学習通信071030
◎品格のある……

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 ところで人間としての品格の基礎が古今東西を問わず、男女を問わず共通なら、なぜ今回あえて女性の品格について書いたのでしょうか。女性の品格と男性の品格は違うのでしょうか。もちろん、身長や体重、筋力、運動能力などは男女で異なります。それでは精神面ではどうでしょうか。男らしさ、女らしさは大事にしなければなりませんが、男らしい男性は勇気、判断力、決断力、責任感に富み、女らしい女性は優しく、思いやりや忍耐力、持続力があり、節制心があるものだと割り切るわけにはいきません。

 品格のある男性は、勇気や判断力、決断力、責任感に富むと同時に、思いやりや忍耐力があります。孔子やイエス・キリストのような聖人はいうまでもなく、源義経、豊臣秀吉、坂本龍馬など人気のある歴史上の人物は、勇気や決断力があるとともに、優しく思いやりにあふれたエピソードも伝えられています。

 私が出会った現代の品格ある男性の多くも、決断力や勇気、責任感のような「男らしい」美徳に富むと同時に、「女のような」優しさや思いやりも十分にもっておられました。もちろん勇気や決断力に富み、責任感が強く、そして優しく思いやりのある女性たちにも、数え切れないほど出会いました。品格ある男性と女性は共通するところが多いというのが実感です。

 それでもあえて「女性の品格」としてこの本を書いた理由は三つあります。

 第一は、現代の社会のなかで女性の生き方、役割が大きく変わり、伝統的な道徳が通用しなくなったにもかかわらず、新しい基準が確立せず、混乱が見られるからです。男尊女卑の型にはまった女らしさにとらわれる必要はありませんが、乱暴な行動をしたり、粗雑な言葉を使ったり、弱いものをいじめたりしていいわけがありません。新しい美徳が求められています。

 第二は、男性たちが従来の組織人間、会社人間の枠にどっぷりつかり、お金や権力の魔力からぬけ出せないなかで、女性も男性の轍を踏んで同じように権力志向、拝金志向になってはならないと思うからです。私は女性が社会に進出し活躍することが必要だと信じていますが、それは従来の男性と異なる価値観、人間を大切にするよき女性らしさを、社会や職場に持ち込んでほしいと思うからです。女性が社会に進出しても、「できる女」を目指し有能なやり手ばかり増えるのはさびしいことです。

 第二は、地球環境の問題、途上国の人たちが抱える問題、高齢化、科学や技術の進歩などがもたらす新しい諸問題のなかで、私たちの社会がどうあるべきか、どう生きるかがあらためて問われているからです。自分の家族の幸せだけを考えていればよい時代ではありません。地球レベルの女性の品格が求められています。

 この本は女性の品格について書いたつもりでしたが、結果として、人問の品格とは何か、品格ある生き方とは何かについて考えざるをえませんでした。具休的な日常生活での振舞い方について書いた部分と、生き方考え方に関わる部分がありますが、その両方があいまって品格とは何かが浮かび上がるように努めました。

 この本に込めた私の願いを理解していただけれぱと願ってやみません。
(板東眞理子著「女性の品格」PHP新書 p4-6)

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男でなけりゃ何

 センバツの季節、それほど野球が好きでもないが、とにかく生き生きした高校生たちのくりひろげるドラマ、というわけでかなりの関心が私にはある。

 テレビは早くから出場校の練習風景などを放映している。その学校の個性や、地域の特性などもわかって、私はそれを楽しんで見ていた。たまたまある日、九州のある学校のはげしい練習ぶりを見た。きたえにきたえられて、選手たちは歯を食いしばるように、むしろ苛酷とも言えるトレーニングにはげんでいる。らんらんと目を光らして監督がどなる。「それが出来んようじゃ男でないぞ!」。

 まずは笑ってしまった。男でないのなら何だ。女か。まさか。ケッタイな表現だ。監督の意気ごみは壮とすべきだけれども、いささか古いなあ。

 なるほど、たしかに甲子園と言わず、硬球の野球は男のゲーム、いくら憲法二四条、平等を唱える条項の好きな私でも、男女まぜまぜにしてゲームをやれとも、女性チームを作るべきだ、甲子園野球は差別だなどとは言わない(もっとも、女が応援団のチアガールやマネージャどまりであるのに、一抹のさびしさを覚えるのはたしかだけれど)。しかし、何かと言えば「男」発想に居直る古さが気になる人間の存在に、そろそろ気を使ってもらってもいいのではないか。

 一般に日本人の中に巣食う「オトコ」礼讃の言語表現の多さよ。「男一匹」「それでも男か」「おれも男、やらいでなるものか」。これらはすべて、いささか皮肉っぽく言えば「けしかけことば」で、何だか興奮剤に似ている。

 これらに対応する「女」表現はない。「それでも女か」と言うのは似て非なるものであって、やろうとする女の出鼻をくじくことばで、安定剤の効能をみごとに持っている。そう言われては女の意気ごみはみごとにくじけてしまう。

 困ったことに、これら「男」レトリックは、男のみならず、女にもゆきわたっている。我が子にあまり「男の子でしょ」などと言い給うな。
(寿岳章子著「はんなり ほっこり」新日本出版社 p42-43)

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◎「何かと言えば「男」発想に居直る古さが気になる人間の存在に、そろそろ気を使ってもらってもいいのではないか」と。