学習通信071206
◎子どもがブロイラー……

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ワンマン指導 限界 春口監督辞任

 日本ラグビー界有数の指導者だった関東学院大の春口広監督(58)が、部員の大麻事件という思いがけない形で指導の現場を去ることになった。一方、後を絶たない大学ラグビー界の不祥事に関係者の悩みは深まるばかりだ。

 関東学院大の部員が大麻を吸引し、種子を購入したとされるのは夏合宿や海外遠征という部の公式活動中。現時点で関与したのは14人とラグビーの1チーム分に近く、正選手も含まれていた。ここまで組織に深くかかわった形では、春口監督の指導責任を問われるのはやむを得ない。

 74年に監督就任。関東リーグ戦3部から始まったチームを23季後に大学日本一に育て上げた指導力と情熱は傑出していた。昔も今も部員名簿には高校時代無名の選手が並ぶ。その中から日本代表主将の箕内(NEC)ら名選手が輩出したのは素質を見抜く目と育てる力が優れていた証しだ。基礎をしっかり教え込まれた選手は卒業後も活躍した。

 関東協会幹部からは「国立競技場(東京)に大観衆を集められるのは大学ラグビー。近年、それを盛り上げてきたのが関東学院大で、春口氏の力は大きかった」との声も聞かれた。

 一方で、激しい肉体的接触を伴うラグビーがスポーツとして成り立つのも、競技規則で規制する以前に選手自身の高いモラルが前提にあるからだと思う。技術は国内トップレベルになったが、狭心症を患いながらも指導を続けるほど愛してやまなかったスポーツの神髄を、春口氏が教えきれなかったのは残念だ。

 春口氏は1人でクラブを築き、1人で維持してきた。来る者は拒まずの姿勢で最初8人だった部員は現在約160人。1人の目が届く限界を超えていた。さらに、良くも悪くもワンマン態勢のクラブに真の後継者と呼べる人材は育っていない。現時点で後任は未定。復活の道のりは極めて険しい。

■協会、防止策を模索

 関東学院大を管轄する関東ラグビー協会は、過去に不祥事が起きた際、大学側の処分を追認する形を取ってきた。「部員の生活管理は本来、大学が担うもの。協会が口出しするべきではない」(水谷真・理事長)との考えからだ。しかし、全国大学選手権優勝6度を誇る強豪が起こした事件の影響は大きかった。11月に関東学院大の部員2人が逮捕された際、協会は管轄する他の大学に部員管理の徹底を促す文書を送った。プレー面のモラル向上が目的だった規律委員会に、今後は生活指導の役割を持たせる方針。不祥事処分の内規づくりに取り組む日本ラグビー協会とも連携しながら、防止策を検討するという。

 水谷理事長は「認識を改め、グラウンド外にも介入せざるを得ない時代になった。だが効果的な策はなかなか見つからないのが現状」と話した。 (「朝日」2007.12.05)

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スポーツサイト
大野晃
大麻汚染
「成果主義」が生んだ犯罪

 ラグビーの大学日本一に君臨した関東学院大部員の大麻汚染は、一つの大学ラグビー部の不祥事にとどまらない大学スポーツの根幹にかかわる深刻な問題を提起した。

 合宿所として公認された自室で大麻栽培を続けていた部員とともに大麻を吸引した部員は10人を超えた。吸引した場所は合宿所であり、長野県管平高原の夏合宿宿舎であり、海外遠征でも大麻に手を染めていた。しかも合宿所内での発覚をおそれで隠ぺい工作まで。

 レギュラーや準レギュラーが加わっていたのだから、犯罪意識を持ちながらも、部活動にまい進して成果をあげてみせていたことになる。

 社会的アンフェアを繰り返しながらフェアプレーを重視するスポーツに専念する競技者に、誰も疑いを持たなかったということだ。

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 1984年ロサンゼルス五輪競泳代表で日本記録保侍者の日大水泳部員がりードして大学寮内はもちろん、メキシコでの五輪直前合宿や国体宿舎でも大麻の吸引を続けていた事件を思い出した。大学スポーツ部の閉鎖的な寮生活や日本代表の海外遠征のあり方が社会開題化し改善を徹底したはずだったが、20年余を経て犯罪は繰り返された。

 トップスポーツの商業主義化が急速な20年だった。大学スポーツの本質的な問い直しがなされないまま、大学スポーツ部員の推薦入学制などが極端に拡大した20年でもあった。大学の広告塔とみなす多くの学生とは隔絶された大学スポーツ部員が一般化した。部員には成果が求められ、競技の成果だけを追求する指導に偏重し、学生生活がプロ競技者への準備期間と化した。
 20年間の構造変化が大麻犯罪の再発をもたらしたのではないか。

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 大学スポーツの本質を問いながら改革を目指す動きも強まってはいる。しかし、スボーツ部関係者の領域にとどまるケースが圧倒的で、スポーツ重視をうたう大学には経営優先の成果主義がまん廷している。誰も気づこうとはしない大学の退廃にほかならない。

 大学スポーツ部をトップ競技者育成の場としか見ない日本オリンピック委員会はじめ競技団体の錯誤と怠慢も著しい。大学スポーツのあり方に将来の社会的指導者育成という視点を欠いて、国民スポーツをどう発展させようというのか。

 自由に自主的にスポーツに取り組み、競技者として、指導者として総合的な人間的成長を目指す大学スポーツ部が、社会的にゆがんだ存在として放置されていては日本スポーツの未来はない。(スポーツジャーナリスト)
(「赤旗」20071206)

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これでいいの?保育ビジネス
 〜じやんぐる保育園(千葉・市川)に見る企業参入のあやうさ

 「こんなんでも認可保育園なんだ……」。二〇〇七年二月、あかねさん(仮名・40歳)は五歳の息子を入園させるために千葉県市川市の「じゃんぐる保育園」(定員52人)を訪れました。

 マンションー階の店舗用フロアが高さ五十aほどの木目調のベビーフェンス(柵)で五つに区切られ、「ゼロ歳児保育室」「一・二歳児保育室」「三・四歳児保育室」「プレイルーム」と名付けられていました。「ゼロ歳児保育室」と「プレイルーム」の間には仕切りがわりにベビーベッド。およそIb四方の「医務室」は物置きの状態でした。

料理は靴箱に並べて

 じやんぐる保育園は(株)日本保育支援協会(三谷忠土代表取締役)が〇七年二月に開設した株式会社立・認可保育園。開園準備にも携わった保育士の彩香さん(仮名)は秋に辞職しました。心労で退職後も眠れない夜がつづきます。「このまま企業立が増えていくのは怖い」と彩香さん。「とにかく危ないんです。赤ちやんが眠るベッドの脇で四、五歳の子が遊ぶわけですから。柵の足は重く、もし子どもの足の上に乗ってしまったら、柵が子どもに倒れてきたらと心配でした。足を挟んだ子も二人いたんですよ」と話します。

 五十人分を調理するのに、台所は狭い流し台とIHヒーター(電磁式調理器具)が二つあるだけ。一人が立てばいっぱいで、会社の給湯設備並みです。料理を並べる配膳台がないので、靴箱の上に料理を並べなければなりませんでした。

 子ども用トイレは個室がなく、小さな便器が三つ並べられ、丸見えなので「ここでするのはイヤ」と五歳の女の子が訴えました。彩香さんが三谷社長に相談しても「子どもに恥ずかしさを教えるため」と答えるだけでした。シャワー設備もなく、夏、汗もを防ぐためには、赤ちやん用の沐浴台に子どもを一人ずつ載せて体を洗わなければなりませんでした。

 「ブロック以外のおもちやは中古品でした。赤ちやんが口に入れても安心なおもちやがないので私が買ってきたんですよ」と彩香さん。保育士たちの工夫と出費で補っても限界を感じる毎日でした。

 やむにやまれず、彩香さんたちは日本共産党の千葉県議・丸山慎一さんに相談しました。

 全国福祉保育労働組合(福祉保育労)にも相談し、三月十八日、組合のじゃんぐる保育園分会を結成。要求の第一項目に保育水準の向上を、第二項目に保育労働者の賃金・労働条件改善を掲げました。

 四月二十八日、保護者に呼びかけて第一回「じやんぐる保育園をよくする会」を開きました。

休憩時間もなく

 劣悪な保育設備は保育士に疲労感をもたらします。

 「私たち保育士は発達のために、できるだけ子どもにダメと言いたくないんですね。でも、あそこでは危険を避けるために、いつも子どもにダメ!と言わなくてはなりませんでした」と彩香さんはため息をつきます。

 職員の労働条件の悪さは疲労感に拍車をかけました。園の職員は、開園当初、全員が保育士免許を持ち、多くがほかの園での保育経験がありました。にもかかわらず、パートで時給八百五十円前後、フルタイムの場合は約十六万円の月給。しかも全員が一年以内の短期契約という不安定雇用。保育士たちは、月曜から土曜まで、フルタイムの保育士はもちろん、パート保育士も、一日九時間半、休憩時間もないまま働きました。

 福祉保育労の小山道雄さんは「短期契約の場合、契約更新のときのことを考えると、経営者との関係を悪くしてまで改善を求めることはなかなかできません。じゃんぐる保育園のように利潤を優先する営利事業者の保育園で、不安定雇用の職員が立ち上がったことは大変貴重です」と言います。

 三谷社長は保護者の要求には耳を傾ける様子を見せながら、保育士の言葉には耳を貸しませんでした。彩香さんが「子どもをもうけの道具にしてはいけないですよね」と社長に言っても「あなたは性格が悪い」と。他の保育士にも「文句があるなら辞めればいい」と言う始末でした。

 あるときは、職員たちがボイコット騒動を起こした≠ニ言い、「職員アンケート」と称して、「継続勤務を希望」か「本日付けで退職」のどちらかに丸をつけさせるという踏み絵を、保育士に踏ませようとさえしたのです。

保育士の退職が相次いで

 保護者たちは実態を知らせるビラを駅前で配ったり、経営者や市に訴えるなど、「じやんぐる保育園をよくする会」に参加し、積極的に意思表示しました。あかねさんも「労働組合の先生たちが子どものために頑張ってくれているからという思いがあった」と言います。

 保護者も職員も一致して、経営者に改善を求めていました。

 ところが社長は六月七日、設備の改善を強く求めていた当時の園長に解雇通知書を突きつけたのです。通知書には「親との勝手な会合をもった」などの理由が書かれていました。組合や保護者の反対にあい、解雇は撤回されましたが、園長は心労が募ったため、一部の設備が改善されたことを見届けて九月に辞職。九月、十月には、彩香さんをふくめ六人の保育士が辞職し、開園当初から勤めていた保育士は一人もいなくなってしまいました。

 保育士たちと一緒に、園をよくしようと頑張ってきたあかねさんは「いまは保育士さんが昼間に交代するなど、コロコロかわるので気がかりです。組合の先生たちには、辞めるタイミングを考えてほしかったというのが正直な気持ち。でも、体を壊してまではつづけられないですよね」と保育士たちのつらい気持ちを察します。

 彩香さんは「社長は命を預かることの重さを分かっていない。いまでも、じゃんぐるの子たちのことが気にかかります。園にいたころは毎日が葛藤でした。でも、辞めないと自分の体が持たないというところまできてしまった。無責任と言われても仕方ないけれど、保育士がそこまで追い込まれてしまったということをわかってほしい」と涙ぐみました。

行政も改善指導するが……

 自治体、行政の動きはどうだったのでしょうか。

 丸山県議は彩香さんたちの相談を受け、市川市の谷藤利子日本共産党市議とともに三月七日にじゃんぐる保育園を視察。丸山県議、谷藤市議は、二月以降、くり返しじゃんぐる保育園問題を議会で取り上げてきました。

 県も市も、開園当初からこの事態を察知し、三月二十八日以降、再三にわたって立ち入り検査や監査に入り、県から経営改善の指導が入りました。

 行政の指導を受けて、七月、各年齢の「部屋」を仕切っていた柵は、高さ百四十aほどのパーテーション(間仕切り)に取り換えられ、倒れる心配はなくなりました。トイレにもついたてとカーテンが設置され、医務室と休憩室も改善して使えるようになりました。台所も改装する予定です。

 それでも、隣のクラスの声が響く、室内が薄暗いなど、設備の問題は完全には解決していません。

どうして認可されたのか

 どうしてこのような園が認可されたのか──。

 認可は、市に打診した上で、県がおこないます。じゃんぐる保育園の周辺地域は待機児童が多かったこともあり、市は書類を確認しただけで、県も書類審査と内装工事前の視察だけで認可したのです。

 保育所の最低基準は、児童福祉法に基づいて決められていますが、その基準自体一九四六年の法成立当時からほとんど改善されていません。県には国の最低基準に上乗せした独自の認可基準がありましたが、調理室の広さに規定がないなど、漠然とした内容だったため、給湯設備程度でも基準内≠ノなってしまったのです。

 経営者から事前に提出された設計図と、実際の園の内装には食い違うところが多数ありました。

 県も市も、内装工事中の現場を視察していなかったので、可動式の柵を使って、設計図と異なった状態になっているという実態を知りませんでした。

 市川市保育課の萩原洋課長は「保育園≠ニいうと、各クラスが部屋の様態をなしているというのが通常の感覚だと思います。たとえば、部屋の仕切りを固定するなどの指導・改善の必要がありました。市としても子どもを預かる責任があります。今後もこの園については積極的に目を向けていきたい」と言います。

 六月十五日、市川市は県にたいして、保育所の調理室の面積と設備を明確にするなど十三項目にわたって、認可基準の見直しを要望しました。

 根本的な問題は、〇一年の児童福祉法の改悪によって、待機児がいる市町村では、社会福祉法人以外の営利企業などにも保育所設置が可能となったことです。営利を優先する株式会社も市場参入≠ナきるようになったのです。

もうけ主義と保育、福祉

 このような保育園が現れた背景には、経験がない人でも比較的簡単に起業≠ナきる保育業界の実情があります。

 三谷社長自身、『誰も教えてくれない保育所ビジネスの始め方・儲け方』という著書で「待機児童……が数多く存在し……、まさにオール勝ち組に近い状態があります」と書いています。低コストで保育園を経営するノウハウが、百円ショップの利用法に至るまで細かく書かれ、「確かに、儲けるという考えがエスカレートして、子どもがブロイラーに見えるようでは困ります」と後に続く起業家に戒め≠ワす。

 園児が三十数人と定員割れしているため、市川市から園に支払われる金額は、保育委託料や補助金など月約三百万円。本誌が補助金の使い道などについて尋ねたところ、三谷社長は「県の指導通りに改善している。現在は保護者も満足して園はうまくいっている」との返答でした。

 福祉保育労の小山さんはこう話します。「経営者に子育てや保育にかかわった経験がないなど、この園特有の問題はいろいろありますが、こうした実態の背景には保育園の民営化や規制緩和の流れがあり、保育が壊されていく危険性を感じさせる事例と言えます」

 丸山県議も「新自由主義の流れの中で、こういう保育園が出てきました。保育や福祉は生活の一部です。利潤を優先する企業の感覚と相反する面が必ず出てくるのです。子どもの発達と生活の水準を高め、もうけ優先から守ることこそ、公的保育の責任だと思います」と言います。

 市川市は、谷藤市議の議会での追及にたいし「園の改善の進捗(しんちょく)状況を見守り、現地調査を随時行う。改善が進まない場合は、県に命令権の行使(認可取り消しを含む)など厳正な対応を強く求める」と回答。谷藤市議は「最終的には公立保育園の分園として市が責任をもつことも視野に入れながら、今後も改善するよう市と経営者に求めていきます」と話しました。
(「女性のひろば」08年1月号 日本共産党中央委員会発行 p52-57)
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◎「部員には成果が求められ、競技の成果だけを追求する指導に偏重し、学生生活がプロ競技者への準備期間と化した」と。