学習通信071120
◎「軍・産・政」の複合体……

■━━━━━

軍需利権に群がる構図
国の助成金 国防族議連に
 大門議員が追求

 日本共産党の大門実紀史議員は、十九日の参院決算委員会で、日米の軍需企業と政界を結ぶフィクサーと呼ばれている秋山直紀氏を仲介役として軍需利権にむらがる政治家、軍需産業、官僚の癒着の構図を具体的に明らかにしました。

軍拡要求の会合

 額賀福志郎財務相は、今年五月に米ワシントンで開かれた「日米安全保障戦略会議」に、日本の国会議員を率いる団長として出席しています。その渡航費や豪華ホテルの宿泊代が、一人少なくとも百数十万円はかかっているにもかかわらず、二十万円の参加費しか払っていないことを秋山氏は認めています。

 大門氏は、このときの訪米日程の資料も示し、同会議では、米軍需企業のボーイングなどから接待≠ニいうべき食事会が行われていることも挙げ、その異常さを追及。額賀財務相は「(同戦略会議に)賛同する者が、参加費を払って公益性のある事業をしている」と開き直りました。

 この「日米安全保障戦略会議」は、毎年、ワシントンと東京で開かれているもの。米国の先制攻撃戦略を支える「ミサイル防衛」などの軍拡や、集団的自衛権の行使など憲法改悪を主張する場になっています。出席しているのは、額賀氏をはじめ、自民、民主、公明の各党の国防族議員や軍需屋業、防衛省や米国防総省関係者です。

 同戦略会議を主催しているのが、「日米平和・文化交流協会」と「安全保障議員協議会」です。

 大門氏が浮き彫りにしたのは、この両団体をめぐる異様な癒着の構図でした。

国会での解明を

 「交流協会」は、国際交流基金を通じて国から助成金を受けている外務省所管の社団法人です。常勤理事は秋山氏で、「山田洋行」元専務の宮崎元伸容疑者も理事を務めていました。

 同協会と、国会議員を中心とした任意組織「安全保障議員協議会」の役員がほとんど一致し、同議員協議会の事務局長も秋山氏です(別表)。しかも両事務所の場所は、東京・永田町にある「パレロワイヤル」という同じマンションの同じ部屋でした(一一〇四号室=〇六年六月まで)。

 毎年のワシントンでの「戦略会議」に出席する国会議員の渡航費も、「交流協会」に出されている国の助成金が使われています。さらに大門氏は、会計報告書によると、同協会と「議員協議会」がお互いに入出金を繰り返しており、国からの助成金が、同協会をトンネル≠ノして、議員協議会に流れていることも指摘しました。

 しかも、「交流協会」は、防衛庁や国土交通省から調査委託事業などの仕事も受注しています。

 問題は、国からの流入だけではありません。

 大門氏は、秋山氏が「交流協会」の常勤理事になった〇二年から、同協会への軍需企業などからの収入が、約二億四千万円(〇七年予算分を含む)に達することを指摘。このうち〇六年は、一年間だけで、九千四百万円にも及びます。

 「戦略会議」では、兵器の見本市≠ワで行われており、軍需企業からの異常なお金のつぎ込みが、何を意味しているのかは明らかです。

 大門氏は「国の助成金もからむ話であり、参院決算委員会として、秋山氏の証人喚問を」と要求。小川敏夫決算委員長は「理事会で協議する」と述べました。
(「赤旗」20071120)

■━━━━━

ピースナイト9
加藤周一さんの講演(要旨)
「老人と学生」
この国の未来を開く協力を

 評論家の加藤周一氏が十六日、早稲田大学で開かれた「Peace Night9」で行った講演「老人と学生」の要旨は次の通りです。

戦争が始まる形

 今日、お話ししたいことの一つは、戦争というものは、ある日突然はっきりした形で始まるだけでなく、なし崩しで始まる場合もあるということです。日中戦争の始まりを「支那事変」と言って「戦争」という言葉を避けたように、いつ戦争が始まり、いつ終わるともはっきりしない、発展の節目もはっきりしない、すべてもやもやした形での戦争があります。賛成することも反対することも難しい。その経過を知らない人はいないかもしれませんが、私はそれを日中戦争の場合に強く感じたのです。

 なし崩しの戦争には二つの重要な手段があります。一つは、アジアにおける日本の位置というような問題について、政府の望む考え方を国民の頭に吹き込む。「日本は神の国だ」と突然言っても説得はできないから、学校教育を通じて洗脳するのです。

 なぜかというと、戦争は組織的な暴力であるとともに、暴力の使用を正当化する理屈、言葉でもあります。日本の「自衛」であるとか、「国民の致命的な区域を守る」とか、「理由」があり、それで暴力を正当化するのです。これは「言葉の戦争」です。

 言葉の戦争は暴力の法的表現でもあり、この点で治安維持法が一番有名です。左翼の思想を政府が弾圧するために一九二五年に議会を静かに通しました。普通選挙法が一九二五年に通り、治安維持法はしばらく誰も使わなかったので、二〇年代はりベラルアワーズ(自由主義の時代)=大正デモクラシーと言われます。

 しかし、日本のデモクラシーを徹底的に破壊した三〇年代の法律的道具は治安維持法でした。はじめは共産主義者を、その次は社会民主主義者を、やがて自由主義者、キリスト者を弾圧しました。そして神がかりの戦争を支持しないものすべてを弾圧した。なし崩しで進んでいったのです。

 これは老人と学生との接点の一つです。最近、一九三〇年代の日本と現在が似ていないかという質問をよく受けます。治安維持法と日本のファシズム、戦争を支持したイデオロギーはすっかりなくなったわけではないからでしょう。

68年との共通点

 もう一つ話しておきたいことは日本社会の構造のことです。一九六八年を思い出すといいと思います。この年に起こった出来事は、老人と学生がいま話し合って知的に得ることの多いものです。

 アメリカのアイゼンハワー(元大統領)が最後の演説で「アメリカの一番の危険は外からコミュニストがやってくることではなく、国内における軍産複合体の大きすぎる力だ」といいました。

 それより前、世界の学生運動の中で「戦争反対」だけでなく軍産体制を強調したのは六八年の日本の学生運動でした。日本の学生は「軍産学体制」といいました。どこからそういう言葉が出てきたのか。日本ではかつて軍部が大きな力をもち、いまでも日本社会の基本的構造の一つであり続けています。「軍産学体制」は過去の問題であるばかりでなく、また現在の問題です。昨日の学生(今日の老人)の問題は、そこで今日の学生(皆さん)の問題に出会うのです。

 また、九条は日本国憲法の中で最も国際的な意味が大きい項目です。六八年には青年たちの国際的な連帯感が比べようもないほど強かった。それを思い出したいと思って、私は日本の憲法と九条に関する感想を日本人とドイツ人のそれぞれ十人ほどの学生に書いてもらい、翻訳して小さな本にすることを考えました。九条問題についての話し合いの糸口になればいいと思っています。

 六八年は学生の季節でした。その後で日本社会は変わりませんでした。二十一世紀は老人主導で始まりました。それだけで日本は変わらないでしょう。しかし学生と老人が協力すれば、この国の明るい未来を開くことができるでしょう。
(「赤旗」20071120)

■━━━━━

 大恐慌と第二次世界大戦

 アメリカ資本主義の「軍事化」の起点が第二次世界大戦であったことは、ほとんどの研究者が一致している。一九二九年の大恐慌の深刻な打撃を最終的に回復させたものが、大戦中の軍備大拡張と軍事支出だったからである。

 たとえば、ポール・スウィージーも、一九三三年の危機にたいしてとられたニューディールは一時的な景気回復をもたらしたが十分な成功をおさめず、解決したのは「第二次世界大戦とその余波」だったとのべている。ビクター・バーロも「この恐慌から、資本主義世界は、第二次世界大戦によってのみ、『救出』されたのである」としている。

 興味深い文献は三菱総合研究所が七七年に出した『グローバル・インフラストラクチャー・ファンドの提言』で、次のように指摘していた。

 「一九三〇年代の世界恐慌は、ケインズ的有効需要政策やルーズベルト大統領のニューディール政策によってのみ克服されたものではなかった。不幸にして軍備拡張および戦争そのものに伴う巨額な軍事支出が、不況克服の有力な手段であったことは、冷厳な歴史的事実である」。

 三菱総研の提言によれば、第二次世界大戦のアメリカの戦費ニ八〇〇億ドルは、一九七五年価格にして五三〇〇億ドルで、「いまや世界経済は第二次世界大戦後最大の危機に直面している」。この危機克服のためには「第二次大戦の戦費に相当するような有効需要を喚起する」ことが必要であるが、核戦争になるので大戦争はできない以上、各国が一〇年間に五〇〇〇億ドルの資金を出し合う平和的な「グローバル・ニューディール政策」をやろうではないかというものであった。

 最近の所論を挙げると、C・ダグラス・ラミスも、この間題を重視し、次のように、戦後のアメリカの巨額の軍事支出を「軍事緊急支出予算」と名付けている。

 「戦争には莫大な金が必要です。米国は一九三〇年代ずっと不況でした。ニュー・ディール政策でも不況は解消できませんでした。その不況から抜け出られたのは第二次世界大戦のおかげでした。国民総動員はよく知られた歴史的事実です。
 つまり、資本主義の米国は平和時には大恐慌から抜け出すのに必要な政策をとることができなかったわけです。戦時体制に入り、戦争のためであれば何でも消費できるようになり、実際に消費しました。景気の呼び水です。以来、米国は常にこの軍事緊急支出予算を組んでいます」。

 ラミスが指摘するとおり、アメリカ資本主義にとって、大恐慌から抜け出す過程で決定的な役割を演じた莫大な戦費支出は、戦後のアメリカ資本主義にとっても不可欠な構成要素となりつづけた。大戦中にアメリカ産業の重要な主柱となるにいたった軍需産業と武器輸出を戦後も維持せざるをえず、軍事支出は、アメリカ資本主義の恒常的・構造的な基軸要素となり、その特異な軍事化が、こうして進行していった。

 そして第二次大戦の終了時に、資本主義世界におけるアメリカの地位は圧倒的だった。

 「戦争直後の時期、アメリカは資本主義世界の工業生産の53・9%(1948年)を占めたばかりか、世界の総輸出の32・5%(1947年)を、また世界の金・外貨準備の53・7%(1948年)を占めていた」。

 こうした圧倒的な力関係のもとで、また戦後資本主義世界の復興過程で、マーシャルプランにみるようにアメリカが指導的役割を演じたことから、アメリカ資本主義の軍事化は、軍事同盟網の構築と並行しつつ、世界資本主義全体の歩みにも不幸な否定的刻印=軍事化の刻印を押しつけることとなった。

アメリカの軍備、軍需産業、武器輸出の現状

 軍事支出を重要な基軸要素とするに至ったアメリカ資本主義の軍事化構造は、戦後の米ソの軍事的・政治的・経済的対決のもとで、さらなる拡張と一定の変容をうけながら、「核・軍事的経済」として発展していった。「軍事化においても」イギリスに「遅れをとった」アメリカの戦後の急転換ぶりを、ビクター・パーロの前掲書から引用しておこう。

 「第二次大戦後、急激な政策転換が行なわれた。軍事目的にゆくアメリカの財源の割当は、何倍にも増加して、このように用いられる全般的生産の割当において、他のすべての主要な資本主義国を追いこした。絶対額において、アメリカの軍事支出は、その他すべての資本主義国を合わせた総額を、一貫して超えてきた」。

 「アメリカの軍事予算は、戦時を除いて、常態ではGNPの〇・五%と一%のあいだにわたっていた。それは、南北戦争と第一次世界大戦においては、GNPの二〇%、また第二次世界大戦においては、GNPの四〇%に接近した。これ以降、それは、ややこの範囲を上回って増加した朝鮮戦争中を除いて、GNPの四%と一〇%のあいだにまたがってきた。一九八〇年代をつうじて、軍事予算は、GNPの約六・七%であったが、もし関連項目──連邦債務への利子、『対外援助』、および退役軍人年金のような──が含められるならば、GNPの一〇%以上であった」。

 W・レオンティエフとF・デュチンは、軍事支出の経済的影響の分折をめざして一九七八年から八〇年の二年間の研究をまとめた『軍事支出──世界的経済発展への桎桔』を発表している。「いずれの国においても軍事活動の実態は秘密主義のべールにつつまれて」いるため、「データの作成は、民間経済部門を対象とした場合にくらべて明らかに困難であった」と書いているが、産業連関分折の手法による「軍縮の経済学」をめざした研究であった。

 この書によると、「政府最終需要」の項目で、各国の「政府軍事支出の国内総生産に占める割合」の表で、「北アメリカ」は、一九七〇年が七・四%、八〇年、九〇年、二〇〇〇年がいずれも五・〇%となっている。「北アメリカ地域ではアメリカ合衆国が大半の軍需品を生産していることから、世界モデルにおいても……アメリカ合衆国のデータをもって代表させた」とあるので、アメリカ合衆国の軍事費のGDP比率と見てよい。

 ソ連は一四〜一三%となっており、アメリカのほぼ二倍以上である。「西ヨーロッバ高所得国」が三・五〜三・四%、「同中所得国」が三・九%となっており、アメリカの軍事費のGDP比率は、西ヨーロッパ諸国の一・五〜二倍である。ソ連、西ヨーロッパ諸国とアメリカのGDPの絶対額は、「付録」をみると、一九七〇年でアメリカ一兆〇五九五億ドル、ソ連四三四九億ドル、西ヨーロッパ(高所得、中所得)八〇四四億ドルとなっており、アメリカの軍事費が世界最大であることは明らかである。その七%だと七四一億ドルということとなる。

ソ連は五六〇〜六〇〇億ドル。「歴史的傾向」の節では「世界全体の軍事支出」は「1951年当時年間約1000億ドルであったのが、20年後の1970年には2000億ドルを越え倍増した」とあり、そのほぼ三分の一をアメリカが占めたこととなる。「現在アメリカ合衆国政府がとっている軍事政策、すなわち実質年率7%の軍備増強を目指す政策」とあり、アメリカの軍事費は年々膨脹していった。

 ビクター・パーロは、分折の結論として、「連邦予算」の場合、その四分の三が軍事支出の比重だとしている。

 「アメリカは、高度に軍事化された国になっている。歴史的に、連邦予算は、常に軍事支出を重く負わされてきたが、一九三〇年代以前には、州と地方との支出の二倍の大きさでありながら、小さな経済的要因であった。第二次世界大戦以降、すべての州政府と地方自治体を合わせた総額のほぼ二倍の連邦支出とともに、逆転してきた。一九七〇─八五年の時期をつうじて、直接軍事支出は、連邦総支出の約二五─二〇%──関連項目が含まれるならば、四〇−五〇%−であった。

 けれども、これらの数字でさえ、連邦支出における軍事の重要性を過小評価している」。

 「戦後期をつうじて、『国防』支出は、財貨とサービスとにたいする総支出の約七五%──すなわち連邦政府の実際の活動の四分の三──を占めてきた。

 ワシントンの活動の実際のウェートは、四分の一、またはそれ以下が、独占資本の国内的利益と、公共的必要とのために支出され、多くが、つまり少なくとも四分の三が、独占資本の国際的利益の拡張と保護へゆくことを示している」。

 田中正・京大教授も、一九八二年度の連邦政府支出分では六〇%が軍事的部分だったと指摘している。

 「一九八二年度、米国の研究・開発費総額七七〇億ドルのニ八パーセントを国防総省関係が占めているが、連邦政府支出分に限って見れば、実にその六〇パーセントを軍事的部門が占めていることになる」。

 最近の労作である広瀬隆『アメリカの巨大軍需産業』には、一七九一〜九九年の「アメリカの国家歳出に占める軍事費の割合」の表が掲載されている。それによると、南北戦争の時期は九〇%前後、第一次世界大戦時は六〇%、第二次世界大戦時は八〇%前後、朝鮮戦争時は六〇%前後、ベトナム戦争時は四〇〜五〇%である。

 重視しなければならないことは、この数字がソ連崩壊後の九〇年代も一五〜二〇%を占め続けていることである。

 「四半世紀におけるアメリカの軍事費」によると、軍事費の歳出実績は、ソ連崩壊の年・九一年にブッシュ政権のもとで最高の三一九七億ドルを記録している。ソ連崩壊後、一定の軍縮が実行され、クリントン政権のもとで九六年には二六六〇億ドルまで低下している。その後、また増加傾向に転じ、九九年には二七五五億ドルとなった。ブッシュ政権となって、再び三〇〇〇億ドルを超えるにいたり、就任後最初の二〇〇二会計年度(〇一年一〇月〜〇二年九月)の国防予算は、前年比四・八%増の三一〇五億ドルだった。

同時多発テロ事件以後、予算教書で要求された二〇〇三会計年度の国防予算は、過去二〇年間で最大の伸び率一五%となり、総額三七九〇億ドルとなった。国防情報センターは、軍事予算の総額は三九六〇億ドルに上り、ロシアの六・六倍、二位から二六位までの二五カ国の軍事費を上回るという試算を発表している。一ドル一二〇円とすると、三一〇五億ドルは三七兆二〇〇〇億円、三九六〇億ドルは四七兆五〇〇〇億円となる。

 いずれにせよ、アメリカの国家予算における軍事費の比重はきわめて膨大なもので、現在、世界全体の軍事支出のなかで最大の比重を占めている。〇二年六月一三日にストックホルム国際平和研究所が発表した年次報告によると、「世界の軍事支出は昨年も増加を続け、冷戦の終わりから90年代後半までの削減傾向は完全に逆転した」が、同報告は「米国の軍事費は世界全体の36%を占める突出ぶりで、ブッシュ政権の増強政策によってこのシェアは今後一層膨らむと予測」しているという。

 武器輸出については、レオンティエフらの前掲書は次のようにのべている。

 「軍事物資の生産と輸出における2大拠点は、北アメリカとソヴィエト連邦である。この2大輪出拠点から最も多くの軍事物資を輸入しているのは、中近東とアフリカ地域の産油国である」。

 武器輸出も、いうまでもなくアメリカが世界で最大の武器輸出国である。ロッキード疑獄やダグラス・グラマン疑獄のような疑獄事件を多発しつつ、アメリカの軍需多国籍企業は、「冷戦」時代に、ソ連とともに中近東とアフリカの産油国などに武器輸出競争をおこなってきた。

 レオンティエフらは、「世界の軍需品輸出については、その60%以上が北アメリカと西ヨーロッパから輸出されている」と書いている。

 広瀬隆氏の著書は、ドイツ、フランス、スペインの軍需産業が一体となったヨーロッパ航空防衛宇宙社一社をのぞき「世界の巨大兵器メーカー」一〇社のうち「九社をアメリカが占めて」いると指摘している。

 武器輸出の額について、パーロは次の数字をあげている。

 「政府承認済み協定のもとで、アメリカ企業による海外軍需売上高は、一九八二年に二〇〇億ドルを超過して、その後、依然として極めて大きかった」。

 ソ連崩壊後の一九九五年のアメリカの武器貿易として、一五六憶ドルという数字がある。

 広瀬氏の著書には「アメリカの軍用航空宇宙製品の輸出額」の表が掲載されており、それによれば、カーター政権時代の四〇億ドル内外の輸出額が、レーガン政権、ブッシュ政権と増大を続け、クリントン政権時代の九六年、九七年には一〇〇億ドルを超えるにいたっている。

 アメリカ帝国主義の軍事化問題にとって、国際的武器輸出が重要な地位を占めていることは明らかである。

「軍・産・政複合体」の役割

 アメリカ経済の軍事化の推進主体が、軍人出身のアイゼンハワー米大統領がいみじくも名付けた「軍産複合体」である。アイゼンハワー米大統領は、一九六一年一月、その離任演説で、次のように告発した。自らの体験にもとづく異例の警告として重みは大きい。

 「アメリカの民主主義は新しい、巨大な、陰険な勢力によって脅威を受けている。それは『軍産複合体』とも称すべき脅威であって、何百万という人間と、何十億ドルという莫大な金を駆使しており、その影響力は全米の都市、州議会、連邦政府の各機関にまで浸透している」。

 アメリカの軍事産業は、アメリカ政府と密接な関係をもち、アメリカの政治を動かしている。その意味ではたんに「軍・産」の複合体であるだけでなく「軍・産・政」の複合体である。この関係史を綿密に調査した著作が、前掲の広瀬隆『アメリカの巨大軍需産業』である。

 氏は、ソ連崩壊後、アメリカの軍需産業に「大編成」が起こり、「驚異的な買収と合併」の結果、「かつてのトップ二五社」が、「本物の軍事生産会社としてわずか四社に統合され」たという大きな変化を指摘している。四社とは、ロッキード・マーティン、ボーイング、レイセオン、ゼネラル・ダイナミックスである。氏によれば「全体に起こった最大の変化」は、上位の二社、ロッキード・マーティンとボーイングだけに「合わせて二三二億ドルという大きな国防予算が集中するようになったことである」。

トップに立ったロッキード・マーティンは、九八年末の従業員数一六万五〇〇〇人、九九年の売上げは二五〇億ドルを超え、その二二%、六〇〇〇億円以上の兵器類が国外の紛争地や緊迫した地域に輸出された。「二〇世紀末から開発に最も力を入れてきたのは、統合攻撃戦闘機と呼ばれる未来の戦闘機連隊」で「契約を獲得すれば将来の総売上げ二〇〇〇億ドルという法外なマーケットが見込まれる」。

 昨年(〇一年)、ロッキード・マーティン社は「ボーイング社との一騎討ち」に勝利し、ブッシュ政権からこの「JSF」の受注に成功した。発注総額は二〇〇〇億ドルだが、同盟国への輸出を含めて今後「総額は70兆円を超す」と観測されている。

 「米英軍に3000機、同盟国向けにも3000機。グローバリズムの進展で、これまでロシア製やフランス製の戦闘機を採用してきた国々も含め『最大で8500機』(ハレル部長)を見込むビッグビジネスは、あっさり決まった。総額は70兆円を超す」。

 広瀬氏は、「軍・産・政」の人脈も広範に追跡している。

 ロッキード事件はあまりにも有名であるが、「レーガン─ブッシュ時代の軍需産業を動かした上院軍事委員会のサム・ナン委員長」を支援したのがロッキードであり、九二年にブッシュ政権が設立した軍需製品貿易諮問グループ議長に就任したジョエル・ジョンソンは、合併したばかりのロッキード・マーティンの代理人であった。九五年に社長、翌年最高経営責任者となったノーマン・オーガスティンはニクソン・フオード政権時代に陸軍長官補佐官、陸軍次官だった。重役のリン・アン・チェイニーの夫がブッシュ政権の国防長官ディック・チェイニーである(現ブッシュ政権の副大統領)。二クソン政権第二期にベトナム戦争を続行したメルヴィン・レアード国防長官、レーガン政権で統合参謀本部議長という軍の最高ポストについたジョン・ヴェッシー、クリントン政権のCIA長官だったR・ジェームズ・ウールジーは、ともにマーティン・マリエッタの重役だった等々。

 広瀬氏は、「あとがき」で、次のように書いている。

 「本書では、アメリカ政府高官と軍需産業幹部の交流に焦点を絞った。国家には、大統領・副大統領と閣僚を含む国家安全保障会議、CIA、FBI、国防総省、陸海空軍統合参謀本部、国務省、各国大使館、NASAがあった。軍需産業には、軍用機メーカー、艦船メーカー、銃砲・弾薬メーカー、核弾頭ミサイルメーカー、エレクトロニクス産業、宇宙・衛星産業がひしめきあっていた。

このあいだに位置して仲介役をつとめる軍事シンクタンクの外交関係評議会と全米ライフル協会、石油メジャー、兵器輸出ロビーの上院議員・下院議員、地元の労働者、これらが渾然一体となって、アメリカの軍事予算三〇〇〇億ドル、ほぼ三〇兆円という金額が捻出される。大統領には制御しきれないほどのシンジケート集団である」。
(上田耕一郎著「ブッシュ新帝国主義論」新日本出版社 p54-65)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「日米の軍需企業と政界を結ぶフィクサーと呼ばれている秋山直紀氏を仲介役として軍需利権にむらがる政治家、軍需産業、官僚の癒着の構図を具体的に明らかに」と。