学習通信071025
◎人間としての試金石……

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 なぜ孝行をしなければならないのか。もちろん根元としての儒教の教えでは、自分をあらしめた存在への感謝というような深いいわば宗教的な見かたをその基礎にたたえていますが、日本できわめて世俗的にそれが運用され、しかも権力体制を維持するのに便利さを与えたという点で、孝行はむしろ悪用された観があります。親のために夫婦の幸福が否定されることはしばしばありました。

今の人たちでしたらほんとうにこどもを愛する親なら、どうしてこどもの願いを無視するのか、こどものほんとうの思いをくみとれない親なら、それはエゴイストではないか、孝行とはエゴイズムの別名ではないかと考えるに違いないようなことでも、かつては親への服従がなによりも大切でした。その親子関係がやがて主従関係に押し広げられ、やがては国家主義へ巧妙にエスカレートしてゆくのですが、日本では、過去の孝行はひどく浅薄な考え方の上にたっていたように思えてなりません。

それはこういうのです。親は苦労をして子供を育てる、これまでに大きくしてくださった親の恩は海より深く山より高いのだという発想です。子供がしんからそうひとりでに思えるのはとても結構で、私はそれを否定する気はさらさらありません。ただ親がありがたいと思えと子供に押売りして、そこから孝行という行動の形式を導き出すようになると、これはまちがっていると思います。言わなければわからない恩が果してほんとうの恩でしょうか。

私はしょせん「愛」とは報いをまったく期待しない行為だと思います。これこれをしたらこれこれのことが返ってくるだろうという期待で行動することは、もちろん人間の行動の中に大変たくさんありますが、愛というものだけはそうではないのです。せずにおれない、その人へのわたしの思いの深さがそうさせてしまう、それが愛のひそやかで真実の姿ではありますまいか。

ほんとうの失恋

 話は少し違いますが、失恋した人にときどき打明話を聞くことがあります。涙ながらにその人は愛した人のおもかげを語ります。でもときどき私は、その人は果してほんとうにその恋しい人を愛していたのかしらと不思議に思うことがあります。もちろん報いられない愛というものの悲しさは存在します。その人と肩を並べて歩いたかっての道を通り、同じ木立ちが風にそよいでいるのを見ただけでも涙は溢れてきます。去った人に、ほんの少しでも関係のあるものに触れれば、それだけで胸はズッキリと痛む思いです。それはたしかですけれども、私がおかしいと思うのは、中に自分の愛にこたえてくれなかった人をののしる人がいるということです。これほどわたしは彼を愛し、これこれのことをしたのに、披は一顧だにしないと言って相手への怨み腹立ちをくどくどと言う人です。

 私はそれは功利の立場であると考えます。ほんとうの愛がかりに悲しい結末に達した時、ほんとうの愛は涙に濡れながらひっそり別れることができるのです。まことに愛しているのなら当然のことでしょう。愛する人がそう思わないことを、どうしてそう感じろ、そう思えと強いることができるのでしょう。むしろ悲しい形ではあっても、愛することに対する機縁を与えてくれたその人に感謝してもいいのではないでしょうか。

そんなきれいごとで、たとえば男女の愛が語れるものかと人は言うかもしれない。しかし、さまざまの人間関係の間に成立することも可能な愛の実際の物語りを聞く時、そして時にはまざまざとこの目に見る時、私はやはり愛とは期待しないことをその本質とすると思えてなりません。献身や犠牲という行為は、それが強いられた時には残酷な、そして人権無視的な強制になりますが、それがみずからの求める行為となる時は、すぐれて人の心をうつ、もっとも尊い人間の姿となります。それはやはり対象への愛の深さが、期待しないどころか、極端な場合は、自分を消し去ってさえ愛を全うするのです。

まして自分の心が相手に通じたり同じように思ってもらえないからといって、相手を怨むというのは、結局その人が、自己中心の愛まがいの行動をとっていたにすぎなかったということではないでしょうか。どうしても愛に報いを求めたいなら、ヒョッとするとまず直ちにやってくる愛のしるしは悲しみであることが多いものであるということです。ほんとうの愛することの喜びは、その後におとずれるかもしれないものでしょう。

 親の子に対する愛も、しょせんはそのようなものでありましょう。そう考える時、どうして、孝行せよ、この頃のこどもは、昔と違って孝行することをばかにする、というようなことが言えるでしょう。なるほど昔は、今だとまったく親をばかにするようなこどもも、社会的な行動の型として、親を形だけは大切にする態度をとったでしょう。その意味ではたしかに昔の方が親にとって生きやすい世の中だったと言えるでしょうし、さきほどの婦人会のおばさんたちの発言にしても、そのへんに論点を感じとっていると思います。しかし、ここでとりわけはたらく婦人が母として、親として子供と相対する時、強いられた関係としての孝行を期待するのではなく、自然に湧き出てくる結びつきを作り出してゆきたいものだと思います。

 私は十五・六才の頃、中勘助の「銀の匙」を読んで非常に感動したことを覚えています。今もこの作家は大好きな人のうちの一人ですが、その中の一節はある意味で実に深刻な話でした。「銀の匙」というのは、作者の幼児時代を通した成長の追懐記で、すぐれた抒情に溢れた作品です。夏目漱石も非常に注目したということですが、その話というのはこういうことです。

勘助は小学校の先生である粗暴な男の先生がとても嫌いでした。その先生は親に孝行をしなければならないとひどく乱暴に強制するのでしたが、ついに作者は、たまりかねてなぜ孝行をしなければならないのですかと反論します。その先生にとっては親に孝行しなければならないというのは大前提ですから、先生はあきれかえりカッと怒って、親の恩は云々と説き出すのですが、作者には何んの説得力もないのです。まだこどもではありましたが、作者のように、この世のなべての存在の根底の深い悲しみにすでに触れることを知り、すぐれた感受性に苦しむほどの生き方をすでにしていて、もはや生れているということが苦痛でさえあるようなこどもには、孝行強制論などはいっこうに有効でないのです。

中勘助ほどの感じ方で生きるこどもはたしかにほとんどいないでしょうし、昔だったら、そんな子供は不良とか、きちがいとか言われて、仲間はずれになるのが関の山でしょう。しかし私はこの話がとても印象深いのです。それは親と子の結ばれというものは、時とすると、このように既に生れてきたことへの疑惑まで持合わせ、鋭い命についての感覚に苦しみさえしているようなこどもまで含めて、非常に深いところでとけあうことがもっとも望ましいということです。

いわば生きている感覚で、命の共同体というような世界を作り出してもらいたいと思うのです。形式的な孝行論ではなく、基本的人権が深々と認められている現在の憲法の精神に基づいて、おたがい生きているという事実を大切にできるような、命の認識というようなものを、親子の問に相互に成立させることができたらどんなによいでしょうか。
(寿岳章子著「働く婦人の人間関係」汐文社 p44-51)

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親孝行そして愛

最初の試練それは親孝行の問題だった

 正直なところ、青春時代の私たちは、たとえばレッド・パージ(赤追放)とか生活苦とかのいろいろとおしよせる苦難の試練、これはあまり苦にはなりませんでした。若い夫婦の団結の力で、これを一つひとつのりこえていきました。

 だけど、そんな私たちにも、両親との矛盾というのはほんとうにつらいものでした。社会進歩と革新の道にふみだした私たちの思想と行動は両親の理解や共感を得ることができず、むしろその放棄をきびしく迫られるなかでそれに耐えることは、はたでみるほど楽なことではありませんでした。

 私たちの両親は、ほんとうに私たちを愛してくれたし、また大きな期待をもっていました。ですから一方では怒り、他方では悲嘆にくれる姿をまのあたりにするにつけ、いったい親孝行とはなにか、と深く考えないわけにはいきませんでした。

 世間はかたくなにカラをとざして信念の擁護につとめる私たちを、親不孝者の典型のように見ていました。そしてそれは家庭内のトラブルにとどまらず、社会的なひろがりをみるまでにいたりました。

 これはけっして特殊なことではありません。いわば古くして新しい問題ともいえるでしょう。というのは、こういう親子の世代の矛盾、それによって両方が深く傷つくというのには、それだけの社会的背景、つまり日本社会の反共風土の特別の根強さと大きな関係があるがらです。

戦前から日本の支配階級による科学的社会主義に対する迫害は徹底したものがありました。あの天皇制──主権在君の国体や、私有財産制度つまり資本主義を否定する者は死刑にするなどときめていた治安維持法、いまではちょっと考えられない、そんなことほんとにあったのかというような反動と暗黒の時代に、共産党だけが主権在民と反戦平和の旗を高くかかげて不屈にたたかいぬきました。そのために「非国民」とか、「国賊」とか迫害され追及される、とにかく共産党のニュースというのは捕まったとか裁かれているとか、ただ犯罪の対象としてだけがニュースになる、そういう時代がながくつづきました。そのため当時の親たちは、子どもが多少怠け者になっても、アカになるよりはましだと考えるような状況がつくりだされました。

 戦後もやっぱり共産党は怖いというつくられた反共風土はなくなりませんでした。こんどはアメリカ占領軍の弾圧も加わって、共産党をなんとなく過激であるとか、とんでもないことを考えでいる集団であるとか、あるいは自由と民主主義の敵だなどという新しい反共主義が加わって、そのためいまでも新旧世代の人びとのきらいな政党の第一には共産党があげられる、というような状況がつくりだされているのです。

 また戦後の新しい状況には、古い反共主義ブラスアメリカ式反共ということに加えて、ソ連とか中国とがこういう社会主義大国による否定的現象による社会主義のイメージダウンという問題も、大きな比重をしめるようになってきています。これも無視できない大きな問題です。

 そうして社会教育や企業内教育の全体をつうじて、さらにマスコミの全体が反共主義、反科学的社会主義の大合唱といってもけっして言い過ぎでない、こういう大状況もあります。そのためいまだに他の団体に入るのはともかく、民青とか共産党に入る場合には、なかなか親たちの理解がえられないのです。

 とくに両親は子どもへの愛情からも、子どもが危険な道を選ぶのを喜ばないのはもちろんですが、子どもの世俗的出世に期待をかけている、その夢がこわれるのはなんとしても我慢できないというので、いろいろ妨害するというような状況も見られるのです。

 これは古い世代と新しい世代との矛盾だけでなく、愛する者と愛される者の矛盾でもあります。親の場合に子どもの人権を認めてその選択を尊重する、というような理想的対応がなかなかできない。そうすると、科学的社会主義の理論に導かれて新しい生活に目ざめ理性的な人生を選択した新しい世代との矛盾や葛藤がでてくるし、それによって子どもが苦しむ、という不幸な試練に直面することになってくるのです。

 しかもその試練というのは、なまじっか親子の情愛がからんでいるだけに、よけいにきびしいものがあって、そこをのりこえられるかどうかが、人間としての試金石みたいなことになってしまうのです。

 たしかに、この親孝行の問題は、私たちの場合には第一の試練ともいうべき難関となりました。が、結局のところなんとかその試験にはパスしたように思います。というのは、もしあのときに両親の要求に妥協して進路の転換をやっていたら、今日の私たちはなかったことはたしかだからです。もっとも、いまでは当時の苦難も、むしろなつかしい思い出の一つに変わっていますが、これはほんとうにやっかいな問題だとつくづく思います。

 私たちは、この問題についてすくなくとも三つのことが重要だと思います。

 第一、それは私たち科学的社会主義者は親孝行という間題をけっして軽く考えてはいない、それどころか人生上の大問題だと見ていること、これを名実ともに示す必要があるということです。科学的社会主義者、それは自分の人生を社会進歩と革新の事業に結びつけて生きることを生きがいとする変革者です。だからこそ自分の敬愛する両親を大切にする、そうでなければどうして人民全体の幸福を語り、世直しを語ることができるか、これは見やすい道理ではないでしょうか。

 第二に、だからこそ古い世代に属する両親をふくめて、国民全体の苦難を軽減し、その幸福実現のためにたたかわなければなりません。そのことをぬきに、真に科学的な意味での親孝行などはありえない、というのが私たちの確信です。それは自分の親さえ幸せでいればよいという利己的な立場とはまったくあいいれないものです。

 そして第三に、とはいえ現実には新旧世代間の矛盾、対立として現われる場合が多いということ、しかし、そこにはなんら根本的利害の対立はありません。むしろ客観的には深い愛情にささえられた完全な一致があるということ、この矛盾は一時的でしかも敵対的なものではありません。だからこそ理性的にしかも柔軟に時間をかけて対応すれば、かならず解決できるということです。
(有田光雄・有田和子「わが青春の断章」あゆみ出版社 p220-224)

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◎「どうしても愛に報いを求めたいなら、ヒョッとするとまず直ちにやってくる愛のしるしは悲しみであることが多いものである……ほんとうの愛することの喜びは、その後におとずれるかもしれない」と。