のやり方を学びながら、尋問をおこなうことができた。

 当局は、首を切られた側の不服審査請求に対し、首切り処分事由を明らかにしなければならない。

 当局が首切りの事由とした項目は十一項目に及ぶが、その中のひとつに、主任看護婦・西野美起子が、生活保護を受けて捕食もままならない重症の患者に対し、牛乳を支給していたところ、M医師が中止せよと迫った、が、西野は従わなかった、というものがあった。

 当局はこれを生保の患者を優遇する「差別的待遇」だと、首切りの理由として争点で述べているのである。

 賊首という重大な処分事由に、今日、目を疑う「争点」ではある。その全容は後に譲って、審理に注目しよう。

 この日の審理は、当局側の証人M医師、「生保の患者には輸血も、酸素吸入も必要ない」と言ったあの人物を中心におこなわれる予定だった。

 M医師は、人事院の役人の前でも、西野に豪語するように、国の補助で生きているような貧乏人に、物資窮乏の折からまともな医療など必要ない、牛乳など与える必要がないと、真顔で言うのであろうかと、西野は興味深かった。医療に携わるものとして、自分は断じてそれを許さないと、言い切るつもりでいた。ところが、

「西野さん、審理の場は、自分の感想や意見を言う場ではありませんよ、証人から事実を聞きだす場ですよ。わかっていますね」

 争議団が依頼した弁護士は書面に目を通しつつ、西野の思いを察知し、前もって、そう、注意した。

「意見をたたかわしてどちらが正しいかというのではなく、質間か? 難しいものだ……」

 だが、ひるんではいられない。いつも看護婦相手にうそぶいていた事実を、彼の口から、再現させて、世間に知らしめるのだ。負けないぞ、美起子は握りこぶしを胸に当てて、大きな深呼吸をしていた。

 請求者席に、弁護士を先頭に十人が座った。
 政府人事院事務総局関係者、続いて、処分者側は弁護土、そして事務長を先頭に、事務方の人間がゾロゾロと入ってきて席に着いた。
 処分者の責任者病院長は、代理人任せではじめから出席していないのだった。
 双方向き合って真ん中があけられ、その空けられたところの中ほどに椅子が一つ置かれている。証人席だ。

 「では、はじめましょうか? 証人を入室させてください」
 人事院の担当者が言うと、末席にいた事務職員が反射的に立ち上がり、急いで出て行き、M医師を案内して入場した。
 M医師は、どういうわけか顔面蒼白である。
 やがて着席するが、ひざに乗せられたこぶしは、腕からブルブルと小刻みに震えていた。
 「証人は、起立して、お名前と生年月日、当院の役職名をおっしやってください」
 その声が響くや、速記着席で、速記の鉛筆がすばやく、動き出した。
 Mは、ゆっくり起立した。
 沈黙している。
 「証人、お名前を、おっしやってくださいますか? 形ですので、申し訳ありませんが……」

だが、なおも言葉が、ない。
 美起子は、思わずMの顔を見た。いっそう蒼白で、震えている。
 「危ない!」
 美起子が叫ぶのと、Mがドサッと倒れるのと同時だった。
 「あっ!」
 全員、総立ちになった。
 だが、処分者側は、自らが登場させた証人の予期せぬ事態に、事務方ばかりでは呆然として、なす
すべを知らない。
 美起子はすばやく、倒れたMに近づき、目を確かめ、首筋に手をあてた。そして冷静にその場の人たちに伝えた。
 「極度の緊張による貧血だと思われます。担架を、早く!」
 「了解」
 前列で西野の隣にいた加藤万亀子は、その場にいた請求者の看護婦ら三人と一緒に、担架の手配に走った。
 同時に、後列の大西チエ子と松尾芳は、
 「状況に見合う、医師手配などのため、関係者に伝えます」
というが早いか、さっと消えた。

 美起子がMの容態を見守るそばで、一番後ろにいた西井綱尾は、静かに近づいてMのメガネを取り、ベルトを緩め、ボタンをはずす。
 担架が、駆け足でやってきた。
 首を切られた看護婦たちは、それこそ「あ・うん」の慣れた手つきのチームプレイで急場をこなす。瞬く間に、証人席で倒れた「医者」を担架に乗せ、やがてワッセ、ワッセと処置のために運び出した。
 処分者側はただ、言葉もなく立ち尽くしてこれを見ていた。

 後日、あらためてM医師は、請求者の「あなたは、医師として、生保患者には、栄養補給の牛乳など与える必要なしと述べていたのですか」とする質問を、否定せずという形で認めるところとなった。

 しかし、人事院は、指示やその行為が医師として、適切な医療行為であったか否かは、後にも一切、問わなかった。

 一方、西野美起子は、本件にかかわってのみ、事実を認める発言をする。

 無原則的で見るに忍びない貧しい人への差別医療が横行する中で、患者を助けたい一念とはいえ、自分の行動は医師の指示に従わなかったルール違反を問われればその通り、ルール違反であると思ったのである。
 責任逃れはしないという立場であった。

 人事院は、責任逃れをしない西野の証言を逆手にとって「本人は事実を争わず」という理屈を立て、西野が医師の指示に従わなかったことを馘首処分事由とする当局の判断を、よしとして審査し採用している。

 この結果、審理の結論は、どうなったか。
 人事院事務総長名で、馘首についての不服処分審査請求者宛に、ずっと後の二年後、昭和二十六年四月二十八日付で「判定書」なるものが送られてきた。

 「人事院指令一三──五三」「昭和二四年第五七号の二請求事案に関する判定」とあり、人事院総裁・浅井清、人事官・山下興家、同・上野陽一の署名捺印がある。

 ここに、「公平委員会」と称するものの判定を通じて、人事院の考え方の全容を読み取ることができる。

 五十五年を経てこの書類を大切に保管していたのは、請求者の一人、加藤万亀子であった。

 「若かった頃、理不尽とたたかった私の証です。やがて歴史が私たちの正しさを証明すると確信し、この証拠書類を大切に保管してきました。どうか、あとの時代を生きるひとに生かしてください」と差し出された書類は、粗悪な紙質で茶色に変色しているが、内容は鮮明にたどれる。

 審査請求者は、西野美起子、加藤万亀子、垂井美恵子、天野チエ子、浜崎テル子、西井綱尾、松尾芳、大西チエ子、吉田澄子、尾崎義一の十名。
 処分者は国立療善所千石荘長J。
 判定は「免職処分を承認する」とある。文面は、当局の処分理由を表記、請求者がこれを全面的に否認し不当とする根拠の記載はある。
 しかし、人事院が当局の判断を是とする根拠がすさまじい。

 その内容は「理由」に記されるが、文章の組み立ては、まず当局の言い分である処分事由を項目としてあげる。その項目に沿って当局側の証人の医師をはじめ、庶務課長、庶務課長が組織した下級職制、同じく現業労働者、婦長、婦長が組織した看護婦によって、当局の言い分を立証している。
 その口述から「荘内の秩序を乱しその運営に支障を与えたことは明らかと言わねばならない」とする。完璧なマッチポンプ、客観的な請求者の言い分に対する論証、言及は、まったく存在しない。

 文面は、後の時代に生きたものがこれを目にして、人事院の不服審査請求の制度が、「公平」どころか、当局の手前勝手を容認するシステムであることを、事実をもって見せつける。

 当局があげた「処分理由」(一部要約含む)と、請求者の主張の趣旨は次の通りである。

 前半が当局の言い分であり、後半は西野らの主張である。

1 請求者全員は共産党千石荘細胞機関紙「エッキス線」の発行に関与し、無断でビラ、ポスター作成・掲出でしばしば虚偽のねつ造宣伝し、荘内の秩序を乱した。
──発行を執筆、取材、編集、印刷とかに関する限り関与したことはない。無断でビラ、ポスターの作成・掲出はない。それらによる虚偽の事実をねつ造宣伝もない。

2 西野、松尾は担当患者のために差別的厚遇をした。
──患者に差別的待遇をしたことはない。

3 請求者全員は勤務時間中、日本共産党の資金獲得のためと称して石けん、うちわを販売した。
──勤務時間中荘内で販売したことはない。

4 加藤、松尾、尾崎は動務時間中所在行き先を明らかにせず離席し、職務を放棄した。
──勤務時間中無断で離席したことはない。

5 加藤、浜崎は勤務時間中、無断でソ連引き揚げ者出迎えのため森駅におもむいた。
──出迎えに行ったことはない。

6 西野、加藤、西井は川崎重工多奈川工場の労働争議の応援に行く際共謀し、外科備え付けの救急箱を外科看護婦に強要し、荘長の許可なく搬出した。
──救急箱を携行するも持ち出すた めの共謀や、外科の看護婦を強要した事実はない。

7 垂井は肺結核で入院し、加療中医師の言いつけを守らず公務員としての責任感に欠ける。向後二年は病気のため、通常勤務に就けない。
──療養に専念せずとは事実と相違する。通常職務遂行支障は否認。

8 天野は就職後二年間のうち結核入院などで七十九日しか働いておらず、入院中医師の許可なく業務外の会合に出席した。向後二年間通常勤務に就けない。
──出勤日数七十余日は事実に反する。主治医の許可なく会合に出席したことはない。

9 吉田は庶務課社会保険係への転勤命令を拒否し、患者受付係として当時不当な金品を収受した。
──勤務交換の相談を受けたが頑強に拒んだことはない。不当の金品を収受した事実はない。

10 尾崎は宿直勤務中組合の懇談会に出席し長時間職場放棄、勤務時間中、付添婦組合の新年会出席飲酒した。荘内の放送用拡声器で当局の方針を非難し指令阻止の先導をした。組合の半げん賜暇ストライキで、出勤簿を持ち出し秩序を乱した。
──組合懇談会に出席したが長時間職場放棄は事実に反する。付添婦組合に出席したが一時から四時は事実に反する。放送は団体交渉の結果認められていたので、その都度許可を得る必要がなかった。出勤簿は共謀して持ち去った覚えはない、組合の闘争委員会の決議によるもの。

11 厚生省訓令により定員は百四十三名で、現員は百八十八名で四十五名の超過を生じていた。
──八月十七日の団体交渉の結果、荘長はこのような定員では労働強化が起きるので厚生省に定員増加を約束していた。過員を理由とする処分は不当である。

 これらに対し、人事院は当局側証人の「証言」だけを採用して事実認定を組み立てているが、それをもってしても立証しようがない、どうにもならないものがあった。

 当局側が列挙した「処分理由」に書き連ねた、根拠がないでっち上げとその事実無根の対応の処理である。

 たとえば、機関紙「エッキス線」が当局の方針を「歪曲、誇張した」と総婦長や庶務課長などに口をそろえて「証言」させることで「秩序を乱した」と断定する。ところが、処分理由は、その上さらに「ビラやポスターを無断で荘内に掲出した」と言及しているのだ。

 だが、実際は、貼られていないので、「見た」という「証言」は得られなかったらしい。人事院はついに「証拠もないのでこれを認めることはできない」と述べざるを得ない。自作の矛盾に陥って立ち往生である。

 さらに、「尾崎が、しばしば職場を離れた」ということについても、「このような事実を肯定することは困難である」と言わざるを得ない。

 もっとも特徴的なのは、処分理由に挙げた「ソ連の引き揚げ者の出迎えに行った」という事実は、この審理でさえ、なかったことが明らかになるのだ。事実無根を処分理由としたことについて「出迎えには参加しなかったものと認められる」と述べている。

 もう一つ、個人の名誉にも関わる内容、吉田氏にかかる「不当な金品収受」については、「十分な証左がないのでかかる事実を認めることは困難である」という。そうすると、名誉毀損ではないか。

 この制度の中で、明確に限界がある審査でさえ、事実に基づかないと認める内容がボロボロでてくるでたらめな「処分理由」をあげつらう管理者は、その後も、人事院からその当事者能力と責任を問われることはまったくなかった。

 そして不服審査申請を受けた人事院当事者は、これを裁定する場合、処分理由にどんなに不備があろうと、また、患者や医療現場でどんなにかけがえのない存在として医療行為が評価されようとも、そんなことには耳を貸さず、レッドパージのためには、請求者を「勤務態度不良者」にしたてあげ、首切りが「正当」なものであったと馘首者に「お墨付き」をあたえるのだ。

 それを示す人事院の「判定書」結論部分の展開を見よう。

「貝塚千石荘の定員が昭和二四年八月三〇日現在において定員に対し過貝が生じていたことは請求者らも認めており、又処第四〇号証、処第四一号証からしても明白なところである。請求者の主張するようにこの定員が千石荘の業務状態からして不足であったため荘長が厚生省へ定員増加を要求することを組合に約束したかどうかについては具体的ななんらの証拠も存しないのでかかる事実は認めることができない」

 この処分が建前上、定員法に基づくため、千石荘病院では、前もって労働者が人員不足を補うことを求めた「定員不足」を訴えたという事実をなきものにしておく必要があったのだ。

 「以上の認定事実を総合して判断するに、請求者西野、加藤、松尾、吉田、尾崎はいずれもいちじるしく勤務態度不良にして勤務実績のよくないものであり、且つ職員としての義務に違反し公務員として適格性を欠いておるので、国家公務員法第七八条第一号及び第三号に該当し、請求者垂井、天野は病気のためその職務に堪えないものであり、且つ国立療養所に勤務する看護婦として不適格と認められる行為のあったものであるから、第三号に該当する」

 首を切るに当たっては、病気で職務に耐えない者、勤務実績のよくない者というレッテルを貼る必要がある。当局のあげつらう理由がどんなにでたらめでも、認定事実の判断の行き着くところは「勤務成績のよくない者」になる。

 「なお前示のとおり貝塚千石荘の定員に過員があった際であるから、処分者がこの過員を整理するに当たって以上認定のごとき事実のある職員の中から選択して国家公務員法第七八条四号を適用して免職したことに妥当と認定する」

 千石荘病院は定員過剰であると決めつけ、共産党員首切りの因果関係をこのようにでっち上げ、首切りは妥当と認定する。しかも公平委員会審理の過程では申請者側の証人が当局側があげる事由に、事実にもとづく証言があったにもかかわらず、それらについて判定書には、一言の言及も見あたらない。まっ殺するのだ。

 申請者がこの文書を入手するのは、実は、事件が起きてから二年後になる。そのため、当事者には「ああ、やはり権力というものはこんなにも、理不尽なものだったのだ」ということを確認するだけの文書となる。

 しかし、六十年後の今日、当時の人事院が定めた「公平委員会」という制度が、レッドパージで果たした役割がどのようなものであったかを知るためには、歴史の事実を学ぶ証文としての価値をもって、我々が目にすることができるのだ。
(稲光宏子「タケ子」新日本出版社 p212-223)

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──人事院が定めた「公平委員会」という制度が、レッドパージで果たした役割がどのようなものであったかを知るためには、歴史の事実を学ぶ証文としての価値をもって、我々が目にすることができるのだ。