学習通信071108
◎端的にいえば市場化・営利化の推進……

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文化 学問

ニュージーランドの実験
忍び寄る年金市場化

退職確定拠出貯蓄運用年金法が成立
拠出制に変えたうえ
自己責任で資金運用

柴田 英昭

 かつて「南半球の福祉国家」と称されたニュージランドで、新たな年金制度の実験が始まった。同国は、一八九八年十一月一日に老齢年金法を施行して以来、一時期を除いては一貫して市民からは無拠出で、税を財源とした普遍的年金制度を百年以上にわたって堅持してきた。

普遍的年金制度
掘りくずされる

 しかし、二〇〇六年九月七日に退職確定拠出貯蓄運用年金法(KIWI Saver Act、以下「KS」と表記)を成立させたことで、拠出制でなおかつ自己責任でその資金を運用しなければならないリスクを伴う年金制度を導入(二〇〇七年七月一日)した。ニュージランド福祉国家における最後の砦であった普遍的年金制度が掘り崩されることで、福祉国家への後戻りは不可能となり、ニュージランドはとうとう「ルビコン川を渡った」。

 クラーク首相は、KSが導入されたことで「普遍的年金制度がなくなる危険性は無い」(二〇〇七年七月十七日)と述べたが、同日カレン財務大臣は、「KSが、普遍的年金に資産調査や所得調査を導入する端緒にすべき」とも述べ、普遍的年金であるニュージランド老齢年金が、ごく一部の低所得者だけに限定された選別主義的な年金制度に変わる可能性を示唆した。

 KSは、老後の生活保障を自らの貯蓄を運用して賄え、というものであり、先進国ヘのその影響は計り知れない。多くの先進国が、年金を一階部分と二階部分に分けてはいるが、二階部分も公的に保障されている場合が多い。それを一気に変えてしまうほどの新しい試みであり、老後の生活すら市場原理にさらされることとなる。

どのようにして
制定されたのか

 KS法案が本格審議に入った二〇〇六年三月二日、法案提出者のカレン財務大臣は、四点にわたって同法案の提出理由を述べた。

@今後人口統計からも高齢化が進み、租税を財源とする二ュージランド老齢年金だけでは、長期的展望にたった場合、その原資の確保は困難、Aニュージランド市民は、OECD加盟国の中で個人貯蓄率が最下位であり、政府が関与し自発的に貯蓄をする制度の確立が不可避、Bほとんどの西側諸国が、国民の拠出を伴う年金制度を有していることから、ニュージランドも、老後に備えて自ら拠出し貯蓄する制度を開発することが、ワーキング・ライフ問題を解決することになる、C長期にわたる貯蓄習慣の醸成が必要、とした。

一九九七年にも同様の貯蓄型年金制度の提案がなされたが、国民投票で否決されている。

 政府の外郭団体であるリサーチ・ニュージランドが、二〇〇七年七月一日から四日間十八歳から六十五歳の四百三人にKSに関して電話調査を行っているが、その内の35%が加入を明確にした一方、若者、女性や低所得者はKSに加入しそうにないことも明らかとなった。

 KS開始直前の二〇〇七年六月三十日には、政府保険数理局ブラウン総裁が、KS運用機関選択の最終期限は二〇〇七年七月一日ではなく三カ月後の「十月一日」だと極めて異例な形で新聞広告を出している(ニュージランド・ヘラルド紙)。しかし、同新聞家庭欄では、サラリーマンのスティアート・ノーランが、インタビューに答えて「私には、買い物好きの妻と二人の幼い子がいるので、このような世帯にとってはKSに参加するのは不可能だ」とも述べている。

「自助・自立」で
市場原理まかせ

 KSは、ニュージランド政府が市民に対して老後に備え貯蓄を奨励するものではあるが、運用に関して「政府は一切の保障はしない」と法定しており、老後の生活は全く保障されないことを意味する。十月一日現在で内国歳入庁が認定したKS運用プロバイダーは三十機関あるが、比較的口ーリスクである非営利機関は四機関にとどまっている。あとは、ノーマルか、ハイリスクを伴う機関(企業)である。

市民は、有料でファイナンシャルアドバイザーや、無料で退職委員会機構のウエブサイトから情報を入手し、KS運用プロバイダーを決定することになるが、老後に向けて「マネーゲーム」を強いられることをも意味する。この投資は、失敗すれば老後の生活を保障するどころか生活を破壊するものにもなる。

 現在十八歳の市民がKSに加入したとして、四十七年後の六十五歳にどれだけの配当があるのかは誰も予測できないし、そもそも貯蓄運用先として決めたKS運用プロバイダーが将来もその地位にあるのかすら分からない。ファイナンシャルアドバイザーのメリー・ホルムは、自ら運営しているウエブサイト上(二〇〇七年九月一日)で「KSは、銀行の定期預金とは違う。その大きな相違はリスクである」とし、さらに「将来どのような政府でも現在の契約を無効にすることができる」とくくっている。

 そもそも、退職後の生活資金を市場原理に任せて良いのであろうか。公的責任の下で安心を保障するのが政府の役割であり、それを放棄し自助・自立だけを強調するのは、福祉国家を放棄したと言わざるを得ない。ニュージランドのKSの動向を注視しなければ、対岸の火ではすまされない。わが国の年金改革の動向にも注意を払いながら議論を深めるべきである。
しばた・ひであき=一九五八年生まれ。立命館大学産業社会学部教授(社会学)。著書『新しい社会保障の設計』文理閣など。
(「赤旗」20071108)

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「市場化」路線は社会保障をどう変えたか
  横山 寿一 金沢大学教授

はじめに
──コムスン不正の土壌

 厚生労働省は、六月六日、訪間介護大手コムスンに対して、介護事業所の指定を不正に取得したとして、今後四年半にわたって同社のすべての介護サービス事業所について新規指定と更新を認めない方針を決め、都道府県に通知した。

 それに先立つ四月には、東京都がコムスン・ニチイ学館・ジャパンケアサービスの介護大手三社に対して、監査の結果、管理者の不在・専従義務違反・介護報酬の不正請求等があったとして、改善勧告を行った。

 こうした事態が事業者の不注意で偶然に起こったことではなく、介護保険が発足して以降、一貫して生じていたことは、昨年八月に行われた厚生労働省「全国介護保険指定基準監督担当者会議」で提出された「平成一七年度介護保険関係指導結果報告」にも示されている。同報告書は、介護保険発足当初から、介護報酬の不正請求・虚偽の指定申請等による指定取り消しが相次ぎ、その数は二〇〇五年度までに四〇八件にも上っていること、その圧倒的部分を営利法人が占めていることを明らかにした。

 このことを踏まえれば、今回のコムスンに対する処分でグッドウィルグループおよびそれを率いる折口雅博会長の経営手法があらためて指弾されているが、介護保険をめぐる相次ぐ不祥事の発生は、コムスン固有の間題もあるもののそれだけで済ませるわけにはいかない事態であると考えなければならない。当初から危うさが指摘されていたコムスンが、これほどまでの事業展開と「実績」を挙げられたのは、介護保険をはじめ社会保障の領域での環境変化抜きには考えられない。

 そうした環境変化とは、端的にいえば市場化・営利化の推進である。「事前規制から事後的チェックヘ」を基本理念にした規制緩和によって、営利・非営利の区分が相対化された。競争的環境がサービスの質を高めるとして、事業者の積極的参入と「顧客獲得」合戦が非難されるどころかむしろ好ましい現象として肯定的に評価され、行政によって後押しされてきた。今回の事態は、そうした動きのなかで起こるべくして起こった出来事である。したがって、いま問われているのは、社会保障の市場化・営利化の路線そのものである。

 小論では、今回の不祥事をめぐる具体的検証は別の機会に譲り、その不正・腐敗の土壌となった社会保障の市場化・営利化そのものに立ち戻り、かかる環境変化が社会保障にいかなる変質をもたらしてきたかを検討し、それに対する対抗軸を考えてみたい。

一 社会保障の市場化・営利化についての整理

 具体的な内容に入る前に、社会保障の市場化・営利化について簡単に整理しておきたい。市場経済を基本とする現代社会にあっては、市場原理に適合的な自立・自助=自己責任が基本的な生活原理として国民に求められ、貧困は個人の責任に帰せられてきた。が、個人の努力では如何ともしがたい社会的な要因によってもたらされる生活の不安定化によって、生活における自己責任の原理はたえず限界を露呈し、国民の生存は脅かされてきた。

 かかる事態に対して、貧困は個人の責任ではなく、社会的要因によってもたらされる以上、社会の責任であり、その解決も社会が責任を持ってあたるべきとの理念を対峙し、その具体化として、行政が責任を持つ、市場とは異なる仕組みとルールを備えた社会制度を設けるに至る。そうした社会制度の歴史的な蓄積を踏まえ、人権保障の制度として体系化されたものが社会保障である。

したがって、社会保障は、市場とは異なる原理に立った制度・政策を通じて、国民の生存と尊厳ある生活を行政の責任のもとで保障するところに本質的な特徴がある。それを具体的に担保する役割を担うのが社会保障を構成する各制度である。

▼利用・提供を当事者の売買に委ねる

 社会保障の市場化は、かかる社会保障の仕組みを市場の原理に限りなく近い仕組みへと転換させること、具体的には、利用・提供が直接行政によって決定され運営される仕組みを、利用者と提供者が直接に相対し、貨幣を媒介にしてサービスを売買する仕組み、直接には当事者同士の契約による利用・提供への転換をさす。

 とはいえ、行政のもとから完全に切り離してしまえば社会保障とは呼べなくなるので、行政の役割は残しつつ実質的な利用・提供は当事者同士の売買に委ねるかたちをとる。その際、社会保障が人権保障の具体的担保であることとの整合性をはかる必要があるため、当事者同士の売買に行政が関与し、自由市場とは一応区別される姿をとることになる(「準市場」の創出)。ただし、行政関与の内容・程度は多様であり、各制度によっても異なる。

いま一度確認しておくと、社会保障の市場化のポイントは、社会保障に市場取引の基本的スタイルである当事者同士の売買の形をともかくも持ち込むこと、そのことで行政の直接的な責任による利用・提供の仕組みの質的な転換を図ることである。

 社会保障の営利化は、かかる市場化が作り出すサービスの売買のスタイルのもとで、販売する側、つまりサービスを提供できる主体を営利組織にまで広げ、社会保障の事業そのものを営利の対象として構わないとするルールに転換することである。つまり、営利組織の社会保障事業への参入解禁とそれにともなう事業自体の営利事業への転換である。ただし、市場化が直ちに営利化をもたらすわけではなく、提供主体が非営利組織に限定される場合には、営利化は押しとどめられる。
(月刊「経済」07年8月号  新日本出版社 p74-76)

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◎「KSは、老後の生活保障を自らの貯蓄を運用して賄え、というものであり、先進国ヘのその影響は計り知れない」と。