学習通信070919
◎生き方への模索にこたえる活動……
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青年・学生分野
―雇用と平和でのたたかいを発展させ、知的目覚めへの援助を
つぎに、青年・学生分野のとりくみについてのべます。
若い世代を結集する条件という点では、二つの分野でのたたかいの目覚ましい前進は、この分野の前進の洋々たる可能性を示すものであります。
一つは、雇用問題で、若い世代が深刻な実態を勇気をもって告発し、仲間とともに労働組合をつくってたたかいに立ち上がり、全国各地で職場の現実を変える成果をかちとりつつあることです。5・20青年大集会の大成功、多くの県でとりくまれた雇用アンケートや集会・シンポジウムなど、多面的な活動が広がっています。青年・学生党員と民青同盟が、このたたかいのなかで、先駆的役割を発揮し、若者のなかでの信頼を広げています。
いま一つ、平和問題で発揮されている若いエネルギーも素晴らしいものがあります。原水爆禁止運動で、世界大会参加者の半分を若者がしめ、世界青年のつどいに二千人が参加しました。学生のなかでも「九条の会」が広がり、東京では学生が連帯して憲法擁護の大集会を開くことも計画されています。
こうした若者のたたかいに、党が連帯してたたかうとともに、若い世代のなかで「綱領を語る集い」――綱領と科学的社会主義を語り、日本と世界の前途を語り合うとりくみに、力をそそぎたいと思います。私たちは、ある大学で、新入党員のみなさんに集まってもらって、入党の動機を聞くということをおこないました。「何をきっかけに党に入ったのですか」ということを聞いたところ、そのほとんどは、わが党が開いた綱領、世界論、未来社会論などを語る集会に参加して、社会にも発展法則があることを知ったことに新鮮な驚きと喜びを感じ、それが入党の決意につながったとのことでした。若い世代の知的目覚めへの援助を強め、生き方への模索にこたえる活動の重要性を痛感いたしました。
要求にもとづくたたかい、知的目覚めへの援助、社会的・人間的連帯――大会決定が提起した若い世代を結集する「三つの観点」は生きた力を発揮しています。この立場で若者のなかに飛び込み、党の総力をあげて、青年・学生支部、民青同盟への援助を強めることを心からよびかけるものです。
──第五回中央委員会総会 志位委員長の幹部会報告から──
(「赤旗」20070911)
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本と話題
シピリチュアル ブームの底流
自分の価値を実感したい膨大な人々の苦悩が……
「スピリチュアル」と銘打った本が書店で目立ちます。伝統的「宗教」とは距離を置くことをアピールしているのが特徴ですが、ページを繰ると「霊」「カルマ(業)」など、宗教めいた用語が頻出します。いまの流行は何を示しているのでしょうか。
人間関係や
生き方助言
最近出版された、著名な「スピリチュアル・カウンセラー」の江原啓之著『人間の絆 ソウルメイトをさがして』(小学館・一三〇〇円)は「人間関係の学び」が主題。▽友だちは「甘えさせてくれる人」ではない。本当の友情は、自立している人間同土の励まし合い▽夫婦関係の危機でも「感情でなく理性」が大事。自分がどうしたいのか、相手にどうしてほしいのかを「冷静に分析」して──など「それは、その通りかな」という助言が続きます。就職や結婚などの人生経験ができなかった人も「ほかのステップでの学びがおのずと濃く」なり「学びの豊かさ」は同じだ、と説くなど、人生の曲折も肯定的に受け止めます。
著者が展開する、私たちの「たましい」が「浄化向上」をめざし「転生」するなどの世界観を承認しなくても、助言自体はひとつのカウンセリングとして成立しています。
他方、自分の頭で「思考や分析をしない人が多すぎる」と、インスタントな解決を求める風潮に苦言を述べ、安直な「依存心」を戒め、自立を促してもいます。直面する困難は先祖の霊などの「霊峰」が原因ではと騒ぐ前に、本人の生き方の未熟さへの「気づき」を、と促す木村藤子著『「気づき」の幸せ』(小学館・一二〇〇円)なども同じ方向を意識しているようです。
こうしてみると、著者のファンとも一定の距離を保ち、意識的に「カウンセラー」にとどまろうとするのが、ブームの担い手たちの新しい傾向でしょうか。半面、従前の「占い本」や「霊能力者本」が看板を変えただけにしかみえないものも、多いようです。
ブームから
見えるもの
ここ数年のスピリチュアル・ブームの意味を、論考する本も登場しています。
精神科医の香山り力著『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』(幻冬舎新書・七二〇円)は、いまの大学生の二割が死者の「生き返り」を信じ、六割が霊魂の存在を信じているなどの現実を紹介し、社会背景を考察します。スピリチュアルに傾倒する層の人々は自分さえ変われば≠ニ考える「内向き志向」が強く、厳しい現実の中で変われない自分が許されることを望んでいると指摘。自分の「かけがえのなさ」の確認を切望するむなしさ病≠ヘ、オウム真理教事件が露呈したものと同じではないのか、など問題も投げかけます。
磯村健太郎著『〈スピリチュアル〉はなぜ流行るのか』(PHP新書・七二〇円)はエコロジーやサブ力ルチャーなど、一見関係なさそうな領域にも「スピリチュアル文化」が浸透していることを指摘します。個人的な癒やしを求めるスピリチュアル文化に「社会の矛盾に目をつぶり、自分の快適さに関心をよせる」危うさを認めつつも、「ケアされる感覚が現代では薄くなっているからこそ、代替機能としてのスピリチュアル文化は社会に根をねろしている」と評価の難しさを述べます。
自分が自分であることの価値を実感したいと苦悩している膨大な人々の底流が、ブームの中から見えてくるようです。(清水 博)
(「赤旗」20070916)
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わが歳月
一般の人たちが参加して技をきそうテレビ番組を見ていた。若かろうと思われる女性が歌をうたおうとしている。司会者が、「お年は」と聞くと、その人はちょっとためらっている。「あ、聞いたらいかんか、失礼か」と言われて、「二十二歳」と彼女は答えた。
よくある風景である。
たしかに、おいくつと一々ひとの年齢をなぜ聞くのかと思う。どうしても聞く必然性があるときにならそれもよかろうが、いかにも無意味な感じがする時でも、すぐ人は「お年は」とたずねる。
もう一つ。これはとても気になるのだが、とりわけ女性は「とし」にこだわると言われ、事実そうのようだ。実のところ、かく言う私は本年まさしく六十歳、還暦といわれる年齢である。おもしろ! というところで、私はカンレキカンレキと鉦(かね)と太鼓で言いまわっているが、なんでまた六十なんてオバン年齢を言い歩くのと眉をひそめる人もいる。
私は昔から自分のとしについてかくそうと思ったことはいっぺんもない。ええやんか、四十でも五十でも、なんでかくしたり、まして若く言うたりするのン? というところであるが、とりわけそのへんには婦人間題がひそんでいるように思う。年を上に言う人はなく、若く言う人はこの世にいっぱいというあたりには、女は若けりゃいいというきわめて失礼な発想がひそんでいる。年を重ねてがんばっていることを、男でも女でも評価したらよい。
若さなんて、生理的物理的な面で言えばあっという間に通りすぎる。甘美で、憂愁にみちた切ないその歳月はすばらしい価値にみちているが、それだけが人生でない。
三十六歳でも、五十二歳でもいい、生きていることに意味があるなら、口ごもらずに我が年齢を語りたい。それを相手が「エー、ナンタルオバン」という顔をすれば、軽蔑のまなざしで見てやればよい。その人は生きることの意味を知らないのだ。
(寿岳章子著「はんなり ほっこり」新日本出版社 p16-17)
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◎「自分が自分であることの価値を実感したいと苦悩している膨大な人々の底流」「若い世代の知的目覚めへの援助を強め、生き方への模索にこたえる活動の重要性」と。