学習通信070925
◎機械にあけ渡していいものだろうか……
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果物の皮がむけない
サルをヒトにまで高めた原動力である労働、その労働の主役≠ナある手も、このところ退化現象としかいいようのない事態が子どもたちに見られます。
おいしい梨も、リンゴも、自分で皮をむいて食べられる子は、男の子で四人に一人、女の子でも三人に一人ぐらいの割合です(小学校五年で調査)。ミカンの皮でさえ、ひとつづき≠ノむけず、バラバラにしてしまう子が多いのが昨今の状況です。指の筋肉が十分訓練されていないため、鉛筆を持つ手つきもぎこちなく、文字も正確に書けないのが、低学年の状態です。高学年になっても、版画などのとき、手を切る子が続出します。
便利な世の中になったのだから、少しぐらい不器用になってもいいじやないかという意見もあるかもしれませんが、筋肉と大脳の関係を考えれば、そんなのん気なことはいっておられません。手先の動きと思考力は、明らかにつながりがあるのです。障害児学級の先生に聞くと、そのことをはっきりおっしやいます。子どもの知的能力が向上したときは、必ず手の動きも器用さを増しているというのです。これは、筋肉と大脳の関係からいってもうなずけることです。
筋肉の中でも、手をつかさどる筋肉は大脳の三分の一を占めているというのですから、手の器用さ、不器用さが、思考力に及ぼす影響は重視しなくてはなりません。こう考えてくると、果物の皮がむけない、ひもが結べない、鉛筆が削れないなどの現象が気になって仕方がありません。
不器用な子どもが増えた原因は、遊びと労働が減ったからといえましょう。遊びを支える集団が少なくなった、労働の基礎となる家庭生活が便利になりすぎてしまったともいえるでしょう。家事労働の代表格≠ナあった洗濯も、いまは機械がやってくれます。乾燥機のついた洗濯機を買えば、ほとんど機械がフルコースやってくれます。
便利さ、そして便利さにたよらなくては生きていけない忙しさのために、本来、発達の場として大切な家事労働を、次々と機械にあけ渡していいものだろうかという気がします。
(藤原義隆著「子どもの生活リズム」国民文庫 p50-52)
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手の力
こどもの成績をていねいにとっておくのが、私の親たちのならわしであった。で、今に至るまでちょっとしたテスト類まで残されている。画や習字、作文などがあることはもちろんである。
大体として優等生であるから、それほどおかしいものがあるわけではないが、どうしてもそれを見ると人が吹き出すものがいくつかある。よくもこんな変てこりんなものが出来たなというしだい。それは、昔の言い方では「小学三年の手工」の時間の作品である。たとえば画用紙に、三通りくらいの色紙を小さく菱形に切ったのを貼り合わせて、一つの図形を作りあげるのだが、私の「作品」は、それぞれの小さな色紙がぐじゃぐじゃに貼り合わされ、周辺には指紋が色つきでべたべた。評点は乙上である。乙上どころか、客観的には乙下というところだろうが、担任の先生がとても私をかわいがって下さっていて、いわば情実点で乙上なのだ。
五ミリ巾の二色の細長い色紙を市松に組み合わせて四角い一種の紙の織物を作った時も、あいもかわらずひどいがたがたのものを先生に提出し、席へ戻って先生の方を見ると、先生は私の作品をごらんになり、ついで私の方へ視線を投げられてニヤッとなさった。私もニヤッとした、その瞬間の、いわば五十年も前のことをいまだに私は覚えている。その時のおたがいのニヤッと笑いあった気持は、さながら大人どうしの呼吸であった。
とにかく、ほんとうに不器用な私なのだった。やがて裁縫も大の苦手の課目となった。運針の早さだけは人並み以上だったが、目は粗く、不揃いでうねっていた。女学校で洋裁の製図なんてヤナコッタというわけで、まるで絵のようないいかげんな製図で、ミシンがけしたパンツはなぜかはけないのである。
現在も、掃除、洗濯、炊事はとても好きだし、かなりまめに楽しんでやるが、縫物だけはまっぴらごめんで、つくろいものや雑巾だけである。女性が好きだという手芸もしようとは夢さら思わない。
ところが女学校時代に、私が作ってあげたという小さな小さなフェルトの財布を最近私に見せてくれた人がいて、私はびっくり仰天した。ヘェ、こんなの私が作ったの、ほんとう? というしだいであるが、ししゅうまでかわいらしくしてある。絵をかく代りという 感じのステッチだから何とか出来たのかもしれない。とにかくどうしようもないブキッチョなのだが、辛うじてごまかしているというところであろう。
そんな私でも、昔からの型の暮らしになじんでいると、今の若い人に出来ないことでも出来ることがある。わが家に教え子があそびに来たりしてわかったことだが、彼女たちに出来ないで私に出来るもの、一つは雨戸を繰って出し入れすることである。戸袋からの出し入れには雨戸なりの呼吸が必要で、ひょいと持ち上げてレールに乗せる作業が若い人にはまるで困難であるようだ。
もう一つはかつおぶしかき。ちょいとかいてちょうだいと、私がカツブシケズリにカツブシをそえてそのひとにおしやったら、これどうするんでしょうと途方にくれている。びっくりしながら、かきようを教えるが、なかなかうまくゆかない。ぐっと力をこめて、ガッガッとやれないのだ。
こういう調子でゆくと、どうにもこうにも手わざの下手な私も、少しはましなのだということになる。そのことについて、最近深く思うところがあった。
小さなこどもたちに私は話しかけていた。
「お父さん、おうちのことなさる?」というような話である。その女の子は答えた。
「お父さん、お母さんのいない時お茶碗洗ってくれるの」
「そう、いいわねえ、やさしいお父さんね」
と私が応じていると、女の子はまだ言う。
「でもね、手でお茶碗洗うの、おかしいわ」
エッ? と私は一瞬絶句した。つまり、そのお父さんはスポンジなど使わないで、手だけを使って皿洗いをするのだ。私は思うところが多かった。そして又もや私は昔のことを思い出していた。こんどは女学校時代、作法室の片隅である。一隅の洗い場で私は友だちと何かの会のあとの後始末をしている。水道の水を出し放しにして、たくさんの湯のみを私は洗っている。クリクリとまわしながら、次から次へ洗ってはざるにあげてゆく。そうやって手早く私が洗っていると、友だちは感心したように「いやァジュガちゃん上手に洗うなあ」と言う。わりにお嬢様が多かったその女学校では、家で家事をほとんどやらないですむ人が多かったのだ。私は、母が病弱であったせいか、早くから台所仕事はやっていたし、また好きでもあった。
昔の食器洗いは今とちがって原始的だったのかもしれない。洗剤だのスポンジだのスチールだわしだのはなくて、ただ亀の子だわしだけだった。油物洗いは大へんだったと思うが、今ほど油を使う料理はしなかったのではなかろうか。そして、手を使って洗うのが家庭の食器洗いの主流だったように思う。てのひらや指先を適宜使いこなしてうまく洗っていたように思う。
私はそのお父さんの食器洗いスタイルを思い浮かべた。がっしりしたたのもしい男の手で、ぐいぐい洗っている姿。いいなあと思う。私はその女の子に、教えてやりたかった。
「手で洗うのは一番基本的なの。手はとても大切な道具よ。日本人はとりわけ手が器用で、手を上手に使って、いっぱいきれいなもの、丈夫なものを作ってきたの。織物やら、お皿やら、櫛やら、道具やら。日本は世界の人が感心するほど、たくさんの美しいものを長い間作りつづけてきたのよ。手は人間の一番の道具だから、お父さんが手で洗ってるのはおかしくないの」
今、急速に日本人は不器用になりつつあるという。安直な道具にすぐ頼り、電気のボタンをおしている中に、手先に神経をこめてさまざまのことをやってのける力をどんどん失ってゆくらしい。その結果、ブキッチョな私でさえ出来ることを、おそらくは私なんぞより、はるかに器用であるかもしれない若者やこどもたちは出来なくなっているのだ。
便利なのはいいけれど、「原始的に」生きる力を、どこか残して生きたいと思う。「それ」がなければ出来ないではなくて、「それ」がなくとも、何とかやってのける力のようなものを持ちつづけたい。生きる楽しみなどというものは、案外、そういう力に頼るところが多いのではなかろうか。(「青淵」一九八六年八月)
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◎「それ」がなければ出来ないではなくて、「それ」がなくとも、何とかやってのける力のようなものを持ちつづけたい」と。