学習通信071119
◎ともにたたかうのだから同じ兵器で=c…

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《潮流》

のらりくらりとみえて、けっこう多弁、涙まじりで反省の弁を口にするときもありました。守屋・前防衛事務次官への証人喚問。山田洋行の社長への参考人質疑ともども、癒着のありさまをかいまみる機会でした

▼「八年間で三百回、千五百万円」のゴルフ接待。防衛省職員へのつけ届け。彼らの、企業への天下り。防衛省、アメリカ国防縮省、日・米企業の四者の人脈とからみあい。政治家もまじえた利権あらそいが繰り広げられた疑い……。謎は謎をよびます

▼「軍産複合体」という言葉も思い出しました。軍部と軍事産業とが一体化し、政治や社会に影響力をおよぼします。一九六一年、アメリカのアイゼンハワー大統領が辞めるさいの演説で用い、一躍知られるところとなった言葉です

▼「軍産複合体がわれわれの自由と民主政治をこわすようなことを許してはならない」(アイゼンハワー)。しかし、当のアメリカは軍事力をつよめるばかりか、世界中に軍事同盟の網を張りめぐらせる。新しい兵器を次々と開発し、ともにたたかうのだから同じ兵器で≠ニ同盟国に売りつける

▼というわけで、同盟国・日本に米企業の下請けやら代理店やらができ、防衛省への売り込みにしのぎをけずる。「米軍産複合体の国際化」ともよべそうな現実の裏で、企業と防衛省や政界との癒着は絶えません

▼私たちの税金にかかわります。むだな兵器を買わされ、企業の接待やわいろの費用は価格に上乗せされます。次はぜひ、名前のあがった政治家も喚問を。
(「赤旗」20071116)

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「黄金時代」

 冷戦下の一九五〇年代から六〇年代初めを、アメリカ人は「黄金時代」へのノスタルジーをもって振り返る。この時代は、人々が一般的に満足感と誇りを持って自分たちの社会を見た時代だった。未曾有の経済的繁栄は、冷戦における自国の社会体制の優位性を強調するうえで、アメリカ国民の自信に裏づけを与えた。アメリカ社会に常に存在してきた豊かさのなかの貧困や差別は、「黄金時代」にも存在し続けたが、繁栄の陰でほとんど無視された。

 大戦中に倍増した国民総生産(GNP)は、戦後の軍需減少による深刻な不況到来の予想に反して、一九四五年から六〇年までの間に二〇〇〇億ドルから五〇〇〇億ドルに増えた。失業率も五〇年代から六〇年代初めを通して五パーセント止まりで、インフレも戦後二年余りは一四、五パーセントから二五パーセントまで上昇したが、その後は三パーセント程度に収まっていた。戦後急激に落ちた政府支出に代わって、戦時中に預貯金を増やしていた国民の消費が伸びた。

また、政府による学校、住宅、州間高速道路の建設など公共事業のほか、帰還兵士への経済援助を与えるGIビルも景気の浮揚に貢献した。さらに、冷戦下の国防費の増大、特に朝鮮戦争による軍需の拡大は経済にいっそう大きな刺激を与えた。世紀転換期に確立し成長した、企業・研究機関・政府が協力して経済を発展させる「現代アメリカ」のシステムは、この時代、軍隊も加わりいっそう強化されたのである。

 特に、軍需産業と軍部の結合の強化はアメリカ経済を拡大させたものの、経済の軍事依存を高めることになった。アイゼンハワー大統領は強大な軍隊と巨大な軍需産業の結合という新しい事態を憂慮して、一九六一年一月告別演説において、国民はこの結合が生活のあらゆる面に「重大な意味」を持つことを理解し、「軍産複合体が……不当な影響力を獲得しないように身を守らなければならない」「この結合の力が我々の自由あるいは民主主義のブロセスを危険にさらすことを、決して許してはならない」と訴えたのだった。アイゼンハワーの警告はむしろ予告となった。

以後アメリカの国防予算は拡大し続け、軍産複合体制は大きな財源を手にすることになる。そして政治、外交、経済政策に決定的な影響力を及ぼすことになった。またこの時代、急速に発展していた科学技術は大規模化し、巨額な研究費を必要とするようになっていた。このため大学などの研究機関は潤沢な国防予算のある政府との契約によって資金を獲得し、研究の方向も制限される傾向を強めた。軍産複合体は、アイゼンハワーの予告どおり、アメリカ国民の自由と民主主義を脅かす力となっていったのである。
(有賀夏紀著「アメリカの20世紀(下)」中公新書 p28-30)

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産軍複合体

〈軍産複合体〉ともいう。

独占金融資本と軍部とが癒着した体制をさし、さらによりひろく主として朝鮮戦争以後におけるアメリカの産業・経済・政治・社会・学術文化(科学研究も含めた)の軍事化の現象を総称する表現として使われている。ミネソタ州選出の上院議員マッカーシーのように軍産学複合体と呼ぶものもある。

多額の軍事支出の恒常化、軍事技術の急速な発展のなかで、巨大軍需企業と結びついた軍部の権力の増大、アメリカ経済の全般的な軍事化が第2次大戦後の冷戦構造のなかで急速にすすんだ。

朝鮮戦争を推進力として、トルーマン政権時代からこの過程が強まり(その始まりは第2次大戦中にさかのぼる)、アイゼンハウアー時代にそのテンポはますます早まり、ケネディ=マクナマラ時代に産軍複合体の完成を見た。

ケネディ─ジョンソン─ニクソンの3政権にまたがるベトナム─インドシナ戦争は〈コンピュータ戦争〉ともいわれ、アメリカ金融寡頭制は、この局地戦争を景気刺激のために拡大し、局地戦争用の航空機、エレクトロニクス兵器、ABC兵器の開発市場(国家独占資本主義兵器市場)に寄生して,コンピュータを核とする技術先端産業の育成をはかった。

アメリカ海軍は国際石油資本と一体となって東シナ海、南シナ海、メコンデルタ沖合、シャム湾の油田開発・探査も行なった。ニクソン、カーター政権下では産軍複合体の国際的展開が本格的に開始され、航空機・武器輸出や海外での兵器生産をつうじて、アメリカ産軍複合体の系列下に、先進資本主義諸国(とくに西ドイツ、フランス、日本)のみならず<中進国〉や<第3世界の大国〉(ブラジル、南アフリカ、イラン、イスラエル、韓国、アルゼンチン、サウジアラビア、エジプトなど)でも、産軍複合体の編成が本格的に開始された。ロッキード事件,ノースロッブーグラマン事件はその氷山の一角である。

 産軍複合体という概念は、1961年1月17日のアイゼンハウアー大統領告別演説のなかで、〈巨大な軍事機構と多数の軍需産業の結合、これはアメリカが新しく経験している現象である〉〈その重大な結果を見過ごしてはならない〉のであり〈軍産複合体による分不相応な影響力の獲得にたいし警告しなければならない〉と述べ、この産軍複合体は〈今後も存続しつづけるだろう〉と予言した。当のアイゼンハウアー政府は、〈大企業と軍部の強力な結びつきによる恒久戦争経済〉の確立を大戦中から主張(44年1月、陸軍兵器協会での演説)してきたGMのウィルソン会長を国防長官にいただき、産軍複合体の高度化をはかったのである。

 産軍複合体の主要素は軍部・国防総省と軍需産業と国防総省から多額の軍需契約を受け取り多額の軍需輸出を行なっている巨大企業(多国籍企業)である。

第2次大戦時から連邦財政の規模が膨張し,軍事費が恒久的に増大するようになり、軍事技術が飛躍的発展をとげ、アメリカの戦略規模がグローバルになり、軍事的空白地帯の<第3世界〉の武装化にまでアメリカ金融寡頭制が乗り出し、兵器システムがますます複雑になるにしたがって、専門的な軍需産業が確立され、巨大企業、技術先端産業も軍需との結合を主要戦略とするようになったことが、産軍複合体の基盤を提供した。

そして産軍複合体を陣頭指揮しているのはアイゼンハウアー将軍のようなペンタゴンのエリートよりも、むしろ巨大企業と巨大銀行の結合体であり、つとめて金融寡頭制の戦略である。

モルガン系のGM、IBM、GEなど多国籍企業、同じくモルガン系の軍需産業(ロッキード、ユナイテッドーテクノロジー、ロックウェルーインターナショナル,グラマン、ボーイング)、ロックフェラー・モルガン共同支配のエクソン,デュポンといった多国籍企業とロックフェラーの育成した軍需企業マクダネルーダグラス,シカゴ集団系軍需企業のジェネラルーダイナミックス、メロン系のウェスチングハウスなどである。 (山脇友宏)
(「経済学事典」大月書店 p373)

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アイゼンハワー大統領は強大な軍隊と巨大な軍需産業の結合という新しい事態を憂慮して、一九六一年一月告別演説において、国民はこの結合が生活のあらゆる面に「重大な意味」を持つことを理解し、「軍産複合体が……不当な影響力を獲得しないように身を守らなければならない」「この結合の力が我々の自由あるいは民主主義のブロセスを危険にさらすことを、決して許してはならない」と。