学習通信071031
◎老年期というのは……
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主張 後期高齢者医療制度
来年4月実施を中止させよう
来年四月から「後期高齢者医療制度」が導入されようとしていることにたいし、国民の怒りと批判が噴出しています。七十五歳以上を「後期高齢者」と呼び、他の世代から切り離して独立した医療保険にするもので、際限ない負担増と差別医療をもたらす大改悪です。各地の自治体や議会、医療関係者らも見直しや中止を求めています。
日本共産党が十七日発表した「『後期高齢者医療制度』の来年四月実施を中止させよう」と呼びかけたアピールは、こうした切実な声にこたえたもので、立場を超えた幅広い共同が期待されています。
高い負担と差別に悲鳴
小泉・安倍内閣、そして現在の福田内閣へと引き継がれた弱肉強食の「構造改革」路線は、貧困と格差を全世代で拡大・固定化し、多くの国民から悲鳴があがっています。とりわけ高齢者にたいしては、所得税・住民税の増税、年金改悪、国民健康保険料(税)や介護保険料の引き上げ、医療費の窓口負担増などがおしつけられ、老後の生活が著しく苦しめられています。
「後期高齢者医療制度」はそうした苦しみに追い打ちをかけるもので、▽七十五歳以上の人を対象に高い保険料を年金から容赦なく天引きし、払えない人からは保険証を取り上げる▽保険で受けられる医療に差別・制限を持ち込む▽七十四歳以下の人の負担も引き上げる―という文字通り高齢者を医療から締め出す世界でも例のない最悪の制度です。
保険料(年額)についても、政府はこれまで全国平均七万四千円と説明してきましたが、各自治体の試算では大幅に上回っています。東京都後期高齢者医療広域連合の試案によると平均十一万五千円で、二十三区では現行の国保料より最高で七割増、市町村でも六割増となります。
若いころは元気でも、年を取れば何がしかの病気が出てきます。高齢者を別建ての医療制度にし、邪魔者扱いするなどは道理がないだけでなく、命にかかわる重大問題です。現代の「姥(うば)捨て山」といえます。しかもいずれ高齢者となる現役世代からも、ゆくゆくは医療を奪い取ることになります。
「後期高齢者医療制度」は昨年六月、自民、公明の与党が強行成立させた医療改悪法によるものです。しかし、その中身が知られるにしたがって国民の不安や怒りが広がり、政府や与党内からさえも一部を「凍結」すると言い出さざるを得なくなっています。政府・与党は国民の声に真剣に耳を傾けるべきです。
かつて川柳の月刊誌に「老人は 死んで下さい 国のため」という句が載って反響を呼びましたが、これ以上の高齢者の邪魔者扱いは許されません。草の根の署名や地方議会の意見書可決など世論と運動が急速に広がっており、力を合わせれば制度の「中止・撤回」は可能です。
誰もが安心できる制度に
いま必要なのは、すべての国民の健康と命が大事にされる政治です。高齢者や低所得者を差別し、排除する医療政策は撤回し、だれもが安心してかかれる医療制度へ改革することこそ必要です。
日本共産党は、「後期高齢者医療制度」に危惧(きぐ)をいだき、見直しを求めるすべての政党、自治体関係者、高齢者団体、医療関係者などに呼びかけ、「四月実施を中止に」という一点での共同行動の実現へ全力をあげます。政治的な立場や社会保障制度への見解の違いを超えて、四月実施を中止に追い込みましょう。
(「赤旗」20071020)
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後期高齢者医療制度
そもそも考G
Qねらいは「団塊」?
この制度を導入する最大の狙いは、現代版「姥(うば)捨て山」と批判されているように、重い保険料負担とまずしい医療内容を、七十五歳以上の高齢者に押し付けることです。
政府は、高齢者の医療を抑制することは「現役世代の負担を過重にしないため」などといっています。しかし、この制度がもっともこの効果≠発揮するのは、戦後ベビーブームのときに生まれた「団塊の世代」が七十五歳以上になったときです。
政府は、現在六十歳前後のこの世代が後期高齢者になる二〇二〇年代を「医療費が膨張する危機」ととらえ、いまのうちに国民に負担増を負わせ、国の支出をおさえる仕組みに変えてしまいました。いまの高齢者はもちろん、これから高齢者になるすべての国民を直撃する制度なのです。
なによりこの改悪を強く求めてきたのが、財界・大企業です。企業の保険料と税負担が増えれば「企業のグローバル競争力の低下を招く」として、制度改悪を強く求めてきました。自分たちはバブル期の二倍近い利益を上げながら国民に犠牲を押し付ける、身勝手な態度です。
(「赤旗」20071030)
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すばらしい老年期のために
もう一つ、ここでいいそえておきたいのは、人間における老年期の間題です。子どもの間題、青年問題とならんで、老人間題が今日大きな社会間題になってきていることは、けっして偶然ではない、と私は考えています。人間の幼児がきわめて特殊な存在だということ──「能なし」として生まれる新生児のことだけではなく、例外的にながい幼年期ということをふくめて──はすでに述べてきたとおりであり、青春期が人間だけにある特殊な時期だということもすでに述べたとおりですが、人間における老年期も、他の動物とはことなるいちじるしい特徴を示すからです。
老年期というのは、一般に生物としての生理的な機能がおとろえていく時期ですね。ですから、動物の力が生理的な力とイコールであるかぎり、老年期というのは動物にとってひたすらにみじめな時期です。ニホンザルなんかでも、年老いて力おとろえたかつてのボスザルは、一般に、生物としての力の絶頂にあるニュー・リーダーにボスの座をうばわれ、ムレからはずれてさびしく死を迎える、といいます。
しかし、そんなサルのムレのなかにも、例外があることが観察されています。すなわち、高崎山のサルのムレのリーダーをつとめていたジュピターと名づけられたサルは、老衰で死ぬ直前まで、リーダーとしての仲間たちからの畏敬と仲間への威厳をたもちつづけたそうです。
これは、そのムレの観察にあたった河合雅雄さんその他が口をそろえて賛嘆しているようなジュピターの資質によるところがもちろん大であったでしょうが、そうした資質がものをいうほどに文化のはたす役わりが大になってきている、ということときりはなせないものだと思います。
人間の社会で、古くから、老人の知恵が重んじられてきたことが思いあわされます。
ここで、第1話でも言及したポルトマンのことばをご紹介しましょう。「われわれが年をとると、人間の特殊性の一般的特徴がたいへんきわだってあらわれてくる。つまり、個性が高められ、個々人の特殊性がきわだってくる。この現象にたいしては、生物学的なものの見方がまったく役だたなくなってしまう」というのです。
人間がたんなる生物であることからはみだす部分、そういうものとして自分でつくりだしてきたものが大写しになってあらわれてくる、それが老年期。──こんなふうにいいかえることができるでしょう。ほんとにそのとおりではないでしょうか──よきにつけ、あしきにつけて。おたがい、すばらしい老年期のためにもがんばりましょう。
(高田求著「未来をきりひらく保育観」ささらカルチャーブックス p47-49)
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◎「老人は 死んで下さい 国のため」と……高齢者の邪魔者扱いは許されません」と。