学習通信071130
◎人道に対する罪……

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カナダで「慰安婦」決議
下院 日本政府は真摯な謝罪を

 【ワシントン=鎌塚由美】カナダ下院は二十八日、アジア太平洋戦争時に旧日本軍が侵略先の女性たちを性奴隷にした日本軍「慰安婦」問題で、日本政府に真摯(しんし)な謝罪を求める動議を全会一致で可決しました。「慰安婦」問題での決議は米下院(七月)、オランダ下院(今月八日)に続くものです。

 動議は、カナダ下院の総意として、旧日本軍の関与について日本政府が「全面的に責任を負う」よう「カナダ政府は日本政府に働きかけよ」と求めるもの。そのなかで、日本政府が一九九三年に「慰安婦」の強制と関与を認めた「河野官房長官談話」に言及し、日本政府に対し同談話を「おとしめる、いかなる発言も放棄する」よう求めています。

 また、「慰安婦」という「人身売買と性的奴隷化」は、「決して起こらなかった、といういかなる主張に対しても明確に公に反論する」よう日本政府に要求、謝罪の方法の一つとして、「国会が、すべての被害者に対し公式で誠実な謝罪を表明すること」を提案しました。

 オタワからの報道によると、動議可決を前に、韓国、フィリピン、中国、オランダから四人の元「慰安婦」の女性たちがカナダを訪問。二十七日には、議会の「特別公聴会」で証言しました。

 動議を推進してきたオリビア・チョウ議員(新民主党)は、カナダメディアに対し、「これは人道に対する罪であり、すべての世界の市民は、声をあげる道義的責任がある」と語っていました。
(「赤旗」20071130)

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■いつまで史実を否定し被害者をふみにじるのか(上)
「慰安婦」問題は当時から政府・軍による犯罪にほかならなかった
──林 博史
  関東学院大学教授に聞く

 今年、二月に米下院に「慰安婦」問題で日本政府に謝罪を求める決議が出されて以降、あらためて「慰安婦」問題がクローズアップされています。これに対し、安倍首相が、狭義の強制はなかった≠ニ発言したため、国際問題としても浮き彫りになりました。一方、沖縄戦での「集団自決」をめぐって、三月に発表された高校教科書の検定結果で、軍による強制という文言が削除され、沖縄を中心に大きな抗議の声がひろがっています。

これらの問題に共通しているのは、歴史研究の成果を否定するとともに、被害者をさらにふみにじっているということです。そこで、日本の戦争責任資料センターの研究事務局長で、この二つの問題についての著作もある林博史関東学院大学教授に話を聞きました。

一、「慰安婦」問題で何が明らかにされてきたのか

 ──まず、「慰安婦」問題について、お聞きします。安倍首相は、政治家として早くから、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の事務局長として活動し、この「慰安婦」問題でも、発言をくり返してきました。首相になって、国の関与と責任を認めた河野官房長官談話の継承をうたいながら、その一方で、「狭義の強制はなかった」という発言をくり返しています。そこで、まず、これまでの歴史研究のレベルで、どのようなことが明らかになってきたのかについてお聞きしたいと思います。

【四〇〇点を超える公文書が存在】

 日本における「慰安婦」問題の研究は、九一年に、韓国の金学順(キム・ハクスン)さんが名乗り出て後、ようやく研究者の手で、日本軍や政府、警察の資料についての調査がはじまりました。それまで「慰安婦」については、被害者が名乗り出ることができず、実態が十分にわからなかったということもあるのですが、たしかにひどいことがなされたとは思われてきましたが、それが戦争犯罪であり、人道に対する罪であるという認識はほとんどありませんでした。実際の衝撃的な被害体験を聞くことができるようになり、意識をもった市民や研究者がとりくみはじめ、国際問題化していくなかで、日本政府も調査をせざるをえなくなりました。

 こうして現在では、少なくとも四〇〇点を超える膨大な数の日本軍ないし日本政府の公文書が分かっています。そのかなりの部分が、女性のためのアジア国民基金が刊行した『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』に掲載されていて、現在では、国民基金のホームページで誰でも見られるようになっています。

 これらの資料では、慰安所設置の計画から、女性の徴集、建物などの手配などすべてを日本軍が組織していたことが明らかにされています。多くのところで民間の売春業者、人身売買の業者を使っているのですが、その場合でも、どこにどれぐらいの女性を集めてほしいというように、全部軍が手配していることを示しているのです。それを見れば、業者が勝手にやったことだとか、仮に強制があったとしても業者がやったことで軍は関与していないなどとても言えません。

 実際に、女性たちを戦地に連れていく場合、たとえば中国に連れていく場合も、中国は外国ですから、いまでいうパスポートが必要です。業者は、軍の依頼で慰安婦を集めているのだという文書を警察署に示し、警察署長がその女性の身元証明書を出す。それにもとづいて外務省が渡航証明書を出していたのです。戦地に行く移動手段も、軍の輸送船を使い、現地の交通機関も軍が手配をしていました。業者がかかわっている場合でも、業者が勝手にやれることではなく、計画から手配、輸送、そして慰安所の管理・運営までも軍が管轄していたことが日本軍などの資料によって全面的に明らかになっているのです。

 あまり注目されていないのが警察の関与です。先に述べたように女性の身元を調べて証明書を出すのは警察署長です。一九九六年に吉川春子さん(日本共産党参院議員)が政府に提出させた警察資料があるのですが、そのなかには、慰安婦を集めて送り出すときに経営者が自発的にやっているかのように取り運ぶようにとの指示を警察が出しているものまであるのです。これも、警察と軍が直接取り仕切っていることを示しているのです。
【被害者とともに日本兵の証言も】

 九〇年代には少なくない被害者が名乗り出て、証言がなされたことも重要でした。そのほとんどが、朝鮮半島で言うと、騙されて連れていかれたというものです。中国や東南アジアでは、騙されて慰安所に入れられたケースとともに、暴力的に拉致されたケースも明らかになっています。

 慰安所で女性たちのおかれた状態は、まさに「性奴隷」としか言いようがないものであったことが日本軍の資料、そして被害者の証言で明らかです。さらに日本軍兵士の証言も実はたくさんあります。何百という日本兵の証言、回想録があり、日本兵によっても、女性たちがひどい状況におかれていたことが語られています。

 九〇年代の研究は、「慰安婦」制度というものが、最初から最後まで、日本軍の責任によって設置され、管理・運営されたものであり、女性たちが、「性奴隷」の状態におかれていたことを明らかにしていたのです。

【当時は法的にどう考えられていたか】

 では、この「慰安婦」という問題は、当時の法的な面ではどう考えられていたのかです。本誌本号では、盧溝橋事件七〇年の企画を掲載しているそうですが、軍による中国における「慰安所」の設置は、上海事変の一九三二年ごろからはじまり、三七年に日中全面戦争が始まると、本格化していきます。しかし、すでに、当時の日本は一九一〇年にむすばれた「職業を行わしめるための婦女売買禁止に関する国際条約」に加盟していました。これは、売春に関する国際条約で、女性を売春目的で海外につれていくことに対して厳しい規制をかけたものでした。国際社会では、黒人奴隷制をなくす運動との対比で、一九世紀の後半からホワイト・スレイブという言い方で、女性が売春目的で人身売買をさせられることを防ごうという動きがはじまっていました。

 吉見義明・中央大学教授が岩波新書『従軍慰安婦』のなかで紹介していますが、未成年者の場合は、本人が承諾していたとしても売春目的で海外に連れ出すことは犯罪とされていました。成人女性の場合も、騙して連れて行った場合は犯罪です。日本から「慰安婦」として連れていくこと自体が国際条約に問われるものであったことがはっきりとしています。「植民地はこの条約は適応除外」との主張に対しても、吉見さんが、この本で批判していますので、ぜひ読んでいただければと思います。

 中国や東南アジアで女性を強制的に慰安婦にした例などは、まさに「通例の戦争犯罪」にあたります。日本のなかでは売春はごく普通のことであり、「慰安婦」制度をつくったことは犯罪でも何でもないという議論に対して、国際条約など当時の法律に照らしても、犯罪であったことを明らかにしたのが九〇年代の研究だったのです。

 関連してふれておきたいのが、北朝鮮の拉致問題での政府の態度との関連です。日本政府は北朝鮮に拉致された人たちを拉致容疑事案と認定していますが、甘言によって、つまり騙して連れて行った場合も拉致として認定しています。この、だまして海外に連れて行ったという事件は、刑法では国外移送誘拐という罪になります。実は、刑法上は、暴力的に無理やり連れて行ったケースであれ、騙して連れて行ったケースであれ、国外移送略取罪または国外移送誘拐罪で同等の犯罪です。

安倍首相たちが言うように、狭義の強制(暴力的強制)か、広義の強制(騙して連れて行く)かの区別は、「慰安婦」問題に関する当時の刑法のうえでも違いがなかったわけです。日本政府は、拉致については、この二つを区別はせず、拉致として認定しているわけですが、「慰安婦」問題について、ことさら「狭義」の強制はなかったということを強調することは、「二枚舌」と言われてもしかたがないでしょう。

 国連の人権委員会でもくり返しとりあげられ、国際的にも、日本軍「慰安婦」制度は、当時の法に照らしても犯罪であることがほぼ世界的に共通の認識になっています。だからこそ日本政府も、河野官房長官のときに、官房長官談話という形で、主語をぼかした不十分な表現ながら、日本政府としての責任を認めて謝罪をしたのです。「慰安婦」制度の犯罪性が詳細に解明され、日本政府もその問題性を認めざるを得なくなった。そのことを前提として、当時の焦点は、日本政府は個人補償をするかどうか、賠償間題を、サンフランシスコ平和条約や日中共同声明などによって解決しているとして拒否するかどうかにあったのです。

ニ、なぜ世界から批判されるのか

 ──安倍首相たちの動きは、こうした九〇年代の研究と動きに対しての巻き返しとして生まれたということができますね。しかし、それは到底、国際的にも受け入れられるものではないわけですね。

【アメリカからの大きな反応】

 そうです。九〇年代のこうした流れに危機感をもった安倍首相たちのグループが、蒸し返したわけですね。九〇年代後半のこうした動きに対しては、中国や韓国からの反発によって問題化することが多かったのですが、最近、アメリカからの反応が大きな問題となっています。

 この間、アメリカ議会では、何度も「慰安婦」関係の決議は出されていて、昨年九月にはじめて下院の外交委員会を通過しました。月六万ドルもの大金をつかった日本政府のロビー活動を報じるメディアもありますが、本会議ではたなざらしで終わりました。そして、今年、決議は再提出され、六月現在、下院本会議で重要な局面となっているわけです。

 ではなぜ、アメリカで「慰安婦」問題が注目されるのでしょうか。それには、さまざまな要因があると思いますが、決議の共同提案者には有名なホンダ議員以外にも、中国系の議員やグアムの出身議員も入っているのが特徴です。アメリカ社会における地位の向上のためのアジア系住民の団結という目標の障害に日本の戦争責任問題があるととらえられていると、私は感じています。アメリカ社会においても、日本の戦争責任問題の早期の解決は大きな要望となってきているのではないでしょうか。

 しかし、こうした動きに対して、安倍首相が感情的に反発してしまい、強制があったとしても業者がやっただけ∞官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性はなかった≠ニ言い、下村官房副長官にいたっては、軍の関与自体を否定するような発言をしています。こうした発言がアメリカ議会の決議との関係で、アメリカのメディアで取り上げられ大きな問題になっています。しかし、安倍首相たちの発言は、従来の研究の到達点からいっても到底通用するものではありません。

【日本の裁判でも事実認定も】

 安倍首相たちの発言の誤りを示すもう一つの材料として、この間の日本の裁判の判決を紹介したいと思います。九〇年代より、謝罪と補償を求めて元「慰安婦」の人たちが裁判をおこなってきました。その裁判の判決は、残念ながら、個人補償に関してはすべて却下してしまったのですが、事実認定をおこなっている判決が少なくないのです。河野官房長官談話をそのまま引用している判決もあります。

 また、たとえば中国・山西省の裁判のように、日本軍が無理やり女性を拉致・連行したことを事実認定している判決もあります。二〇〇四年一二月の東京高裁の判決では、「日本軍構成員によって、駐屯地近くに住む中国人女性(少女も含む)を強制的に拉致・連行して強姦し、監禁状態にして連日強姦を繰り返す行為、いわゆる慰安婦状態にする事件があった」と加害事実を認定しました。この山西省の場合も、そこのこと示す公文書が残っているわけではありません。しかし、裁判所は、たとえ公文書が残っていなくても、さまざまな証言や状況から強制的な拉致・連行があったという事実を認定しているのです。

【浮き彫りになる人権感覚のなさ】

 アメリカで、批判が高まる背景としてもう一つ指摘しておきたいのが、安倍首相たちの発言に、あまりにも人権感覚がないことです。先にのべた北朝鮮による拉致との「二枚舌」は、アメリカのメディアから厳しく批判されているわけですが、女性の人権という点でも、安倍首相らにはそうした発想はまったくありません。

 安倍首相のブレーンの岡崎久彦・元駐タイ大使が、「産経」五月一四日付の「正論」の欄に、「安倍総理訪米と慰安婦問題の行方」という一文をよせています。そこで岡崎氏は、アメリカ社会では「強制の有無などは問題ではない。慰安婦制度そのものが悪なのである」と指摘しています。アメリカ社会では、女性の人権という意識が強く、無理やりつれていったことだけが問題なのではなく、慰安所に入れてそこに日本軍兵士が通ったこと自体が人権問題になっている、そのアメリカの意識水準を日本政府は理解していないと言っているわけです。そして、「総理自身の言葉で謝ったほうが良い」と言っています。岡崎氏の主張には同意できない部分が多いのですが、日本側に女性の人権という意識が欠けていることを指摘している点はその通りだと思います。

 問題なのは、日本社会では、過去も現在も、売春が当然だという意識が根強いということだと思います。

 この点について、アメリカからも批判がなされています。たとえば、つい先日、二〇〇七年の報告が出された、アメリカ国務省の人身売買に関する報告書では、世界の一四二の国と地域を、TIER1(基準を満たす)、TIER2(基準は満たさないが努力中)、TIER2・監視対象国、TIER3(基準を満たさず努力も不足)の四つに分類しているのですが、日本はTIER2に分類されています。この報告書で、日本は「商業的な性的搾取のために売買される男女や子どもの目的地および通過国となっている」とされ、「被害者は相当数に上る」と指摘されています。

二〇〇四年の報告では日本は監視対象国とされ、それにあわてた日本政府がようやく翌年に人身売買禁止議定書を批准、刑法に人身売買罪を新設するなどの対策をおこなって、監視対象国からはずれることができました。日本では売春目的の人身売買が横行しており、アメリカに批判されなければ、その規制さえもやろうとしないというありさまなのです。

 「慰安婦」問題について、金をもらったからいいじやないか≠ニ言う人たちがいるのですが、こういう発想は、人身売買が犯罪であるという認識が欠落しており、人権という認識がないのではないでしょうか。

三、東京裁判の証拠書類が明らかにしたこと

 ──では、今回、日本の戦争責任資料センタ一が公表した、
東京裁判の証拠書類について、説明いただけますか。

【政府も否定できない証拠として】

 私たち、日本の戦争責任資料センターは、この「慰安婦」問題では、二月に声明を出し、これまでの研究成果の到達点を明らかにしました。しかし、安倍首相たちは、「公文書」が存在しないということで、従来の自説を変えようとはせず、日本のメディアもなかなか取り上げてくれませんでした。そこで国際世論に訴えることが重要だと判断し、四月一七日に外国特派員協会で記者会見をおこない、東京裁判(極東国際軍事裁判)の資料を出しました。これらの証拠の邦訳は、「しんぶん赤旗」にも紹介されました(四月一九日付)し、私たちセンターの機関誌『季刊戦争責任研究』六月号に全文を掲載します。

 事実を立証する立場から言えば、公文書であるかどうかは大きな間題ではありません。被害者の証言も、それを示す立派な証拠です。しかし、安倍氏らのグループが強制を示した公文書がないという言い方をするので、あえて日本政府が否定できないもので示すことが有効だと考え、東京裁判の証拠書類を出したわけです。

 東京裁判で「性暴力」がどのように扱われていたのかについては、内海愛子さんが「戦時性暴力と東京裁判」という論文を書いています(『日本軍性奴隷制度を裁く 二〇〇〇年女性国際戦犯裁判の記録第一巻 戦犯裁判と性暴力』緑風出版)。また、この東京裁判の証拠書類のなかには、すでに二年ほど前に、バークレー大学でドクター論文を書いた戸谷由麻さん(現ネバダ大ラスベガス校)が見つけていた資料があります。

その内容は、『現代歴史学と南京事件』(柏書房)という本のなかに収められています。私は、それを手がかりに、東大の社会科学研究所で原文を調べ、オランダとフランス、中国の検察団が提出をした証拠書類のなかに、強制的に慰安婦にしたことをしめす資料が七点あることを確認しました。そのうちの一部は、朝日新聞が自分たちで調査して九七年に少し報道していたものと重なっています。

 しかし、その中身はほとんど知られていなかったこともあって、外国のメディアは慰安婦の強制をしめす公文書だということで報道しました。これらは東京裁判で証拠書類として採用されていますから、いわば東京裁判の公文書です。実は、これらの証拠書類についての政府の認識を質す質間主意書が先日出されているのですが(社民党辻元清美議員)、政府としても否定はできず、「極東国際軍事裁判に対しては、……関係国から様々な資料が証拠として提出されたものと承知しているが、いずれにせよ、……慰安婦問題に関する政府の基本的立場は、平成五年八月四日の内閣官房長官談話のとおりである」とあいまいな回答をしています。

【当時から犯罪だと認識されていた】

 この東京裁判の資料の一つに、インドネシアのボルネオ島(カリマンタン)のポンティアナックの事例があります。これは、むやみやたらと女性を慰安婦にするわけにはいかなかったからではないかと思われますが、日本人の愛人など何らかの関係があった女性たちをつかまえ、無理やり裸にして、検診を受けさせ、慰安所に入れたと、日本軍の関係者が証言をしたものです。関係者自らが、そういう乱暴なことをやったことを認めたものです。

実は、この証拠書類を裏づけるような、まったく同じ証言があるのです。一九八七年に、井関恒夫さんという、戦時下にポンティアナックにいた住友殖産の社員だった人が、『西ボルネオ住民虐殺事件──検証「ポンテアナ事件」』という本を出しています(不二出版)。彼は、現地の言葉ができたので通訳をしていたそうなのですが、その本の中で彼は、無理やり女性を連行して裸にして慰安所に入れた、あるいは日本人の愛人だった女性だけではなく、日本の商社などにつとめている若い女性も同じように連れてきて、無理やり慰安婦にしたという事実があったことを証言しているのです。

 インドネシアのモア島、チモールの近くの島ですが、その事例では、日本軍に抵抗した住民を虐殺するということがおこなわれていたのですが、そのさいに抵抗した住民の娘たちを無理やり連行して慰安婦にしたことを日本軍の将校が認めています。中国の山西省でおこなわれたように、抗日分子の討伐に行き、虐殺をしながら、若い女性を連行してくるということと同じことが東南アジアでもおこなわれていたことを示しています。

 オランダは、BC級戦犯裁判で、これらと同様のケースを裁いています。バタビア裁判でオランダ女性が無理やり慰安婦にさせられたケースを裁いたのが有名ですが、今回の証拠書類で出されているのは、オランダ女性のケースは一件で、それ以外は現地の女性が被害者です。従来、オランダは、白人女性の被害は取り上げたが、アジアの女性のことは取り上げなかったという言い方をされてきたのですが、必ずしもそうではありません。先のカリマンタンのポンティアナック、モア島のほかジャワや東チモールの事例もあるのですが、東チモールの事例は、族長──地域の有力者に女性を提供しろと脅したケ一スです。これも中国やマレー半島など占領地のあちこちでおこなわれたのと同じケースです。

 そのほか中国の検察団の出した資料には、工場の女工だと宣伝し、騙して連れてきた女性を「慰安婦」にする事例も出されています。このように東京裁判の資料では、「慰安婦」を強いた、おもなパタ一ンがおおよそ出ています。騙して連れてくるケース、村長などに強制をして女性を出させるケース、討伐に行って虐殺をしながら若い女性を連行するケース、数は少ないが日本人の愛人など関係があったものを無理やり「慰安婦」にするケースです。つまり、連合国は、無理やり「慰安婦」にした、いくつかのパターンを認識していて、かつそれが戦争犯罪であるという認識をもっていたのではないかと考えられるのです。

さらに忘れてはならないことは、東京裁判の判決のなかの、中国についての叙述の中で「桂林を占領している間、日本軍は強姦と掠奪のようなあらゆる種類の残虐行為を犯した。工場を設立するという口実で、かれらは女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した」と認定されています(『極東国際軍事裁判速記録』判決速記録一八六頁)。よく言われるように、東京裁判は、「慰安婦」問題をまったく無視していたわけではありません(もちろん扱いは軽いので、きちんと裁かれなかったと言ってよいのですが)。

 これは、イギリスも同様で、私は『裁かれた戦争犯罪──イギリスの対日戦犯裁判』(岩波書店)という本のなかで紹介したのですが、ビルマでおこなわれた裁判で、イギリス軍ヘの協力者を虐殺しながら若い女性を連行したケースをイギリスの捜査当局が追及しています。それが、戦争犯罪であるという認識は、イギリスの捜査官ももっていたと言ってよいでしょう。

 このように、一九四五年、四六年という段階においても、日本軍の行為が戦争犯罪であるという認識は、かなり広く連合国のなかであったのです。当時は、「慰安婦」などは当たり前だった≠ニいう言い方は、まったくあたらないし、実際の国際社会は、もう少し、進んだ地点にあったということなのです。

 もちろん、東京裁判の膨大な証拠の中で、たった七点にすぎません。まして、朝鮮人の女性の場合、当時は日本国籍であったため、ひどい扱いをうけても戦争犯罪には当たらないとされていたという問題があります。自国民に対する残虐行為は戦争犯罪ではないというのが一般的な理解でしたから。証拠であげられている事例は、かなり暴力的なケースであり、ここまで暴力的ではないケースや騙したりして連れてこられた女性に関して問題にする発想が乏しい、という限界もあります。しかし、これらの事例は、明らかに、安倍首相らが言う狭義の強制はなかったということが事実に反するということを示す、明らかな証拠となっているのです。

【お国のための「慰安所」だったというのか】

 この三月に国立国会図書館の調査によって明らかになった「櫻クラブ」の事例があります。梶村太一郎さんが『週刊金曜日」(五月一一日号)に紹介していて、『戦争責任研究』六月号に判決文の全文を掲載しています。これは、現在のインドネシアのジャカルタで、当時の日本軍政府から、日本人の民間人向けの慰安所を開設するように依頼された「青地繁雄」という男性が、みずから経営する食堂やバーの奥に、「櫻クラブ」という慰安施設をつくったというものです。

判決を読むと、そのなかには一二歳や一四歳の少女も被害を受けたことが、被害女性たちの証言で明らかになっています。この男性の愛人であるオランダ人女性が、女性を集める役割を担い、バーのホステス、レストランのウエイトレスとして募集して、いわゆる客をとらせるという行為を強要していた。それが戦後、強制売春の容疑で捜査を受け、一〇年の禁固刑の判決が下ります。しかしそのニヵ月後に、男性は獄中で病死をしたのです。その彼を、一九六七年五月九日の厚生省と靖国神社との会議で、靖国神社への合祀を決めています。「櫻クラブ」の経営者で、「婦女子強制売淫刑十年受刑中病死」ということをわかっていながら、合祀していたのです。

 BC級戦犯で、死刑になった人は、「法務死」として一九五九年から靖国神社に合祀されています。オランダがおこなったバタビア裁判のなかでも、スマラン事件という、民間の抑留所にいたオランダ人の女性たちを強制的に「慰安婦」にした事件で一人が死刑になっていますが、その人物は、当然、靖国神社に合祀されているはずです。「櫻クラブ」の男性の場合は、民間人であり、死刑でもなかったので、後回しにされたのでしょう。

 しかし、戦犯を正当化あるいは弁護するとき、たとえばあれは戦闇中の行為だったからやむをえなかった≠セとか、人違いだった≠ニいうように、なんらかの理由をつけるのが普通です。通常の戦闘行為が戦争犯罪だとみなされたのであり、決して悪いことをしたのではなかった、だから戦死と同じ扱いをするのだというような理由です。しかし、この「櫻クラブ」の事例は犯罪の理由が強制売淫ということがはっきりしていながら、なおも合祀するという判断を、厚生省と靖国神社が一緒になっておこなっている。慰安所を経営したことはお国のための行為だったということを認めるようなものです。この「慰安婦」の間題について、戦後の政府がどのように認識をしているかをあらわしていると言えるのではないでしょうか。

※  ※  ※

 四月末の安倍首相の訪米の際、安倍首相は、この「慰安婦」問題で、ブッシュ大統領に謝罪し、ブッシュ大統領がそれを受け入れるという一幕がありました。しかし、これは、多くの識者が指摘しているように、謝る相手を間違えたナンセンスな行為です。

 アメリカでは、私たちが発表した東京裁判の資料について、ニューヨークタイムズやワシントンポストが大きくとりあげたこともあり、そのことも意識して安倍首相は、一応「お詫び」の言葉を述べたのでしょう。しかし、その内容も、「慰安婦」の人たちがどうしてそのようなひどい状況に追いやられたのか──日本軍の行為にはふれないで、彼女たちのおかれた状況に総理大臣として同情しているという表明にすぎなかったのです。

同情≠ニいうのは第三者が使う言葉で加害国の代表者が言うべき言葉ではないという指摘はそのとおりだと思います。当事者として謝罪しているとはとても認められないものです。しかし、日本のメディアはそれを首相が謝罪したと報道しましたが、それ自体も問題です。東京裁判の資料についても世界各国のメディアの扱いは大きかったのですが、それに比べて日本のメディアはきわめて小さな扱いか、あるいはまったく無視するものも少なくありませんでした。知らぬは日本人ばかりという情報鎖国の状況は、きわめて大きな問題であると思います。

 今後、アメリカ議会の決議の行方も、気になるところですが、今回の決議の共同提案者が一四〇人にものぼり、六月二六日に下院外交委員会で採択され、七月中には本会議でも採択される見込みが強くなってきています。その時に、日本政府はどのような態度をとるのかが問題です。

 安倍首相やそのとりまきは、軍の関与や強制性を否定する発言をくり返し、九〇年代の「慰安婦」研究の蓄積を全部否定するような言動をくり返しています。私たちは、歴史研究者として、九〇年代の研究の成果をあらためてきちんと知らせ、それが国民に共有されるようにする必要があると考えています。(はやし・ひろふみ)
(「前衛」07年8月号 p82-91)

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◎「九〇年代の研究は、「慰安婦」制度というものが、最初から最後まで、日本軍の責任によって設置され、管理・運営されたものであり、女性たちが、「性奴隷」の状態におかれていたことを明らかに」と。