学習通信071015
◎日本の貧困の中心部隊は……

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《潮流》

一九七五年。ベトナム戦争がアメリカの敗北で終わり、広島カープが球団史上初めてりーグ優勝をなしとげ、布施明さんの歌う「シクラメンのかほり」がはやっています

▼その年、一年を通じて民間の事業所に勤めて給与を得た人の平均年収が、初めて二百万円を突破しました。ほぼ二百三万円。七三年の「石油危機」などで物価が上がり続け、賃金も後を追っていました。といっても、いま三十代はじめの人が生まれる前の話です

▼国税庁の同じ調べによると、二〇〇六年に年収二百万円以下の人は千二十二万八千人いました。23%を占め、四分の一近い人が三十年前の平均にみたない収入しかえていません。一千万人を超えるのは、一九八五年以来といいます

▼八五年。円高・ドル安をもたらす「プラザ合意」が五カ国で交わされ、日本が円高不況をへてバブルの狂乱ヘと向かっていく年でした。年収二百万以下は、八五年の千五万人を最後に減り始め、九一年には七百十一万人になります

▼以来十五年の間に、三百十万人あまりふえた計算です。ほかに、一年に満たない勤務で平均年収百万円ぐらいの人が八百万人ほどいるとみられます。ちなみに、国税庁は、時給や日給で働いた日にそのつど給与を受ける、日雇いなどの収入は調べていません

▼低賃金で働く人はどれほどいるのでしょうか。福田首相は所信表明で、格差の実態から「決して目をそらさず」処方箋を講じるとのべましたが、リストラや「構造改革」が社会に負わせた傷は深い。
(「赤旗」20071004)

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特集 日本の貧困と生存権
[インタビュー]
ワーキング・プアと国民の生存権
後藤道雄さんに聞く

編集部……いま「ワーキング・プア」がマスコミでも取りあげられ、社会的な問題になっています。絶対的格差の下で暮らす人びとを「ワーキング・プア」ととらえて、この問題を早くから研究してこられた後藤道夫さん(都留文科大学教授)にお話を伺いました。

I 急増する貧困とその背景

〈古典的な「貧困」の再現〉

──最初に、ワーキング・プアとは、端的に言ってどういう問題だとお考えですか。

 ワーキング・プアという言葉ですが、私は、その世帯のなかにフルタイムで働いているか、あるいは働く意欲がある人がいるにもかかわらず、貧困線以下の状態にいる世帯と定義しています。大まかにいえば勤労貧困層ということです。歴史的にいうと、ワーキング・プアと呼ばれる人びとはどの時代にも相当数存在していましたが、その存在に社会が関心をもつかどうかは状況によるわけです。

いまの時代のワーキング・プアは、誰が見ても大量に存在して、社会の関心が集まらざるを得ない状況です。高度成長の後半期から九〇年代の半ばぐらいまでは、そうではなかったと思います。つまり現在の貧困はその頃とは違った現れ方をしているわけです。

実はさらにその前の時代、つまり高度経済成長の前半期までは、ワ一キング・プア問題は強い関心を持たれていたんですね。現在は、ある意味でそうした数十年前が再現されているという面があるわけです。そうしたことを表現する特徴的な言葉として、私はワーキング・プアという言葉を使っています。

 一九六〇年代の初期、レーバーリング・プア≠ニいう言葉が使われた時がありました。日雇いを中心とした一〇〇〇万人といわれる貧困勤労層ですが、厚生省はその人たちを生活保護を中心に救済しようと考えて、生活保護制度そのものも結構充実させたんですね。一九六四年からその方針は大きく変わり、七〇年代初期には、勤労能力をもっていれば、福祉の対象ではない、つまり勤労世帯は社会保障の主たる対象ではないという社会保障理念が打ち出されます。つまり、ワーキング・プア問題はいったん消えたわけです。

 現在のワーキング・プアは、高度経済成長、さらに低成長期、バブル期、不況期を経て、日本型雇用が崩れるなかで登場してきたところに特徴があります。日本型雇用の全盛期の数十年間を経て、ある面では一九六〇年代前半までと似たような、ワーキング・プア層が大量に生まれる構造がまた現れたということです。

 日本型雇用を崩したのは「構造改革」です。労働規制の大規模な撤廃とあわせ、「構造改革」は労働市場の姿を大きく変えました。「構造改革」は新自由主義改革の一種ですが、新自由主義改革は一般に福祉国家を崩す攻撃です。

福祉国家では、労働組合の力に依拠しながら労働市場を強く規制し、国家財政の多くを社会保障や教育、住宅など、国民生活を直接に支える施策に使って、社会と政治を安定させる努力を続けてきました。

日本の場合、これとは相当に違って、国家財政はまず大企業群や各種の業界、利益諸団体を成長させるのに用いられ、それをつうじて雇用や賃金が上昇していく、という間接的な国民生活安定策がとられました。私はこれを「開発主義国家」とよんでいますが、日本型雇用はその下で発達・安定したものでした。

ヨーロッパ福祉国家の国民生活支援は、国民の権利として与えられる面が大きかったのですが、日本の場合は、いわば、「努力すれば食べられる市場環境を政府が作るから、あとは自己責任でガンバレ」という構造だったのだと思います。

 日本の「構造改革」は、この開発主義国家と日本型雇用を崩してきたわけです。これはヨーロッパで福祉国家を崩したのと同じ働きをしました。日本型雇用による雇用と賃金の安定、一定水準の社会保障、自営業や小零細企業への各種の保護などの枠組みが崩されて、国民生活の安定が重視されなくなったということだと思います。

 端的にいえば、再現されているのは大量の貧困です。しかも勤労能力を持った人間がいる世帯の貧困が中心です。そうした世帯が貧困線以下に陥るということは、ここ数十年の「豊かな社会」の時代では、母子世帯を除いて例外的なこと、克服されたことと考えられてきたわけです。こうした感覚に沿って言えば、現代では「古典的な貧困」が復活したといってよいと思います。

一九世紀から二〇世紀前半のヨーロッパでは、貧困に陥りやすい時期として、子どもを育てる時期と老齢期に関心が集まりました。老齢期は働けなくなった時の貧困で、年金保険で対応する、子育て期の貧困にたいしては児童手当で対応する、などの対策が福祉国家型の施策の出発点でした。これまでの日本型雇用では、年功型賃金と長期雇用によって、子どもの養育費の上昇にあわせて親の年齢も上がり収入も増える仕組みでしたから、子育て期の貧困はそれでなんとかなると思われていました。ところが「構造改革」は、児童手当の弱体を放置したまま、そうした構造自身を大きく崩したのです。その結果、子育て世帯でのワーキング・プアの比率はたいへん高くなりました。この点は後でもふれます。

 子育て世代での貧困というのは古典的な貧困の状態です。これは、日本では勤労世帯を助ける社会保障機能が働いていないことを意味しています。OECD(経済協力開発機構)が、九〇年代後半における先進諸国の格差と貧困を調べた二〇〇五年の報告があります。その中に、勤労年齢国民の市場収入ではかった相対的貧困率が、税金と社会保障給付によってどれだけ改善されたかという改善率を各国ごとに示したものがあります。それによると、主要先進国でいちばん改善率が悪いのが日本です。税と社会保障給付の後の相対的貧困率の高さは、アメリカとメキシコについで三位です。

 もともと福祉国家的な要素はわずかしか働いていなかったのですが、日本型雇用の解体で市場収入に帰因する貧困が増え、それが社会保障・税で改善されないままにいるということです。要するに一九世紀のような、働いても働いても貧困線以下という古典的な状態が再現していると考えていい。ワーキング・プア問題の中心はここにあるのだと思います。

〈貧困の中心は勤労世帯〉

──ワーキング・プアといわれる世帯の数と割合はどのくらいなのでしょうか。

 ワーキング・プアそのものについての公的な統計はなく、研究もたくさんあるわけではありません。ワーキング・プアを定義するさい、個人で定義する場合と、世帯で定義する場合と二つがありますが、いずれにしても、世帯収入で貧困世帯を定め、そこに勤労者がいるかどうかをチェックするというやり方になります。

 それでは、どのくらいの世帯がワーキング・プアなのかという点ですが、まず、貧困基準を決めなければいけません。生活保護基準が最も有力な基準ですが、それにもいろいろなやり方があります。ここでは、被保護世帯の一軒一軒について福祉事務所が計算している最低生活費の世帯人数別の全国平均値(二〇〇二年)を使いました。最低生活費が一軒一軒決まって、そこから収入と認定された額がその世帯にあれば差し引いて生活保護費が支給される、これが生活保護制度の大枠です。

この全国平均値は「被保護世帯全国一斉調査」で毎年発表されているデータから計算できます。その数値を使いますと、年額で一人世帯が一一五万円、二人世帯が一九二万円という表1の「貧困基準a」になります。かなり低い数値ですが、これは全国の平均値であるということ、お年よりが多いこと、住宅扶助を必要としない方が相当数いることなどが反映されているためと思います。この「貧困基準a」に、次は、その世帯にフルタイムで働くか、働く準備がある(つまり無業でも求職中である)人がいるかどうかをより分け、そうした世帯(勤労世帯)のなかで貧困世帯がどれだけあるか調べるということになります。

 ここで使ったのが「就業構造基本調査」です。この調査は、五年ごとに四〇万世帯程度を調べる大きなもので、その世帯の主な収入、五年ごとに四〇万世帯程度を調べる大きなもので、その世帯の主な収入が何によっているのか、「賃金・給料が主」など一〇種類にわけてそのどれかを答えさせています。その一つ一つに世帯人数別の世帯年収分布が集計されています。

「賃金・給料が主」な収入と答えた世帯は、フルタイムの賃金労働者がいると想定できますが、このグループには「貧困基準b」を使いました(それ以外はすべて「貧困基準a」)。「事業収入が主」という世帯もフルタイム就業中の世帯と考えました。「雇用保険が主」は働く準備がある人がいる世帯と考えます。就業中の貧困世帯と無業求職中の貧困世帯を足すとワーキング・プア世帯数となり、それ以外の「年金・恩給が主」「利子・配当が主」などの世帯中の貧困世帯をそれに加えると貧困世帯総数が出ます。そうやって「貧困世帯数・率の推計」を出したのが表1、ワーキング・プアにしぼって集計したのが表2です。

 九七年と二〇〇二年を比べると、貧困世帯総数は全体で二六八万世帯増えて一一〇五万世帯となり、貧困率は一八・一%から二二・三%になりました。そのうちワーキング・プア世帯は五年問で五一四万世帯から六五六万世帯へと、一四二万世帯増えています。貧困世帯総数の増加分は二六八万ですが、そのうち一四二万世帯はワーキング・プア世帯の増加分です。全体の数で見ても、二〇〇二年の場合、一一〇五万世帯のうちの六五六万世帯、約六割がワーキング・プア世帯ということですから、増加分でも、絶対数でも、日本の貧困の中心部隊は、ワーキング・プア世帯だと考えてよいというのが私の大きな結論です。

 表2のとおり、二〇〇二年のワーキング・プア世帯の比率は勤労世帯全体の約一八・七%ですが、貧困基準自身がやや低めであることや、二〇〇二年以降の変化も考えますと、ワーキング・プア世帯率は勤労世帯全体の中でだいたい二割とみてよいと言ってよいでしょう。日本の総世帯数に占める貧困世帯数の割合は、二〇〇二年で二二・三%ですが、ここに生活保護世帯を入れますと二四%になります。現在では二五%を超えていると思います。

 小泉さんが首相の時に、格差拡大の主な原因は、高齢者世帯が増えたことだといいましたけれども、高齢者が増加したことによる貧困世帯の増加分はこの五年間で八二万です。表1の「年金・恩給が主の世帯」を見るとわかります。それに対してワーキング・プア世帯の増加分は一四二万ですから、小泉さんの主張は誤りだったということが分かります。

●貧困基準a
1人世帯 115万円
2人世帯 192万円
3人世帯 261万円
4人世帯 316万円
5人以上 384万円

●貧困基準b(上記a+給与所得控除)
1人世帯 190万円
2人世帯 300万円
3人世帯 394万円
4人世帯 463万円
5人以上 548万円
  
(月刊「経済」07年8月号 p42-46)

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◎「現在のワーキング・プアは、高度経済成長、さらに低成長期、バブル期、不況期を経て、日本型雇用が崩れるなかで登場してきたところに特徴……日本型雇用の全盛期の数十年間を経て、ある面では一九六〇年代前半までと似たような、ワーキング・プア層が大量に生まれる構造がまた現れた」と。