学習通信071205
◎資本自身は、このことを意識していない……

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日本共産党 知りたい 聞きたい
Q&A

ロボットの無人工場で、搾取はなくなるか?

〈問い〉 ロボットの無人工場を見学しましたが、労働者の姿はなく生産が行われていました。無人工場では『資本論』のいう搾取はないのでは?(東京・一読者)

〈答え〉 資本主義のもとでは、いわゆる「無人工場」でも搾取はあります。

 まず、「無人工場」といえども、完全に無人な工場にはなりません。夜間や休日でも機械だけが動く「無人工場」は、「トラブルもロボットが監視し、ロボット自らが修理する」と言われます。確かに、想定内のトラブルであれば、プログラムに沿ってメンテナンスは可能でしょう。しかし、予想外のトラブルが発生すれば、人間の労働が必要になります。普段でも、設計やコンピューターで生産工程を管理したり、機械やロボットを監視し、保守点検したりする労働は必要です。

 つまり、ME(マイクロエレクトロニクス)とかFA(ファクトリーオートメーション)がいかに進んでも、労働が不要になり、すべてが情報処理の労働だけになるようなことには、実際ならないのです。

 つぎに、搾取(剰余価値の生産)は、個別の工場ごとに計られるのではなく、「社会的な必要労働」をもとに計られますが、その商品が全社会的に無人化された状態で生産されているかというと、そうなってはいません。実際には、ロボット導入など技術革新を進めた企業ほど、省力化と「合理化」を進め、賃金切り下げなど経費の節減によって、個別的な価値を切り下げることで、他の企業よりも多くのもうけを手に入れます。つまり、他の「有人工場」でつくり出された特別剰余価値を得ているのです。

 なぜ、「無人工場」のロボットが価値をつくり出すかのように見えるのでしょうか。人間は物をつくるとき、効率よく生産するために必ず機械や道具といった労働手段を使います。そこには、過去における労働者の労働力が投入されていて、価値が形成されています。それらは、労働が加わることで、価値を新たな生産物に移転し、さもロボットが新しい価値をつくり出すかのように見えるのです。

 そもそも資本家は、もうけるために工場をつくります。どんなに技術革新を進めた「無人工場」でも、『資本論』でマルクスが解明した価値と搾取の理論は貫徹しているのです。

 なお、技術が発展して「無人工場」化が進むことは、確かに剰余価値生産の基盤を狭めてゆきます。マルクスは『経済学批判要綱』のなかで、「労働が富の偉大な源泉であることをやめてしまえば…交換価値を土台とする生産は崩壊」すると、資本主義の崩壊を述べ、「社会の必要労働の最小限への縮減」と、「諸個人の自由な発展」を書いています。(柳)(「赤旗」20071205)

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 機械は、それが直接的に労働力の価値を減少させること、また、労働力の再生産にはいり込む諸商品を安くして労働力を間接的に安くすることによってのみ相対的剰余価値を生産するのではなく、また、機械がはじめて散発的に採用されるさいに、機械所有者によって使用される労働を、力能を高められた労働に転化し、機械生産物の社会的価値をその個別的価値以上に高め、こうして資本家が一日の生産物のより少ない価値部分で労働力の日価値を補填することができるようにすることによっても、相対的剰余価値を生産する。

それゆえ、機械経営が一種の独占状態にあるこの過渡期のあいだには、利得は途方もなく大きく、そして資本家は、この「青春の初恋の時代」を、労働日のできる限りの延長によって、もっとも徹底的に利用しようとする。

利得の大きいことが、いっそう多くの利得への渇望を激しくする。

 同じ生産部門における機械設備の普及につれて、機械生産物の社会的価値はその個別的価値まで低下し、またそれにつれて、剰余価値は資本家が機械によって置き換えた労働力から生まれるのではなく、逆に、資本家が機械につけて働かせる労働力から生まれるという法則が貫徹する。

剰余価値は資本の可変部分からのみ生まれるのであり、そしてすでに見たように、剰余価値の総量は、剰余価値率と同時に働かされる労働者の総数という二つの要因によって規定される。

労働日の長さが与えられている場合には、剰余価値率は、労働日が必要労働と剰余労働とに分かれる比率によって規定される。

また、同時に働かされる労働者の総数のほうは、不変資本部分にたいする可変資本部分の割合に依存している。

ところで機械経営は、たとえそれが労働の生産力を増大させることにより必要労働の犠牲において剰余労働を拡大するとしても、この成果をもたらすのは、与えられた資本によって働かされる労働者の総数を減少させることによってだけであることは、明らかである。

機械経営は、資本のうちの以前には可変的であった部分、すなわち生きた労働力に転化されていた部分を、機械設備に、すなわちなんらの剰余価値をも生産しない不変資本に転化する。

たとえば、二人の労働者から二四人の労働者からしぼり出すのと同じ量の剰余価値をしぼり出すことは、不可能である。

二四人の労働者のそれぞれが一二時間で一時間の剰余労働しか提供しないとしても、彼らは合計で二四時間の剰余労働を提供するが、二人の労働者の総労働は二四時間にしかならない。

したがって、剰余価値の生産のための機械設備の充用には、一つの内在的矛盾がある。

というのは、機械設備は、与えられた大きさの資本が与える剰余価値の二つの要因のうち、一方の要因、すなわち労働者数を減少させることによってのみ、他方の要因、すなわち剰余価値率を増加させるからである。

この内在的矛盾は、一つの産業部門における機械設備の普及につれて、機械で生産される商品の価値が同種のすべての商品の規制的な社会的価値になるや、ただちに現われてくる。

そしてこの矛盾が、搾取される労働者の相対的総数の減少を、相対的剰余労働の増加のみならず絶対的剰余労働の増加によっても埋め合わせるために、労働日のこのうえない乱暴な延長へと資本をまたもやかり立てる──資本自身は、このことを意識していないのであるが。
(マルクス『資本論B』新日本新書 p702-704)

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◎「どんなに技術革新を進めた「無人工場」でも、『資本論』でマルクスが解明した価値と搾取の理論は貫徹している」と。