学習通信071016
◎ロストジェネレーション……

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常識的!
内田 樹

失われた世代
雇用再編だけでは解決できぬ格差

 「ロストジェネレーション」という言葉がある。あまり流布していないようであるが、これは現在二十五歳から三十五歳、ポストバブル期の「雇用の谷間」に新卒だったために正規雇用の機会を逃した二千万人を意味している。

 この世代が雇用、労働条件の面で先行世代、後続世代に比べて劣悪な条件を受け容れていることは統計的にも事実である。しかるに、不利益をこうむったこの特定世代を政策的に救済しようという強い国民的合意は今のところ存在しない。

 だが、このような「痛み」はひろく国民全体で分かち合うべきものである。社会的弱者の救済には全社会的な協力が必要だと私は思うが、この考えに同意してくれる人は実はあまり多くない。

 理由の一つは、格差の是正を求めるこの世代の人々が、この不平等の由来を先行世代が社会的資源を不当に占有している点に求めているためである。彼らが提示する解決策は「貯め込んだ分を吐き出せ」という文型を取る。

 世代間に格差が存在するのは紛れもない事実であるが、「持てる世代」に向かって資源の再分配を求めるときには「それが日本社会全体にとってプラスになるから」という「正論」ではなくて、「諸君が不当に占有している資源を還せよ」といきなり喧嘩腰で突っかかっては、穏当な市民たちもあまリ友好的な対応はとることができまい。

 雇用・労働条件や資源配分での不公平をうまく解決するためには衆知を集める必要がある。だとすればこれは国民全員の問題だということを繰り返し主張べきであり、「誰が悪いのか」という犯人探しに向かうべきではないように思う。

 けれども、当今の格差論者たちは「衆知を集める」ことにはあまり興味を示さない。「国も、企業も、他世代もあてにならない」(「ロストジェネレーションさまよう2000万人」、朝日新聞社)と早々と他世代との対話には背を向ける。「がっぽりと退職金を抱えて会社を去ってゆく『団塊の世代』」は彼らにとってはそこから資源を奪還すべき「本当の敵」なのであり、対話の相手としては観念されていないのである。

 城繁幸は「若者はなぜ3年で辞めるのか?」(光文社)の中でこう書いている。

 「もし、心から格差をなくしたいと願うのなら、それは当然、年功序列の否定をともなわねばならない。新人から定年直前のベテランまで、全員の給料を一度ガラガラポンして、果たす役割の重みに応じて再設定し直すべきだろう」

 「ロストジェネレーション」世代には実際にこのような徹底した能力主義による雇用再編に期待する声が多い。自分には能力があるのに社会的評価が低いことに不満を抱いている人が厳正で迅速な能力評価を要求するのは当然である。だが、それは同時に無能な人間が厳正かつ迅速に社会的下位に格付けされることに同意することだということは忘れて欲しくない。「ガラガラポン」というシニックな擬態語が示すのは要するに「弱者の入れ替え」のことである。

 だが、バブル期以来の競争原理の副産物であるこの格差問題は「別の弱肉」を探し出してそれを喰らうことでは解決できない。そのことだけは言っておきたい。(神戸女学院大教授)
(「京都新聞」20071016)

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第4章 フリーターの希望は戦争≠ゥ

雨宮……『フリーターの希望は戦争≠ゥ?』が始まります。今日はみんな75年生まれのロストジェネレーションで、氷河期世代で、ろくな目に遭ってない3人です。

赤木……赤木智弘です。フリーターをやっております。『論座』の2007年1月号で「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳、フリーター。希望は、戦争。」という原稿を発表しましたら、結構それが評判がいいのかな、悪いのかな。よくわからないですけども(笑)。

杉田……杉田俊介といいます。神奈川県川崎市のNPO法人で、障害者ヘルバーの仕事をしています。2005年の10月に『フリーターにとって「自由」とは何か』という本を出させてもらいました。本が出る以前から、数名の仲間と『フリーターズフリー』という雑誌の創刊に向けた活動をしていたのですが、もろもろ遅れまして、今月ようやく刊行の運びになって、今日は宣伝を兼ねて来させていただいています。

雨宮……今日は『フリーターズフリー』の刊行記念も兼ねています。私も「生きづらさとプレカリアート」という文章を書いています。赤木さんは謎の人なので、経歴を聞いていいですか。出身は公開していないですか?

赤木……栃木です。地元の高校卒業後は、二回東京に出まして、コンピューター関係の専門学校で2年ほど勉強しまして、その時期はちょうど一番就職活動的にきつい時期でしたし、自分かその学校で勉強をして吸収できているとも思えなかったので、就職活動に二の足を踏んで、2年ぐらいフリーターをしました。その後いったん小さいプログラム関係の会社に就職するんですけど、1年半ぐらいで精神的にきつくなって辞めまして、しばらく警備のアルバイトをしながら暮らしていたんですが……お金の都合で実家に戻った。それが2000年ぐらい。それから今まで、実家でずっとアルバイトをしながら暮らしています。

雨宮……私は杉田さんを『フリーターにとって「自由」とは何か』という本で知ったんですけれども、突然出てきた感がありましたよね。

杉田……もともと日本文学の研究者になりたくて大学院へ通っていたのですが、才能がなくてやめたロです。25歳くらいのころは目的も希望もなく、コンビニや警備員の仕事を転々としていました。そのころは非常に精神的にきつくって、自分の置かれた状況の苦しさって何なのかということをウェブで書いていたら、それが本になった、という感じです。その後、ホームヘルパーの資格を取って、5年ほど前からは障害者福祉の仕事をさせてもらっています。
 が、生活は安定とは程遠く、ワーキングプアそのものです(笑)。

雨宮……杉田さんに聞いて面白かった、「ああ」と思ったのは、障害者福祉の仕事をしているわけですけれど、その理由は、「資格が10万ぐらいで取れたからなった」と。

杉田……ボランティア精神に燃えて福祉の世界に入る人が多いというイメージがあるかもしれませんが、自分は全然違って何のスキルも資格もなかったし、自動車免許すらなく、大学の研究員になることだけ夢見ていたから、つぶしが利かない。まったく先が見えない中でとりあえず資格を探したら、貯金の範囲内で取得できて、割と雇用の口もありそうだったので、ヘルパー2級を取ったんですね。それが始まり。だから動機は不純ですよね。経済状況から仕方なくその仕事をやってみたら、そこそこ面白かったというだけでね。

●「希望は、戦争。」

雨宮……そんな杉田さんは、赤木さんのこの「希望は、戦争。」論文に対してすごく真摯な応答をしているなと思うんです。「31歳、フリ一ター。希望は、戦争。」という文章を説明すると……「平和とは何なのか」と考える夜勤明けの日曜にショッピングセンターに行くと、同世代の人が妻子を連れて歩いている。でも、赤木さんはフリーターで、「就職して働けばいい」とか、すごくバッシングをされている。経済成長世代が好き勝手してきて責任をとらずにのうのうと生きているのに、なぜ不況になったらフリーターがワリを食わなければならないのか。何かすごく不平等である……大ざっばなまとめなんですけれども(笑)。

 その果てに「国民全員が苦しむ平等を」ということで、「極めて単純な話、日本が軍国化し、戦争が起き、たくさんの人が死ねば日本は流動化する。多くの若者がそれを望んでいるように思う」と書いている。もちろんその後に、「それでも戦争に向かわせないでほしい」とある。「希望は、戦争。」というキーワードの強さもあるんですけど、その前にフリーターの状況、それが自己責任じゃないということを懇切丁寧に書いている。「希望は、戦争。」に至るまでの分析が、「右傾化」と言われる若者が読むと、自分のことがものすごくわかってしまう。「愛国でごまかしているけど、こういうことだったんだ」と思うと思います。

 赤木さんのこの原稿が出た以降、私のところにも読者から「戦争が起こってほしい」というメールが来るんですね。そういう赤木さんの気持ちがすごくわかるという人と、それプラス、赤木さんがここまで言ったことがすごく関係あると思うんですけど、「自分を愛国心でごまかそうとしていたけれども、愛国じゃごまかせないことに気付いた。自分が使い捨て労働力だということをもう認めた」という意見もくるんです。それで、「もう愛国にすがるのはやめた」という意見も来たりして、いろいろな影響を及ぼしているなとつくづく感じます。

赤木……「愛国」という点で言うと、この文章の場合は、「愛国」というのは完全に手段なんですよ。「愛国心」が先にあってではなくて、自分が生活するために愛国心を利用するという考え方ですね。もともと自分は左側の人間ですし、今も左側だと思っているんですが。

雨宮……すごい平等を望んでいますからね。みんなが苦しむ平等を。

赤木……愛国心というのにも、もう単純なロマンティズムは感じないわけですね。

雨宮……だから赤木さんって、「希望は、戦争。」と言いながら、愛国心のかけらも見えない。

赤木……ないですね。「日本、滅んじまえ」っていう話ですからね、最終的に。

雨宮……そうそう。愛国でないのに「戦争」と言い出す、ここのねじれというか、簡単に「愛国」とか言わないところが面白いなと思っているんです。

●「希望は、戦争。」批判への再批判

杉田……その後、年上の左翼系──だけじゃありませんが──の方からいろいろ赤木批判があり、それに対してまた赤木さんが再反論して、ネットをふくめていろいろ反応があったと思うんですが、いかがですか。

赤木……ある程度予想のうちだったんですけれども、誰からも「ごめんなさい」とか、「力になれなくて申し訳なかった」という話がない。それがちょっと引っ掛かったところです。特に福島みずほは、私たちが就職する95年前後には(社会党は)与党にいたんですから。パブル崩壊以降の就職状況と、団塊ジュニア世代の大きさを考えれば、そこで何らかの対策を取るべきであって、それを取らなくて今の状況に至っているということに対して、彼女は責任があるはずなんです。それなのに、与党であったことを忘れてしまったのか、まったく触れていないということに対してすごい失望、失望というのも変な話で、もともとそういうことを言わないだろうと思っていたんで。それでも「やっばり」となると、何かがっかりした感じです。

雨宮……赤木さんの「希望は、戦争。」という論文に、『論座』の4月号で、いろいろな人が応答をしたんですね。私が印象に残ったのは、佐高信さんが「イラクに行って戦争をその身で体験するしかない」とか言っていて(笑)。赤木さんは「『何も持っていない』私というが、いのちは持っているのである」というフレーズに一番むかついたということでしたけど。

赤木……そうですね。

雨宮……赤旗編集局長の奥原さんという人が、意外と「いい人だな」と思ったんですけど、40代、50代の自殺が多いことを書いているんです。「この世代もぬくぬくなんかしていない。若者だけではない、大変なのは」と。また「共産党はこういう問題に対していろいろなことをやってきた」みたいなことを言っているわけですけれども、この人に対してはどう?

赤木……「ほかの人も不幸なんだから我慢しろ」という感覚は、「おかしい」と思いますよね。不幸って相対的なものじゃなくて、じゃあ他人がより不幸なら、それよりも不幸じゃない人を救わなくていいのかというと、そんなことはない。アフリカに飢餓で苦しんでいる子どもがいるから、日本人は救わなくていいのか。だから「自分たちだって苦労しているんだ」と言うのは構わないですけども、だったら「若者よりもわれわれのほうが苦労しているんだ」ということを言ってもらったほうが、こっちとしても対峙しやすいですね。私が、「そんな年寄りたちよりも自分たちのほうが苦労しているんだ」という話をしているんですから。

雨宮……そうですね。私が、『生きさせろ! 難民化する若者たち』という本で書いた「犠牲の累進性」という問題ですね。

(「雨宮処凜の「オールニートニッポン」祥伝社新書 p151-159)

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雨宮……この辺で質問を。「赤木さんへお尋ねします。戦争願望をお持ちのようですが、その主目的は、いわゆる下克上のように感じられます。それは単に火事場泥棒願望であるようにも思います。別に戦争ではなくても、震災や大水害、はたまた経団連にサリンぶちまけとかでもいいような気がするのですが、いかがでしょうか」。本質的な質問です。

赤木……そうですね……、「火事場泥棒」ってすごい的確な言葉だと思いますね。
(「雨宮処凜の「オールニートニッポン」祥伝社新書 p169)

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●阪神大震災とオウム事件と戦後50年

杉田……さらに言えば面白かったのは、赤木さんって、98年の段階から、『論座』の原稿とほとんど同じことを言っているんですよ。

雨宮……98年といったら、私、まだ右翼団体にいましたからね。そのとき、フリーター問題というのもまったくわからなかったです、当時は思いきりフリーターなのに。でも、そのフリーター問題を考えたくないから、逆に右翼にいったというか、まさに今フリーターの人が言い始めた、「愛国でごまかしていた」。多分、愛国でごまかした第一世代(笑)。

赤木……『戦争論』あたりの影響ですか。

雨宮……いや、『戦争論』が出たとき、もうすでに右翼だったんです、私。その前に、(新右翼団体)一水会の見沢知廉さんとか鈴木邦男さんとかとの出会いというのが大きくて。

赤木……すごい人と出会っていますね(笑)。

雨宮……そうですね。ちょうど今出ている『論座』(07年7月号)にも「ロストジェネレーションと戦争論」という文章を書いたんですけど、95年のときに20歳だったでしょう、私たちは。あれがすごい大きかったんですよ。阪神大震災とオウム事件と戦後50年が重ならなければ、私は絶対右翼にいかなかったと確信しています。あそこで価値観とか戦後の物語が崩れた。実際、物が崩れましたよね。阪神大震災のとき家とかが倒れ、人が死んだし。ある意味、すごく流動化しましたよね。そういう状況になってしまって、しかもその上に戦後50年がきたので、「戦後日本の誤り」みたいのを1月と3月に思いきり突き付けられた上で、戦争の映像がガーンと8月に来るわけですよね。

 自分は20歳でフリーターで、就職氷河期で、どう生きていっていいのかまったくわからない。正社員にはなれないし、フリーターはきついし。最低限、餓死しない、ホームレスにならない生き方がわからなくなった第一世代だったと思うんです。そうしたら、何かそこと、「学校で教えられない歴史」という、靖国史観みたいなものがすごい結び付いたんです。学校で教えられてきた「頑張れば何とかなる」というのがまったく通用しない時代になっちやったんで。なんだ、学校で教えられたことは全部嘘だったんだ、と。学校を出て就業年齢を迎えた瞬間に、もうフリーターとしてしか生きられなくなったので、そのことと私が右翼にいったというのはすごく関係があるなと、10年後に自分で分析して、びっくりしましたね。
(「雨宮処凜の「オールニートニッポン」祥伝社新書 p166-167)

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[インタビュー]
「人間らしい生活の条件」とは
暉峻淑子さんに聞く

──略──

◆ワーキングプアが再生産される社会

 ワーキングプアは、まったく希望がもてないし、もっとひどくなるかもしれません。今の日本のワーキングプアはまだ一代目です。これがその子どもの世代にも引き継がれていく可能性が高い。

アメリカのワーキングプアは、二代目、三代目の時代です。ホームレスもそうです。マリファナなどの薬物に浸る世代もすでに二代目、三代目です。日本もこのままの状況を放置すれば、やがて同じようなことに必ずなると思います。そうしたらもう救いようがありません。

 日本のホームレスは一代目で、乳飲み子を抱えていたり、子どもと一緒に段ボールの箱に寝ている状況はまだ見ないですね。

でもアメリカでは、プアの再生産が起きています。以前は普通のまじめな職工だったけれども、会社が倒産してホームレスになった人は、まだ健全な生き方を知っています。でも再生産された二代目、三代目は、生まれた時からそういう状況で、健全な生き方を知らないから、それを普通の生活に戻すのは大変なことです。このままでは日本はやがてそうなると思います。

 こうした事態を本当にわかって、日本の社会全体の方向、政治と経済をどうすすめていけばいいかを、いま本当に心配している政治家や巨大企業の経営者はほとんどいないですね。

──以下略──
(月刊「経済」07年6月号 p14)

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◎「阪神大震災とオウム事件と戦後50年が重ならなければ、私は絶対右翼にいかなかった……あそこで価値観とか戦後の物語が崩れた」と。