学習通信071204
◎「しはす」は、「仕事が終る」の意味……

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《潮流》

東京の近郊では、いまが紅葉、黄葉の盛りです。じんわりと深みをましてきた、遅めの秋の装い。きょうはどんな色あい? と気になる日が続きました

▼おかけで、見過ごしがちだった色もように感じ入る機会も多い。たとえば、ケヤキの黄葉。規則正しくならぶ葉の一枚一枚が、鮮やかにきわだってみえる瞬間があります。サクラの葉。緑もまじえた赤と黄と茶の配色の妙に、立ち去りがたい

▼きょうから十二月、師走です。もちろん、「師走」は当て字です。お坊さんも走り回るほど忙しい。あるいは、お坊さんがお経をあげるためにあちこちへ馳せる。しかし、「しわす」という言葉は仏教が民衆の間に広まる前からすでにあった、ともいわれます

▼ほかに、「しわす」は「としはつる月」の意味だとか、四季がきわまる「四極(しはつ)」をあらわすだとか、諸説ふんぷん。一年の終わりに物事をなし終える「為果(しは)つ」というのも、もっともらしい説です

▼とはいえ、「師走」と刷り込まれているせいか、やはり気ぜわしい。郵便局の窓口で「年賀状の準備はおすみですか」ときかれ、あわてました。政府・与党もせきたてます。「テロ特措法」案を早く通せ。国の予算案づくりはまったなしだ……。対して、手をこまぬいていてはいけません

▼けれど、あせると見過ごす事柄もふえるでしょう。紅葉の一枚一枚をしっかりみるように、物事を見定め、なし終え、新しい年を準備する。そんな月にできればいいが、と思います。なにより、自戒をこめて。
(「赤旗」20071201)

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師 走

 十二月の古名は「師走」と書いて「シワス」と読む。「師走」とは、年の暮れであっちでもこっちでも、僧侶を迎えて仏事を行なう。僧侶たちはあっちへ走り、こっちへ集まるというわけで、「師はせ月」というのを、なまってシハスといったのがもとだったという説が人気があるが、作った感じをまぬかれない。

 貝原益軒は、日時がはつる月だから、「しはつる月」、それがなまって「しはす月」となったのだろうといい、大分県に四極山と書いてシハツ山と読む山があることをも例証して、論考を書いている。

 折口信夫博士の考えはこれに近いもので、やはり「シハツ」の転とし、「しはす」は、「仕事が終る」の意味であろうと言った。もっとも博士によると、昔は一年は「霜月」で終ったもので、「しはす」は年末の数日間をさす言葉であった。「しはす」は、昔から「月」をつけて「しはす月」というように呼ぶことがなく、その点で「さつき」「みなつき」の類とちがっているのは、あくまでそのためだろうとされた。
(金田一春「ことばの歳時記」新潮文庫 p413)

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◎しわす……「紅葉の一枚一枚をしっかりみるように、物事を見定め、なし終え、新しい年を準備する」と。