学習通信071010
◎いま輝いている……
■━━━━━
試写室 働きマン 日本系 午後10時
「仕事ってなんだ」を軽妙に
仕事ってなんだ、がテーマの連続ドラマ。働くことの意味を大上段に構えず、菅野美穂ふんする主人公・松方弘子を通して軽妙に描きます。安野モヨコの漫画が原作。快調なすべり出しです。脚本・吉田智子、演出・南雲聖一、佐久間紀佳。
松方(菅野)は、週刊雑誌の編集者。スイッチが入ると、恋人・新二(吉沢悠)との約束もすっぽかし、がむしゃらに働くことから「働きマン」の異名がついています。しかし、恋より仕事が大事というわけではなく、人並みに悩んだりもします。違うのは、人一倍情熱があり、好奇心が強いこと。その先にあるものに触れたくて、体が勝手に動いてしまうのです。
第1話では、松方が外務大臣秘書(夏木マリ)の内部告発で大臣(勝部演之)の機密費流用問題をスクープし、大臣の妨害に遭います。独走を戒めるデスクの成田(沢村一樹)、仕事を適当にこなそうとする新人・田中(速水もこみち)など、どこにでもいそうな人物像で現実味があります。
「仕事しかない人生」を否定する田中に、「私は仕事したなあって思って死にたい」とつぶやく松方。なぜ働くのか。誰のためか。生活の糧というだけではない仕事のやりがい、生きがい。松方の熱さにいつしか引き込まれます。(板倉三枝)
(「赤旗」20071010)
■━━━━━
人間関係は最大の「労働条件」
職場の上司、同僚、部下との人間関係で悩む人たちが増えている。人間関係が嫌で退職する人、精神的に追いつめられてしまい職場に行けなくなってしまった人、些細な人間関係から大きなトラブルを起こしてしまう人、こんな問題を抱える人たちが激増しはじめているのだ。
今、職場では一体何が起きているのだろうか。職場における小さな衝突、人間関係のさざ波はこれまでもなかったわけではない。しかし、今やこのさざ波が大波となって職場で荒れ狂っているのではないかとさえ思われる。
こんな実情をとらえて、今や、「人間関係こそが最大の労働条件≠セ」という指摘もある。これまでは、労働条件と言えば、「賃金」であり「労働時間」であり、「休日・休暇」など、いわゆる労働契約上のテーマであるというのが常識だった。
ところが、最近では、「上司との人間関係」や「同僚との人間関係」が働き続けるための最大の関心事になりはじめてきているというのである。具体的には、「賃金」や「労働時間」よりも「職場の人間関係」こそが、働き続けるための大切な要素になってきたということである。
急増する「職場の嫌がらせ」
どのように素晴らしい能力を持っていても、上司次第では能力の発揮が難しくなり、逆に上司に恵まれれば、最大限の能力が発揮されるということはよくあることだ。しかし、上司との人間関係が仕事への意欲を左右してしまうだけでなく、心身を破壊し、退職の理由にもなってしまうということになれば事態は深刻である。
こんな職場の人間関係が重大な労働問題として急浮上してきた。ここにそうしたことを裏付けるデータがある。東京都の労働相談で、「職場の嫌がらせ」という相談項目が急増し、相談件数の一割を占めるにいたったというものだ。
注目すべきは、単なる件数の多さだけではなく、その急増ぶりのほうである。二〇〇〇年では、二六七一件だったものが、五年後の二〇〇五年では、四九一六件と激増している。これまでの労働問題項目としては、経験のない急増ぶりということだから無視できない。
パワーハラスメントとは
職場の嫌がらせが社会問題化しはじめることで、こうしたことが「パワーハラスメント」と呼ばれて、更に注目されるようになってきた。セクシュアル・ハラスメントとは違い和製英語であるが、「パワハラ」という言い方で、急速に認知度を高め関心を呼んでいる。
パワーハラスメントとは「パワー」を背景とした「ハラスメント」ということであり、東京都の定義では、「職場において、地位や人間関係で弱い立場の労働者に対して、精神的又は身体的な苦痛を与えることにより、結果として労働者の働く権利を侵害し、職場環境を悪化させる行為」とされている。
子ども社会でのいじめが様々に取りざたされる一方で、大人社会でもこうした職場のいじめが無視できなくなってきている。
(金子雅臣著「職場いじめ」平凡社新書 p9-11)
■━━━━━
インタビュー集●人間の使い捨て≠ヘ許さない!
生きられない!
だから若者は動き出す
作家 雨宮処凜(あまみや かりん)
リストカットや自殺のただ中で
──なぜ若者の雇用を、著書『生きさせろ!』でルポしようと思ったのですか。
雨宮……もともと私はリストカットや自殺した人の取材をしてきたんです。私と同世代、二十代後半から三十代前半の人たちが多いのですが、彼らを集めてイベントをすると、数年後にはお客さんの一割が亡くなっていたということもありました。私は最初のころ、それを心の問題と考えていたんです。でもそれでは限界を感じるようになっていました。
そこで、あらためて彼らの古い取材メモやメールを読み返したんです。彼らが「死にたい」と感じたきっかけは、就職氷河期のなかで何十社も落ちたり、仕事を通じて自分はダメだ≠ニ思いこまされたり、繰り返しアルバイトを首になったり……。
うつ病なのに、若いからという理由で生活保護を受けられなかった人もいました。実家に戻っても親との関係が悪くなってしまい、自殺してしまったんです。もしも自殺していなかったとしても、一ヵ月後には餓死しただろうというケースが結構多いんです。
私自身、フリーターをしていた時期があり、精神的に不安定でした。しょっちゅう首になるし、風邪で休んだら「もうこなくていい」と言われる。職場でも「すぐに首にしていい人」という扱いを受け続ける。そういうなかで、死にたいと感じ、自殺未遂もしました。
雇用や生活の不安定さが精神的な不安定さにつながっている──自殺した彼らの記録をたどっているうちに、そう気づいたんです。
生きづらさを生む敵′ゥえた
若者たちの自殺の背景にバブル崩壊などがある。それなのに、それはなかったことにされている──、これはなんだろうと考えるようになりました。
そのころ、プレカリアート>氛泄s安定雇用のプロレタリア一ト──の集会にたまたま参加したんです。そこで、新自由主義(ネオリベラリズム)のもとで若者が貧困化、不安定化させられていると知りました。
私たちは、体力のギリギリまで働き続けるのも自己責任、仕事がなくて餓死するのも自己責任という、身も蓋もない資本主義の姿を見せつけられ,ていたんですね。
これまで探し続けてきた生きづらさを生む敵≠フ正体がはっきりと見えた気がしました。それで、若者が置かれている雇用の実態を書こうと思ったんです。正社員や派遣社員の過労自殺の取材をしましたが、どちらも本当に「使い捨て」でした。
派遣社員やフリーターはもちろんですが、正社員さえもここまで「使い捨て化」しているのか、と印象的でした。裁量労働制、成果主義、「フリータイム制」のなかですごい長時間労働。なのに手取りが十四万円の月もあるんです。一日の勤務時間が十九時間を超える日もあり、自殺のあとに家族が調べたある月の推定労働時間は二百九十三時間でした。
派遣社員、正社員、どっちの過労自殺もほぼ一年以内にその職場に第二の死者が出ていました。
若者は出口を探している
──展望が見えない状況の中で、「戦争でも起こらなくちや日本は変わらない」という若者と出会ったことがあります。
雨宮……職がない、社会に必要とされないという状態は、アイデンティティーを壊すんですね。
私の場合も、自分は間違った教育を受けたからフリーターになったんじやないか、と考えた時期がありました。バブル期に学校教育を受け、社会に出たとたんにバブルがはじけて、学校教育はウソだったと感じる。そこに靖国の歴史観が、学校で教えない歴史≠ニいう形をとって忍び込んできたんです。
社会に関心が向いたとき、最初は左翼の集会にも行ったのですが、言葉が難しくてわからない。
右翼団体の集会に行ったところ、間違っているのはいまの世の中のほうだ∞生きづらいのは当たり前だ≠ニいう。そういう言葉がすっと入ってきてしまうんですね。
二十二歳で右翼団体に入って、二十四歳でやめました。戦争を肯定する思想と相いれなかったから……。
いま、右傾化している若者が、数年後にどんなことを考えているだろうかと、長いスパンで考えると、若者たちが懸命に考えている姿が見えてきますよ。プレカリアートの集会でも「愛国」の若者がきていままでは「愛国」でごまかされてきたけれど、これからは自分が使い捨て労働力だということを認める≠ニいってデモに入ってきたりするのです。若者は靖国的な「愛国」に見切りをつけはじめている気がします。
いま、周りの若者の多くがワーキングプアなんです。彼らは日常的に自分を責めているし、親や親戚や友達からも責められる。否定され続けているから、「あなたは悪くない」と肯定してくれる人が必要なんです。こんな構造の変化があるから苦境に立たされている≠ニいうことをまず伝えることだと思います。
足を引っ張り合うのでなく
「自分のせいだ」と思わされ、黙らされてきた人たちが、どうやらそうじやないということに気づいて、グッドウィルの集団訴訟などが起きています。運動しないと生きていけない──そういうところまできたんです。
当事者が、食えない、生きられないから動き出す──まだ小さい動きかもしれないけれど、そういう運動がはじまったことは、とても大きいと思います。これをどう広げていくかなんです。
フリーターや派遣だけじゃなく、正社員も、生活保護受給者も、自分たちの問題はみんなつながっているということに気づくことが大事だと思います。ちょっとの差で足を引っ張り合うのでなく、全体のことを考えないと。私だけ、わが子だけがのしあがれるなんて期待しないほうがいい。私があがれば、一人が落ちる──そういう社会の仕組みだということを考えれば、自分がのしあがることよりも大事なことが見えてくるはずです。
──「団結」ですね。古い言葉かもしれませんが……。
雨宮……いいえ、いま輝いている言葉だと思いますよ。
(「女性のひろば」11月号 日本共産党発行 p30-33)
■━━━━━
労働組合。その過去、現在、未来
(a) その過去。
資本は集積された社会的な力であるのに、労働者が処理できるのは、自分の労働力だけである。
したがって、資本と労働のあいだの契約は、けっして公正な条件にもとづいて結ばれることはありえない。
それは、一方の側に物質的生活手段と労働手段の所有があり、反対の側に生きた生産力がある一社会の立場からみてさえ、公正ではありえない。
労働者のもつ唯一の社会的な力は、その人数である。
しかし、人数の力は不団結によって挫かれる。
労働者の不団結は、労働者自身のあいだの避けられない競争によって生みだされ、長く維持される。
最初、労働組合は、この競争をなくすかすくなくとも制限して、せめてたんなる奴隷よりはましな状態に労働者を引き上げるような契約条件をたたかいとろうという労働者の自然発生的な試みから生まれた。
だから、労働組合の当面の目的は、日常の必要をみたすこと、資本のたえまない侵害を防止する手段となることに、限られていた。
一言でいえば、賃金と労働時間の問題に限られていた。
労働組合のこのような活動は、正当であるばかりか、必要でもある。
現在の生産制度がつづくかぎり、この活動なしにすますことはできない。
反対に、この活動は、あらゆる国に労働組合を結成し、それを結合することによって、普遍化されなければならない。
他方では、労働組合は、みずからそれと自覚せずに、労働者階級の組織化の中心となってきた。
それはちょうど中世の都市やコミューンが中間階級〔ブルジョアジー〕の組織化の中心となったのと同じである。
労働組合は、資本と労働のあいだのゲリラ戦にとって必要であるとすれば、賃労働と資本支配との制度そのものを廃止するための組織された道具としては、さらにいっそう重要である。
(マルクス「労働組合。その過去、現在、未来」ME8巻選集C 大月書店 p172)
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
「フリーターや派遣だけじゃなく、正社員も、生活保護受給者も、自分たちの問題はみんなつながっているということに気づくことが大事」
「人数の力は不団結によって挫かれ……不団結は、労働者自身のあいだの避けられない競争によって生みだされ、長く維持され……最初、労働組合は、この競争をなくすかすくなくとも制限して、せめてたんなる奴隷よりはましな状態に労働者を引き上げるような契約条件をたたかいとろうという労働者の自然発生的な試みから生まれた」と。