学習通信071126
◎「神を信ずる者も信じない者も」……
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ミャンマー弾圧
僧侶、抵抗運動の伝統
英植民地下・軍政でも
ミャンマーでこの二十年来最大規模となった抗議デモで、中心的位置を占め、市民を励ましたのは僧侶の隊列でした。
仏教の聖職者は、公式には政治など俗事から離れ修養する存在とされていますが、ロイター通信によると、ミャンマーでは抑圧に反対する抗議行動の先頭に立ってきた長い歴史があります。それは、十九世紀後半に英国によって植民地にされた時代にまでさかのぼります。
まず「靴を脱げ、脱がない問題」があげられます。英国の支配者は仏教寺院その他の神聖な地に立ち入る際、履物を脱ぐことを拒否。現地の文化、伝統を踏みにじる重大な侮辱行為とみなされました。
国民的殉教者
一九一九年、仏教修行の中心地である第二の都市マングレーで、靴を履いたまま僧院に上がった英国人の訪問団を僧侶たちが追い出したため、双方が衝突。指導者とみなされた僧侶は「殺人未遂」で終身刑とされました。
二九年には投獄されたウィサラ師が、獄中での僧服の着用を要求して百六十六日間の抗議のハンストの後に亡くなり、国民的殉教者として扱われました。
これらの事件は、ミャンマーの人々の愛国心に火をつけ、仏教が愛国・独立の結節点ともなりました。
独立後も六〇年代前半から四十年以上に及ぶ軍部による政治支配の下で、僧院の政治的役割は続きました。八八年に反軍政・民主化の蜂起が発生し、軍の弾圧で千人以上、一説には三千人といわれる人が犠牲になりました。これにも多くの僧侶が加わり、九十人もの僧侶が今なおつながれたままだとみられています。
しかしその後も、僧院は多くの若者にとって避難場所となり、ここで世界を知り、精神を磨き、さらには反軍政の地下活動を運営する場となってきました。
手ひどい扱い
今回の反軍政の抗議行動が全国各都市に拡大する契機となったのは、北部の町パコクで軍政側が威嚇発砲し、手ひどい扱いを加えたことでした。
タイに亡命した政治家グループのスポークスマンは言います。「僧侶をロープで縛り、馬か犬のように街灯にくくりつけた」「僧院側は謝罪を求めたが、軍政側が拒否したため、これが大規模集会の引き金となった」
仏教僧院、僧侶は国民の道徳的尊敬を集め、かつては王朝に正統性を与える権威を持った存在です。最大都市ヤンゴンで僧侶たちは、シュエダゴン・パゴダに集結しました。ここはかつて国王が敵に対するたたかいに出る前に祈願した所。軍政を「敵」とみなしていることを象徴する動きといえます。(居波保夫)
(「赤旗」20070929)
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《日本共産党 知りたい聞きたい Q&A》
共産主義では宗教は不必要?
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〈問い〉 私は、宗教は不満からの逃げ道と考えています。それならば、共産主義によって不満が取り払われれば、宗教は不必要になるのではないでしょうか。共産主義はそもそも宗教否定主義と思っていただけに、そうではないということをこの欄(07年4月7日付)で知りショックを受け、あらためて質問させていただきました。(メールで、S生)
〈答え〉 宗教は原始社会に芽生え、人間が生活する自然条件や社会のあり方によってさまざまに変化してきました。資本主義社会では、一部の大企業と大資産家が優遇され、民衆の圧倒的多数はつねに生活の没落と破たん、人生の転落と破滅の危機感におそわれています。人間の老病死や、資本主義の目に見えない力への恐怖に、今日の宗教の存在理由の根源があります。これが宗教についての科学的社会主義の見方です。
ですから、宗教を否定するのではなく、弱肉強食の社会、非人間的労働や人間の尊厳をふみにじる社会保障などにたいして、宗教を必要としている人びとと連帯して、社会的反撃をもってこたえ、よりよい社会を実現するとりくみが必要となります。
宗教は人間の内心の問題、精神生活に根ざしていますから、政治的な対策つまり政策で「消滅」をはかっても実現できないことは、250年にわたる徳川幕府の厳格な禁教政策のもとでも隠れキリシタンが受け継がれてきたことをみても明らかです。
日本共産党がめざしている共産主義社会では、戦争はもちろん貧困や格差、投機や自然破壊などの資本主義的悪徳の社会的基盤は廃絶されます。宗教のめざした人間の幸福の多くが現実に実現する将来社会で、宗教がどのように存続しているかは今後の探求課題ですが、人間社会であるかぎり、病気や寿命、結婚や家庭などの人間関係、自分の才能についての希望と現実などの悩みがなくなるとは考えにくいことです。
共産主義社会でも人間の苦悩にたいする精神的活動として宗教が存在する場合、自由な人間関係の社会の自由な精神活動が保障されることはいうまでもありません。
宗教の社会的役割としては、現世の苦悩の解決を天上にゆだねて民衆の社会的自覚をはばんだり、政治権力とむすんで権力者の支配を助けたりしたこともあります。同時に、宗教が民衆の立場にたって社会進歩を推進した歴史があります。
20世紀には「神を信ずる者も信じない者も」共同してファシズムに立ち向かい、今では異なる信仰の宗教者が共同する平和運動が発展しています。
信教の自由を擁護し、政教分離の原則の徹底をはかることを綱領に明記する日本共産党は、オウムや統一協会などの反社会的集団にたいしては犯罪として対処することをもとめ、創価学会・公明党の政教一体にも反民主主義的な集団として批判しています。同時に、憲法第9条を守る運動をはじめ平和と民主主義のために宗教者との共同を重視しています。(平)
(「赤旗」20071114)
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「宗教についての日本共産党の見解と態度」から
日本共産党第十二回大会第七回中央委員会総会決議
(一九七五年十二月二十三日採択)
四、科学的社会主義と宗教
日本共産党が民主主義の立場で良識ある宗教者との相互協調、協力をめざすことは、科学的社会主義の本来的立場と人類の歴史的経験に照らしても、きわめて理にかなったものである。
(1) 科学的社会主義の創設者であるマルクス、エンゲルスは、科学的世界観(弁証法的唯物論および史的唯物論)の立場にたっていた。科学的世界観は、自然、社会などの現実世界が精神から独立して客観的に存在することを承認し、この世界を全体的かつ発展的にとらえることを重視する。こうした点で、科学的社会主義の世界観は、神や仏など超越者や彼岸≠フ世界の存在を信じる宗数的世界観やさまざまの観念論的世界観とは根本において異なっており、マルクスやエンゲルスは、世界観、哲学の問題では、宗教にたいして明確な批判的見地をとった。
また、宗教の社会的役割についても、ある意味でそこに民衆の苦悩や抗議の表現があることを認めながら、それが、現世の苦悩の解決を天上にゆだねて民衆の社会的自覚を阻んだり、とくにドイツをはじめキリスト教国家であった当時の西ヨーロッパ諸国に一般にみられたように、政治権力とむすんで反動的支配を助けたりしていることにたいしては、するどい批判を加えた。マルクスが、科学的社会主義の立場に到達した初期の論文の一つ、「ヘーゲル法哲学批判 序説」(一八四三年)でのべたのは、宗教にたいするこうした批判的見地の理論的表明であった。
「宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆の阿片である」
レーニンも、宗教にたいして基本的には同じ見地をとった。とくに宗教帝国といわれたロシアでは、国民の精神生活にたいする教会の支配は、ツァールの専制政治と文字通り一体のものとなっており、社会の進歩的発展を妨げる宗教の反動的役割は、いっそうあからさまな形をとっていた。
(2) しかし、マルクス、エンゲルスも、その継承者であるレーニンも、宗教との世界観のうえの対立をただちに政治的、社会的な対立と同一視したり、それが実際に果たしている役割の現実的分析をはなれてすべての宗教を一律に反動と規定したり、さらに「宗教の廃止」を人民解放の運動の目標にしたりする態度はとらず、反対に、こういう態度をとった俗流的な反宗教主義者にたいしては、きっぱりとした批判を加えた。
第一に、かれらは、宗教問題での解放運動の綱領的要求としては、政教分離、「教会と国家の完全な分離」という民主主義的原理を一貫して主張した。そして社会主義のもとでは宗教は「廃止」されるべきだとするエセ社会主義者があらわれたときには、ビスマルク顔まけの憲兵政治再生のくわだてとして、徹底的に批判した。
第二に、宗教の社会的役割の問題でも、かれらは、事実にもとづいて歴史的具体的に分析する態度を一貫してとり、当時のヨーロッパで宗教がとった体制維持的役割を解明するとともに、一定の歴史的条件のもとでは、人民的、進歩的な運動が宗教的形態をとってあらわれうることをも、あきらかにした。エンゲルスが、原始キリスト教が「被圧迫者の運動」であったことに目を向け、十六世紀のドイツ農民戦争におけるトマス・ミュンツァーなど一連のキリスト者の役割を高く評価したのは、その一例である。
第三に、解放運動の方向の問題では、かれらは、「天上の批判」を「地上の批判」に変えること、すなわち、宗教への「宣戦布告」ではなく、人びとをして来世に希望を託せざるをえなくしている現世の政治的、社会的諸悪への批判をこそ優先させる態度を一貫してとった。ここから、労働者や人民を信仰の有無で色わけすることに反対し、地上の幸福と自由をめざし、すべての労働者と人民が世界観のちがいをこえて共同闘争するという地上での共同≠フ方針が強調された。
レーニンは、信仰をもつ労働者はもちろん、聖職者の共産党への入党問題についても、党内での布教活動を目的とするのでなく、綱領に賛成し、共同の政治活動をする意思をもって申し入れてくるなら、これを承認するという態度をとった。
(3) マルクス、エンゲルスは、将来社会の問題については、宗教の生成に自然的背景と社会的背景とがあることを指摘し、階級社会では、社会的根拠が大きな意義をもつことをのべつつ、やがて生産手段が社会的所有になり、社会的生産が計画的、安定的にすすめられ、人びとに豊かな生活向上をもたらす社会になれば、宗教は「死滅」するだろうと予見していたが、もちろん、こうした理論的予見は、宗教にたいする権力的な抑圧や「消滅」政策を求めたものではなかった。宗教と教会が総じて反動的な役割を果たしていた条件下においても、マルクスやエンゲルスは権力的手段による宗教の「消滅」を後世に要求したことはないし、宗教の存否を共産主義社会であるかどうかの基準にしたこともない。
実際、共産主義社会の第一段階である社会主義の制度が、この地上に誕生してから約半世紀を経過し、社会主義国はヨーロッパ、アジア、ラテンアメリカにわたって存在しているが、現在、宗教の「禁止」や「消滅」政策をとっている国はないし、国民の精神生活から宗教が消滅した国もないのが現状である。
(4) 以上にみたように、世界観上の相違を現実の政治的対立に短絡させず、世界観や思想・信仰のちがいをこえて、地上の問題での可能な協力を求めるという方向は、基本的には、科学的社会主義の本来の立場に内在するものであるが、マルクス、エンゲルス、レーニンが活動していた時代から今日までのあいだに、この方向をいっそう前進させることを可能とする大きな歴史的発展があったことも重視する必要がある。この間、あれこれの国で少なからぬ共産主義者とその勢力が、地上の諸問題で宗教者との協力、共同を発展させてきた。とりわけ、一九三〇年代以降のこの分野での経験は貴重である。
ファシズムと軍国主義がドイツ、イタリア、日本などで荒れくるい、残虐な第二次世界大戦への道を突進するなかで、共産主義者をはじめとする民主勢力だけでなく、宗教者のあいだにも、ファッショ的暗黒政治と侵略戦争に抵抗する動きが芽生え、発展していった。第一次世界大戦では、それぞれのほとんどの宗教者が神の名において帝国主義戦争を合理化し、協力していったのにたいして、第二次世界大戦では少ながらぬ宗教者がファシズム反対の立場にたった。
共産主義者は、宗教の反動的利用とたたかうとともに、愛国的、民主的な宗教者を高く評価し、反ファシズム、反軍国主義、民族解放のために肩を組んでたたかった。とくに、フランス、イタリアなどの諸国では、多くの宗教者が反ファシズムの抵抗闘争(レジスタンス)に参加した。「神を信ずるものも、信じないものも」ということばは、反ファシズム闘争での共産主義者と宗教者をふくむ広範な人民勢力の協力、共同の歴史的証言となっている。目本でも、ごく少数にとどまったものの、気骨ある宗教者は侵略戦争に反対し、日本共産党とともにたたかった。また、宗教団体のなかには、国家神道に反対したため、不敬罪と治安維持法によって天皇制権力の弾圧をうけ、日本共産党員と獄舎をともにした人もあった。
第二次大戦後、科学的社会主義にたつ諸党は、反ファシズム闘争の経験をふまえて、宗教の反動的利用に反対するとともに、善意ある宗教者との協力、共同をいっそう重視するようになった。宗教者の側も、少なくない宗教者が反戦、反ファッショのためにたたかった経験に学ぶとともに、戦争協力者が多かったことを深く反省し、反戦、平和、民主主義、社会的ヒューマニズムなどの社会的実践の問題に、戦前とは比較にならないほど大きな関心をもつようになった。宗教者、宗教団体のなかに、ファシズムと軍国主義に反対し、反戦、平和、民族独立、民主主義、民衆の生活向上などをめざす動きが広く芽生えたこと、そして共通する地上の諸問題で共産主義者と宗教者との協力が進展したことは、一九三〇年代以降の新しい人類的経験である。
(5) 近年、アメリカ帝国主義のベトナム・インドシナ侵略戦争などに反対する運動で、また原水爆禁止や核兵器使用反対の運動で、あるいは公害に反対し国民の生命をまもる運動で、広範な宗教者と共産主義者をふくむ民主的な勢力との協力、共同は、日本をはじめ、世界各国において発展してきた。国のちがいをこえた、宗教者の平和運動体もいくつか生まれ、平和運動の先頭を切っているものもある。ベトナムをはじめインドシナでは、宗教者は抗米救国闘争の重要な一翼をになってきた。その他のアジア、アフリカ、ラテンアメリカの民族解放闘争も、宗教者の参加を無視しては語れなくなっている。
ヨーロッパでもイタリア共産党はカトリックとの「歴史的妥協」を提唱し、スペイン共産党は反ファシズム闘争のための教会との協調をよびかけている。こうして、共産主義者と宗教者との相互理解と協力、さらに両者をふくむ広範な諸勢力の民族的あるいは民主的な問題での協力、共同の追求は、いまや世界的な趨勢になっているといえる。
五、宗教問題での日本共産党の基本的態度
日本共産党は、日本国民とその現在および未来にたいして自主的責任を負う科学的社会主義の党として、宗教にかんして次のような基本的態度をとる。
(1) 日本共産党は、伝道・布教をふくむ信教の自由を無条件で擁護する。
日本共産党は、戦前、天皇制権力の国家神道政策と、それに批判的な宗教団体、信仰者への迫害に反対してたたかい、戦後最初の大会である一九四五年十一月の第四回党大会で決めた行動綱領でも、言論・出版などの自由とともに「信仰の完全な自由」をかかげた。新憲法作成過程の一九四六年に発表した日本共産党の憲法草案では、「信仰と良心の自由」、「宗教的礼拝、布教の自由」をうたった。
宗教的礼拝や結社、布教・伝道の自由などをふくむ信教の自由の全面的保障には、政教分離の貫徹が不可欠である。そのさい、どの宗教、宗派も活動を認めあうことが大切であり、特定の宗教団体が自分以外の宗教の存在を認めず、力ずくで排撃するようなことは、信教の自由を宗教の側から破壊することになろう。
(2) 日本共産党は、政教分離という民主主義的原則の貫徹をはかる。政教分離は、中世封建社会の政教一致主義を打破するたたかいのなかで明確にされてきた民主主義的原則である。これには二つの側面がある。
第一は、国家にかかわる問題である。国家にとって宗教は私事、すなわち個人の内面的問題であり、国家は、どんな宗教にも特権をあたえたり、逆に差別的にあつかったりしてはならず、信仰の問題への国家のいかなる介入も許されない。わが国では、戦前の絶対主義的天皇制権力が、国家神道をつくり、天皇および政府指導者が神宮に直接参拝し、全国民に神社参拝を強制するなど、極端な政教一致主義をとったが、現在も自民党など反動勢力は、靖国神社国営化という政教分離に反する企図をもっている。現憲法は「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定しており、この民主的規定を貫徹しなければならない。
第二は、宗教の側にかかわる問題である。現憲法は「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」としている。宗教団体は、共通の信仰にもとづいて組織されているものである。信仰者と宗教団体が広い意味での政治参加の権利をもつことは当然であるが、宗教団体が特定政党とその議員候補の支持を機関決定して、信者の政治活動と政党支持の自由を奪うことは正しくない。信者一人ひとりの政治活動と政党支持の自由を大切にすることは、民主主義の初歩的原則である。しかも、宗教団体の特定政党支持は、信者の民主主義的自由を奪うだけでなく、その政党の誤った態度まで宗教団体が支持するという二重に有害な結果をもたらす。
日本共産党は、民主主義的な政教分離の原則のわい曲や空洞化に反対し、その全面的貫徹のためにたたかう。
(3) 信教の自由を擁護し、国家の宗教問題への介入に反対するとの立場は、将来のいかなる社会においてもつらぬかれる日本共産党の不動、不変の原則的態度である。
われわれの展望する社会主義社会、さらに共産主義社会における、宗教の将来にかかわる問題は、自由な理論的予見の領域に属するが、宗教的信仰が存在するかぎり信仰の自由は無条件に擁護される。このわれわれの態度は、将来の社会主義社会でも、共産主義社会でも不変であり、何人によってもこの原則の侵害は許されないであろう。
一九七〇年の第十一回党大会では、将来の展望として、独立・民主の日本はもちろん、社会主義日本においても信教の自由を保障することが確認されている。この日本共産党の一貫した見地は、一九七四年十二月に調印された創価学会との協定にも書きこまれた。一九七五年秋のイタリア共産党、フランス共産党との共同コミュニケでも、民主的変革の段階においてはもちろん、将来の社会主義社会においても、言論、思想、集会、結社の自由、文化・芸術表現の自由、複数政党制などとともに「布教の自由をふくむ信教の自由を完全に保障する」ことが一致して強調されている。
信教の自由は、思想、言論、集会、出版、結社の自由などの基本的自由と対立するものではなく、その一翼である。したがって、政権に批判的な宗教団体であっても、その活動の自由が保障されることは当然である。
わが党の理論的立脚点である科学的社会主義と、その科学的世界観は、神仏などの超越者や彼岸≠フ世界の存在を信じないが、党の世界観の問題と国家や社会の精神生活の問題とは、別個の事柄である。共産党が科学的社会主義の世界観をもっているからといって、共産党がめざす社会や国家のなかで、それ以外の世界観や哲学の多様な存在を認めないとか、科学的社会主義の世界観を国家のイデオロギーとして社会全体におしつけるなどは、党と国家の混同であって、絶対にあってはならないことである。わが党のめざす社会主義社会にも、共産主義社会にも、いかなる「国定の世界観」もなければ、「官許の哲学」も存在せず、特定の思想や信仰を行政的手段でおしつけたり禁止したりするいかなるイデオロギー的強制も存在しない。
わが党は、科学的社会主義者として、この科学的世界観が将来は人類の多数者のものとなるだろうと確信している。しかし、これは人類の精神生活の将来の発展についての予見であって、わが党は現在においても将来においても、国家権力による思想や信教の問題への介入には、絶対に反対である。将来社会でどの世界観、どの哲学が、どれだけの比重と影響力をもつかは、行政的手段によってではなく、思想自身の力、その社会の成員一人ひとりの自由な選択によってきまる問題である。
日本共産党が理想としている共産主義社会は、人問による人間の搾取をすべて根絶することはもちろん、あらゆる人びとに、豊がな物質的繁栄と精神的開花を保障する「真に平等で自由な人間関係の社会」(党綱領)である。未来のこの自由な共同社会においては、複数の世界観や価値観の存在する自由は尊重され、科学的世界観の保持者も宗教をふくめ他の世界観の保持者も、平等かつ個性ある成員として自由な共同社会を形成するであろう。
(「赤旗」一九七五年十二月二十一日)
(「科学的社会主義と自由・民主主義」新日本文庫 p240-249)
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《日本共産党 知りたい・聞きたい Q&A》
キリスト教・仏教・イスラム教の平和教義とは?
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〈問い〉 10月23日付外信面、世界宗教者平和会議の記事を読み、ローマ法王が「神の名による暴力やめよ」とよびかけたことをうれしくうけとめました。ところで、キリスト教、仏教、イスラム教など主な宗教の平和教義とはどんなものですか?(京都・一読者)
〈答え〉 仏教は釈迦(仏陀)が創唱者で、約2500年前、奴隷制と身分差別、殺りくの社会のなかで、世間と距離を置いた平等な人間関係の集団(出家によるサンガ)を形成します。
釈迦晩年に出身の釈迦族が隣国の軍隊に攻め亡ぼされますが、このとき釈迦は侵略者にたいして非暴力だったと伝えられています。
釈迦の言説をまとめた書物が経典で、そこには「殺すなかれ、殺さしむなかれ」などの不殺生の平和思想が随所にみられます。
キリスト教は、約2000年前、イエス・キリストの宣教活動から始まります。古代ローマ帝国に支配されたイスラエル地方で、ローマの圧政のもとで苦しむ民衆が解放される神の国の到来が近いことを説きました。
この活動が弾圧されて、イエスは磔(はりつけ)刑にされます。
キリスト教の聖書(バイブル)には「剣をうちかえて鋤(すき)となし、槍(やり)をうちかえて鎌となす」などの軍備と戦争の廃棄の教えがもりこまれています。
約1500年前に生まれたイスラーム教は、ムハンマド(マホメット)が創唱者です。幼少期に両親と死別し、苦労して成長して商人となります。
ローマ帝国とペルシャ帝国の戦争の時代にあって、苦悩しているときに神(アッラー)から啓示をうけて布教を始めますが、弾圧されます。そこから立ち上がり、アラブの諸部族をまとめていきます。
ムハンマドの死後に神の啓示がクルアーン(コーラン)として編纂(へんさん)されました。イスラームという言葉は「平和」や「神への服従」という意味をもっています。
これらの宗教の草創期に共通する教義は、真理と清貧、平和と抑圧からの救済などでした。しかし、民衆の支持が広まると、各時代の支配者が宗教を利用し、宗教の側も権力に接近したり支配者になったりして、創唱者の教えがゆがめられたこともありました。
10月21日のローマ法王の「暴力が神の名で正当化されている」という発言は、いまだに「宗教が憎しみを運ぶ手段」となっていることへの警告です。
三大宗教は多様に分岐して伝わっていますが、各宗教の平和思想の解明とローマ法王がメッセージをおくった世界宗教者平和会議のような諸宗教間の平和的交流、現代社会との関係の探求のとりくみがすすめられています。現在では、日本にみられるように、憲法9条と同じ立場で平和の教義を説く宗教者がふえています。
(「赤旗」20071108)
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◎「共産主義社会でも人間の苦悩にたいする精神的活動として宗教が存在する場合、自由な人間関係の社会の自由な精神活動が保障されることはいうまでも」と。