学習通信071026
◎「歴史なき現在」意識……

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進化論教育のいま

 不破哲三氏(日本共産党社会科学研究所所長)は、五月三日、岐阜県で行った「憲法施行六〇周年記念講演」(『前衛』〇七年七月号所収)で、小学校六年生の教科書から縄文時代や旧石器時代が消えてしまったことを指摘し、この背景には、日本民族の歴史は天皇とともに始まるという靖国#hの「国柄」論があることを告発した。不破氏はさらに、この靖国#hのやり方は、アメリカでキリスト教原理主義が「進化論」を学校教育から排除している非文明性と同じだと批判した。

 ところで日本でも、いま中学校「理科」では「進化」を教えていない。高校でも「生物I」にはなく、「生物U」でようやく取り上げられる。「生物I」の教科書で少しでも進化の概念が記載されていれば、検定ではねられる。関係者は、生物学教育の危機として、なんとか「生物I」の授業の中でも進化の事実と考え方を教えようと努力されているようだが、限度があろう。

 ことは生物学教育の危機にとどまらない。「生物U」を選択する生徒は一割程度といわれているから、圧倒的多数が、進化論どころか、進化の事実さえ教育されずに社会にでる。つまり、自然にも歴史があり、発展があるという観念が育たないまま社会人になる。

 「歴史なき現在」意識を助長する生物学教育は、体制にとって都合がいい(「歴史なき経済学」にとっても)。この国はいつの間にか、アメリカを笑えなくなってきているようだ。(米)
(月刊「経済」07年10月号 p5)

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はじめに

四つの「なぜ?」ということ

 私の大学の研究室は都会の真ん中にあり、コンクリートのビルの中です。それでも、キャンパスの中には木がたくさんあり、四季折々の生き物を見ることができます。四月には梅の木の枝でシジュウカラが「ツピーツピー」と鳴き、夏になると、アブラゼミ、ミンミンゼミが鳴き窓の外をアオスジアゲハも飛んでいきます。

 私は生き物が大好きで、これまで、動物の行動の研究をしてきました。でも、小さいころから生き物が好きでも、「生物学」というのは、長らくおもしろくない学問だと思っていました。なにしろ、動物や植物の各部の名前、消化酵素の名前、体内での反応の名前、細胞の中の微細な構造の名前、神経系の名前、地球上の各地の生態系の名前……名前、名前、名前ばっかり、覚えることばっかりです! この感じは、いまでも少しも変わらないようで、高校生の多くは、生物は暗記科目だと思っています。

 それが、実はそんなことはなくて、生物学は本当におもしろい学問なのだということを私に開眼させてくださったのは、大学二年生のときに習った菅原浩先生という方でした。先生は、動物の行動とその進化について教えてくださったのです。そんなことをきちんと勉強したのは、そのときが初めてでした。進化とは、歴史的存在としての生き物が、なぜ、いまあるような性質を備え、なぜ、いまあるような生き方をしているのかを教えてくれる鍵となる概念です。

 そう、進化は、私たちが生き物に対して抱く「なぜ?」という疑間に答えてくれるのです。高校までの生物の教科書に決定的に欠けているのは、この「なぜ?」という疑問ではないでしょうか・教科書のどこを見ても、なぜそうなっているのだろう? という根本的な疑問に答えてくれる記述はありません。「こうなっている」という記述があるのみです。そういうわけで、生物学はさまざまな名称の羅列となり、全体を貫く理論のない、単なる暗記科目と思えてしまうのです。

 実際、生き物を見ていると、「なぜ?」という疑問が限りなく湧いてきます。シジュウカラは、なぜ、春になると「ツピーツピー」と鳴くのでしょう? 私たち人間は、こんなに一生懸命に子どもの世話をするのに、なぜ、アゲハは卵を産みっぱなしでなんの世話もしないのでしょう? なぜ、雄のシカには角があるのに、雌のシカにはないのでしょう? なぜ、そもそも雄と雌なんてあるのでしょう?

 こういう疑問に対して、進化の概念は、一貫した理論をもとに解答を与えてくれます。それがわかるようになると、生物学は、もはや名称の羅列ではなくなります。こんなに多種多様な生き物が存在している背景には、一つの大きな力が働いていることが見えてくるからです。

 その後、私が本格的に動物の行動の研究をするようになってから、「ティンパーゲンの四つのなぜ」ということを習いました。これは、一九七三年に、動物行動学の祖の一人としてノーベル医学・生理学賞を受賞した、オランダ生まれのニコ・ティンパーゲンが言ったことで、動物の行動については、四つの異なる「なぜ?」が存在するということを意味しています。動物の行動を本当に理解するためには、この四つの違う「なぜ?」のすべてを解明しなくてはなりません。

 「四つのなぜ」とは、@その行動が引き起こされている直接の要因は何だろうか、Aその行動は、どんな機能があるから進化したのだろうか、Bその行動は、動物の個体の一生の間に、どのような発達をたどって完成されるのだろうか、Cその行動は、その動物の進化の過程で、その祖先型からどのような道筋をたどって出現してきたのだろうか、という四つの疑問です。これらは、それぞれ、@至近要因、A究極要因、B発達要因、C系統進化要因、と呼ばれています。

 たとえば、シジュウカラは春になるとなぜ「ツピーツピー」と鳴くのだろう? という疑間を取り上げてみましょう。

 @の至近要因に関する答えは、シジュウカラの脳内にどのような構造があり、季節の変化を感知させるメカニズムはどんなものであり、それらがどんなホルモンによって歌生成を促すようになるか、というようなものになるでしょう。

 Aの究極要因に関する答えは、シジュウカラの歌はなわばりの維持と配偶相手の雌の獲得のために機能しており、歌う方が歌わないよりも繁殖成功率が上がったので、鳴く行動が進化した、というようなものになるでしょう。

 Bの発達要因に関する答えは、シジュウカラのヒナには、もともと、歌の原型を生成するプロセスが遺伝的に組み込まれているのだけれど、それが、他のシジュウカラの歌声を聞くことによって、どのようにおとなのパターンになっていくのかというようなものになるでしょう。

 Cの系統進化要因は、あまり美しくさえずらなかった、シジュウカラの祖先の鳥から、どのようにしてあのようなさえずりができてきたのか、という歴史的な道筋の話になるでしょう。

 さて、これらは、同じ疑間に対して、それぞれが異なる角度から答えを出しています。この四つの疑間は、それぞれが異なるものですから、分けて考えなくてはいけません。至近要因の疑間に対して発達要因で答えてはいけないし、究極要因の疑間に対しては、至近要因の答えでは答えにならないということです。しかし、これら四つは、やはり互いに関連しあってもいますから、一つの行動のすべてを理解するためには、四つの疑問の全部に取り組まねばならない。

 こうしてみると、高校までの生物の教科書に書かれていたことのほとんどは、@の至近要因の話だけだったことがわかります。つまり、生き物がどのようにして動いているかというメカニズムの話ですね。メカニズムは、細かく調べれば調べるほど、どんどん深く掘り下げていくことができますから、それこそ名前の山になっていきます。しかし、至近要因だけをどんなに深く掘り下げても、あとの三つの疑問の答えにはなりません。

 本書では、先にあげた、雄と雌の存在、鳥のさえずり、雄の動物の持つ角など、いくつかの題材を取り上げ、これら四つの「なぜ?」のそれぞれを探っていきたいと思います。こうして、一つの問題に対して四つの角度からすべて眺めていくと、この四つが異なる疑問ではあるものの、やはり密接に関連しあっていることがわかります。そして、あらためて、生き物の素晴らしさが実感できるでしょう。

 これによって、できるだけ多くの人々に、生物がつまらない暗記科目などではないことを知っていただきたいと思います。
(長谷川真理子著「生き物をめぐる4つの「なぜ」」集英社新書 p3-7)

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小学校の歴史教科書から縄文・旧石器時代が消えた

 靖国#hは以前から、日本の教育に靖国#hの考え方をもちこむことに特別の努力をそそいできました。

 戦争観で、まず最初に問題になったのは、「靖国史観」を学校教育にもちこむ「つくる会」の教科書を、検定で合格としたことでした。

 最近はそれにとどまらないで、「従軍慰安婦」の問題で国の強制についての記述を削らせるとか、沖縄戦のなかで起こった集団自決について、それが軍の指示でおこなわれた事実を削らせるなど、戦争を美化する方向での乱暴な介入が繰り返し起こっています。

 それから、最近起きたことで驚かされたのは、歴史教育ヘの政府の乱暴な介入です。

 昨年十一月に、考古学者の集まりである日本考古学協会が、声明を発表しました。いまの日本の教育の体系では、日本歴史は小学校六年生から教えることになっていますが、その六年生の教科書から、縄文時代や旧石器時代が消えてしまったというのです。

 声明は、「日本列島における人類史のはじまりを削除し、その歴史を途中から教えるという不自然な教育は、歴史を系統的・総合的に学ぶことを妨げ、子ども達の歴史認識を不十分なものにするおそれがある」として、教科書の本文に旧石器・縄文時代の記述を復活させることを強く求めています。私はまったくその通りだと思います。

 なぜ、こんな異常なことが起きたのか。原因は、文部省(現在の文部科学省)が決めた「学習指導要領」にありました。八九年と九八年に決めた「学習指導要領」で、日本の歴史は「大和朝廷による国土統一から教えればよい、ということを繰り返し指示し、その指示にそった教科書をつくった結果、縄文時代と旧石器時代が消えてしまったのでした〔*〕。これは、わが祖先たちが日本列島で展開してきた現実の歴史を、靖国#hの特殊な価値観で切り刻んでしまうことです。

*八九年、九八年の「小学校学習指導要領」。「指導要領」の小学校第6学年の歴史教育にたいする指示は、次のとおり。

☆「小学校学習指導要領」(一九八九年)
〔第6学年〕

「(―)我が国の歴史は、大和朝廷による国土統一が行われてから、政治の中心地や世の中の様子などによって幾つかの時期に分けられることに気付き、それぞれの時代の歴史上の主な事象について、人物の働きや代表的な文化遺産を中心に理解できるようにするとともに、我が国の歴史や先人の働きについて関心を深めるようにする。

 ア 身近な地域や国上に残っている遺跡や文化財などを調べて、自分たちの生活の歴史的背景に関心をもつとともに、我が国の歴史を学ぶ意味について考えること。

 イ 遺跡や遺物などを調べて、農耕が始まると人々の生活や社会の様子が変わったことや、大和朝廷による国土の統一について理解すること。その際、神話・伝承を調べて、国の形成に関する考え方などに関心をもつこと。(以下略)」

☆「小学校学習指導要領」(一九九八年)
 〔第6学年〕

「(1)我が国の歴史上の主な事象について、人物の働きや代表的な文化遺産を中心に遺跡や文化財、資料などを活用して調べ、歴史を学ぶ意味を考えるようにするとともに、自分たちの生活の歴史的背景、我が国の歴史や先人の働きについて理解と関心を深めるようにする。

 ア 農耕の始まり、古墳について調べ、大和朝廷による国土の統一の様子が分かること。その際、神話・伝承を調べ、国の形成に関する考え方などに関心をもつこと。

 イ 大陸文化の摂取、大化の改新、大仏造営の様子、貴族の生活について調べ、天皇を中心とした政治が確立されたことや日本風の文化が起こったことが分かること。(以下略)」

この暴挙の背景には靖国#hの「国柄」論がある

 靖国#hの「国柄」論は、日本民族の歴史は天皇とともに始まるとしています。旧石器時代はもちろん、縄文時代にも、大和朝廷などは存在しませんでした。そんな時代のことを子どもに教えたら、自分たちの「国柄」論が成り立たなくなる。おそらく、これが、この暴挙の、もっとも奥深くにある動機だったのでしょう。

 大和朝廷ができたのは、人間がこの列島に住みついて、少なくとも数万年の歴史を経てきた後の時代のことです。そして、戦後の歴史学と考古学は、多くの新しい発見でこの長い時代についての私たちの知識を豊かにし、先人たちの活動ヘの夢とロマンをはぐくんできました。この豊かな歴史を切り捨てて、日本人の歴史を、大和朝廷の成立以後のわずか千数百年の「歴史」に切りちぢめてしまう。靖国#hは、戦時用語である「悠久(ゆうきゅう)」の言葉が好きで、「悠久の歴史」についてよく語りますが、この列島の上でわが祖先たちによって現実に展開された数万年にわたる歴史については、これを尊重する態度をまったく持たないのです。

 私たちは、アメリカでキリスト教原理主義〔*〕が、教義に反するとして「進化論」を学校教育から排除している話をきいて、その非文明性にあきれたものでしたが、自分たちの「国柄」論を無理やり日本の歴史にあてはめ、それに合わない部分は切り捨ててしまう、という靖国#hのやり方は、同じ性質の非文明性を示しています。

*キリスト教原理主義。
 キリスト教の一潮流で、天地創造をはじめ、聖書に書かれているすべてが真実であるとする。アメリカで政治的にも有力な一潮流をなし、共和党政権の基盤の一部となっている。この派の影響力の強い州では、聖書の記述に反するという理由で、学校で進化論を教えることを禁止しているところもある。
(不破哲三「憲法対決の全体像をつかもう」月刊「前衛」07年七月号p43-45)

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◎「自然にも歴史があり、発展があるという観念が育たないまま社会人になる」と。